小島裕樹はかれこれ十分ほど悩み続けていた。 ここに来るまでも結構な時間悩み、やっと覚悟を決め来てみたはいいが、いざ入ってみたらやっぱり怖気づいてしまったのだ。 暗い店内の隅っこで、膝を抱え蹲って小さくなっている。 誰もおれの存在に気付くなよ、と言う遠回しなアピールだ。 そんなことでは一大決心してここに来た意味がないのだが、そんなことは裕樹も分かっていて、でも一歩が踏み出せないでいる自分にいい加減自分で痺れを切らしていた。
「先輩が好きです。おれと付き合ってください」 三年の藤並篤志にそう告白したのが三日前。 裕樹にしたらものすんごい覚悟でもって告白したのだ。自分の恋愛の対象が同性だと言うのは、結構小さい頃から気付いていたが、実際に付き合ったことはまだなかった。ちなみに異性にはちっともそう言う気分になれないので、お付き合い事態したことがない。 そんな裕樹が高校に入って、一目惚れし想い続けたのが二つ上の藤並篤志だ。背が高くスタイルも顔もモデル張り。裕樹はとくに篤志の骨格が好きだった。小さい頭にスッキリした首の線、流れるような肩の線に標準の学ランがひどくカッコよく見える。当然の如くとてもモテていたが、特定の恋人はいないとも聞いていた。だから告白しようと思ったのだ。 本当に、心臓が口から飛び出すとはこう言うことか、と言うくらいドキドキし、それはそれは決死のダイブであった。 それに対する篤志の返事は、 「俺、処女は相手にしないんだよね」 だった。 何を言われたのか一瞬理解できず「は?」と訊き返した裕樹に、篤志は表情を変えずに言葉を続けた。 「初めては色々とめんどくさいからさ、苦手なんだよね。一回どっかでヤッてきな。そしたら抱いてやるよ」
そんな訳で、裕樹は考えて考えた末にバックバージンを捨てようと発展場へ来ていた。他にどこに行けばそう言う相手に会えるのか分からなかったし、皆ヤりたくて来てるんだから手っ取り早いと思ったのだ。 でも、実際来たはいいがどうすればいいのか分からない。下着だけで薄暗い店内に入ったはいいが、自分から誰かに声を掛けることは当然できなかった。ポツポツと設置してあるイスに寝ていればいいだろうか、とも思ったが、ちょっとまだ覚悟が決まらない。 結果、自分の存在をできるだけ薄くしようと、隅っこに蹲るに留まっていた。 グルグルしている頭で、それでも店内を観察してみる。 イスに寝ている人間に、他の人間が近づいては顔を覗き込み、離れていくこともあるし、そのまま体を触りながら行為に突入していくこともある。でも本当に本番になると、お互い手を取り合い個室に行ってしまう。数個ある個室からは、明らかに肉のぶつかり合う音と喘ぎ声が聞こえてきたりする。 (なんであんなスムーズにコトが進むんだ) 発展場が初めてなら、セックスも初めての裕樹には理解しがたい光景である。とても自分に同じように出来るとは思えなかった。 そんな訳でずっと隅で蹲っているが、なんだかいたたまれなくなってきた。 (帰っちゃおうか…) でもそうしたら先輩に抱いてもらえない。だがこんなに存在感を薄くしていたら、誰にも声を掛けてもらえないかもしれない。だけど、自分からは絶対に無理だ。 (だって先輩じゃないんだもん) 先輩に似た人なんて都合よくいる訳ないし。いたっておれのこと気に入ってくれるとは限らないし。差別する気はないけれど、すんごいおじさんでお腹とか出ててバーコードだったりする人に誘われたらどうしよう。イヤです、って言えばいいのかな。怒って無理矢理されたりしたらどうしよう。でもそれでもバージンじゃなくなる訳だから、先輩には抱いてもらえるんだ。だったらイイのかな。