誰しも、コンプレックスを誘発するような奴は存在すると思う。 ソイツの何が悪いってワケじゃなくて、むしろそれが見当たらないから嫌なんだ。 真正面から向き合っていく人間も少なくないだろう。 でも俺はそれが出来る部類には入らない。 強いて言えば全く逆だ。 厚縁のメガネ、やぼったい前髪、言いたい事をしまい込む性格、…挙げればキリがない。 こんな自分はキライだ。 こんなの誰が見たって好きになんかなりっこない。 頭の出来も悪い、運動もダメ、友達も…いない。 毎日が楽しくなくてタイクツで、そのクセ不平を誰かに言う事も出来ない。 …聞く人もいないからだけど…。 毎朝寝グセをチェックするくらいしか見ない鏡も苦痛のうちの一つだ。 高校に上がってとたんにアカ抜けた奴等の中で、俺は一人化石のまま。 クラスの古代種、なんて誰かが笑ったように。 でも次の瞬間には笑った奴等も次の関心に移る。 誰も俺を見ない、だから俺も自分を見ない。 きっと一生このままなんだって、諦めたように笑うだけ。 ソイツは同じクラスの男で、ルックスでも成績でも人の目を集める。 とりわけ女子は騒ぐし、おまけに性格もいいから男子の友達も多い。 多分、皆がアイツを好きだろう。 クラスの連中も他のクラスの奴も、先輩や後輩や先生…それから家族も。 友達になれば自慢したくなるような奴だ。 だから、俺はアイツが大っ嫌いだ。 「おい、館林。数学の小野が早くノート提出しろって言ってたぜ」 俺の席まで来た白井は、誰もが一瞬考える俺の名前をすんなり口にした。 俺はとりわけ数学が苦手で居残りの常習犯でもある。 それなのに先生はいちいち白井に頼んで俺には直接言いに来ない。 「わかった」 俺はそれだけを言って何故かいつまでも俺の席の前にいる白井から逃げるように 教室を出て昼休みの廊下を歩く。 話しかけられただけで、それも頼まれたんだから仕方ないのに…イラつく。 あの存在自体が俺を蔑んでいるような気さえして、そしてそう思う自分にも愛想が尽きる。 ありがとうくらい言えばよかったのか。 でもアイツだってそんな事望んじゃいないだろうし、俺の言葉なんてどうせ取るに足らないだろう。 アリガトウナンテイッテホシクテヤッテルワケジャナイ。 きっと、そんなところだ。 絵に描いたような優等生のアイツと、想像するのも容易な劣等生の俺。 これでも同じ人間だって言うんだから、ホント笑える。 人の上に人を造らずなんて言ったのは誰だ? そんなの全然嘘っぱちじゃないか。 誰がどう見たってアイツの方が俺より何倍も何百倍も上にいる。 「……はあ」 もう口癖のような溜息をついて、俺は中庭の隅にある旧階段に座り込んだ。 誰も知らない場所が俺の居場所。 知っていても足を運ばないような、そんな場所でしか落ち着けるところがない。 誰もいなけりゃ比べる事も比べられる事もない。 校舎の方から楽しげで騒がしい声が幾つも聞こえて来るのに俺は耳を塞いだ。 教室に戻る気もしないまま、俺は授業開始のチャイムを聞いた。 膝を抱えた手が外せない。 こんなに…こんなに全てが嫌なのに、どうして何も変えられない? 両親も可愛くて性格もよくて周りの期待を背負った妹に手一杯で俺なんかは眼中にもない。 昔からそうだった、だから馴れてる筈なのに… 俺にもまだ悔しいなんて思う気持ちが合ったのか。 「へー、すげー穴場じゃんここ」 「…ッ?!」 急に降って来た能天気な声に俺は思わず階段から滑り落ちてしまうほど驚いた。 そんな不恰好な俺を見てアイツは整った顔を崩して笑ってる。 「しら、い…」 「俺も一緒していい?」 いいかと聞いておきながら白井はさっさと俺の隣に腰を下ろした。 …なんなんだよ、一体…。 まさか授業サボったから探しに来させられたとか言うんじゃないだろうな。 俺が訝しげな目で見ていると、白井は事もなげに尻のポケットからクシャクシャに潰れた 煙草の箱を取り出して、相変わらず涼しい顔のまま取り出した一本を咥えた。 