「賭けをしようぜ」
「賭け?」 「うん、負けたら髪の毛緑に染めんの」 「緑ぃ!?」
いつも何を考えているかわからないあいつが更にわけのわからない賭けを持ちかけ、それに乗ってしまったアホな俺。案の定3回勝負した麻雀を3回とも負け、お前の得意分野でやるのは卑怯だと食い下がって腕相撲でも3回全て負け。どや顔のあいつに負け惜しみをしつこくしつこく投げるも虚しくヘアカラー剤を買ってこられ、ついにバスルームに押し込まれたのだった。
「髪伸びるまでトリートメントとかした方がいいぞー」 「誰のせいだと思って……」 「ん? 負けたお前のせいでしょ」 「ぐっ……」
髪を染めるなど人生初体験である。白髪は生えてきても気にしない性質だと思うし、禿げるのが怖いのでこの先も染めることはない筈だった。それがよもや緑なんていうエキセントリックな色に染められてしまうとは……。
「おっはは、ワカメ~」
結果は惨憺たるものだった。元々が天パーでゆるくウェーブがかっていたところに、こんな色を入れたもんだからどう見てもワカメ。今は乾いているが、濡らしたらワカメを頭に被っているようにしか見えないだろう。
「てめぇ……どうしてくれる」 「こりゃちょっと切らないといかんかもなぁ」 「このまま外歩きたくねえよ!」 「俺が切るんじゃ駄目?」 「やだ。ぜっっってぇやだ」 「そんな力一杯否定せんでも……しょうがねえから兄貴呼ぶかぁ」 「おお! オニイサマ!」
こいつの兄貴は美容師をやっている。こいつ自身も自分で前髪を切ったり器用なところはあるが、人の髪を緑色に染める奴に任せるのはどうも不安だ。 仕事を上がってから直接うちにきてくれる約束を取り付け、一旦自宅に戻ったあいつが「兄貴の部屋からかっぱらってきた」というヘアカタログを見て時間を潰した。 数時間後、ようやく希望の呼び鈴が鳴る。
「待ってましたー!」 「うっわ何お前そのワカメ」 「染めたくて染めた訳じゃないんすよー聞いてくださいよもう」 「なんとなく想像つくけど聞こうか」
終始笑いを堪え、時々吹き出しながら事情を聞いていたオニイサマは快くこのワカメを整えてくれた。
「しかしお前、いくら賭けで負けたからって緑はないだろ」 「最初っから緑って条件だったんすよ」 「いや、こいつの言うことなんか素直に聞く必要ねーぜって」 「え……」 「まあからかいたくなる気持ちは解るが」 「だっしょー?」
兄弟がニヤニヤと視線を交わす様子を蚊帳の外気分で眺めた。自分のことを言っているのは判るけど、そんなにからかい甲斐ある性格だろうか。 釈然としない気分でシャキシャキと心地良い音をたてる鋏に身を任せ、たまにここはどうすると尋ねる声に答えている内にいつの間にか完成していた。
「でやっ」 「流石っす……いやマジで」
どうしようもないんじゃないかと思われたワカメは劇的に様相を変えていた。金欠で数ヶ月散髪に行っておらず、行っても美容室などというオサレな店ではなく床屋なので染める前からモッサリだったのだ。こんな、それこそ雑誌に載ってるイケメンみたいな髪型に俺がしていいのだろうかと不安になってしまう。
「やっぱ兄貴には敵わねえな」 「お前も専門行けば良かったのに」 「行っても良かったんだけど……あえてね」 「なんだそりゃ」
相変わらずのらりくらりだ、本心なんざ見えちゃこねえ。実の兄貴ですらわけがわからんと言うくらいだから誰も知らないんだろう。まあその底知れないところに惹かれて入学以来一緒にいるのかも知れない。 翌日大学へ行くと予想通り髪型とその色に突っ込まれまくった。
「なにその緑」 「うわー引くわー」 「……ビジュアル系?」
なまじ髪型イケメン風に整えてもらったせいで、友人達も笑うべきか弄るべきか引くべきか決めかねているようだった。俺も友人の頭がある日突然カラフルな色になっていたらリアクションに困るだろうし、無理もない。 特に意識はしていないが弄られキャラに徹していたから、俺自身もどう振舞うべきなんだか。 ただでさえ教授達には若干問題児扱いされていたのに、この頭のせいで教室に入っただけで嫌な顔をされるようになってしまった。
