「なあー待ってって!!」 「うるさい」 弓彦は恋人信二に置き去りにされて、追いかけるもむなしく、公園のあたりで撒かれてしまった。 「…なんやねん、自分が告ったんやん……」 関西出身の19歳。この春東京の大学に進学して、そこで出会った同い年の信二にいきなり告白されたのだった。なにがなんだか分からないまま付き合うことになってしまった、という適当な恋人ではあるが、弓彦がこうもぞんざいな扱いを受けなければならないのか? 答えは簡単。 『関西弁が嫌いだから』
ひとめぼれだと告白してきた信二は、弓彦が関西人だとは知らなかったらしい。弓彦が話し出した途端嫌そうに顔を顰めた。 「……なに?」 イントネーションの違う疑問の言葉。 「お前、出身どこだ?」 「滋賀やけど…」 その返事を聞いて、はあーと盛大な溜息をついて信二はなったばかりの恋人にきっぱりこう言った。 「俺の前で一切関西弁をつかうな」 「………は?」 言われた言葉の意味がつかめなくて首をかしげると、もう一度こう言った。 「俺はこの世で一番関西弁が嫌いだ。だから使うな」 「んなむちゃくちゃな……」 弓彦の台詞はもっともである。理不尽なことこの上ない。 「東京にきたら標準語を使え」 「無理やってそんなん、いきなり言われても」 「無理じゃない。いいな?」 有無を言わさぬ表情で言われて思わず頷いてしまったのが、弓彦の不運の始まりだった。
「あっ…は、んっ…!」 「弓彦……」 ベッドの上、珍しく今日はいさかいもなく、いいムードですごして、ここまできた。 腰だけを高く上げられたみだらな格好で後部を舐められて、弓彦は声を堪えようと枕に顔を押し付ける。 「……っん…」 「声、出せよ」 意地悪く顔を枕から離させようとする信二に嫌だと左右に頭を振ると、透明な汗が散った。 「あほ…っ」 一瞬、信二の動きが止まる。幸いというか、不幸にというか、そんな信二に弓彦は気が付かなかったようだ。 「……あっ…!」 そっと指を一本差し入れられて、びくんと細い腰が震える。 「どの指か分かるか?」 「この…変態…っ」 途切れ途切れの反抗は、逆に信二を楽しませるだけだ。入り口近くで周囲の壁をなぶっていた指は、一瞬弓彦が強張りを解いた隙に奥まで入り込む。 「…も、信二ぃ」 微妙に感じるポイントを外して意地悪な指は身体の奥で蠢く。 「…一本じゃ足りない?」 「も…あかんっ…」 そう、弓彦が切なく喘いだとき、また信二の動きが止まった。 「…しん…? どないしたん…?」 これが決定打となった。信二は指をそっと蕾から抜くと、そのまま呆然としている弓彦をベッドに残してさっさとバスルームに消えた。 「…なんやねん、ほんま……」 熱くなった身体を置き去りにされて、それでも自分でするのもなんだかむなしくて嫌で、どうしてこうなったのか分からないまま弓彦は半べそ状態だった。 結局この日はそのまま信二は止めるのも聞かずに不機嫌な顔で家へと帰っていった。 実はこんなことはこの日が初めてではなかった。何度も同じようにいいところまで行くのに、弓彦的には十分ものすごいことをされていると思っているのに、弓彦が関西弁を口にした途端ぴたっと行為を止めて、帰ってしまうのだ。結局今まで一度も最後までいったことがない。 「しゃーないやん、標準語がどうとか、考えてる余裕ないねんもん…」 もう触れられるだけでも心臓はどきどきして大変だし、変なところを舐められたり、中に指を入れられたり。そんなときはいっぱいいっぱいで言葉なんかに気を使うどころじゃないのだ。
「……はあ…」 「元気ないじゃん」 翌日、早く来た講義室で一人肩を落としている弓彦に、こっちにきて一番にできた友人の星野が明るく声をかける。 「…別に…」 「まだあいつに振り回されてんの?」 星野は弓彦と信二の関係を知っている。隠し事のできない弓彦だから、早々にばれたというのが真実だが。 「関西弁って腹立つ?」 「いや、俺は結構好きだよ。優しそうだし」 標準語じゃ冷たく聞こえる言葉ってあるから、と笑ってくれる友人に少しほっとする。 「あんまり嫌いって奴いないんじゃねーの?」 「そうやんなあ…。