勢いというのが大事だと思う。 こんな、バカな告白をするのならば、勢いはすごく大事だ。 「す、好きなんだ仁科が」 「俺、男ですけど。あんたも男ですし? よく告る気になりましたね」 同じサークルなのに後先考えてないの、と笑われた。しかし、ホモだのなんだのと言いふらされないことは99%近い確信を持っていた。なぜなら。 「あの。仁科が……503教場で、男とキスしてるの、見ちゃったから」 男の恋人がいるのならば、同類ということだ。 「あのさあ」 「な、に」 「俺が男とちゅーしてんの見た、ってさあ。相手、どういう関係のやつだと思ってんの」 「……こい、びと?」 「なんで疑問系なんだよ。こっちが訊いてんだっての。……んで? コイビト持ちってわかってて告ってくるのはどーしてなんすか?」 「え……あ……あの……、俺は、お前が好きだからって、知ってくれたら、って……」 「なにそれ」 冷たく言い放たれた。 「あんた俺のこと好きなんだー、そっかー、で終了でいいってこと? 大嘘吐き」 「え……」 「そんなきれいごと、通じんの高校までだろ」 「きれい、ごと」 「相手がいるってわかってるやつに好きだなんていうの、あわよくばって気持ちがすこしはあるからだろうがよ。あわよくば奪えないかな、あわよくばセフレ程度にはなれないかな、あわよくば好きになってくれないかな、そんなこと全然考えてないっての?」 あわよくば。 それは、──考えた。 すごく汚い気持ちだから見ないようにしてたけれど、あわよくば触れたいと、そんなことは考えた。 「なあ? あわよくば、あんたならどうしたいんだよ」 あわよくば。あわよくば。 変な言葉だ。語源はなんなんだろう。 「早く言わねーと俺帰りますよ? 山都先輩?」 「えっ……あ、あ」 ぼう、と見つめていた仁科の顔が、うんと間近に迫ってきてにやりと笑った。 何か含みのある笑み。恋人がいるくせに、その存在を今は無視してやってもいいんだけどと言わんばかりの笑み。 「ほら。どーしたいんだよ」 「あ。あ、あの」 ここは空き教場で、でももう五限が始まっていて、構内に人は少なくて、そして──あわよくば。 「き、す、して」 「いいよ」 ふっと笑いの息をついた男は、両腕でぎゅうと抱き締めて全然おざなりじゃないキスを長くいやらしくしてくれた。 次の日も、その次の日も。 サークルで、図書館で、構内で、ふと顔を合わせ目が合うと「どうすんの」と仁科の笑みが問うてくる。 あわよくば触れたい。その気持ちの『触れたい』範囲は、どんどん広く深く濃く淫靡な方向に潜っていった。 だめなのに。だめなのに、仁科は「あわよくば」を叶えてくれる。 だから欲は深くなる。身体だけじゃなく、時間も欲しくなる。 一緒に食事してほしい。一緒に買い物にいって欲しい。一緒に映画を見て、酒を飲んで、それからキスして欲しい。あわよくば、なんてかわいらしい言葉はもう到底似合わない、欲深い「あわよくば」。 だから──身体だけじゃなく、時間だけじゃなく、心も。欲しいと思ってしまうのだ。 言ったらきっと拒否される。さすがにそれは拒否される。そう思うのに。 「なあ。今日は? どうすんの」 空き教場で、二人して、曇った空から降りしきる豪雨と雷を眺めていると仁科が言う。 あわよくば、あわよくば、そんな言葉を頭に付けて希望を言ううち、この男のほとんどの部分に触れてしまった。あとひとつ足りないものは、気持ちだけだというくらいに。 「山都先輩?」 誘惑の瞳が眺めてくる。思えば最初から仁科は、誘う瞳をしていたのだ。 どうして。 恋人は? なんで。 望みを叶えてくれるのはなぜ。 ──わからない、けど。 「あわよくば」 喉が干上がって掠れた声になった。 「お前が俺のになったらいいのに」 それでも無理矢理言葉にすれば、窓を向いて立っていた男はこちらへとゆったり向き直り、にんまりと、してやったりというように口角をくっと釣り上げた。 「いいよ」 降って湧いたはずの幸運が、まるで何かの罠みたいに感じられたのは、一回り大きい男の腕の中に抱き込まれてからのことだった。
* * *
