それから1週間がたち、烏森はどこか疲れた表情で休憩コーナーに腰をおろし、 今日2箱めとなる煙草の箱を開けていた。 「…ああ、高山。」 同期で経営企画室所属の高山信吾が駆け寄ってくる。 高山は同期の中でも大のイベント好きで、彼の提案により入社前には「親睦会」 入社後には「懇親会」なるものを開いていたので、烏森の代の同期は結構仲が良かった。 「烏森って煙草吸うんだっけ?」 「…まあな。」 1mの軽いものだが、本当は煙草に手を出すなんて高校以来のことだ。 高校時代、悪友達と粋がってふかしているところを汐留に見つかって 「身長止まるぞ。いいのか?」 と脅されて以来、ずっと吸っていなかったから。 「なんか元気ないな。大丈夫か、お前。顔色悪いぞ。」 一本くれと言われて差し出しながら、烏森はあいまいに頷く。 「ま、仕事始めてもうすぐ1ヶ月だし、今までの疲れがでてきちゃってるのかもな。」 「…そうかな。」 確かにそうかもな、と思う。 外回りが始まって、鳴瀬と行動を共にするようになってから 朝会社をでて戻るのは7時過ぎ、それから書類の作成等で結局会社を出るのは10時過ぎ。 家には寝に戻るだけの慣れないハードな生活に、 体がちょっとまいってしまっているのかもしれない。 だから毎日に張り合いを感じないし、 …気づくと何故かフロアー内に目線をうろうろとさまよわせてしまっているのかもしれない。 「そんな烏森くんに、疲労を吹き飛ばすお誘いがありま~す」 にしし、と高山が嬉しそうに顔を緩めて 「サクライズジャパンの受付嬢達との合コン、本日19時半、場所は有楽町。 もちろん来るよな?」 急な欠員がでたんだよ、と拝まれて押し切られ、「仕事が早く終わったらな」 と結局承諾させられてしまう。 「後でメール送るから」とぶんぶん手を振りながら 自分のフロアーに帰っていく高山の背をじっと見ながら 烏森はやっぱり俺疲れてるんだなあとため息をつく。 なんたってあんなに欲しかった彼女を得る最大のチャンスが到来しているというのに、 ちっとも嬉しくならないのだ。それどころかめんどくさささえ感じている始末。 どこから聞いたのか「今日合コンなんだって?頑張れよ。」と 仕事を予定よりかなり早く切り上げさせてくれた鳴瀬に頭を下げながら駆けつけた店の中で ランクの高い女の子達にかこまれてもその気分は全くかわることがなかった。 「烏森さんって珍しいお名前ですね。」 隣の席の女の子が、どうぞとビールを継ぎ足してくれる。 ピンクのニットが良く似合っているかなり可愛い女の子。 話をあわせているうちに、気がついたら携帯の番号とメールアドレスを交換して 「また会ってくださいね。今度は二人きりで。」と囁かれていた。 「…こんなにあっけなくていいのかなあ?」 女性達が揃ってトイレにたったとき、烏森が煙草をくわえながらぽつりと呟くと 「何言ってんだ」と高山が笑いながらその背をどん、とつく。 「お前、結構ハンサムくんじゃん。同期の子達の中でも、狙ってる奴いるんだぜ。」 俺、今日の合コンにお前を誘ったこと知られたら首しめられちゃうよ、とおどけて その場の笑いをかう。 「え?そうなの?」 眼を丸くして問い返すと「わざとらし~」と男性陣からブーイングの声。 「違うって。だって俺、彼女いない歴8年だぞ。」 あわてて言うと、高山が「まあ、そうだろうな」と大きく頷く。 「なんだよ、お前。その『そうだろうな』ってのは。」 さすがに烏森がちょとムっとして高山をこずくと、 高山がだってさあ、とからかうような笑みを浮かべる。 「入社前に何度か飲んで思ったけどさ。烏森って汐留にべったりだったじゃん。」 突然でてきた『汐留』の名前に烏森は視界が一瞬赤く染まった気がした。 体温が1,2度上昇し、なんだか嫌な汗もでてきた気がする。 しかし、ちょっと待て。 「…なんで俺が奴に『べったり』なんだよ。べったりしてきてたのは奴のほうだっ。」 そうだ。そのせいでずっと引き立て役になってて、彼女だってずっとできなかったのに。 なんで俺が、『汐留にべったりだった』なんて言われなきゃならないんだっ。 そ、それに『べったり』ってなんだよ、『べったり』って。 ただ、…いつも一緒にいただけじゃんか。 「だってお前、いっつもいっつも飲んだくれては汐留に送ってもらってさ。 汐留、お前の送り迎えのために車で飲み会に来てたじゃん。俺、初めて気がついたとき ほんと、驚いたんだぜ。」 最初は飲めないの奴なのかと思ったけど、この間飲んだらザル通りこしてワクだったから それにも驚いたけどな、と笑う。 「…何、それ。」 確かに「電車乗るのめんどくさいし」「家近いからお前も乗っけてってやる」とか言われて 毎回汐留の車のお世話になってたけど、それは結構俺と汐留の間じゃあ、普通のことで。 汐留が免許を取ってからずっと、大学にだってあの車で送ってもらってたし。 「お前、本当に車好きなんだなあ。 でも、それならもっとカッコイイのに買い換えればいいのに。 これじゃ女の子だって嫌がるだろ?」 おんぼろの、中古の青い車。 