信二以外に関西弁使って殴られたことないもんなあ…」 「…殴られてるのか」 普通なら、怒って分かれてしまいそうな状況だろうに、それでも上手くいかない原因を自分のほうに探して落ち込む弓彦に星野は苦笑した。 「まあ、殴るっていっても、軽くやからそれはいいんやけど」 「うん」 「無視られるのがな…」 弓彦はもう一度、大きく溜息をつく。 冷めた目で、たった一言『帰る』とか『じゃあな』とかひどいときは無言で隣から去っていく背中を見る度に、ずきんと心が痛むのだ。 「まあ、元気だせよ。なんなら俺から一言いってやろうか?」 「…ええわ」 ただでさえも、星野といるといい顔をしないのに、そんなことをしたら本当に嫌われてしまうかもしれない。 なぜかよく分からないが、弓彦は随分信二に惚れていた。最初からいじわるだったのに。 「信二の、あほぉ…」 そう、呟いたところで後ろからばこっと殴られる。 「…っ! 誰やねん…っ!!」 人が落ち込んでるのに、と振り向くとそこにいたのは信二その人だった。 「誰があほだって?」 「……信二やん」 「……ん?」 目で訂正を求められる。 「信二…デス」 隣で星野が空を仰いでいる。 「別に敬語を使えとは言ってない。でるぞ」 「どこいくん…の?」 途中で言い直すのもなかなか慣れてきた。 「中庭」 「…授業でーへ、でないの?」 「出たい?」 次の授業は受講者数500人を超える人気講義で、出席は滅多に取らないから、別に出なくても大したことはない。 「…ううん。いいよ、いこか」 そして2人は手を繋いで講義室から消えた。後に残された星野はこう呟いていた。 「基本はバカップルなんだよな、あいつら」 端から見れば立派にいちゃいちゃしてるのだった。そして彼は、万が一出席を取られることがあっても絶対信二の代弁はしないと心に誓っていた。
さて、中庭では…。 「なあ、信二」 「ん?」 「俺の、どこが好きで告白したん、の?」 横目で睨まれて、言い直す。 「顔」 あっさり言われて、弓彦は肩を落とす。 「だけ?」 「だけって結構重要だと思うけどな。お前は俺が今まで生きてきて最高に好みに合った顔だ」 褒められているのかバカにされているのか判断に苦しむところだが、信二は大いに本気だった。 「……ふうん」 「なんだよ」 「別に…、俺も信二の顔好き」 本当は『顔も』やけど、と心の中で呟いて心なし頬を染めていると、それを感じ取ったのか、優しくキスをして、弓彦にしかみせることのない笑みを浮かべる。弓彦も、嬉しかったのか満面の笑みを浮かべた。
幸せだったのに、それなりに。 弓彦は、信二が自分とよく似た感じの男子学生(構内で見たことがあるから)と楽しそうに買い物をする信二の姿を見てしまった。 弓彦といると、関西弁をつかいそうになるたびに不機嫌になるし、やがて怒って帰ってしまうしでまともにデートすらしたことがないのに。 別に一緒に買い物をしているから浮気だとはいえないのは分かっている。相手は男だし、別に信二はホモというわけではないから。…だけど、あんな顔で信二が笑っているから、楽しそうに会話をしているのが遠目で見ても分かるから、堪らなかった。 「…顔やったら俺じゃなくてもいいやん……?」 あの子だってきっと『好み』の範疇に入るだろう。信二は嫌いな相手とは顔を合わせるのも嫌がるから。 だけど、その台詞を言えずにいるのは、肯定されてしまうのが怖いから。 「信二、あっさりそうだなって言いそうやもんな」 自分から告白したから、信二はとりあえず隣にいてくれるのかもしれない。そう思うと、自分からきっかけを作るような台詞は言えなかった。 翌日、信二はいつもと少しも変わらない態度で接してくる。実際何もないのだろう。だけど、今日の会話の途中で怒らせて、不安になっていた心はもう口をとめてはくれなかった。 「……もうええわ」 「弓彦……?」 いつもの反応と違う弓彦に、信二は少し、表情を変える。 「もうええ。俺、まともに話もできひん」 「弓彦」 「怒らせてばっかりや。信二、俺といたらいつも怒ってる」 顔を下に向けて震える声で弓彦は続ける。 「好きやけど、もう俺、疲れたわ」 「…なに、言ってるんだ」 「終わりにしよ」 この時の弓彦の笑顔に、信二は動けなくなった。笑ってるけど、笑ってない。 「だめだ」 「…なんで?」 