「俺、眼鏡って嫌いかもしれない……」 ふと目の前の顔を見て、言いたかったことを言ってみた。 何の脈絡もない言葉に顰められた顔には、見事なまでに眼鏡がかかっている。しかも、嫌味なまでに知的な印象を与える、銀縁の眼鏡をさり気なくかけこなしている。 「……それは俺に対するアテツケか?」 だから、そんな言葉が返ってきても何ら不思議ではないわけで、言い訳にもならない言い訳が抵抗も無く出てくる。 「だって、みんな眼鏡かけてるんだもん」 イジケた言い訳である。 だって、本当にみんな眼鏡かけてるのだ。 「お父さん、お母さん、姉貴。何か、みんなかけてるんだよね、眼鏡」 まるで自分だけ遺伝子が違うかのように裸眼。しかも両目とも2.0だったりする。 家族の中で裸眼が一人。間違い探しや違うもの探しをしたら、最初に挙げられるんじゃなかろうか、裸眼であることが。 それはあまり楽しくない想像だ。 顔を顰めると、目の前の表情も曇る。 「おい、変な想像しただろ、今?」 「べ~つに~」 ついつい癖の一つである間延びした声で誤魔化す。 「あほ。お前が考えることくらいわかるつーの!どうせ、自分だけ家族の中で浮いてるとかいうイジケだろ?」 まぁ!ドンピシャッぴったりですとも。 じゃなくて! 「そーいうとこが嫌いなんだよ、眼鏡の!」 「それは眼鏡じゃなくて俺への嫌悪だろ……」 「ていうか、眼鏡かけてると知的じゃん。そんで、そんな知的な外見に内心を読み取られると、すんごい馬鹿にされてる気分になるんだよね。お前は馬鹿だ、単純だってばかりに」 頬を膨らましての弁解に、返ってくるのは小さな溜息。 「お前、眼鏡かけてても鈍い奴は鈍いぞ。大体、眼鏡と関係なくお前が分かり易すぎるんだ、お前が!」 それは眼鏡への偏見だと糾弾されれば、返す言葉はない。 まさにその通り、お馬鹿のただの僻みなんですよーだ。 心の中だけで舌を出す。 「おい、またイジケたこと考えただろう」 「だから、そういうとこが嫌いなんだから、少しは考えてくれてもいいじゃん?」 わざわざ言い当てないでくれる? 口に出すのも億劫な言葉を飲み込んで、今度はこっちが溜息をつく。 そして、批難。 「大体、優しくないよね、絶対」 「……それは眼鏡をかけている人間全般が?それとも俺が?」 「う~ん、両方?」 ゴチッ! 「俺に訊くな」 「む~、そゆとこが優しくないって言ってんじゃん」 「ほ~、それじゃあ、痛かったなぁ。可哀想だなぁ。お~、よちよち」 これで文句ないかとばかりに眼鏡が笑う。 「うわっ!最悪だよ、この人。わざとらし過ぎ、ムカツク!」 「それは大変でちゅねぇ~」 「マジにムカツク……人ってこうして殺意を覚えてくんだね」 物騒な言葉に眼鏡の奥の瞳が微笑む。 「はいはいはい。殺意だけならいくらでも覚えなさい」 「う~、その余裕な言葉もムカツク」 何だか、完全に自分で遊ばれている気がしてならない。 そうだ、だから嫌いなのだ! その想いも読み取ったのか、眼鏡下の顔は完全に崩れて笑い出す。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!マジで眼鏡なんて嫌いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 「はいはい。で、今日何があったわけ?」 完全に笑った顔だったけど、問い掛ける瞳は優しい。 だから、思わずポロリと零してしまうのだ。 「馬鹿にされた」 勿論、この目の前の眼鏡にではない。いや、この眼鏡に馬鹿にされているのは確かであるが、それ以前に馬鹿にされたのだ。 「今日、学校で」 そう学校で。 「ふ~ん、どんな風に?」 