俺はいつも叶わない恋をしている。
今夜も残業と踏んで給湯室に行き珈琲にドリップをかける。 こぽこぽといい匂いを立てて鼻を擽る香ばしさに日勤での疲れが少し癒されそうな錯覚を覚えた。 (しかし、まだ仕事は山積みだ) 目ではそんな和やかさを追っていながらも、脳内では今夜中に仕上げなければいけない資料作成でいっぱいである。 肩の力が下りているのもこの一瞬だけだ。 「浅木、今晩暇か。」 「・・榊、さん・・?」 声をかけられ意識が現実に戻される。隣を向けば、隣部署の一個上の先輩に当たる榊が壁に寄り添いながら立っていた。 この誘い方はまた呑みだろうと踏んでいる、しかし今夜の俺にはやるべき仕事もある。回答するべき言葉も決まっていた。 「暇、じゃないです。」 「暇じゃない、ってなんだよ。」 いつも最終的には誘いにOKをだしている俺のそんな言葉に目を丸くして壁より腰を浮かした。 「資料作成があるんです。」 珈琲の漆黒の雫が全部落ちきりカップに乗せていたドリップをはずした。 「シリョウ?締め切りは?」 「今週。」 そしてその場でずずっと一口啜る。体にじんと熱が点ったようになる、これは実に心地いい。 「今週かー。じゃあ、今日はいいじゃん。」 (人の話を最後まで聞かないのは今に始まったことじゃないけれど・・・) 榊の軽い物言いにどう返答したものかと頭を悩ませながら言葉を選んで行く。 「しかし明日、横井さんに見せないといけないんです。」 これは本当だった。慎重派で真面目ということで名が通っている俺のできる上司は、俺が上に提出前に3回以上は資料の作成具合をチェックするのだ。 それがまた厳しく、今のできのまま出したら、激昂を受けるのは見えていた。 だから今夜は家に帰らないつもりで徹夜で取り組む予定だった。事実この呑み好きの先輩に付き合う時間など一分一秒たりともないのが現状だ。 本当はこうして珈琲を飲んでいる時間も惜しいくらい。 「横井~?なんだ、またあいつそんなに厳しいの。」 榊はそんなこちらの気持ちも知らずに呆れたようにそういえば、続ける言葉はこちらを逆に呆れさせるものであった。 「いいっていいって、いいってーそんなの。だって締め切りは今週末なんだろ。それともなに、浅木はあいつにチェックもらわないと資料もかけないのかよ。」 「そういうわけではありませんが、俺の直属は横井さんですし、責任あるんじゃないですか?俺もあの人の納得行くものを書けないのも、それであとで横井さんが部長に怒られるのも嫌です。」 ぐいっとカップの液体を言葉とともに流し込むと、ごちそうさまとそれを流しで軽く洗いあげる。 「はあ~、たく浅木も馬鹿なくらいあいつに染そまっちまってるな。言っとくけどな、あいつの納得いくもの、なんて誰も書けねえっての。」 なに言ってんだお前、とばかりに大きなため息を吐かれる。 「・・それはわかっています。あの人は完璧主義ですから。」 他人に厳しく、それ以上に自分にも厳しいというのはあの人のことだろう。 水道でぬらす手のまま、その冷徹であって理路整然としたその人の生き様そのもののような面立ちをした横井を思い浮かべる。 それは髪を乱すことも、息を乱すこともないような美しさだった。 「わかっているんなら、付き合うほうが馬鹿だ。」 「榊さ・・」 急に真面目な声を出されて、カップを手にしたまま俺は動きを止め背後を振り向く。 「お前、今日は俺に付き合うこと!決定!」 そういうと真っ赤になって怒ったような表情でこちらを睨み付けている榊。 「は?意味わかりませんけど。」 「いいんだ!」 榊はそんなことを言うと、俺を給湯室から引っ張り出すようにして連れ出した。 「榊さん?困りますって。」 「うるさい!」 (何、怒っているんだ・・) 本当にこの人は自分勝手であり、俺を何だと思っているのだとその目の前を行くすらりとした長身の後頭部を見つめる。素直そうなまっすぐの髪はオールバックにされている、下ろしたところは仕事場では見たこともなかった。 俺の同期のやつらに言わせれば「浅木は榊先輩のお気に入り」らしい。うざいと思うときもあるけれど、気に入られていると思えば悪い気もしない。 (でも、なんで俺?仕事だってあまり一緒になったことも、被ったことないのに。) 一度それを聞いてみようとは思っていたが、いまだにその機会は俺には訪れない。そしてその前にこの人は俺を引っ張って、先を行ってしまう。 顔は見えないままだ。