ってか、よく考えたら先輩じゃないなら誰でも一緒ってことじゃないのか? (誰でも一緒…誰でも一緒…) 急に何か胸のつかえが取れた気がした。 (そうだよ、先輩じゃないなら誰でも一緒じゃん) 多分緊張のピークを過ぎたのだろう。 裕樹は今まで、何をそんなに考えていたのか分からなくなるくらいに軽い気持ちになった。 (そうだよ、そうだよ) 妙な具合に納得しながら、裕樹はツイと立ち上がった。そうして暗さに慣れた目で店内を見回し、さっきまでとは比べ物にならない落ち着いた気分で歩き始めた。 奥のほうで個室に入らず絡まっている人影があった。それをチラチラ覗き込んでは通り過ぎていく人達。その近くで何もないように寝ている人。 (大人はすごいね) あからさまに見てはいけないのは何となく分かったので少し離れた場所から、いずれ自分も先輩とするんだから、などと思いながら観察する。手を取り合い個室に消えて行く人達を見ては、 (先輩と手繋いで歩いてみたいな) とか、堂々とキスしている人達を見ては、 (先輩とキスするって緊張するな) とか、当初の緊張はどこへやら、妄想を膨らませ楽しんでいる。 そんな一人の世界に入りながら歩いていたら、何となく、本当に何となく振り向いたその先に一人の男が立っていた。暗くてよく分からないが、多分こっちを見ている。 あれ? と思い試しに反対側に移動してみた。男が僅かに体の向きを変えた。 (やっぱり見てる) でもだからってどうしたらいいのかは分からない。吹っ切れたと言っても何もかも初めてなのだ。見える感じではお腹は出ていないし、おじさんでもない。 裕樹はさっきとは違う隅っこで膝を抱えて座ってみた。 (あ~、この体勢落ち着く) もはや何が目的で来たのかぼやけている。完全に大人の社会化見学気分だ。別にヤレなくてもこれだけ大人の世界を覗いたら、初めてでもどうにかなるんじゃないのか、と言う気がした。 (大体おれがヤッたって一言言えばそれで済む話だったんじゃないか?) 大好きな先輩に嘘を言うのは心苦しいが、一回やそこらで後ろの孔の緩み具合が劇的に変化するってことはないんじゃないかな? 多分先輩は孔が狭いとかキツイとか、そう言うことをめんどくさがってるんだろうし。 そんな風に思いながら、満腹気味の気持ちを抱え立ち上がろうとしたとき、さっきの男性が近づいてきて目の前で止まった。 顔を上げると目が合った。安心させるためかなんなのか、優しい表情で微笑んでいる。 (あ、かっこいい) 涼しげな目元に通った鼻筋、口角がキュッと上がった口元。篤志とは少し違ったタイプだが、カッコいい。こんな場所だからか、醸し出す雰囲気がなんとも艶を含んでいて、初心な裕樹でもクラクラしそうである。 男は目線を合わせるようにしゃがみ込んできた。どうすればいいのか分からず動けない裕樹の髪に手を差し入れ、梳くように数回動かしながら徐々に顔を近づけてくる。 やっぱり動けないでいると、そっと唇が重なった。やわやわと食むような軽いキスを、裕樹が拒否しないでいると、今度は口の中に相手の舌が滑り込んできた。 歯列をなぞられ上顎を舐られ舌を絡め取られた。 「ん、んん…ふぅ」 されるがままに翻弄され膝を抱えたまま固まっている裕樹の腕を、相手は優しくほどき自分の首に回させた。 「ん、ん、んふ」 激しくなっていく口淫に、ただその首に縋りつくしかできない。やがて口を解放した男が、裕樹の顔を覗き込み「高校生?」と訊いてきた。 見事な舌技で頭の芯がボ~ッとしていた。その言葉に頷きかけハッとする。 (そう言えば未成年ってこう言うところに出入りしたらダメなんじゃ…) たった今まで全然気にしていなかった。 