『ずっと、ずーっと一緒に居ようね、コロ助。』 俺が唯一守れなかったのは、マスターのその命令だけだ。
地球は残念なことに美しい青い星からみすぼらしい赤茶色の星へと変色した。 今この星に生きる物は居ないだろう。俺は最期にこの星を破壊するために残された人工知能をもつアンドロイドだ。 もともとは戦争に勝つために造られた戦闘用アンドロイドで、この両腕は全てを破壊するためだけに付いている。 そんな俺がどういうわけか、マスターの家へと引き取られたのはもう7927日前になる。 小さなマスターは俺を見て目を輝かせた。口をあんぐりと開けた、その表情を俺の知能は『驚き』だと判断する。 マスターのその次の行動はいくつかのパターンで予測できる。 「わーっ!」と声をあげるか口をパクパクとさせるか、俺の知能は勝手にマスターが喋るであろう言葉を241通り導き出した。
「コロ助!!」 だから、マスターがいきなりそう言ったときは俺の思考は予測しなかった言葉を処理するのに0・03秒の遅れをとった。 ただ、マスターが俺をそう呼んだ瞬間に俺の名前は『コロ助』になった。 俺の見た目は世界で最も美しいとされる人物の瞳と肌と鼻と口のパーツをそれぞれに組み合わせてある。 戦闘用ロボットに眉目秀麗さは必要なのか、と、会議では話題になったらしいが人間という生き物は美しいものが好きらしい。 その割には『美しい』と称賛されたこの地球を自分たちの手で汚したが。 黄金比と言われる肉体美を貰い、決して痛むことのないキューティクル抜群の髪を靡かせ、俺はマスターに挨拶する。 頬の筋肉を動かし、『微笑み』を浮かべた。 「こんにちわ、マスター。今日からよろしくおねがいします。」 俺は45度に計算された角度でお辞儀をし、握手のための手を差し出す。 しかし幼いマスターには握手など必要無かった。 とんっと軽い衝撃を受けて、マスターは俺に抱きついた。 「僕コロ助に会えて嬉しい!ずっと、ずーっと一緒に居ようね、コロ助。」 今思えばマスターが一番望んだ命令は、それだったのかもしれない。
マスターは事あるごとに俺に暖かな言葉をくれた。 しかし、俺の中に感情は無い。ましてやぬくもりを感じる機能も無かった。 火に触ろうが溶岩に触ろうがその温度を感じてしまうことは痛覚へとつながってしまう。 戦闘用アンドロイドに痛覚は必要が無い。 だからマスターがどんなに優しく俺に触れても、そこにぬくもりは無かった。 「コロ助、今日は何をする?」 「マスターのしたいことを。」 「じゃ、僕はコロ助がしたいことをしたい。」 マスターはふふっと笑っては俺の知能をよく混乱させた。 俺がマスターの望むことを一番に望んでいるのに、マスターが望むことが俺の望みならば…? そこには必ず矛盾が生じる。俺はアンドロイドが理解不能に陥った時に良く使う言葉をしゃべる。 「…申し訳ありません、理解できません。」 そして、俺の思考は一時停止し、すぐに再起動をする。 そんな俺を見るマスターはいつも微笑む。俺の知能はそれを『喜び』と判断した。
しかし、マスターはそれから大人になって俺に言った。 「僕はね、僕が君に何を望むか聞くたびに君が『理解できません』と言って一時停止すると、君がアンドロイドであることを実感させられて、悲しかったんだ。」 そう言ってマスターは笑った。 俺の視覚知能はその笑みをまた『喜び』だと判断した。しかし、マスターの言葉を人工知能が処理すると今のマスターは『悲しんでいる』ことになる。 相反する言葉と表情は俺には理解不能だった。 「…申し訳ありません、理解できません。」 「ごめん、ごめんね。コロ助。」 マスターが何故謝罪するのかも俺には理解できなかった。
戦争は酷くなる一方だった。マスターが眠れずに俺の側にいる時が多くなる。 マスターの睡眠時間はたった一カ月の間に平均3時間11分43秒まで減った。 「マスター、寝て下さい。」 「眠れないんだ。」 「目を閉じて横になって下さい。」 俺には『眠る』という行動を知識では理解している。 目を閉じて横になればそれが『眠る』行動にならないことはわかっていた。 しかし、マスターは休むべきだと俺の知能が判断して俺を動かす。 「横になって下さい。」 「…わかったよ、でも、コロ助少し良い?」 「はい。」 「目を閉じて。」 俺は目を閉じた。 しかし、これは俺を人間らしくするために瞼がついているだけであって、実際に俺の視界は暗くはならない。 目を閉じてもなお、マスターの顔をはっきりと認識できる。 「ちゃんと目を閉じた?」 「はい。」 嘘は付いていない。俺は目を閉じるという行動はしている。 マスターの顔が俺に近づいてくる。マスターも俺と同じように目を閉じた。 マスターの唇が俺の唇に一瞬くっついて、マスターは離れた。 「目を開けていいよ。」 俺は目を開ける。マスターの行為が人間がする『キス』だということを俺は知っている。 「おやすみ。」 マスターは微笑んだ。『喜び』だ。