俺はいつも、叶わない・・恋を・・
榊俊一。 俺より一個年上で、見た目はいまどきのイケメンとでもいうのか、俳優みたいな華やかな顔立ちに見事なモデル体系をした男だ。 多分女性にもかなりもてるのでないだろうか。しかしあまりそんな話は聞かない。 (仕事終わりも、午前まで俺と呑んでいることが多いし。) 先輩といいながらもどこか同級生のようなフランクな印象を持つのは、この人目をつくルックスをカバーしてしまうかのような人懐っこい話し方にその人間性があるのだろうか。 営業らしくいつも微笑みを絶やさずそれでいて喜怒哀楽は激しいほう。 そんなすべてが、昔からクール一徹だの鉄仮面だのといわれている俺とは真逆で、自分と似た性格の知り合いが多い中でも新鮮な存在だった。 何だかんだいって、俺はこの景気のいい先輩と飲む酒の味は嫌いではなかった。 「浅木、つぎなにのむー?」 「先輩呑みすぎです。」 「先輩とか言うなっ、今日は無礼講だぞ!ぶれいこー」 「明らかにはしゃぎすぎですって・・あんた幾つですか。」 「にじゅうななーちゃいー」 「・・・はあ。」 いつもビール一杯で乱れる榊は今日もいい具合にろれつが回っていなかった。俺は呑み中もどこかで資料のことが気になっている。 それをこの先輩も気づいているのだろう、いつもの5倍増しな勢いではっちゃけているその顔を俺は見つめた。 (この人には悩みないのか、いや・・しかしそんな人はこの世にはいない。) 「先輩。」 「だからーせんぱいとかー」 「付き合っている人、いないんですか。」 「へ?」 ぐだぐだとテーブル上でだれていた体をきょとんという顔と一緒に起こしてこちらを向けた。 「な、なんだよ急に!!」 (・・なに慌ててるんだ。) 「いや、結婚とかしないのかなあとか。」 「お前に関係ない!ていうか、そういうお前は?!どうなんだよ!」 「居ないですよ。」 「・・へ、え・・」 「・・・・?」 どうも奇妙な夜だった。 明日の書類提出のことが気になって何杯飲んでも酔えない俺に、異常なテンションではじまっておきながらも途中から急にしおらしくなってしまう榊に。 俺たちはそんな消化不良のまま、珍しく一軒だけで二人だけの呑み会を終わらせて、店の表の暖簾のところで分かれた。 「無理につき合わせて悪かったな。」などと最後には言ってきた。らしくないその表情に、どこか悲しげな目を向けられ、自分は失言したのだと気づく。 その目の奥の思いは自分にダブルところがあった。 (この人も、辛い恋をしている。多分。) 何かが少し近づいた気がしたが、それは俺にとってどんな感情をも動かすことはなかった。 このときのこの人は、まだ俺にとってはただの面白い先輩でしかない。
翌日、俺は案の定未完成の資料を提出することになり、その頑固で厳しい先輩にさんざ怒られる羽目になる。 「こんなものを見せてどういうつもりだ。」 「すみません。」 俺は頭を下げている。俺のがこの上司より少し背が高く、頭を下げてもその人の口から顎にかけては丸見えだった。 それは女性みたいな華奢で細いラインをしている。 「・・・・・。」 「すみませんですむと思っているのか・・。て、もういい。こんな君を怒っている時間も無駄だ。」 そういって横井は俺のほうにぐしゃぐしゃになった書類を押し付けた。 「今日中だ、できるな。」 「・・・・・。」 顔を上げる。物理的にできない、とは思っているがそれを言うことはこの部下である俺は持たない権利だ。 「尽力します。」 そういって書類を受け取るだけだ。 昨日サボった俺の罰だ。榊の所為でももちろんない。俺は書類を受け取ると自分のデスクに戻る。 最後まで、その美しい先輩の顔は正面から見ることもできないままであった。
