♪上を向ーいて 歩ーこーう。
涙が 零れ なーいよーに。
「コンビニ」
すっかり忘れていた。 今日が特別な日だったことを。
深夜二時。 体に突き刺さるような感覚。 いくら暖冬とはいっても、冬は寒い。 パーカーのフードを深く被り、前かがみになりながら暗い道を歩く。 さっきからヒリヒリとする左頬。そこにフードが触れ鋭い痛みが持続的に走る。 それに耐えるように歩き、先の交差点を左に曲がる。 数十メートル先に唯一明りが洩れているコンビニが目に入る。
「いらっしゃいませ~」
中に入るとそんなやる気のない声が迎えた。 その声の主は椅子に座りながらレジ台の前で堂々と雑誌をめくっているアルバイト生。店内にはその店員以外だれもいない。 そっちにチラリと視線を送ると、そのまま雑誌コーナーへと向かう。 昨日出たばかりの週刊漫画を手に取り、その場にしゃがんでペラペラと捲る。 5分くらいそうしていると、不意に後ろに人が立つ気配がした。
「お客さん、立ち読みは困るんですけどね」
そう言うダサいエプロンを着けた店員をチラリと見、再び漫画雑誌に視線を戻す。 「立ち読みするんなら買ってくれます?」 「座り読みしてんだけど」 そう言うとそいつが軽く笑うのが分かった。そしてそのまま笑いながら腰を曲げると、同じように隣にしゃがんでくる。 「……今日はどうしたんだよ、こんな夜中に。俺の顔でも見たくなった?」 急に態度を変えそんなことを言うそいつを、軽く睨み付ける。 「…………バカじゃねぇの」 冷めた声で言うと、そいつはニヤっと笑って俺の顔を覘きこんできた。 「それとも……彼女にでも振られたか?」 その言葉に思わず反応してページを捲る手を止めてしまう。 「当たりだろ?」 「……………」 不毛にも当てられ機嫌が悪くなる。 「何で分かるんだよって顔してんな」 益々睨み付ける俺にもう一度面白そうに笑うと、そいつはフードで隠れていた今だにヒリヒリと痛む左頬を人差し指でムニッと押した。 「ココ、真っ赤に手跡残ってるぞ」 思わず唖然となる。確かに痛いなとは思っていたけどまさか手跡が残るまでとは。 そんな俺のアホ面を見、もう耐え切れないといったようにそいつは爆笑し出した。 「ぶははは、その顔、傑作っ」 「てめえ、笑ってんじゃねえよ」 「だってよ、あからさまに顔に出すからよ。お前気づいてなかったのか?」 ……うるせえな。 一通り笑ってからそいつは目元に溜まった涙を拭いた。そして再び俺の顔を覘きこんでくる。 その目が子供が玩具をみつけたような好奇心一杯の光を発している。 「で?一体なにがあったんだよ」 うざいと思いながらも、俺は先ほどの記憶を思い起こしてしまった。
「え……?今、何て…?」 「だから。今日は帰るって言ったんだよ」 その言葉に京子の顔が段々と強張っていくのが分かる。 「なんで…?何で急にそんなこと言うの?」 信じられないと震えた唇でそう付け足す。 今日は一ヶ月ぶりに会えた日だった。なのにそんな俺の冷めた態度に焦ったのか、京子は上目遣いに俺を見てくる。 そんな縋るような視線にうざったいさが募っていく。 ……面倒せえ。 密かにため息を吐くと、京子は急に冷めた目に変わった。 「……聡っていつもそう。私が何言っても、何やっても興味なさそうだよね。私といるとつまんないんでしょ」 ……さあな。 「ていうか、私どころか何にでも興味ないでしょ。自分大好きだもんね」 …………。 「それって人生楽しいわけ?寂しくない?」 …………。 「ねえ、何とか言ったらどうなのよ。反論すんのも面倒くさい?」 それでも何も言わないでいると、京子は俺から視線を下ろした。 「………最低ね」 そう言うとカバンを急にあさりだす。 そこから何かを取り出したかと思うと、突然腕を振り上げ力の限り俺の顔にぶつけてきた。 「知ってた?今日は付き合って一年目の記念日だったのよ。私なりに今まで我慢してきたけど、もう限界」 そう言って俺を睨み上げたかと思うと、風を切る音が耳に入ってきた。 ―――パシンッ!! 鋭い痛みが左頬に走る。 「さようなら」 俺が俯いた顔を上げた頃には、もう京子の姿はなかった。 視界にはただ綺麗にラッピングされた筈の箱が転がっているだけだった。
