ああ、なんてことだろう。 道路の向こう側に立つ、長身の男。 射抜くような視線にさらされ、慌てて身をひるがえして逃げた。 でも、わかってる。こんなことは意味がない。
僕の逃亡劇はわずか1カ月で幕を閉じた。
ドンッと、大きな音でドアが叩かれる。 僕は息を潜め、布団を頭からかぶって身を縮こませた。 気晴らしに買い物に出かけて、慌てて舞い戻ってきたのが約15分前。 声は発さずとも、ドアの向こうに禍々しいオーラを感じる。 間違いない、あの男だ。 やっぱり家まで知られてる。
誰にも、此処のことを教えてないのに。
ドンッ、ドンッ
ドアが揺れるのがわかるほど強い力で叩かれてる。 いつかドアが壊れてしまいそうだ。
「…居るんだろう?」
久しぶりに、とは言っても1か月前までは毎日聞いていたその声を忘れるわけもない。 相変わらず、甘くて背筋がゾワゾワする厄介な声だ。
僕は何も答えない。
「おい、リキ。」
僕の名前は『力』と書いて、リキと読む。 でも完全に名前負けしていて、見た目は細っこくて貧弱な情けない男だ。 だから逃げ出した。
「返事をしてくれ。」
懇願するような声色に、思わず声をあげそうになった。 駄目だ、あんなのは演技でしかない。本当は恐ろしい男なんだ。 僕は突然昔読んだ童話を思い出した。 『オオカミと七匹の子ヤギ』今まさにあんな心情だ。 僕は思わずクスリと小さく笑う。
「リキ。」
「なぁ、リキ。」
「会いたい。」
「リキ。」
「リキ。」
何度も繰り返される僕の名前。 1か月前までは呼んでくれないことが不満だった。 それが今、嫌というほど、連呼されている。
「くそっ。」 荒々しく吐き捨て、思い切りドンッと大きくドアが叩かれる。
そして、静かになった。
僕は息を殺す。 まだ、居るのかもしれない。 10分、10分したらドアの覗き穴を覗こう。 時計の針が進むのが異様に遅く感じながら、僕は10分待った。
慎重に、慎重にドアに近づく。 音をたてないように、気配を消しながら。 そっと、覗いた覗き穴には誰も映っていない。
帰ったのだろうか。
僕の頭の中で警報が鳴る。『そんなわけない』と。 心臓がバクバクと鳴る。このドアは開けてはいけない。
ホラー映画によくあるパターンで物音がしたほうへ行くと、襲われるってことがある。 見ながらいつも思ってた、僕なら物音がしたほうを確かめたりしない。
けど、今ならホラー映画の主人公たちの気持ちがよくわかる。 物音を確認してしまいたくなるのには、確かに好奇心とかそういうものもあるだろう。 けど、もう一つ理由がある。
安心したいんだ。
恐怖はもう、無い、と。
僕は鍵を回して、そっと、ドアを開けた。
わずか数センチだ。 外の景色がほんの少し見えるようになったその瞬間。 ガッと音がして、隙間に何かが入った。
「ぅわ!!」 僕はびっくりして、思い切り閉めようとした。 「いてっ。」 ドアの向こう側で声がする。 見ると、隙間から滑り込ませたのはあの男の指だった。 「あ、ぁ…。」 相手の指を挟んでしまうということもあり、上手くドアを閉められない。 僕がもたつく間に、その指に力がこめられていくのを茫然と見つめる。
ぐいっと、ドアが外側に開かれ、ドアノブを握りしめたままだった僕は外へ引きずられながら出た。
「よぉ。」
ニヤリ、という効果音が似合いそうな顔で、男は笑った。
「ゃ、ぁ…。」 言葉にならないほど震える僕をドアを押さえてたほうとは別の腕でひょいと抱き上げる。 たくましい体はあいかわらずガッシリとして、僕を片手に抱え上げても震えることもない。
「邪魔するぜ。」