「…………」 絵に描いた優等生だと言った通り、白井が校則違反してるなんて話は聞いた事もない。 今じゃ黙認されてる携帯電話でさえ、俺同様に持ってなかった筈だ。 尤も、俺の場合は買い与えられてもいないからだけど。 俺が目を丸くして煙を吐く様を見ていると、白井は潰れた箱を俺に差し出した。 「吸う?」 俺はそれにブルブルと首を振る。 父親も吸ってない影響か、試した事はあっても俺にはそれすら馴染めなかった。 また煙草をポケットに戻した白井はそれを味わうように深く息をする。 どうしようもない気持ちになって、この場からまた逃げ出したくなっても 授業をサボっている手前校舎に戻るわけにもいかない。 俺は咽返りそうになるのを耐えながら、ただ時が過ぎていくのを待った。 視界の端に映る白井はそれこそ雑誌から切り取ったようなカッコよさで 見たくないのについ目が行ってしまう。 俺もこんな風に生まれてきていたらと…何度考えたかわからない。 「…なあ、そのメガネ重くねえの?」 余計なお世話だと言ってやりたいのに、言葉が出ない。 「食い物食うのにもヒドイだろそれじゃ。コンタクトにすれば?」 「……いいよ」 俺から出て来たのはその一言だけで、そしてそれに白井の片眉が上がった。 「お前さあ、…いいや。ちょっと来いよ」 「え…ちょ、ちょっと…ッ?!」 急に立ち上がった白井が俺の手を取ってグイグイと引っ張り出した。 その力の強さに俺は成す術もなく引っ張られるままに校舎の裏を早足で歩く。 身長差が随分あるからリーチの差もデカイわけでついて行くのがやっとだ。 制服のまま街に出て誰かに見つかるんじゃないかとビクビクする俺にお構いなしで 白井がズカズカと歩き続ける。 見上げる横顔はどこか怒っているように見えた。 でもこの場合、怒るのは俺の方じゃないのか? 「し、…白井…ッ」 息が切れてきた俺が言うと、白井はどこかのビルの中に入ってエレベーターで5階へと上がった。 雑居ビルのようなそれは中が乱雑していて、何かの事務所のように見える。 白井は俺の手を掴んだままでそのフロアの一室のドアを開けた。 てっきり中も廊下のように乱雑した感じだと思っていたのに、そこはベッドと机とコンポが 置かれているだけの簡素な部屋だった。 「何…一体…」 部屋に入ってようやく手を離された俺は痛む手首を擦りながら白井を見た。 白井は新しい煙草を咥えながら俺に2・3冊の雑誌を放り投げて寄越す。 「そん中から好きな感じの服選べよ」 「………は?」 「だから、好き系の服装選んでみろっつってんの。あと髪型もな」 「…なんで俺がそんな事…」 言い募ろうとする俺に白井はビシッと俺の顔の前に指を突き付ける。 「いーからやる!」 そう念を押した白井はわけのわからないうちに部屋から出て行ってしまった。 ……な、…なんなんだ…ホント…。 俺は押しつけられた雑誌の表紙を眺めてみた。 白井もこの表紙を飾れそうな感じのする、俺には無縁の雑誌。 この手の本なんか読んだ事もない、ムダだってわかってるんだ。 どうしたって俺はこんな風にはなれっこないし…元々顔の作りだって違う。 服装を変えたってムダなんだ。 白井はどう言うつもりでこんなもの見ろなんて言ったんだ? 「…なんだよ、見てなかったのか?」 足早に戻って来た白井はそう言って俺から雑誌を取り上げた。 早く、…早く帰して欲しい。 幾らなんだってこれじゃあ学校サボり過ぎだし、ここにもいたくない。 白井は俺の前で雑誌をパラパラめくると、適当なページでその手を止めた。 「これはどうだ?ちょいストリート入ってるけど」 「…うん…」 別にもうそんなのはどうでもよくて、俺はただ早く開放されたい一心で相槌を打った。 すると白井は俺をジロジロと眺めてからまた強く俺の手を取る。 「んじゃ、行こう」 「…どこに…ッ…」 聞く間もなくまた連れ出された俺は今度は3階にある部屋に通された。 