マスターと俺が戦場に呼ばれたのはそれからすぐだ。
戦場では人間はどんどん死んだ。アンドロイドも次々と破壊され、破棄されている。 「そんなの納得できません!」 マスターが怒っている。 声の音程と、発言内容、それにその表情から俺は判断した。 『怒り』はマスターが感じてはならないものであり、俺はマスターのアンドロイドとしてそれを作る原因を破壊しなければならない。 マスターを取り巻く白衣を着た人間に俺は戦闘態勢に入った。 「あ、ダメ!コロ助。」 俺はそう言われ、命令に従い戦闘態勢を解く。 「大丈夫だよ、コロ助。隣の部屋で待ってて。」 マスターはまた『喜び』の表情を浮かべる。
爆発が起きた。
それは突然だった。 火に焼かれたマスターを抱え、俺は外へと飛び出す。 他にも白衣を着た人間たちが火ダルマになって悲鳴をあげている。 俺はそれを視界の端で確認しつつ、最も安全に外へ出られるルートを探す。 マスターは悲鳴をあげることもなかった。 外へ出てから、煙も届かない場所へと走った。 そこでそっとマスターを降ろしてその状況を確認した。 「・・・。」 マスターはもう死んでいた。 俺はマスターの側にいた。 それから何時間もマスターの側にいた。 一気に戦火とかしたその場所にいくつもの爆弾が落とされる。 俺はマスターにこれ以上損害が加えられないようにだけ注意しながら、マスターの側にいた。 しかし、残念ながら人間と言うものは腐る。 腐っていくマスターをただ俺は見つめた。 どれくらいの時がたったのかはわからない。 俺の前に突然白衣を来た奴らが現れた。 パソコンを抱え、マスターしか見ていない俺の目の前にそれを持ってくる。 パソコンの中にマスターが笑っていた。 『コロ助。俺の命令を聞いて。』 パソコンの中のマスターが言う。俺は「はい。」と言った。 『この星はもう救えない。今から72時間後にこの星を破壊するんだ。』 「はい。」返事と同時に俺の中で71時間59分59秒、58秒、とカウントダウンが始まる。 しかし俺は本当は『わかって』いた。 マスターはもう居ない。今俺の目の前で骨と化したコレがマスターなのだから。
視界の端でその白衣を着た奴らが機械に乗って飛び立っていくのが映る。
パソコンに映ったマスターはもう何も言わず、ただ微笑んでいる。
俺はただ骨であるマスターを見つめた。
この星を壊すまで24時間をきった頃だ。 俺の人工知能はとうとうイかれたらしい。 突然たくさんのマスターの映像が頭の中に映し出され始めた。 笑うマスター笑うマスター笑うマスター、俺の中のマスターはたいてい笑っている。 それもそのはずだ。 マスターが悲しんだり怒ったりすれば、俺はその原因を取り除かなければならない。 マスターは俺の前ではいつも笑って居なければいけない。
『コロ助』俺を呼ぶ声まで再生され始めた。
『コロ助、今日はオムライスが食べたいよ。』 『明日は晴れるかな?』 『ねぇねぇ、頭撫でて。』 『あ、僕の鞄どこだっけ?』 『そういえばコロ助、この前…』
『ずっと、ずーっと一緒に居ようね、コロ助。』
「はい。」 俺の口が頭の中の再生に返事をした。
マスター、俺は、貴方が俺の名前を昔のアニメに出てきたカラクリロボットから取ったっと言った時、「嬉しいです。」と答えた。 けれど本当は俺のどこかが『ダサい名前だ。』と苦笑していた。
マスター、貴方が俺にキスをした時、俺は表情を変えなかったけれど、俺のどこかが幸せを感じていた。 マスター、貴方が火に焼かれ息も絶え絶えに『コロ助は生きて…。』と言った時、返事をしなかったけれど本当は聞こえていたんだ。
でも俺は最初から生きていないのに「はい。」と言ってこれ以上命令を破りたくなかった。
俺が守れない命令は後にも最後にも一つだけだ。
「ずっと、ずーっと一緒に居ようね、コロ助。」 「はい。」
もう骨になったマスターはバラバラになっていて、頭蓋骨も何もかも粉々になっていた。 おそらく風に飛ばされてしまったものもあるだろう。 俺は僅かに大きく残った骨のかけらを拾い上げた。 これが何処の骨かなんてわからない、否、もしかしたらちゃんと人工知能が働けばどこら辺かはわかるだろう。
けれど今はもう何も考えたくなかった。 俺は、そのカケラに恭しく口付けた。
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