フロントも、お金を払ってくれて店の趣旨に反しない客なら年はあまり気にしないのだろう。なんのお咎めもなくすんなりと入れたのだから。 急に表情を変えた裕樹の心中を察したのか、男はクスッと笑った。 「大丈夫、おいで」 穏やかな声でそう言い裕樹の手を取り立ち上がらせると、迷いのない足取りで歩いていく。その先にはずっと気になっていた個室があった。案の定、男は空いている個室の扉を開け、慣れた様子で裕樹を中に促した。 裕樹はもうドキドキである。これで夢の先輩との甘い時間が一歩近づく。 今目の前に迫る見知らぬ男とのセックスより、そっちのほうが頭の中を支配していた。 その妄想に感動し微かに震える裕樹をどう思ったのか、男は安心させるようにそっと体を包んできた。 「こう言うところは初めて?」 髪に軽くキスしながら囁かれた。 その声も仕草も自分を包んでいる腕も、全てが優しくて、裕樹は何の疑いも心配も感じることなく素直な気持ちになれた。 「こう言うところも、その…エッチも」 「そうなの?」 男は少し驚いたような声をあげ体を離すと、まじまじと裕樹を見つめ始めた。 その視線に耐え切れず、ちょっと恥ずかしくなりつい俯く。 「なんで初めてをこんなところで」 男の言いたいことは分かる。顔もしっかり分からないような薄暗い場所で出会った名前も知らない相手を初めてにするなんて、自分だって先輩に告白するまでは思ってもいなかった。 「初めてはめんどくさいって、好きな人に言われて…」 「ええ? 好きな人に?」 「あ、でも別に付き合ってるとかじゃなくて、告白したらそう言われて、だから、その…先輩に抱いてもらうにはどっかで先に誰かに抱かれてないといけないんです」 「―――へぇ…?」 裕樹の正直な告白に、相手はかなり驚いているようだ。あれだけスマートにリードしてくれていたのに、言葉が途切れてしまった。二人きりなのに、この無言の時間はかなり辛い。居た堪れなくてゴソゴソし出した頃、相手はやっと口を開いてくれた。 「ああ、ゴメン。ちょっと固まっちゃった。ふ~ん、そうなんだ。その先輩はアレだな。貫通させる感動を知らないんだな。まだまだ子供だ」 (え? 先輩が子供?) 眉を潜め見上げた裕樹に、相手は「悪口じゃないよ」と笑った。そうして今度はギュウッと可愛がるように抱き締めてくる。 「じゃあ、遠慮なく俺が貫通式をしてやろう」 言うと同時に唇をさらわれた。もう最初から遠慮なく舌が滑り込んでくる。やっぱりどうにも対抗できない裕樹はただ相手に縋りつくしかできず、徐々に床に押し倒された。 「ん、んん…ん!」 素肌を撫でていた手が乳首を掠めやわやわとつまみ始めた。塞がれた口で満足に声が出せず、酸素を求めて顔を離そうとするのを追ってこられて逃げられない。抵抗がままならず、やがて体の力が抜けてきた頃を見計らって、唇が耳から首筋を辿って愛撫しながら下へ移っていく。気付かぬ内に下着の中に手を入れられ中心をやわやわと握りこまれた。 (うわ…なんか…すごい) つい数分前までは、相手を見つけて行為に及ぶ大人達を信じられない思いで見ていたのに、今は自分がそっち側にいる。おまけに気持ちイイ気がする、ってか気持ちイイ。 好きでもない人間に触られるってどうなんだろうか? と思っていたが、やっぱり男は下半身の生き物だと妙に感心しつつ、裕樹は与えられる快感に素直に身を委ねた。 「素直だな、可愛い」 正直に反応を返す裕樹に、相手はご満悦のようだ。 優しく、でも容赦なく高みへと導かれる。呆気なく一度目の精を相手の手の中で放った。荒く息を吐く裕樹にチュッと何度か軽いキスをくれた相手は、精液の付いた手を後ろの方へ滑らせた。 反射的に体が跳ねる。そんな裕樹を安心させるように、相手はもう片方の手で頭を包みこむように撫でてくれた。 「挿れてもいいか?」 耳元で囁かれた。 やっぱり優しいけれど、少し掠れていて、こっちまで一気に熱が高まるような声だった。 これで先輩にも抱いてもらえる、当初の目的を自然と思い出し、裕樹はコクリと頷いた。