書類が終わったのは次の日の午前2時。 椅子に張り付いたようになった体をふらふらになりながら起き上げる。 できたばかりの資料をプリントアウトし、横井はもう帰ったであろうと踏みとりあえず彼のメールボックスに入れようと席を立つ。そこで、 「終わったのか。」 「・・っ、・・横井さん・・」 声をかけられた。 背後にいつの間に立っていたのだろう、その人とぶつかりそうになってしまう。 (びっくりした・・) 本当にびっくりした。その証拠に俺の心臓は変に高鳴り苦しいのだ。その人との距離、すごく近い。 真夜中のオフィスはしんと静まり返っている。プリンターもするべき仕事を終え、音は立てていない。 この静寂の中でフローラルのような香りを感じた。それもこんな近くに寄らなければ気づくこともなかった事実だろう。 「見せてみろ。」 「あ、はい。」 そんな考えも手を伸ばされ、書類を手渡すことで立ち消えた。 その人は俺から資料を受け取ると、ふうん、と軽く声を発しながらその場でチェックしだした。胸ポケットから赤ボールペンを取り出し、音速の速さで書類を見ながら書き込みをしている。 俺はそれをやはり立ったまま見つめ、待っていた。 「はい、ここ直して。」 数分後にそう言われて書類を渡される。一面真っ赤な文面。今からこれを全部直すのか、と思えば眩暈がした。しかしやはり俺には、 「・・はい。」 と言うしか許されないのだろう。資料を手に椅子に座ろうとして、 「明日でいい。」 そんな声をかけられた。 「え?」 「今からやってもどうせ睡魔でいいものは仕上がらない。今日はもう家に帰れ。」 「は、はあ・・」 語調こそ厳しいが、これはこの人なりの譲歩であり優しさであり、俺の仕事を少しでも認めてくれたことになるのだろうか。 体も精神的にも極度の疲労を感じており、こういて普段ならありえないようなこの人からの甘さは全身に染み渡るようである。 「俺ももう帰る。」と無感情な言葉を告げこちらに向ける背に、気づけば声をかけていた。 「ありがとうございました。」 それは自分で命令はしながらもこんな時間まで付き合ってくれたことに関して、それは俺の非を覚えながらも再度チャンスをくれたことに関して。 こんな思いを知ってくれただろうか、その人は振り向かずただ立ち止まるだけで、「ああ。」と言って去っていく。 その顔を見たいと思ってしまった。
そんな一件があり、ほぼ二人の共同作業として作り上げられた資料は上司に高い評価を得た。 俺ももちろんだが、横井は指導も行き届いているなどといわれていた。しかしその美しい顔が緩むこともない「今後も精進します」などと硬い返事をしていた。 この人には嬉しいという感情はないのだろうか。今更ではあるが、ふとそんなことを思う。 いつも見せる怒り、苛立ち、無表情は俺以上の鉄仮面だ。 (感情を見せる場面・・) それはないか、と思いふと常より感情丸出しである榊のことを思い出す。そして榊を思えば、自然といくのが酒だ。 (そうだ、酒・・) この人も酒を飲めば笑ったりもするのではないのだろうか、などと思った。 「あの、横井さん。」 「なんだ。」 帰り支度をしているその人に、思いきって声をかけてみる。案の定無表情の冷たい声と顔がこちらに向いた。 「今夜暇ですか?」 「暇じゃない。」 (即答・・) 間髪居れずに言われる言葉に少しでも期待をかけていた心は打ち砕かれる。 「・・そう、ですか・・」 「・・・。なんだ、何か用か。」 「いえ、もしお時間あれば一緒に飲みに等。などと思いまして。」 「そうか、悪いが。」 意外にも神妙な声が返ってきてどきりとして、 「いえ、いいんです。奥さんお待ちですよね。」 気づけばそう口走っていた。 「・・・浅木。」 低い声。俺のこと馬鹿なことをいう部下とでも思っているのだろう。 「・・・すみません。」 「・・・いや、謝るのは俺のほうだ。一緒にチームでも組んでいれば飲み会などするものなのだろうが。俺はそういうのは苦手で・・」 「だから。いいですって。」 「お前がせっかくそういってくれたのに、悪い。」 「だから・・・」 そんなにまでこの人に言われては、逆に俺のほうが肩身が狭い。この話題をここで終わりにしたくて、俺は改めてその顔をじっと見る。 目が合えば、一瞬、そのきつい上がり気味の目が緩んだ気がした。 「・・横井・・さん。」 「俺の家に来るか?」 「え?」
