「無かった事に……しないか」 切り出したのは、俺じゃなくて柊(シュウ)。
互いに素っ裸で向き合った朝だった。 二日酔いのぼんやりした頭でも、現実を誤魔化すことは無理だろう。俺の胸についた鬱血や、アイツの背中についた爪痕――何があったか、分からない筈はない。 だから、最初はシュウも謝り倒した。
「魔が差したっていうか、……オマエもそうだろ?」
「男に抱かれただなんて」 ――男を抱いたなんて、 「笑い話にしかならないだろ?」 ――笑い話にするしかないだろ?
俺への言葉の裏に、透けて見えるアイツの本音。
嗚呼。どうして、こんなヤツを好きになっちまったんだろう? いっそ、気持ち悪いと振ってくれりゃいいんだ。
「……何で謝んだよ」 ようやく絞り出せたのは、その一言だけ。 意味が通じないのか、シュウはまじまじと俺を見るだけだ。それが余計に腹が立つ。つい、枕を投げつけた。 「お前が『謝る』理由なんてねえだろ? ――それとも何か? 『何か』あったっていうのか?」 声を出す度に、昨日シュウを受け入れた所が疼く。だが、『何』も無かった以上、これは存在すべからざるもの。 一瞬遅れて、「あ、いや、……なんでもない」と呟く声が聞こえた。嗚呼、そう――軽く息まで付いてな! 「ったく、……気持ち悪りぃ。先にシャワー借りるぜ?」「ああ」 ふらつく身体を叱咤する。『何も』ない以上、眠った後に体力を消耗しているだなんて、ある筈がなかった。
全て洗い流してしまいたかった。触れた唇も、身体を重ねた痕も、今頬に伝わるこの濡れた雫も、全部。 ――後ろから聞こえた、「悪かった」という呟きは、聞こえなかった事にした。
だから、俺とシュウの間には『何も無かった』。 そして、『友情』と呼べるものがあったとしても、それもなくなった。
今の俺たちの関係は、『チームメイト』。同じ大学、同じチームで、コートで共にボールを追いかける仲間。 信頼なんて、もうない。それでも、仲間と思わねばならないのが苛立たしかった。
***
「淫乱」 俺の上で、腰を振る男が詰る。 隠しようのない、荒い息を吹きかけて。滾る欲望を、俺の中に突き入れて。 俺を床に引き倒しているのは、シュウには似ても似つかない男。
「どっち、が」 ――その淫乱に、盛ってるのは誰だよ?
鼻で嗤ってやる。 それが、ヤツの気に障ったのか。奥まで突き上げられて、嘲りは嬌声に変えられた。
俺を抱くキヨ――清春は、俺と同じ学部・学科、競技は違うが同じくスポーツで大学に入ってきた口だ。互いに勉強は二の次、選ぶ授業は単位の取りやすいもの……と考えていたら、いつの間にか多くの授業が被っていた。チームメイト以外では、一番ツルむ事が多いヤツだ。
……本当なら、それだけだった。
爛れた関係に反吐が出る。 嗚呼、キヨだって『友達』だった――こんな関係になるまでは。
シュウとの、『なかったはず』の一夜。だが、全てをなかった事にはできなかった。 あれから、俺もシュウも互いを避けた。それは、周りが訝しむほどの変化だった。 当然だろう。今まで、親友と呼べるほどに近かった俺たちだ。特にシュウに甘えまくっていた俺が、目も合わせなくなったのでは、不審に思われるのは当たり前だった。 その上、俺とシュウがプレイするのはバスケット。チーム人数が少ない分、仲違いの影響は直ぐに出る。喧嘩でもした、としか見えない俺たち2人を、チームメイト達は放っておいてはくれなかった。それが煩わしくて、俺の態度は頑なになった。 元々、気難しく、周りからはとっつきにくいと思われがちな俺を、フォローしてくれていたのがシュウだったのだ。仲間のくれる気遣いに、苛立ちで返す日々は悪循環だった。
そこを、助けてくれたのがキヨだった。被らないはずの授業にまで押しかけてくる、仲間の大きなお世話に辟易し始めていた俺に、「じゃ、オレがお子様ワクの面倒を見てやりますかねー」と、割り込んで助けてくれた――ちなみに、『ワク』は俺の呼び名だ。苗字の和久井から『ワク』、と、大体のヤツが呼ぶ。
そうして、部活以外の時はキヨといる事が多くなった。 その内に、「お前、アイツ好きだったんだろ? よく一緒にいた、バスケ部のヤツ」と、見破られた。誤魔化そうと開いた口からは、言葉が出なかった。だから、小さく頷いて、認めるしかなかった。……いや、本当は誰かに、気付いて欲しかったのかもしれない。 これまで秘めていた思いだ、吐き出し始めれば早かった。大っぴらにできる話じゃないから、と、キヨを家に招いて、洗いざらい聞いてもらった。キヨはじっと耳を傾けてくれた。チャラいキヨにしては、真面目だった。真面目すぎて怖い、と、今なら思う――だが、あの時は気が付かなかった。シュウ本人にさえ否定された、この思いを認めてもらえた事が嬉しかったのだ。
だから、話を聞き終わった後。 「タダで、慰めると思った?」 簡単に押し倒され、のしかかられたのだ。