唇が離れていく。 濡れた自分の唇を見られるのが恥ずかしくて俯くと、仁科の肩に額が当たった。 まるで甘えかかっている仕草のようになってしまって結局恥ずかしい思いをする。 「じゃあね。おやすみ」 最前まで甘いキスをくれていたとは思えない、冷めた声が聞こえて顔を上げた。声程は冷たくない、けれど揶揄するような笑みの浮いた眼差しが自分を見下ろしてきていた。 「……なに?」 ぼうと見つめてしまうと、仁科は怪訝そうに眉を寄せる。 冷たいその様子に胸がずきずき痛む。多分に、快感で。 自分のものになったはずの男。けれど、自分のもの、とはどういうことなのかよくわかっていないから、ただ僥倖としてキスや身体を受け取っていたときと、なんら関係に変化はない。 「に、しな」 「だから、なんですか、って訊いてんじゃん」 寄せた眉の下、仁科の瞳の色はなんだか無垢なくらいに真っ黒だ。髪が黒ならもっと似合うのに、と思う。 自分のもの、ならば、そんなことも言えるのだろうか。考えるけれどやめておく。 そのかわりに、してほしいことが一つ浮かんだ。 浅ましい願い。けれど、自分にだけ意味のあることであって、相手には何の負担もないことだから簡単に叶えてもらえるだろうこと。 「あの……仁科」 「なに」 「……俺を好き、って、言ってみてくれないかな、って……」 あわよくば。 そんな言葉を接頭辞に、身体まで繋げてくれた相手。だから、こんな言葉をもらうのはとてもとても簡単なことだと思った。 なのに。 「……あわよくば、言って欲しいって?」 見たこともないくらいに嫌そうな顔をした、すべてを手に入れてもまだ遠い恋の相手が、そこにいた。 「バカじゃねえの」 息には嗤いが含まれているのに、表情も眼差しも恐ろしく冷たく醒めている。 自分は何かを決定的に間違った。それだけは、わかった。 「絶対、言わない」 その瞳の強さに絶句し、胸を快感で貫かれて、山都はただひたすらに、食い入るように見つめることしかできなかった。 ただ相手を見つめるだけになってどれくらい時間が過ぎたろう。数秒だったかもしれないし数分だったかもしれない。もうこのままぼんやりと仁科を見つめられていたらいい、と思い始めていたら、目の前の男は明るい色に脱色した髪をかきあげ忌々しそうに息をついた。 「バカじゃねえの」 さっきと同じセリフを口にする。 「言葉なんてさあ、ただの音だよ?」 逸らされていた冷めた目が、また自分を見遣ってくる。 「気持ちなんかなくても、やればとりあえずは気持ちよくなれる身体とは違うんだよ? 気持ちが入ってない言葉、なんて、くその役にも立たねえのに」 そこで仁科は、すう、と大きく息を吸った。そして、低く押し殺した、忌々しげな息を吐いた。 「そんなもんが欲しいなんてバカなやつ、大嫌い」 胸がきりきりと痛む。なのに、気持ちのない言葉を吐きたくないと告げた仁科が愛おしくて、たまらなくなる。 「俺は、好きだ」 「……」 冷たい目にさらされることすら気持ちいい。 「俺は、俺のこと大嫌いなのにえっちできる、ひどい仁科が好きだ」 少なくとも自分がこうして、自分の気持ちをまっすぐに伝えられるのは、バカだと言いながらもこの場を去らない仁科のおかげだ。聞く者がいなかったら自分のこれは、とても切なく寂しい独白になってしまう。 言葉以外のものでも何かが表現できるのなら、少しでもいいから伝われと、仁科をじっと見つめる。視界の中、わずかにたじろいだように瞳を揺らし、それでももう目を逸らすことはせずに相手はこちらを睨めつけてきた。 「……好きだなんて、そんな言葉何が嬉しいの。なんで、嘘だってわかってても欲しいんだよ」 「嘘、だっていい」 本当はよくないけれど、でもたぶんそれは欲張り過ぎだから、あわよくば形だけでももらえたらいい。そう思っている。 「どうせ全部嘘なら、だったら、……欲しいよ。言葉が」 取り縋られて鬱陶しいのだろうか、仁科が困ったように眉根を寄せ眉尻を下げる。唇を引き締めて口角も下げて、たぶん呆れていのだろう、そんな表情を作る。 なのにどうしてか、その顔は、泣くのを我慢しているようにも見えた。 「俺は、仁科が好きなんだ」
もう一度強く告げた言葉に、仁科はまた深いため息を返してきた。
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