急なことなのに、横井の妻は俺をずいぶんと暖かく迎えてくれた。 結婚式でも見かけたそのかわいらしい顔は家庭に入っても変わってはいなかった。 隅々まで掃除の行き届いたきれいに片付いたマンションの一角で俺たちは、シャンパンをあける。 「では、この人と浅木さんの将来を祝ってー。」 「どんな将来だ。」 「え?だから、二人の仕事の成功?」 「だったらそう言え。」 仲がいいのか悪いのか、そういってやりとりしてはなかなか鳴らされないグラスを前に俺は割ってはいる。 「細かいことはいいじゃないですか、それより、ほら乾杯。」 それに二人ははっとしたようにして、身を正す。 「かんぱーい。」 「乾杯。」 かちん、とシャンパングラスが音を立てあい俺と横井さんとその奥さん3人による夕食が始まった。 「いきなり押しかけてすみません。」 頬が落ちそうなほどにおいしい食事を口に運びながら俺はそういう。 「えー。いいのよ。だって、私はすごく嬉しいし!この人友達少ないでしょ?めったに家に連れてこないから、今日はもう張りきっちゃった。」 「余計なことを。」 「あら?だって本当でしょ?」 笑えばずいぶんと若く見える。確か俺より3つほど下か。横井もずいぶんと若い妻を娶ったものだ、などと社内では囁かれたが、この人の仕事の手腕と年を感じさせない美貌では皆自分の羨望も飲み込まずには居られないようであった。 皆、この人には一目置いている。部長に昇格する日も近いのではないか。そんな人の下においてもらって、俺は幸福に思うべきだ。 いい具合に食事が進み、酒が進み、どこからどういう話になったのか、 「それにしても浅木さん。お付き合いしている女性は?」 「・・っ・・」 「おい、美恵。」 「いいじゃない!しりたいもーん。」 若い妻はもう顔を赤くしている、アルコールには弱いようで。 一方の横井は俺の二倍近くは呑んでいるようだが、顔色ひとつ変えずにおり、酔えばたがが外れるのではないかなどと思っていた当初の予想は大幅崩れ中であった。 「だって、結婚式で見たときからかっこいい人だなって、そういう人がこの人の部下に入るのかーって思っていたんだもん。」 「美恵、外見で仕事はできない。」 「あら、そうかしら。でも、外見だけじゃないわ、浅木さんってそれ抜かしてもかっこいいわ。」 「ありがとうございます。」 人の妻である人に、こんな風に言われればお世辞だとは思えど少し居心地は悪い。俺は無難に礼をいい、トイレを借りようと席を立つ。 軽いパーティー会場になっている部屋を出てドアを閉めた。 『美恵、飲みすぎだ。』 『いいじゃないーもう!』 二人のやり取りがドア越しに遠くに聞こえる。 『浅木も困っている、ああいう言い方はやめろ。』 『・・もう、命令ばっかりしないで。って、あなたが言わないからじゃない。』 『言わないって、何が。』 『浅木さんのこと。どう思っているのかーとか。』 (・・え・・?) 立ち聞きなど悪いと思い洗面所に向かいだした足が止まる。そして動かなくなっている。 その二人の会話の先を知りたい。 でも、辛い現実には向き合いたくもない。 『いい部下だ、と思っているが。』 『無難すぎー。』 『・・・何を聞きたがっているんだかと思うが、俺はあいつの力を見抜いている。』 『ちから?』 『ああ、あいつはきっと俺より昇格する、そして今に俺の上を行く。それを知っているからこそ俺はあいつを引き抜いて自分の下につけた。』 (え・・、それって・・) 耳がもう、ドアの向こうの会話に釘付けであった。 『あいつを成長させるのは俺だ、俺しかできない。』 (・・・・・・・っ・・) 全身のアルコールが一気に熱を上げた。そしてそれは心臓に集中し、凄く痛く俺を揺さぶる。 声でしかわからないが、あの人があんな台詞をあんな熱っぽい声で言うなど・・・・ (だめだ・・頭、冷やそう・・) 俺はそのままドアの傍を離れ、洗面所に向かう。
(想像もしたことがなかった。) 水を流し、鏡の中の男を見つめる。泣きそうな顔をしている。 それは身を震わすような歓喜であり、歓喜であり、歓喜であり・・ 「・・横井さん・・っ・・」 ぐっと洗面所に手を付いて項垂れる。耳の奥がどくんどくんと言っており、顔もかっかして熱い。 「横井さん・・」 感情の波が最高潮に高鳴った。 そのときだった、携帯が自分の胸ポケットで鳴っているのを感じる。 「・・・・。」 一気に夢から現実に戻された気がした。この酔いに浸っていたいのにと思い、それには出ないでおくつもりだった。 