まだ笑いの発作は収まる様子はなかったが、問い返す声は真剣だ。 だから、信頼できるし、何でも言える。 「友達と好きなタレントの話をしてただけなんだけどねぇ~」 「だけ?」 「う~ん、ほら今やってるドラマ、水曜日のやつ。あれのヒロインの友人役の女優いるじゃん?」 「ああ、あの眼鏡をかけた……」 眼鏡の一言で首を傾げる。 「そう、その眼鏡をかけた。あれが一番好きだなって言ったら、笑われた」 思い出しただけで、腸が煮えくり返るような感覚が甦る。 そこに浴びせられたのは冷静な声。 「何で?」 不思議と煮えたぎっていたものが静まりだし、素直に答えてしまう。 「……眼鏡かけてるから」 「はぁ?」 ワザとらしいまでの訊き返しは、ワザとらしいが本気らしい。 「どういうことだ?」 真剣に問い返された。 「……だから、眼鏡かけてるから」 「それで何で馬鹿にされるんだ?」 いや、それを疑問に思う気持ちがよくわかる。 まさか、自分自身がそんなことでクラスメイトの笑われるなど、予想していなかったのだから。 だが、その理由を聞けば、そうかもと納得できてしまうからムカツクのだ。 「好きなのが、いつも眼鏡かけてるから。「本当に眼鏡が好きだねぇ」って感じに笑われたわけ。で、否定したら、自覚ないのが可笑しいって言われるし……」 いや、確かに好きな芸能人はと問われれば、出てくるのは眼鏡をかけた人ばかり。大切なものは問われれば、眼鏡をかけた家族だし。ついでのついでに、仲の良いこの目の前の男、たぶん俺の中で世界で一番眼鏡の似合うこの男も当然眼鏡だ。 つまり、正真正銘の眼鏡好きになっていたわけである……自分でも気づかない内に。 「ムカツクよな!」 「知らず知らずに眼鏡好きになってた自分が?」 「……だから、心の声を読み取るなよ、このクソ眼鏡!」 優しい瞳に何故か胸がドキとして、叫んでいた。 あぁぁぁぁぁぁ。自分でわかるくらい情緒不安定だぁぁぁぁぁぁ! これはもう、心のなかでで叫びまくるしかないだろう。 それなのに、目の前の顔は急に綻ぶ。 「何っ!?」 特大な棘を込めて叫ぶように訊く。 「な~んでもない。気にするな」 「うわっ、最低、最悪だよねっ!」 一人で納得して、一人で笑ってるなんてさ。 「はいはい、最低でも最悪でも何とでも言ってくれていいけどね」 「うわぁ、最低、最悪。そーゆー余裕ありげな態度。やっぱ、眼鏡って陰険っぽいし!」 「はいはい、はいはい」 むむむむむ、心の入らない返答しやがって…… それなのに瞳はやっぱり優しくて。 心臓が落ち着かなくて…… 「大嫌いだぁぁぁぁぁぁ!」 だから、叫んで走って逃げ出す。 部屋の扉を勢いよく、体当たりの勢いで開けたとき聞こえたのは、 「おーい、帰るのかぁ?」 背後からは間抜けなほど、のんびりした声。 俺の「大嫌い」が気にならないらしいその態度が何故か悔しいから、振り返ってなどやらなかった。
見慣れた背中が「大嫌い」と言う言葉だけを残して、扉の外に消えるとオレはため息をつく。 「大嫌い」気にしない風を装ったが……本気の言葉じゃないってわかっているが、言われるのは結構きつい。 嫌い嫌いと言い続けた眼鏡が結局、好き以外の何ものでもなかった天邪鬼なあいつの「大嫌い」でも、やはり少しは傷つくのだ。 傷つきはしても勝手に妄想する部分もあるわけで、話を聞いてるとついついニヤけてしまう部分もある。 勝手な妄想と言われようとも、あいつが眼鏡好きになったのは俺の眼鏡が多大な影響を与えたのかもしれないと思ってしまうのだ。 まぁ、そんなわけないだろうけど……
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