苛めにしてはなんだかおかしい…俺がムカつくならハッキリ一言そう言うか 所謂王道的にムシするとか嫌がらせするでいいじゃないか。 なんだって俺はこんなとこに連れて来られて、おまけに眼科なんかにいるんだ? そう、眼科だここは。 言葉をなくしてる俺に白井は受付に何やらを言うと、俺は背を押されるようにして 白いカーテンが引いてある向こうに通される。 そこには人のよさそうな医者がいて、俺を見るなりニコリと微笑んだ。 「ああ、確かにそのメガネじゃ辛そうだね。ちょっと眼球調べさせてもらうから」 とわけのわからない事を言って、俺は言われるまま顕微鏡みたいなものの上に 顎を乗せさせられて言われた通り眼球にライトを当てられた。 「次は視力測ってもらうね。あっちの椅子に座ってもらえる?」 何がなんだかわからず、こっちもニコニコとしている女の人に促されて結局視力まで測った。 そしてようやく帰る頃には俺の目にコンタクトが入れられている始末だった。 「白井、なんなんだよこれ…」 「あ、費用は気にしなくていいぜ。あそこの先生知り合いだから」 とんちんかんにそう言った白井は俺を先導するようにまた5階の部屋へと戻った。 ベッドに座るように促されるとまた白井がさっきの雑誌を放って寄越す。 「とりあえず一服しようや。この後もまた出かけるから」 「白井!」 自分でも珍しく声を上げた俺に、白井はまたあの怒ったような顔を向ける。 なんで俺が怒られなきゃならないんだろう…。 白井は俺にコーヒーの入ったマグカップを差し出して自分の分に口をつけた。 「…なあ、お前そうやっていっつも下向いててさ、周りの事に興味とかねえの?」 「……余計なお世話だよ」 「まあ、…そうなんだけどさ」 すぐにそっけなく言った白井は俺がコーヒーを飲み干すのを見計らって 言った通り今度は4階に俺を連れ出した。 そこは美容院になっていてビルの外見からは想像も出来ないようなオシャレな感じの店だ。 スタイルのいい店員が俺達に近寄って来て挨拶をする。 「遼ちゃん、久しぶりだね。仕事の方は盛況?」 「ぼちぼちってとこっすよ。すいませんけど、今日はコイツをカッコつけてくれます?」 「お店の子?」 「や、違います。一応アニキには内密って事で…」 「ハハ、わかった。じゃあ君、こっちにかけてくれる?」 砕けた感じで白井と会話した店員は俺を大きな鏡のある椅子に促した。 顎ヒゲが似合う細身の店員は鏡ごしに俺を見て伸びた前髪を一房手にする。 「随分やわらかいねえ、それにしっかりしてるし。染めた事は?」 俺はそれに首を振った。 染めた事どころかこんなところで髪を切った事もない。 俺の反応に何故か店員は嬉しそうな顔になって白井を振り返った。 「任せてもらえる?」 「そのつもりですよ。俺、部屋に戻ってるんで終わったら電話下さい」 「オーケイ。それじゃあ、楽しみにしてなよ」 白井は笑って美容院を出て行ってしまった。 取り残された俺は髪をあちこち触ってブツブツ言っている店員を見る。 「あ、あの…」 「何?」 「……その、…白井の『仕事』って…」 さっき店員が白井に言った言葉だった。 もしかして白井はここでバイトでもしてるんだろうか。 5階にあった部屋は白井の部屋っぽかったし、住み込みって事なのかもしれない。 けど店員は俺の考えがわかったかのように笑って首を振った。 「あの子のバイトはここじゃないよ。…尤も、ご実家の稼業だからバイトでもないけどね」 「……はあ…」 「あ、そうだ。ちょっと髪にオレンジ入れてみようか」 「…はあ…」 「前髪とか切って、全体的に軽くしよう」 「…………はあ……」 繰り返し同じ事しか言わない俺に店員はちょっと笑って作業に取り掛かった。 生まれて初めて髪を弄られた俺は長時間座っていた事で終わる頃にはヘロヘロだった。 