「お前のせいだぞー」 「横で見てて可哀想んなったわ。すげえおもしれーけど」 「この野郎……」 「まあ貴重な経験っしょー緑の頭なんてさ」 「てめえもポップな色に染めてやろうかぁ?」 「まーこわーい」
気持ち悪いカマ口調で上半身を引かせたのを見て殴りたくなったが授業中なのでどうにか踏みとどまった。これ以上心象を悪くするわけにはいかない。 そうして行く先々でじろじろ頭を見られる生活が暫く続き、いい加減慣れてきたあたりでようやく地毛が生え揃ってきた。「また兄貴に切ってもらえば?」との言葉に頼み込んでみたら半額で引き受けてくれた。
「あんま長さないから前回のようにはいかないぜー」 「いいですもうこの緑さえ無くなればっ」 「オーケ。んじゃ好きなように弄らせてもらうよ」
仕上がりはワカメを整えてもらった時とはまた違った感じで、これから先も散髪はこの人に頼もうと思えるセンスだった。 なのに、この数ヶ月があまりにも強烈だったせいかどこか物足りなさを覚える。
(まあ、その内慣れるだろ)
ワカメ色でさえ慣れたのだ、元の黒髪へ戻したのだからすぐにそれが自然になるだろう。 そう思っていたのだけど。
「……」
慣れた。確かにすぐ慣れた。だが反比例するように物足りなさは増すばかりで。 自宅の洗面所でワックス片手に髪を摘み、鏡に写ったそれを睨む。 望み通り黒に戻ったじゃないか、その上また雑誌に載ってるようなカットをしてもらった、ワックスの使い方も教えてもらった。あんなに早く伸びてくれと毎朝鏡を覗く度念じたじゃないか。
「……血迷ってんなよ」
馬鹿な考えはまとめて頭の隅っこに押しやり、顔を洗って思考を打ち切った。 今度の髪型はワカメに引き気味だった友人達にも好評で、誰に切ってもらったのか尋ねられたほどだ。隣からはまた良からぬことを画策していそうな視線が向けられていたが、気付かなかったことにする。 しかしそれも長くは続かなかった。
「あれー?」
染め上がった髪を、頭を動かして角度を変えつつ確認する。あの時あいつが買ってきたカラー剤と同じものを使った筈なのに、何か微妙に色味が違う。濡れているせいかとも思ったが乾かしても違和感は拭えなかった。
「え、何お前また染めたの?」
翌日顔を合わせるとさっそく突っ込まれた。
「同じの使ったのに前と同じ色にならなかったんだけど」 「ああ多分同じ色は作れないぞ。あれブレンドしてたから」 「なん……だと……」
衝撃の事実。じゃあ俺はなんの為に――。
「同じ色が良かったんだ?」
なぜかニヤニヤと覗き込んでくる顔を押しのける。
「あんだけ皆に引かれまくってたのに、どういう心境の変化よ」 「なんとなく」 「ふーん?」
それからもカットしてもらう度に染め直したが、言われた通りあの色を再現することはできなかった。何度目かに失敗した時、なぜ俺はここまであの色に拘っているのだろうと思い始めた。多分絶妙な色だったのだと結論付けて、しかしどこか釈然としない気分のまま日々は過ぎていった。 俺の緑頭もすっかり定着しトレードマークと化した頃、かなり生え際の黒が目立ってきたので整えてもらいにあいつの家へ行った。
「なんで頑なに緑?」
鋏の音と共に含み笑いで訊かれた。正直それは俺にも解らないと答えたくなる。
「なんとなく……。完全に同じ色って再現できないんすか?」 「難しいな。あいつの作った色がそんなに気に入ったのか」 「え? あ……はい」
急に、脳天に雷が落ちたような、というと言い過ぎな気もするがそんな感覚が走った。
(そうか、俺はあの色自体に拘ってるんじゃなくて)
“あいつの作った色”ってところが重要だったんだ。 でも、なんで重要なんだろう。 結局肝心なところは判明しないまま、新たなもやもやを生み出すに終わった。
END
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