「お前さぁ。毎日そんな事してて飽きないの?」 タバコの煙を吐きながら純也は呆れ顔を智樹に向けていた。 「何だよ?俺が料理しちゃ悪いのか?俺がお前の身の回りの世話をしちゃいけないのか?」 「いや・・・そんなことはねえけどよ・・・」 智樹は対面式のキッチンから持っている包丁を純也に突き付ける。顔は怒っているのだが、童顔な上に背の小さな智樹は拗ねているようにしか見て取れない。そんな智樹に純也はブっと吹き出した。 「まぁ、俺は炊事洗濯苦手だから助かるっちゃあ助かるんだがな・・・」
智樹が純也のマンションに転がり込んで約一ヶ月。 フリーターの身で、更に金の無い智樹は、仕事をしている純也に代わって全ての家事全般をこなしていた。元から家事全般が好きな智樹にとって、何の苦も感じない作業なのだが、最近智樹には不満があった。 「どうせ俺が居なくっても純也の世話をしてくれる可愛い女の子が沢山居るんだろうけどさっ」 ダンっと包丁でジャガイモを叩き切る。智樹の見事な八つ当たりを受けたジャガイモは綺麗に真っ二つ。それでも智樹は腹の虫が納まらないのか、ダンダンとジャガイモを乱切りにしていった。
「お前さぁ。俺がこういう仕事しているのを理解した上で付き合ってるんだろ?全ては金の為。それ以外にどうして俺がホストなんてやってると思うよ?」 「そっ、それはそうだけどさ・・・」 「俺が女で勃たないこと知ってるだろ?」 「でもさっ、金の為なら何だってやるんだろ!?」 「まあ、それを言っちゃあお終いだけどさ。・・・だが俺は今、お前にぞっこんな訳だし・・・」 「信じられないねっ。大体俺のどこが好きなわけさっ」 「全部・・・。直ぐに可愛い嫉妬をしてくれるところも好きだよ」 「・・・」 純也が智樹の背後からそっと抱き締め耳元で囁くと、ようやく智樹も怒りの言葉を引っ込めた。だが、純也に耳元で囁かれたことにより智樹の顔は真っ赤だ。
純也の職業はホスト。 今をときめくNo.1ホストなのだ。 毎日沢山のプレゼントと女性の香水の匂いをプンプンさせて帰宅する純也を智樹が冷静で居られる筈が無い。しかも、二人で居る時でさえ女性からのラブコールが携帯電話に鳴り響き、「お前が一番だ。君のように素敵な女性と話せるなんて幸せだ」とか言いながら楽しそうに会話している。そんな状況で純也が智樹の愛を信じろという方が無理というものだった。 「俺・・・、心配なんだ・・・」 智樹は小さな声で自分の想いを呟く。
出会いは突然だった。 毎日アルバイトで食い繋ぐ生活を送っていた智樹は、たまたまアルバイト先で友達になった同僚と酒を飲みに行ったのだ。その同僚がキャバクラに行った事が無いと言う智樹を無理矢理六本木に連れて行ったことがきっかけだった。「自分はゲイです」とも言えず、同僚に腕を引っ張られるままに連れて行かれたのが、六本木のキャバクラ。昔から女性が大の苦手だった智樹はキャバクラ嬢との会話もそこそこに、盛り上がっている同僚を置き去りにして店を出てしまった。 駅に向かう途中にキャッチに何度も声を掛けられては断るという面倒くさい事を繰り返していた智樹は、そこで純也と知り合った。
最初は同じようなキャッチだと思ってしまった。 一瞬純也の顔を見ただけで、惚れてしまったことは今現在も純也には言っていない。とにかく、純也は最初から魅力的な人で、出会いの一部始終を未だに覚えている。 「あんた一人か?」 最初の言葉はキャッチにしては、つっけんどんだな、なんて思ったんだ。それでも格好良いから許してやるかくらいにしか思わなかった。
