「トキメカなくなった…」 スタジオで、ドラムのセッティングをしていると、昂氏が窓辺でそう呟いた。 「…………ぇ………?」 ………なんですと? 昂氏の開けている窓からは冷たい秋風が飛び込んでくる。 オレは周りのメンバーを見回したが、誰も今の発言を聞き取れなかったようだ。 それぞれ楽器をいじっている。 っていうか、鴇、オマエの恋人がエライこと言ってるよ! 赤茶色の後ろ頭にテレパシーを送りつつ、なんとなく視線を昂氏に戻すと、 ばっちり彼はオレを見ていたのだった。 「あーらやだ。聞かれちゃった??」 昂氏はわざとらしくそう言って、にやりと口角をあげた。 おおぉぉおぉぉお?!!!! や…、やばいです十華隊長…。 オレ、罠にかかったっぽい……・ 昂氏がこういう時って、
絶対ろくなこと起んねえよ?
ハイ。そんな訳で拉致られました。エヘ。 「慧、トイレ行くか(笑顔)」 とか言われてね。絶対普段ならそんなこと言わないのにね。 絶対怪しいじゃん。誰か気づいてくれよ…。 うう。そんな訳で、白い便器のよく見える男子トイレの中にございます。 昂氏は洗面台によしかかると、腕を組み軽く首を傾げた。 「で、オマエ十華とどおなってんの?」 ……な、なに?トイレで恋愛トーク?? オレは目をしばたかせて昂氏を見た。 何企んでるの、昂氏さん。 「オレと十華はどおにもなってないけど…」 オレが言うと、昂氏は呆れたように、はあ?!!と言った。 「もうとっくにできてんのかと思った…」 ………う、うるせえぞ!!黙りやがれ!!!(憤怒) そう、オレは大分前からずっと十華に片思いなのだ。 だって、初恋なんだよ。 ていうか、十華オレの気持ち知ってるのに、何の返事もくれないんだよな…。 「じゃあ、十華にドキドキしたりカッコイイと思ったりすんの?」 昂氏は何か興味津津だ。 ていうか、何言ってるの、あなた…。 オレはちょっとヒキながらも、素直に答える。 「オレ別に十華は普通に顔イイと思うけれど、カッコイイとか見てドキドキとかしないよ」 漫画じゃないんだから…。 オレが言うと昂氏は、えっ!!と素で大きく驚いた。 「え、なんなの」 「オレ鴇見るだけでドキドキしたし、何時見てもカッコイイとか思ってたけど…」 ……へえ……。 「そうなんだ…」 …ん?今なんか過去形じゃなかった?(汗) 「オマエそれ、本当に好きなんじゃなくない??」 昂氏はまじめくさった顔になって心配そうにそう言った。 「え、そうなのかな…」 心配口調につられて心配になってきたオレに昂氏はうんうんと頷く。 「あのさ、オレ昔催眠術でオマエが十華好きって言ってたの忘れさせたって言ったろ?」 脈絡があるのか無いのか昂氏はいきなり昔のことを持ち出した。 「うん」 そう、オレは昔何だか十華を意識してしまってしょうがない時に鴇に泣きついて、 その時、彼の横にいた昂氏にちちんぷいぷいのごとく恋心を消して貰ったらしいのだ。 「二回も」 そう、二回もらしい。 「うん」 ていうか、なんなの昂氏くん。 オレはちょっと身構えた。 昂氏は催眠術が何故か得意で、オレはちょっとそれでいやな目にもあってたりするのだ。 っていうか、うちのバンドメンバーで何故かオレだけが昂氏の被害にあうんだよね…。 「オマエの二回分の恋心返してやるよ、今」 「は」 二回分の恋心? 恋に量なんてあるのかよ! と、思いつつもオレは嫌な予感にじりじり後ずさった。 だって、なんか別の変な催眠かけられるかもじゃん!! 「じゃあ、催眠を解くからな、二回分」 「いや、いらない。」 何か昂氏が強調している『二回分』って怪しくないですか? 恐ろしいよ、何か。 そんなオレに構わず、昂氏は楽しそうにオレを壁まで追い込むと 『***********』 何か囁いた。 「……………」 ん??? ???? 何も起こってない…? オレは昂氏を見る。 昂氏は、静かにまばたきをした。 何だよ失敗したの? あーあ、心配して損したっ。 オレは心の中で小さく安堵した。 あくまで顔にはそれは出さないけれど。 しかし、昂氏はオレの目に浮かんだ安堵を恐ろしいことに読み取ったらしかった。 「さて、じゃあその二回分の恋心の矛先を啓祐に向けようかな」 昂氏はオレの肩をがっしり掴むとにっこり笑った。 「は!?何いってんの。なんで啓祐に向けんの??」 啓祐っていうのは、結構仲のいい後輩バンドのギター弾きだ。 「え、おもしろそうだし。そろそろオマエラくっついたら??」 昂氏は余裕だ。 「どっちとくっつけっつうんだよ!」 思わずオレは怒りを声に出してしまった。 やばい、と思ったもののもう手遅れで、昂氏の目に『目的遂行』の文字が浮かぶ。 「ま、待ってよ。つうか、おかしいでしょ。なんで啓祐に…」 逃げなくては危険だと悟り、肩にかかった手を外そうとしたがびくともしない。 オレのドラムで鍛えたマッスルボディーが昂氏の馬鹿力には適わないなんて。(汗) っていうか、何でオレは今こんな目に合ってるの? いつも思うけど理不尽だよ!!!