だって、いつも嫌な顔するやん、と。 「俺は、お前と離れる気はない」 「嘘や」 涙が弓彦の頬を伝う。泣くのは久し振りやな、と思いながら、信二があっさり別れを承諾しなかったことが、少し嬉しかった。 「本当だ。嫌いになったのか? 俺が」 嫌われても仕方のないだけのことをしている自覚はないわけではないが、それでも弓彦の表情や態度から、嫌われる心配はないような気がしていた。 「好きや言うたやん。好きやけど、疲れてん」 「関西弁を使うなって言ったからか」 「そうやけど、そうとちゃう」 確かに、根本の原因はそこにあるのだろうが、もう問題はそれではないような気がした。 「だったらどうしろって言うんだ」 「別に…、もういいやん。信二は俺の顔が好きなんやろ。だったら写真でも見とけや。しゃべったら嫌な思いするんは信二なんやから、写真のがいいやん」 それじゃまるきり変態さんだ、というつっこみは置いておいて・・・。 「顔だけ好きとは言ってない」 自嘲するかのように、中途半端な笑みを浮かべて話しつづける弓彦に頭が痛くなる気がしながら、信二は言った。 「顔も好きだけど、それ以上にお前の性格が好きだ」 明るくて、お人よしな笑顔が一番好きなんだと、そう言った。そんなことは言わなくても伝わっているものと思っていたとも。 「そんなん…でも、いっつも怒ってばっかやんか」 「関西弁は大嫌いだ」 きっぱりそういわれて、また泣きそうになる弓彦を見て、信二は深い溜息をつく。 「仕方ないだろ。むかつくもんはむかつくんだから。頭悪そうだし、下品だし、うそ臭いし、なんでもかんでも『が』とかつけてはっきりしないし、無神経だし」 「が…て何?」 関西弁がぼろくそに言われてることよりも、『が』の使用用途が気になったらしい。自覚は全くない。 「だから、『今いませんが』とか『悪いけど』とか。どうして語尾に否定語をつける必要があるんだ。『が』と『けど』の後に何か言いたいことがあるのかと思えば何も言わないし、気持ち悪いんだよ」 「…ふうん」 細かいことをいう信二がおかしくて、腹が立つより先に笑いが込んできたらしい。笑いを堪えている弓彦を睨みつける信二はどこか子供のようで可愛いな、と弓彦は思った。 「でも、そんなん人それぞれやろ? 別に全員そんな使い方しとるわけやないど思うで」 「そうかもしれない。でも嫌いなものは嫌いなんだ」 無茶を言ってるのは分かってる、と信二は言う。 「ようするに、俺がピーマン嫌いなのと一緒ってことやんな?」 「そう」 えらそうに頷く信二に、とうとう弓彦は噴出した。 「おい」 「ごめんって。でも、俺やっぱり標準語ってわからへん。敬語とかやったらいいけど、なんかどこまでが普通なんか分からんねん。だから、きっとまともに使えへんと思う、これからも。それって信二とはいられへんってことやろ」 恋人不愉快にさせつづけるのも悲しいし。とまた落ち込みモードに入った弓彦に覚悟を決めたかのように、信二は言った。 「もういい。使ってもいいよ」 「ほんま!?」 それでも先ほどからの関西弁のオンパレードにもういい加減嫌になっていたらしく、 「ああ。だけど、セックスの時はやめてくれ」 「セ……っ」 さらっと言われた台詞に真っ赤になりながら、 「それが一番無理やって!」 理性効く状況じゃないんだから。 「無理でもやめろ」 「……そんなぁ、なんでなん?」 「萎える」 実は、信二は以前関西人の彼女がいて、その彼女のことで散々嫌な目にあったらしい。それがトラウマになっているのか、どんなに盛り上がっていても、関西弁を聞いた途端に気持ちが冷めて、結局使い物にならなくなってしまうのだった。 「……冗談…?」 「じゃない」 じゃなきゃ、とっくに最後までやってる、と。ただでさえも一々可愛くて、本当なら講義中にでも押し倒したいくらいなのだ。 「…努力する」 「……ああ、そうしてくれ」 弓彦としては、どうしてもHしたいということもないのだが、やっぱり途中で放棄されるのは嫌で、それに好きならやっぱりちゃんとしたいという気持ちもあって、頑張って標準語を使えるようになろう!と決心したのだった。