「俺ホストなんだ。あそこの店で働いている。・・・いや、そんなことが言いたいんじゃなくて・・・」 なぜかシドロモドロの男を智樹はキョトンとして見上げていた。スーツをビシッと身に纏った男は誰から見ても男前で、それなのに男は挙動不審な態度で智樹の前を行ったり来たりしている。 「あ・・・、あの・・・。俺、帰らなくちゃいけないんで・・・」 そう言って智樹は純也の前を通り過ぎようとした。格好良いけど、変な人だなとプッと吹き出してしまったのを思い出す。ところが、純也に腕を掴まれたかと思うと男の力によって振り向かされ、突然のカミングアウトを受ける。
「俺っゲイなんだ!!そ・・・、それで君に一目ぼれしたって言うか・・・。と、とにかくそういうことだ」 「・・・・・・・・・・・・え?」 突然の告白に智樹は目を大きく開き、体を固まらせる。急転直下な事態が訪れると、人は動けなくなるということを体感した一時だった。 「・・・やっぱ気持ち悪りぃよな。悪い。忘れてくれ・・・」 智樹が体を固まらせたことを拒否だと勝手に理解した純也は、智樹の手を離した。ションボリとうな垂れるその態度が、やはりビシッとスーツを身に纏った男には似合わな過ぎておもわず笑ってしまう。智樹がクスリと笑ったことに、純也は不思議そうな顔をして智樹を見詰めていた。その顔が可愛くて、何だか放って置けなくて思わず言ってしまったんだ。いつもなら絶対に言わない言葉を。 「店・・・、いくら?一時間くらいなら付き合ってあげるよ?」 「はぁ?」 「だって君、キャッチでしょ?女の子が見付からないから俺をキャッチしてる。・・・だからって自分をゲイだって言わなくても良いのに・・・」 いつも初対面の人とは中々話せない智樹だったが、純也の行動が余りにも可笑しくて、ついつい会話に乗ってしまった。本当にこの人がゲイで、今言った言葉が本当だったら良いのにと頭の隅っこでは考えていたと思うけど。
クスクスと笑う智樹に、純也は頭をポリポリと掻いていたが、次の瞬間には純也に手を引っ張られて店に向かっていた。店に入るのかと思っていた智樹だったが、純也が一人の店員に声を掛けていることに気付き、更なる驚きに変わる。 「気に入った子が居たんで早退します」 それだけ言うと純也は智樹を連れて店を後にした。 それからは・・・。
どこかのバーに入り、純也の求愛を延々と聞かされ、気付けば純也のマンションに一緒に住んでいるという、自分でも理解不能な事態に陥っているというわけだ。 結局、智樹もゲイだということを伝え、それが、どこをどう間違って純也の頭の中で「俺も純也が好き」という言葉に変換されたのか解らないが、純也は智樹から一度も「好き」という言葉を聞かずに現在に至っている。 もちろん、智樹自身も純也のことが好きなのだが、いざ「好き」という言葉を口に出そうとすると尻込みしてしまう。ホスト仕込みの甘い言葉を囁く純也を見ていると「好き」という言葉も色褪せてしまいそうな気がするから。
「俺はお前を食べたくて食べたくて仕方が無いんだぜ?」 純也が腰を智樹の尻に押し付けると、智樹の尻に何やら硬いものがぶつかる。 「こっ・・・この・・・」 人がせっかく深刻な事を考えているというのに、当の本人はいつものようにセクハラまがいの行動に出ている。そうやっていつも「好き」という言葉のタイミングを逃してしまうのだ。 「何だよ?恋人同士なんだから別に良いだろ?・・・それともあれか?まだチェリーちゃんの智くんには刺激が強過ぎたか?」 純也は智樹の耳元にフッと息を吐き掛け、智樹の怒りに油を注ぐ。そんな純也の攻撃に、智樹も肩をワナ付かせて叫んだ。 「ふざけんなっ!料理の邪魔だってんだ。これ以上変態行為をしたら刺すからな!!!」 「それはまずい。ホストの命である顔を傷付けられたら大変だ。仕方が無い。撤収だ!」 真面目な口調で智樹から離れて行った純也だったが、顔は弱い者いじめをしているガキ大将の顔だった。ニヤニヤといやらしい表情で智樹を見詰めている純也の顔が腹立たしくて仕方が無い。