男は僕の部屋にはいり、後ろでにドアを閉める。 バタンッと外界へ通じるドアが閉まるその音は、まるで死刑宣告のようだった。
荒々しい性行為のため、僕は意識を飛ばした。
目をパチッと開けて隣を見ると、男が静かに眠っている。 僕は気だるい体を起こすことが出来なくて、もぞもぞとうごめいて男から離れた。
すぐに男の手が伸びてきて、ぐいっと引き寄せられる。
「何処へ行く?」 眠ってたんじゃなかったのか。 「何処にも行けない。」 こんな体じゃ、満足に歩けない。 僕が不機嫌にそう言ったのに、男は嬉しそうに笑う。 「そりゃ良かった。」 そして、僕の首筋に吸いつく。 まだ敏感になってる僕の体はそれだけで震える。 「もう一回シようぜ。」 「…冗談でしょ?」 そう乾いた笑いで聞いたけど、男の目が本気だったため僕は絶望を感じた。
もう、出ない。 僕の大事なところは反応を示すものの、もう吐き出す気力もないのかトロトロと薄い白濁色の液を流すだけ。 それなのに、男のモノは熱く硬くなって僕の中をグリグリとかき混ぜる。 快感だけが僕の中を駆け抜けてく。
「んっ・・・・っぁ、うんっ。」 吐き出されない快感は苦しいだけで、僕はもう止めてほしくて哀願するように男を見つめた。 その瞬間、僕の中で男のモノがさらに大きくなるのがわかる。 なんで!?
「も、止め…て。」 男は僕の言葉になにも答えず、笑う。 動きが激しくなって、ラストスパートをかけてることがわかった。 お人形のようにゆさゆさと揺さぶられて、僕は少し気持ち悪くなった。
どくっと、音が聞こえた気がする。 僕の中に熱い液体が流され、快感で震えるのに、僕自身は吐き出せない。 体だけが熱くなって、すっきりもしない。
「女だったらきっと孕んでる。…お前が女だったら良いのに。」 ぎゅっと抱きしめられ呟かれ、僕は熱くなった体が一気に冷えてくのがわかった。 また、これだ。
僕がこの男と別れたいと思った原因の一つ。 『女だったら良いのに。』 この男には女性のセフレはたくさん居る。 そんな中では僕だけが異色だった。 だからなのか、なんなのか理由はわからないけどこの男は僕に女になって欲しいらしい。
そんなに女が好きなら、女のとこへ行けばいい。 そう思って「別れて。」と、そう言ったのが1カ月ほど前。 それから3日間僕は男の部屋に軟禁されて嫌というほど、セックスを行った。 孕んでくれ、俺の子を産め、とわけのわからないことを3日間言われ続け、僕は恐怖で逃げ出した。
「っ、もう、抜けっ…。」 僕はそう言って、男から離れた。 ズルリと体内から異物が抜ける感覚にゾワリとしたけど、なんでもないように装う。 「…リキ。」 頭を撫でられる。 「寝るのか?なぁ、リキ。」 思った以上に男の声が優しいので、僕は少しだけ泣いた。
男同士、の不確かな関係が嫌で仕方がなかった。 いつか置いていかれるのではないか、捨てられるのではないか、という恐怖にかられる。 そんな時、セフレの一人から「子供が出来たから責任とって。」と言われた。 それはすぐに俺の子じゃないことが判明したけど、俺はその提案に驚くほど衝撃を受けた。 そうか、子供が出来たら永遠に一緒に居られる。
『愛』なんて不確かなものよりはよっぽど現実的だ。
リキはどう足掻いても男なので、妊娠することは出来ない。 わかっていても、俺は願ってしまう。
お前が女だったら、喜んで責任を取ろう。 だから俺の傍から一生離れないでくれ、と願いを込めて綺麗な顔で眠るリキの柔らかい髪の毛にキスを落とした。
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