自分でも弄ったことのない、本当にバージンのそこを相手は丹念に解してくれた。裕樹が自分でも触ったことがないと分かると、一度部屋から出てジェルを片手に戻ってきた。そうしてまた根気よく解しにかかる。 その間、妙な違和感や異物感、たまに感じる快感なんかを、裕樹は唇を噛んで耐えた。その内違和感よりも快感の方を感じる時間が多くなり、本数が増えて中で動く指に合わせて、我知らず腰が揺れたりする。 「ふ、う…あ、はぁ」 じわじわと来る快感に、じれったいような気がし始める。どうしていいのか分からないが、もっとガツンと決定的な何かが欲しくて仕方ない気がしてきた。 「うぅ、う~…」 同じところを行ったり来たりしているようなもどかさに、思わずそうじゃないと首を振りながら抗議にも似た声を漏らした。 「ちょっと待て、この辺りだと思うんだよな」 裕樹の言いたいことを察したらしい相手は、そう言い中の指で何かを探った。瞬間、ビクンと裕樹の背がしなった。思わぬ反応に裕樹自身もびっくりする。 今度はしっかりとその部分を相手の指が擦った。 「あぁ!」 今までとは比較にならない大きさの声が、意図せずにあがった。自分の反応が信じられず、目を見開いて相手を見る。目が合って、相手がニヤリと笑った気がした。頭の中が真っ白になるような快感の渦が背を駆け上がってくる。逆らいきれずに、耳を覆いたくなるような喘ぎが漏れた。 「そろそろ挿れるぞ」 相手はそんなことを言った気がするが、頭で意味を理解し返事をする余裕はなかった。 「いっ…!あっ、あ―――!」 今まで中を掻き回していた異物がなくなったかと思うと、次の瞬間には圧倒的な質量の熱いモノがグッと押し付けられ入ってきた。 「う、うう、う…う」 息を詰めて強烈な衝撃を堪えている裕樹が落ち着くまで、相手はまたその頭を撫でながら動かずに待ってくれた。 「大丈夫か?」 そんなこと言われたってよく分からない。裕樹は微妙に頷いた。 相手はそんな戸惑いを見抜き、面白そうに笑った。 「一気に挿れたからな、キツイか」 「…全部?」 主語と動詞がなかったが、相手はちゃんと言いたいことを分かってくれた。 「ああ、全部だ」 そう言い、軽く揺すられた。 「うあ、あぁ…」 じんわりと気持ちよさが湧いてきた。 そんな反応もしっかりキャッチしたらしい相手は、ゆっくりと腰を動かし始めた。 「ん、んん、んぁ…」 快感だ。これは確かに快感だ。自分で慰めるのとは全然違う感覚に、裕樹の目から涙が零れた。 「分かるか?」 何が? と聞かなくても分かった。 分かる。確かに分かる。自分の中で動く相手のモノの形から、その興奮、それに与えられる感覚も。 裕樹はうんうんと何度も首を振った。 こんなに全てが敏感になったことはない。脳みそは考えることをやめ、ただ肌が感じる情報に素直に喘ぐ。 何回か揺すられ裕樹が達する。 相手が低く呻いて「中にいいか?」と訊いてきた。 その意味を考えることもできずに、ただ頷いた。次の瞬間、中のモノが大きくなり弾けた。相手は全てを出し切るように何度か腰を動かし、裕樹の中から出ていった。 ゴソゴソと動いている相手をぼんやりと見つめる。相手はゴムの口を捻って縛り、ゴミ箱に投げ捨てた。 それを見て、相手が生ではなかったことを知った。 (…よく考えたら生だったら中ってヤバイじゃん) ぼんやりしつつもそれくらいの思考は働いた。相手も予防のための安全策なのだろうが、それなりに常識のある人でよかった、と安堵する。 相手はやけに楽しそうに、自身で飛ばしたモノに汚れた裕樹の体を拭っている。一通り後始末を終えるとまた部屋を出て行き、戻ってきたときには手に飲み物を持っていた。それを裕樹に向けて差し出しながら「平気か?」と聞いてくるのに、頷いて答え飲み物を受け取った。 相手は優しく肩なんて抱いてきたり、髪を撫でたりしてくれる。初めて会った名前も知らない相手なのに、なんだかこのひどく甘い時間がまるで恋人同士のような錯覚を起こさせる。 「あの…」 裕樹がおずおずと口を開くと「ん?」と、相手が顔を覗きこんできた。 優しいけれど、どこか猛禽類のような鋭い目だ。心臓がドクドクと音を立てる。 「あの、いつもここにいるんですか?」 「なに? 俺に惚れた?」 「なッ…! 違うよ! いっつもこう言う場所でしてる人だったら色々と危ないだろ! その…あの…」 半分本当で、半分嘘だ。 あんまりこの男が優しくて、初めての行為もよかったから、もしかしたら少しくらい好きになっているかもしれない。でも、落ち着いて考えてみれば病気は真剣に心配だ。だが、それをストレートに口にしていいのか迷ってしまった。 「大丈夫だぜ。俺先月検査したときは陰性だったから。それにこう言う場所も初めてだ」 「そうなの? てっきり…」 手慣れて見えたから常連なのかと思った。 「あんま歓迎された行動じゃねェけど、ちょっと見てみたくて見学しにきたんだ。したらタイプがフラフラしてたからラッキー」 タイプ、ってのはこの状況ではどう考えても自分なんだろうな、と裕樹は思った。 「俺今フリーだから、どう?」 「え? どうって…」 予想していなかった誘いだった。本気か冗談かも分からない。何となく惹かれている気がしないでもないが…。 「―――でも先輩がいるもんな」 困ったように黙ってしまった裕樹を気遣うようにそう言い、頭をポンポンと叩く。 結局お互い名前も名乗らず、次の約束もせず、とりとめのない話をしてそのまま別れた。
裕樹はドキドキしながらバスケ部の部室にいた。大好きな篤志を待っているのだ。立ったり座ったり、一秒もジッとしていられない。
今日の昼休み、裕樹は再度篤志に告白した。そのときの返事が、 「放課後、部室で待ってろよ」 であった。
ついに、ついにである。嬉しいやら緊張するやら。過呼吸気味な自分に気付き、大きく深呼吸を繰り返した。 そのとき、物音がして扉が開いた。篤志が部屋に入ってくる。 「よお、待った?」 ブンブンと首を振る。 (やっぱりカッコいい) 軽く微笑みながら目の前に立つ篤志を見上げ、思わず裕樹はボ~っとなった。そんな彼を見て篤志は笑みを深めると、そうっと裕樹の頬を撫でた。 「色気が出た」 「へ? 色気…?」 「ちゃんと俺の言ったこと守ったな。素直なヤツは嫌いじゃない。約束通り抱いてやるよ」 色気ってなに? と思っている裕樹に、篤志の顔がゆっくりと近づいて来る。 下手な芸能人より余程整っている篤志の顔を見ながら「まつげ長い~」などと、呑気に思っていたらトントンと扉をノックする音がした。 「篤志、いるんだろ? 磯貝が呼んでるぞ。進路指導室に来いってよ」 外から名前を呼ばれ、篤志がチッと舌打ちする。 「帰ったって言ってくれよ」 「進路の話みたいだぞ。志望校W大に変えたヤツがいるんだと。推薦枠、取られちゃうかもよ」 「…んだよ、それ」 端正な顔を顰め篤志が裕樹から離れた。扉に向かい鍵を開ける。カチッと音がして、ガラガラと扉が開いた。 「悪いね、邪魔して。でも大事な話だろ?」 