髪の色を抜いたりするとこれ以上に時間がかかるって店員が言ってたけど ホント冗談じゃない、好きでやってる奴の気が知れないよ。 「おう、終わった……か…」 連絡を受けてやって来た白井は俺をマジマジと見てニッと笑った。 「どう?」 「さっすがヒデさん。また宣伝しときます」 「よろしくね」 フラフラになった俺は白井の部屋に戻ってもう動けないとばかりに床に座り込んだ。 その俺に白井が俺のカバンを放って寄越す。 「早退って事にしといたから。あとそこの電話使って家にかけとけよ」 「……なんで…?」 「ウチに泊まるってさ。明日休みだし、予定もないだろ?」 勝手に決めるなと言いたかったが、予定がないのはその通りだった。 ムッとして俺は白井の方から目を背けてパイプで支えてある机に目を向ける。 雑誌と教科書が揃えて置いてある他は引き出し一つ見当たらない。 コンポの方も小さい携帯テレビとCDが幾つか乱雑に積み重ねてあるだけだった。 …もっと多趣味な奴かと思ってたけど…。 「何もなくてビックリか?」 「…別に」 「俺あんまり部屋にいねえから色々置いてても意味ねえんだよな」 記憶の限りではコイツに放課後のお誘いがない日はない。 いつも誰かしらに声をかけられているイメージもある。 実際白井が一人で教室にいる姿は誰も見た事がないだろう。 俺と全然違う、コイツ。 「で、髪切った感想は?」 「…わかんないよ」 「なんだよ、鏡見なかったのか?」 それどころじゃなかった。 頭を散々弄られて長時間椅子に座ったりしてたおかげで疲れ果ててたんだから。 おまけに入れられたコンタクトがまだ馴れなくて目が痛い。 「あ、目痛いか?…ホラ」 白井はいつのまにか置いてあった紙袋から幾つか箱を投げて寄越した。 小さな箱の中は水色のケースの目薬だ。 「つけろよ。外し方も習っただろ?洗浄剤と保存液もあるから、洗面所で外して来いよ」 なんでいちいちコイツに指図されてるんだろう俺。 もう何か言うのも億劫で俺は箱を取って立ち上がると指差された場所にノロノロと歩いた。 …なんだか異常に疲れてる。 こんなに人に振り回されたことなんかない。 イジメにも何度か遭遇した事はあったけど、皆すぐにそれに飽きて見向きもしなくなった。 ああでも、こんな風に疲れるならその方がずっといいかもしれない。 気紛れに振り回されるくらいなら、最初からほっといて欲しい。 俺は箱の説明書から目を上げて、疲れてるだろう顔を覗き込むと… ―――――…文字通り、固まった。 「白井ッ!なんなんだよこれッ、こんな…髪…ッ!」 洗面所から脱兎の如く駆け出して、呑気に雑誌をめくっていた白井に俺は詰め寄った。 一瞬は黒いままだけど、洗面所のライトに当てられていた俺の髪は確かにオレンジ色だ。 今まで手付かずだった髪はキチンとセットされていてまるでカツラ。 これじゃあ、外になんて到底出て行けない。 「いや、似合うよ。ちゃんと見たのか?」 「似合…って……これじゃカツラだよ!」 「…ぶははははッ!そりゃいいや」 「よくないッ!」 今日はもう一生分叫んだ気がする。 俺が憤慨してると、白井はまたしても髪袋からあれこれと取り出してきた。 「これアイプチ、眉毛バサミに一応ビューラーと…」 「あ、あい…びゅ……??」 まるで外人の名前のようなその『器具』に俺は目を丸くした。 「ホレ、顔貸せ」 「な、…ッ…触るなよッ」 「いーから大人しくしろ。でないと目が潰れるぞ」 バカ力で顔を押さえ込まれて突き出された妙な器具に俺は抵抗を止めた。 それに満足したように白井は目を瞑れだの顔を上げろだのと指示してくる。 眉や瞼が妙な感じがして俺は言われるまでもなく恐怖に目を固く閉じた。 「こう言うのって案外バカに出来ないモンなんだよな」 とかなんとか言いつつ白井がようやく手を離しても、俺は怖くて目を閉じたままでいた。
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