「こ・・・の・・・」 しかし、腹立たしさをぶつける物は、やはり目の前のジャガイモしか無く、ダダンと包丁を叩き付ける。 純也に言われたことは仕方の無いことだ。そうは思っていても智樹は悔しくて仕方が無い。実は、智樹と純也は未だに事を成していないのだ。純也の前にも彼氏は居たが、結局そのような行為の前に別れてしまう。そんな事を繰り返しているうちに、ズルズルと性行為への妄想だけが先走り、尻の穴にあんな太いものを突っ込んだら絶対自分は絶叫死してしまうとまで思うようになってしまった。その事を純也に打ち明けると、意外にもあっさり、純也は智樹の心の準備が出来るまで待つと言ってくれたのだ。そんな純也の優しさを智樹は感謝しても、し足りない。
「ありがとな・・・」 「は?」 突然の智樹の言葉に、純也は火を点けたばかりのタバコを指で転がしながら純也の顔を見詰める。先程まで激怒していた智樹が感謝の言葉を口にした理由が分からないのであろう。じっと智樹の顔を見詰めながら次の言葉を待っているようだった。 「いや。だってさ、俺がお子様だから純也は待ってくれてるんだろ?・・・本当は遣りたいんだろうし・・・」 智樹は俯いてジャガイモを見詰めた。今は純也の顔をまともに見れない。キスも未だに上手く出来ない智樹にとって、性行為は更なる未知の領域だった。しかも妄想によって怖気付いてしまっているし、「好き」という言葉も純也に伝えていない。もし、自分が純也の立場だったらとっくに愛想を尽かしているような気がするから。
「智樹、俺を見ろ」 純也が突然いつもと違う声色で智也に言う。智樹はドキリとして純也に視線を向けると、更にドキリとさせられた。やはり声同様、いつもと違う真面目な表情で智樹を見詰めているのだ。 「俺は一目お前を見た時から、お前に夢中なんだ。お前が遣りたくないって言うんならいつまでだって待つし、それに遣れないからってお前以外の奴と遣ろうとも思わない。言っただろ?お前に心の準備が出来るまで待ってやるって・・・」 その言葉に智樹は目頭が熱くなった。いつもの冗談めかした態度を突如としてガラリと変える純也。自分が純也にとっての存在に疑問を感じ、拗ねた態度を取ると決まって純也は智樹にこのような言葉を掛けてくれる。いつもと違う真面目な純也の態度がより一層、これが純也の本心なのかと智樹を安心させてくれる要素となっているのだ。
「お・・・、俺も・・・純也を・・・」 誰よりも好きなんだ・・・と続けたかったのだが、やはり「好き」という言葉は智樹の口からは発せられず、ゴニョゴニョと口ごもる。 「知ってるよ」 「え?」 智樹は純也の言葉を聞き返した。知っているとはどういうことなのだろうか。 「お前は俺にぞっこんLOVEだからな」 「はあ?」 「見てれば分かるんだよ。俺が好きで好きで堪らない。そんな顔をお前はしてるんだよ」 「・・・」 ニヤリとウインクしてみせる純也はキザというか、やはりそんな顔をしていても格好が良い。いつもの様に純也の頭の中で、自分の都合の良いように何かを変換しているような気もするのだが、智樹が純也を好きということは事実なので智樹は何も言い返せないでいた。 「まっ、お互いがお互いの事を想っていれば後はどうにでもなるもんさ」 それが身体を繋げないという、ちっぽけな悩みくらいじゃな、と純也は言っているようだった。
智樹は思う。 こんな純也だからこそ好きなのだと。自分が言えない言葉さえも理解してくれる純也だからこそ好きなのだと。 いつか自分の心の準備が出来たとき、きっと純也は何も言わずに抱き締めてくれる。そう思うと、智樹は心の底から早くそんな日が訪れれば良いのにと考えてしまう。
しかし、その前に「好き」という言葉をきちんと純也に伝えようと思う智樹だった。
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