京子の言葉は間違っている。 だって俺は他人どころか自分にさえも興味なんてない。 そんな自分がどこか欠落しているなんて知っている。 人生なんて楽しいわけない。
「なあ、何があったんだってば」 ずっと黙っているにも関わらず、未だに聞き出そうとしてくるあいつ。軽く睨みつけても効果なし。 「いい加減にうぜえぞ」 「だって気になんじゃねえか。別に教えてくれてもいいだろ」 そう言って、ムニムニと左頬を突っついてくる。 ……はっきり言ってすげえ痛いんですけど。 そうは思うものの、痛いというのが悔しいから何も言えない。 「それじゃこれはど?今日俺の誕生日なのよ。だから誕生日プレゼントに」 その言葉に絶句する。 こいつ誕生日だったのか。……ていうか。 「お前プレゼントが俺の別れ話って……そんなの嬉しいか?」 「まあ、何も貰えないよりかはマシなんじゃねえ?」 なんというポジティブ精神。 というかそれ以前に誕生日にバイト入れてるお前の悲しさに少し同情だぞ。 「あ、今お前俺のこと寂しい奴って思っただろ。でも生憎残念。これが結構寂しくなかったりするんだな、これが」 「…………あっそ」 そう嬉々して言うそいつを呆れた目で見て、再び雑誌に視線を戻す。 わざとそう悔し紛れに明るく言っているのか、逆にそれは空しく見えた。 ……見た目は悪くないくせに。てかよくここで女の子に喋りかけられたりしてんの見たりすんのに。やっぱり性格に難ありだから皆逃げてくのか。 そう思ってるとそいつは軽く笑って突然立ち上がった。そして適当に飾ってある雑誌を一つ取ると、それで俺の頭を軽く叩く。 「だってお前が来てくれたからな」 そう言うとその雑誌を手にしたままカウンターの方へ戻っていった。
「…………」 …………………悔しいぜ。 頭に被っているフードを手でひっぱて益々深く被る。 先手を取られたっつうか。なんというか。欺かれたっつうか。 兎に角、悔しい。
しばらくそのままで居てから、俺はふと立ち上がった。そして読んでいた漫画雑誌を持ったまま、レジの方へ向かう。 あいつは店に入ってきた時のように堂々と座って雑誌を見ていた。 そのレジ台の前へ立ち漫画雑誌を置く。 あいつが顔を上げる。 「…………」 俯いたままの俺を軽く見ると、立ち上がり雑誌のバーコードに機械を当てた。 ピッと音が響く。 「230円です」 そう言ってコンビニ袋に入ったそれを渡してくる。 俺はそれを俯いたまま受け取った。 「………さんきゅ」 小さい声で呟く。 それを手に下げ俺たちの間に何もなくなると、俺はもう一度呟く。 「さんきゅ」 そのまま背を向け、出入り口へ向かう。 その時、背後からあいつの声が聞こえてきた。
「そうだ、言い忘れてたけど、俺お前のこと好きだから」
ここは俺が唯一自分から来てしまう場所。 なぜ今日ここに無意識に来てしまったのか。 なぜあいつが今日バイトを入れていたのか。 それは謎だったけれど。 でも、きっと。………そういうことだと思う。
こんな人生、結構捨てたものじゃないかもしれない。
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