銀縁の眼鏡をかけた、涼しげな顔立ちの男が笑いながら顔を覗かせた。 「ったく、誰だよ、そいつ。小島、ちょっと待ってて」 篤志は文句を言いながらも、裕樹とのことを先延ばしにするつもりはないらしい。そう言うと部屋を出て行った。代わりに篤志を呼びにきた眼鏡の男が部屋に入ってくる。 「ごめんな、もう少しだったのに」 「や、いや…」 今からここで何が行われる予定だったのか、この男は知っている。篤志に言ったセリフと言い、今のセリフと言い、絶対に知っている。そう思ったら裕樹は羞恥で男の顔をまともに見ることができず、思わず俯いた。 「大好きな先輩の言いつけ守ってやっと抱いてもらえるところだったのにな」 「はい、本当に…」 その通りです、と続けようとして、裕樹はハッとして顔を上げた。 「なんで…」 「知ってるかって?」 ニヤニヤしながら見下ろしてくる眼鏡の男の顔をジッと見る。 この目、優しいのに猛禽類のような鋭い目。 「…あんた、あのときの」 「俺ってホントにラッキー。たまたま行ったあそこでお前に会えて」 「え? え? …おれのこと知ってたの?」 混乱して思考がまともに働かない。なんかもっと他に色々聞かないといけないことがあるような気がするが、今はそんなセリフしか出てこなかった。 「言っただろ? 忘れた? お前のことタイプだって。ちゃんと知ってたぜ。でも俺浮気はしない主義だから、恋人がいる間はただ単に可愛いヤツがいるな~、と思って見てた」 「え? え?」 「先月そいつと別れてさ、どうやってお前をモノにしようかなと思ってたら篤志に告ってて、結構ショックだったから憂さ晴らしにあそこに行ったんだよね。したらお前がいたから近づいた」 「―――見学しにきたって…」 あのときはそう言っていたはずだ。 「狙ってたヤツ前にして、遊びにきたなんて言う訳ないだろ?」 「えぇ~…?」 それってどう言うこと? ってか、この状況はどう言うこと? やっぱり混乱している裕樹に、男が近づいてきて顔を覗き込んできた。 「なぁ」 ゾクッとするような声で囁かれた。 「マジで俺にしろよ。篤志とはまだヤッてないんだろ?」 裕樹は思わず後ずさった。 「あいつ悪いヤツじゃないけど、結構飽きっぽくて一回ヤッたらポイされるかもしれないぜ。実際付き合ってやるとは言われてないだろ?」 いやいや、裕樹は真剣に首を振った。先輩はどこかで処女を捨てたら抱いてくれるって言ったんだ。 「よく思い出しな。抱いてやるって言われたんだろ? それはあいつにしたらそのまんまの意味だぜ」 「………」 「その点俺は浮気はしねェし、体の相性も良かっただろ?」 確かに、あのときのセックスは気持ち良かったけれどと、思わず逡巡してしまう。 「親友のモノに手を出さないってのも俺の主義だからさ、今決めな。俺か、篤志か。お前が篤志を選ぶなら、俺は今後一切お前には手を出さない」 「でも、先輩に…」 どう言えばいいんだよ。 「あいつには俺が言ってやるから。手を出す前ならあいつも文句は言わないさ」 「手を出す前って…そんな」 おれとはヤルだけってこと? 自分も気持ちのイイセックスに流されかけているのに、ショックを受ける。 「体から入る恋愛もアリだぜ。どうする?」 どうって、そんなこと言われたって。裕樹は途方に暮れた。 「あいつが戻ってくる前に決めろよ。俺か、篤志か」
壁際ギリギリまで追い詰められ、背筋が震えるような視線と声で攻められる。 大好きな先輩か、気持ちのイイ初体験の相手か。 裕樹は泣きそうになりながら必死になって考えた。
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