しかしこれが大事な仕事の電話だったら・・ (あの人にできない部下と思われることは避けたい。) それを第一に思った。俺は手を自分のポケットに滑らす。 「はい、浅木・・」 10回目ぐらいのコールに出ると、 『あさぎー!!』 「・・・・榊さん・・?」 聞きなれた声が、耳に飛び込んできた。 『あさぎっ、あさぎっ・・!!うううう。』 (泣いているのか、この人。って、周囲うるさいし・・) 「何ですか、どうしたんですか。」 『おれ、ふられた!』 「・・・はあ・・?」 『あさぎーいまどこー?!』 「どこって、ちょっと・・」 なんと言うべきか言葉が行き止まった。 『おれ、いつものむらたやにいるから、いまからきて!おれ、なぐさめてー!!』 (やっぱり外か。) 案の定という感じで、この呂律の回らなさと周囲の煩さに全てを察した。 しかし振られたところを慰めになど、どうしてこの俺に・・ (って、まあ一番のお気に入りだからなのか。しかし・・) せっかく来ている横井の家から帰るのは憚れる。まずは横井にお伺いを立ててからだろうと俺は電話を繋げたままリビングに戻る。 そしてそこで見てしまう光景に、危うく手にしていた携帯を落としそうになった。 そこで二人は唇を重ねていた。 酔って赤い頬をする妻は夫に身を預けるようにしてしなだれ、色っぽく見えた。 一方夫は、そんな妻の肩をそっと抱き、深い愛を見せた。 「・・・・・。」 俺は何も言えない。 ここのドアを開ける術を知らない。 『おい、あさぎー?!』 まだ携帯の向こうから聞こえてくる声。 一気に冷めて行く、俺の酔い。
「わかりました、今。向かいます・・」 俺はそれだけを告げ、携帯の電源を切った。 俺は、叶わない恋をしている。
榊は店でもうかなり酔いつぶれていた。 これ以上呑むのも体に差し障りがあろうと思い、俺はその人を支えながら店を出る。 「家、どこですか?」 「うー、いしかわー」 「出身地じゃないですよ。って、榊さん?寝ないで下さい。」 こちらの肩に頭を乗せてぐうぐう言い出した先輩を俺は揺すった。 「うー、うごかすなよー・・・はくー、げろげろ。」 「吐いたら、このままここに打ち捨てますよ。」 いいんですか?と言って、冷たい目で見下ろせば。 「おにー、おれはふられたんだぞー、やさしくしろよばか!」 さっき以上に感情的になってぼろぼろと泣き出した。 (本当に、厄介だな・・) 「おれは・・おれは・・っ・・」 最後の言葉はひっくひっくとのどの奥に引っかかるようになり、音声とならないでいた。赤い目に赤い頬。 無様だが、それは人前で泣けない俺にとっては何よりもうらやましいことだ。 「・・で、家どこですか。」 「・・・・。」 優しい声をかけたら、今度は黙りこくってしまった。 ぐずっと鼻を鳴らしている。 「榊さん?」 「・・あそこ。」 「・・・え?」 榊は高層ビル街を指差している。 「あそこって、どこ?」 「・・・・・・。」 (なんなんだよ、全く) 俺はそのはた迷惑な先輩を仕方がないので、近場のシティーホテルに連れ込んだ。 自分の家にでもよかったが、そこまで面倒を見切れない。俺はこの人をここにおいて、自分は帰るつもりだった。 カードキーを開け、目に柔らかいライトを点す室内に二人で倒れこむように入る。 「ちょっと、いい加減ふらつくの・・」 やめてください、といいかけ俺のほうに回されていた相手の手がぐっと意識的に力を持ち出すのを知った。 「榊・・」 「俺の恋人ね、男・・なんだ。」 「え・・・・」 「浅木、そんな俺をどう思うよ。」 間近で顔をしたから覗かれる。そこには見たことのない鋭い目をしている榊が居る。 (って、さっきのあの姿は・・?) などと混乱し、今耳元で言われたショッキングな内容にも付いていけていない。 「榊・・・・。」 「お前も、同じだろう?」 「は?」 「同じ、匂いがする。」 にやりと笑われ、瞬間激しい衝撃が俺を襲う。 噛み付かれるように唇を奪われていると知ったのは、口の中がその人の飲んでいたアルコールを舌が感じ痺れ、そのままに近くにあったベッドに押し倒された時だった。
俺は、・・・恋を・・
もがくように、求めるように、いつもしていた。
end
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