見下ろすキヨの、その目には覚えがあった。シュウに酒を飲ませて、誘いをかけた時だ――あの時は、俺が押し倒した。俺の下で狼狽えていたシュウの目が、その内に熱を帯びた。そして、俺に手を伸ばしてきてくれたのだ。 嗚呼、そうだ。覚えがあった。その意味を分かったからこそ、キヨを受け入れた。――いや、誰でも良かったのだ。ただ、存在さえ否定されたこの胸の痛みを、失恋にさえならなかった心の空洞を、埋めてくれるものが欲しかった。
そして、教えられた。 抱かれるのが、苦しく痛いだけじゃない事。入れられる事が、気持ちいい事。 互いの熱が溶け合う快感を。
――俺を淫乱というなら、淫乱にしたのはキヨだ。
キヨは、シュウみたいに誤魔化さない。 大体、男の体なんて誤魔化しがきかない。
今もそうだ。 キヨの動きが激しくなる。限界が近いと教えている。 キヨだけじゃない。俺も、もう我慢できない。
もう少し―― 中が疼く。堪らず、腰をくねらす。 ――欲しい。もっと奥まで。
体を、自然と押し付けていた。 だが、キヨに腰を引かれた。抜こうとするのを察して、上げた足をキヨの腰に絡める。
「出るぞ」 「いい」
それよりも、欲しかった。満たして欲しかった。 背中に回した手に、力を込める。
なのに、キヨの動きは無情にも止まった――アイツも求めているはずなのに。
顔を見上げる。 キヨも俺を見ていた。笑って、唇を歪ませて、 「じゃ、遠慮なく」 グッと、深く突き入れられる。 思わず爪を立てた。――また、嵌めやがった。
そこからは、遠慮なんてなかった。腰を掴まれ、揺さぶられ、全てが刺激に塗りつぶされていく。 頭の中がショートする。同時に、体の奥でキヨの熱が膨れて弾けた。
体の中から、引き抜かれる。すると、追いかけて、どろっとした感覚が体の奥から流れ出た。
「……出したな」 「抜くな、って言ったの、お前だから」
当然、と、キヨは飄々と呟く。俺は、睨むしかなかった。 ――言わせたのはキヨ。なのに、あたかも俺が望んだ様に言ってくる。
今だけじゃない。いつもそうだ。 最初の時からそうだった。のしかかり、だが流石に抱くのは躊躇いを見せたキヨ。それを、いいから抱け、と、強引に求めたのは俺だった。――いや、今思えば、それはキヨの狙いだったのかもしれない。 俺に……いや、俺から欲しい、と言わせるための。
「とっとと出してこいよ。腹壊す前に」 「分かってたら出すな! 後が面倒なんだよ!」
頬を膨らませながらシャワーに向かう俺の背中を、キヨの笑い声が追いかけてくる。 ――それを、誰かに見られているなど思いもせずに。
***
シャワーを浴びて、ロッカーに戻る。 もう、キヨの姿はなかった。――多分、先に授業の席を取りに行ったのだろう。俺も同じ授業だ、教室に行けば会える。 着替えを済ませていくと、後ろから声を掛けられた。聞き慣れた――だが、今は一番聞きたくなかった声。
「……マナ」
俺は振り向く。 俺を、名前の真登(マナト)で――『マナ』と呼んでくる相手は1人しかいない。
「シュウ? 何でここに」 「お前こそ、どうして他所の部の部室にいる?」 「キヨと自主練してたんだよ。筋トレ」
言いながら、シュウに背を向けた。 今の俺たちは、元通り……とはいかないまでも、顔を合わせて挨拶を交わす程度には戻った。ただ、それ以上はお互いに、なかなか踏み出せないままだが。
今もそうだ、会話が続かない。 居た堪れない沈黙。破ったのはシュウだった。
「……何で避けてんだよ」 「避けてなんてねえよ」 「――オマエ、自分が何やってんのか分かってんのか!?」
肩を掴まれ、思わず振り向く。その剣幕で、気が付く。……先ほどまでの、キヨとの一部始終を見られていたようだ。 ――バレているのか。なら、シラをきり通しても意味がない。
「分かってる。で?」
ナニ?、と、シュウを睨み付ける。 汚らわしい、とでも思ったのか。目を逸らされた。そこにも、地味に傷つく。
「口だされる筋合いはねえ」
これ以上、話す事が辛かった。一緒の空間にいる事も、刺々しい会話を交わす事も。 シュウから逃げ出す為に、手早く服を整える。
「オマエも呆れてんだろ? なら、ほっといてくれよ」
着替えもそこそこに、荒っぽく荷物をカバンに詰める。そして、立ち去ろうとした。 だが、そうは行かなかった。すれ違いざま、腕を取られてしまった。
「やっぱり……あの日の……」 「は? 俺達に『何が』あったって?」
再び、真正面からシュウの顔を見る。途端に、アイツの目が泳いだ。
嗚呼、そうだ。忘れろ、と、そう言ったのはオマエだ。 だから、忘れてやったさ――あの日、俺がどんな思いでオマエを誘ったか。 酒に酔わせて、だまし討ちみたいにしたけど。
そういや、あの時に好きだとも、嫌いだとも言われなかったな。 ……俺も、何も言えなかったけど。
そうだ。振られる事すら出来ずに切り捨てられた思いは、望み通り全て忘れてやる。 だから、シュウ。オマエは――
「思い上がりも、いい加減しろ」
俺は、シュウの手を振り払った。 ――オマエは、俺を全部忘れてしまえ。
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