過去を償うため今を犠牲にするのは趣味じゃない。 過去に犯した罪を濯ぐため、今在る幸せを贖罪の対価に差し出すのは主義じゃない。
それでも過去と現在は切り離せない。
因果の輪は廻る。 俺は過去に束縛されている。 犯した罪と殺した人間、それらに手向けるのは俺の流した血と涙じゃなければならない。 俺は人殺しの烙印を負っている。 魂には罪が刻印されている。 あいつに出会うまで血で血を贖う人生に疑問を持たなかった。
寝苦しい。 真っ黒い夢を見る。 狂ったように足掻き藻掻き叫んでも欲しいものには届かず、縋りつくように伸ばした手は虚空を切って絶望を掴む。 朦朧と熱に浮かされた瞼の裏に結ぶ幻覚、入れ代わり立ち代わり現れる幻。 『悪いレイジ、俺』 その先をいうなロン。 『俺、もう無理だ』 背を向ける。 『お前が怖い』 歩み去る。 一緒にやっていけないと逃げるように歩み去るロンを掴まえようと手を伸ばし、もう少しで届きかけたその手が鋼の光を発する。 いつのまにかナイフを握っていた。 しっくり手に馴染む感触。 これが俺の一部だという天啓じみた霊感が降り、殺意が脊髄に根を張る。 家畜をさばくように延髄を断ち致命傷を与える。 頚動脈から噴き出す鮮血が顔に跳ねる光景を幻視する。 『レイジ』 これが俺の本性か。
『レイジ』
鼓膜をくすぐる衣擦れの音に飛び起きる。 いつもどおりの殺風景な房だった。 ただ一ついつもと違うのはすぐそばにロンがいた事。 「……天国?」 ばぁーか、とロンがいう。 「うるさくて眠れねえよ」 寝癖のついた髪を掻きつつむくれるロンと大量の汗が染みたシーツを見比べ理解する。 「サンキュ。も少しで天国に墜落するとこだった」 「天国なら墜落って言い方はヘンじゃねえか」 「地獄の方が居心地いいからさ、俺は」 ロンを見つめ不敵に笑う。
たとえ東京プリズンが地獄であっても、そこで生きると決めた奴にとっちゃ地獄じゃねえ。 そこで生き抜くと決めた奴には戦場であって、けっして地獄じゃないのだ。 「ロンがいない天国なんて地獄だ」 心の底からそう思う。 夢であって安堵する。
俺がロンを殺すなんて事、想像だって耐えられない。 それなら自分の喉を掻き切って血の海で溺れ死んだ方がマシだ。
「うなされてたぜ。いつも寝つきいいのに珍しい。また鎖が絡んだのか」 「まさか。こいつは神様の棲み家だぜ」 じゃらりと鎖を指に絡め接吻を落とせば、ロンがなんとも微妙な顔で口元をむずむずさせる。 「何?嫉妬してんの、十字架に」 笑う俺の方へとベッドに片膝乗せてにじり、十字架を掴んだのと反対の手を軽く握る。 「ロン?どうしたんだ、今晩はやけに積極的だな」 ロンから積極的な愛情表現なんて珍しい。 というか、奇跡に近い。 「一人寝が寂しいなら一緒に寝るか?ちょうどカイロがほしかったんだ。肌と肌を合わせてスキンベッド、なんちって」 神に祝福された気持ちで振り返れば、やにさがった俺とは対照的に深刻な顔で、手のひらを握ったロンが呟く。 「片手が余ってるなら、俺にくれ」 ぎゅっと力を込める。
夢でナイフを持っていた手の空白を、脈の鼓動があたたかに満たしていく。 それはまるで血で汚れた俺の手でも誰かを守れると、幸せにできると保証するような希望に満ちた心強さで。
「両利きだろ、お前。どっちも使えるんだろ」 「……繋いで寝たら悪戯できねえってわけか。周到だな」 軽口を叩けば「そうだよ」と開き直る。 「お前の手が悪さしねえよう見張っといてやっから、さっさと寝ろ」 「添い寝してくれるんだろ」 笑みを含んだ目で挑発すりゃ当然蹴りが返るだろうと思ったのに、ロンが俺の方へと身を倒し、もう一方の手で眼帯をちょっとだけめくる。
『好的梦』
おやすみ。 よい夢を。 夜泣き癖が抜けずぐずる子供をあやすように囁き、縫い綴じられた瞼に控えめすぎて物足りないキスをする。 マリアを思い出させるキス。
物足りないなんて大嘘だ。
瞼を塞ぐ唇はセクシャルな暗喩を孕まず、たとえるならまじないをかけるのに似ていた。 まだ夢を見てるのかと瞬きも忘れ見返す俺にしてやったりとほくそ笑み、静かに眼帯をおろす。 「いい夢見れるおまじないだ」 「添い寝はお預け?」 「両手縛るなら寝てやってもいいぜ」 「信用ねえなあ」 毛布をひっかむり寝返り打つ背中をしばらく見つめ、右胸から放した手でもって、まだぬくもりが残る手を軽くなぞる。 「サンキュ、ロン」 虚空に礼を投げる。
夢の中のロンは逃げたが、現実のロンはすぐそこにいる。 手が届く距離にいる。
この距離は、天国と地獄ほど離れてない。 天国と地獄ほど遠くない。
無防備に向けた背中は信頼の証。 俺の危険さを十分飲み込んだ上で、それでも大丈夫だと覚悟を映す背中。
「……俺の手でよけりゃ貸してやるよ」
いちど憎しみに売り渡した魂は二度買い戻せばいい。 何回も何回もそれを繰り返し、永遠に届かせよう。 永遠を積み上げて天国に届かせよう。 そうして贖えぬものを贖おう。 安らかに憩うロンの寝息を聞きつつ目をつむる。
ここは天国でも地獄でもない。 だからこそ、生きていける。
戦場の俺は無敵だ。
昔と今と違うのは一点。昔はただ生き抜く為に、今はお前を守り抜く為戦うということ。
天国まであと何マイルか問うよりも、お前の背中まで何センチで届くのか、俺にとっちゃそっちのがよっぽど重要だ。
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