お、終わった……。 催眠終了らしい。 特に体になんの変化も無いけれど。 「慧?」 息を切らせて鴇がやってきた。 遅いっつうの…。 「こんなとこで、二人で何やってんだよ……」 鴇は随分オレ達を探してくれていたようで息をきらせて壁にしがみついた。 「別に」 昂氏はしらっとして答える。 鴇は、それに無言のままオレを見た。 鴇……、お前よく昂氏と長いこと付き合っていられるね…。 鴇も催眠でもかけられてんじゃないの。 「さってと、練習練習」 沈黙を破るように昂氏が言い、強引に鴇を押して出て行ってしまった。
『トキメカなくなった』
『オレ鴇見るだけでドキドキしたし、何時見てもカッコイイとか思ってたけど…』
出て行った二人を見送りながら、昂氏の言葉を思い出した。 あれって昂氏が鴇のこと冷めてきたってこと? それでオレは?? オレ全然関係ないじゃん…。
「それでさー」 「もういいよ、その話」 トイレで呆然としていると二人組みが入ってきた。 どうやら丁度同じ時間帯にスタジオに入っていたっぽい弟バンドの『doll』。 そのドラムの圭吾とベースの由時だった。 っていうことは、啓祐もこの建物内にいるっていうことになる。 …………この催眠ってほんとにかかってるんだろうか…。 口だけだったりして。 オレはふと思いついた。 試しに啓祐に会ってみよう。 「あ、慧くんおはよう」 「慧さんおはようございます」 「ああ、うん」 二人に挨拶を適当に返しながらトイレを出て、 オレは『doll』が使ってそうなスタジオを探し始めた。
なんとなく、自分達の使っている部屋と別の方向にいるような気がして自分のスタジオとは逆方向に歩いていくと、
「最近奇依くんに会ってないなぁ。会いたいなあ。ねえなんとかなんないの?」 廊下の向こうで『doll』ボーカル静香のおっとりした声が聞こえた。 じゃあ、きっとその辺に啓祐も…。
「そんなに会いたいなら奇依くんち行けばいいじゃん」
どっきーん!!
声だけで胸が高鳴ってしまったよ…。 恐るべし二回分の恋心。 胸を押さえてなんとか動悸を抑えようと深呼吸してみる。 「おい、慧こんなところにいたのかよ」 いきなり肩を掴まれ、驚いて振り向くとー、 あ、十華だ。
「慧?もしかして慧君いんの?!」
向こうで啓祐の声が聞こえたと思うと、バタバタと走ってくる音がした。 え、啓祐来るの? ギク、としながら、 「やっぱり!!」 真後ろで声がして、振り返るとすごく嬉しそうな顔をした啓祐がいた。 キューン、 と胸が震える。 な、なんだコレ…。 それに続いて、一気に顔が火照って心臓が高鳴る。 うわわわ! 「慧くん…?なんか顔赤いけど…」 顔を覗き込まれてオレは、酷く緊張した。 目をあわせられなくて俯いちゃうオレってどうなの…。 「慧くん…?」 呼ばれてはっとして視線を上げると至近距離で啓祐と目が合った。 色素の薄い茶色の瞳にオレは釘付けになる。 ちょっと、すごすぎるよこの催眠。 かなりヤバイんですけど…。 「うわ」 至近距離で見詰め合ってるうちにぼーっとしてきたオレの思考を啓祐の声が破った。 「わーわー!!何コレ!!!」 啓祐が真っ赤になって口元を押さえている。 な、なんだ?? 「やべー、オレ今ぜってーヤバイ。頭おかしくなったかも」 啓祐はいいながら自分の頬を両手でパシパシ叩いた。 啓祐を追ってきた静香は、状況が飲み込めずぽかんとしている。 どうしちゃったの啓祐…。 啓祐が離れたことで動悸もおさまりほっとしていると、頭上で十華の声がした。 「なにしてんだよ、おまえ」 え。 顔をあげると、冷たい瞳をした十華がオレを見下ろしていた。 十華はなんで怒ってるの。 オレは何をやらかしたんだろう、 思い当たる節が無くてハラハラしながら十華を見上げていると、 「ふざけんな」 十華はそう言い棄てて、さっさとオレに背を向けて行ってしまった。 「え、待ってよ、十華!」 「慧くん!」 急いでおいかけようとすると、啓祐がオレを呼んだ。 「なに?」 今はやめておけばいいのに、反射的に振り返ると彼はにっこり笑って、 「またね、」 と手を振ったのだった。 可愛い…。
はっ。 ちがう。 だからコレは恋心二回分のせいなんだってば。 しっかりしないと。 そんでさっさと昂氏に催眠といてもらわないと……。
オレはダッシュで十華を追いかけた。
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