後日談。 「あんな、俺考えてん」 「……なにを」 今や遠慮なく関西弁で話し掛けてくる弓彦に、半分あきらめもあってか、信二も返事はするようになっていた……以前は無視か、こぶしだった。 「その。あれの時な…」 真っ赤になりながら耳元に近づいてくる弓彦の次の台詞に、信二は耳を疑うことになる。 「猿ぐつわ…したらええんとちゃう?」 果たして意味が分かって使っているのだろうかと不審な目を向けながらも、真っ赤になってうつむいている様子から、意味は分かっているのだと理解する。 「本気か?」 「……うん」 あれから、5回ほどいいところまでいって、散々焦らされてほとんど寸止め状態で放置されつづけた弓彦は決死の覚悟で今日の台詞を考えたのだ。
「…んんぅ…っ…ん!」 いつもより数段淫らな状況に、信二も興奮度が高いらしい。 「すげえ…、強姦してるみたいだ」 『あほー!!』 目で訴える弓彦の台詞が簡単に読み取れて、おかしくなる。嫌いだと公言しているのに、自分が思い浮かべる弓彦はいつも関西弁だったな、と。 内部に差し込んでいた指を一本増やして、3本にすると、さすがに抵抗感がある。それでも、感じるところを執拗に刺激してやると、段々そこは収縮し、もっとと欲しがっているかのように締め付けてくる。 「んっ…ぅ…っ」 「いつもより感じてる?」 意地悪く乳首に口付けながら言うと、弓彦は必死で首を振った。もちろん、横に。 「うそつき」 身体は正直だよな。と笑う信二を弓彦は潤んだ目で睨みつけるが、もちろんそれは静止の効果はない。 ゆっくりと内部から指を引き抜いて、猛った己のものを赤くひくつく蕾に押し当てると、びくっと弓彦の身体が震えた。 「…大丈夫」 優しく、頬にキスを落として、痛さを紛らわせるために、弓彦自身に指を絡めながら、ゆっくりと押し込んでいった。 「……ん――っ!」 「痛い?」 負担がかからないようにゆっくりと腰を進めるものの、今まで受け入れたことのないものを本来その機能を持たないところに入れられて、痛くないはずはない。 それでも、必死で弓彦はかぶりを振った。大丈夫だと、目で微笑んで、腕を信二の首に回す。 「弓彦…好きだよ」 細い身体を抱きしめながら、最後まで腰を進めると、その感触を楽しむように動きを止めた。 「…んっ…」 じっとしているのに、ただ入れられるだけでそれを締め付けてしまう自分が恥ずかしくて、弓彦はぽろぽろと涙をこぼす。驚いたのは信二で、慌てて猿ぐつわを取った。 「どうした!?」 「あ…なんで…取った…ぁ」 話す間にもどうしようもなく熱が襲ってくる。 「嫌か? …辞める?」 「こんな…途中で…っ」 辞めるとかいうなや! と真っ赤な顔を向けられて、心配は杞憂に終わったのだと気づく。開放された口に思いっきり甘いキスをして、動きを再開した。 「ああっ…あ…ん」 最奥を容赦なく突き上げられて、弓彦は自由にならない意識と戦っていた。どうにかなってしまいそうで、怖い。 「やぁ…も、信二ぃ…っ」 「弓彦…一緒に…」 これ以上ないくらいお互いを近くに感じながら、2人の記念すべき夜は終わった。
「……おはよ」 「……ああ」 2人とも照れてしまって大変な朝。弓彦はふとあることに気が付く。 「俺、昨日関西弁使わんかった?」 ちょっとだけだったけど、確かに使ったはずだ。 「ああ…うん」 「うんて…。大丈夫やったん?」 聞かなくても身体が答えを知っているだろうに、それでも実際なんども途中でだめになっているだけに、聞かずにはいられなかったようだ。 「ああ、なんかもうどうでもよくなった」 しれっという信二に殴りかかろうとしてベッドに崩れる。 腰が…立たない。そういえば、身体中重くて、だるい。 「…大丈夫か?」 「…うん……」 気持ちが幸せだから、ちょっとくらい身体が重くてもいいと思う。
「キスマーク」 「へ!?」 あの朝の午後から講義にでた弓彦は、首筋を指して冷めた目で見る友人の台詞に固まった。 「嘘」 「こらーっ!!!」 本当は、無意識にであろう、いつもの2倍増しでにこにこしている弓彦の様子にあきれていたのだ。 「幸せ絶好調?」 「う…うん」 否定してくれ、頼むから。と、星野は深い溜息をついたのだった。
END
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