二人してわいわい騒ぎながら選んで、汐留がバイトして貯めた金で買った車は 大学生になっても身長が伸び続けた汐留には、おかしいほど窮屈で小さかった。 「いいんだよ。」 なんど言っても汐留はその車を手放さなかったし、この間の箱根にだってその車で ぎゃあぎゃあ文句を言い合いながら出かけたのだ。 「…汐留が、そんなこと言ったのか。お前に。」 ていうか、なんで高山と汐留が俺の知らないところで飲みに行ってんだよ。 俺が何度声をかけても、最近の汐留は視線すらあわせてくれないのに。 …なんなんだよ、それ。 烏森の顔色がさっと変わったのに気づいて、高山がちょっとしまった、という表情になる。 「い、いや。別にさ、汐留はそんなこと言ってないし俺の邪推だけどさ。」 それよりさ、と高山。 「汐留、お前のこと心配してたぞ。烏森が彼女が欲しいらしいから、 お前紹介してやってくれって、俺ももう今までみたいにかまえないしってさ。」 ああ、永田さんがいるもんなあ、と高山の横から声があがる。 「うっそ、やっぱそうなのか?ひとまわり以上、離れてるんじゃないの?」 「でも永田さんってすごい色気あるし。 あんな人に手なずけられたら、俺だってまいっちゃうかもっ」 「お姉さま~ってか?」 下卑た笑い声があがる中、烏森の顔色は益々悪く、視界はとうとうぐらぐらと揺れだした。 なんだよ、それ。 なんだよ、それ。 ―なんなんだよ、汐留!! 「悪いけど俺、帰る。」 烏森はがたりと勢いよく席をたち、 5千円札をテーブルの上にたたきつけて「足らなかったら後で言ってくれ」と 呆然としている男性陣を残して店を出る。 とにかく、確かめなくてはならない、と思う。 何をかはわからなかったけれど、このままでいいはずはけしてない。 電車の中でもいらいらと足を踏み鳴らし、最寄り駅の改札を出ると一目散に走り出す。 自分の家とは駅をはさんで正反対の方向にある汐留の自宅に着き インターホンを押そうとした手がしかしあるものを視界にとらえてぴたりと止まった。 「…え…?」 白く光るスポーツカー。 どうみても新品で女性がきゃあ、と悲鳴をあげて喜びそうな車が青い中古車のかわりに 汐留家の駐車場を占拠していたのだ。 烏森が視界にはいってきたものを信じられない面持ちでぼうっと見ていると、そこへ 「…烏森?」 振り返ると、驚いた表情の汐留が、赤いBMWの助手席からおりてきたところだった。 そして運転席には、ワインレッドの口紅を楽しげに揺らめかせている永田課長。 「あ……」 烏森は目の前に叩きつけられた『噂話』ではない『現実』に、 足元ががらがらと崩れ落ちていく気がした。 「どうしたんだよ?」 近づいてくる汐留を見つめたまま首を振りながら、烏森はじりじりと後退る。 「お、俺、俺…」 そしてごめん、と汐留の横をすり抜けてその『現実』から逃げ出そうとした、その時だった。 「お待ちなさい。」 いつの間にか車から降りてきた永田課長が、がっと烏森の腕を掴む。 「は、離してくださいっ。」 じたばたとあばれる烏森をなんなく抑え、課長は仕方ないわねえ、と笑うと その烏森の体をぽん、と汐留に投げてよこす。 よろめく烏森をあわてて支えた汐留に課長はウィンクもひとつおまけに投げると 「アタシを利用するのは10年早いわよ。邪魔くさいから、早くまとまっちゃいなさいな。」 と笑って「じゃあまた来週ね」とひらひらと手を振り、呆然としている2人を残して 赤のBMWで走り去っていってしまった。
とりあえずあがれよ、と促されて数週間ぶりに汐留の家に足を踏み入れる。 両親とお姉さんは留守なのか、家中が重く、しんと静まり返っていて 烏森は早くもここに来てしまったことを後悔し始めていた。 「ほら。」 おどおどと落ち着かない烏森に、汐留が珈琲をいれてくれ、 「…あ、ありがとう。」 ドリップ珈琲の良い香りに、少しだけ烏森は気持ちが落ち着いた気がする。 かち、かち、という時計の音だけが響き渡る汐留の部屋で こうやって珈琲を飲んで向かい合っているなんて つい数日前までは当たり前の光景だったのに、今じゃそうしていた頃から もう数ヶ月がたってしまったように思えて烏森は深く俯く。 「…それで、一体どうしたんだよ。」 汐留がいつまでたっても何も言おうとしない烏森にじれたのか、 促すようにそう問いかけてくる。 「今日は高山たちと合コンのはずだろ?…お望みどおり可愛い彼女ができたって わざわざ俺に報告しに来たのか?」 冷たい声。顔をあげると、やはりあの日と同じ冷たい眼差し。 「…なんだよ。なんで、…そんなこと、言うんだよ…!」 しわがれた声。 歪んだ視界。 そして、…驚いたように眼を見開く汐留の顔。 「…おい、烏森?」 「お前なんか、永田課長とよろしくやっちゃって。俺が、俺が邪魔なのか? お前、俺が邪魔になったのかよ?」 だからこんなふうに離れていくのか。 俺なんかいなくても、お前は全然平気だって、そんな顔して。 烏森は涙がでないようにきつく歯を食いしばりながら、ぎり、と汐留を睨みつける。 「車だって、あの青い車だって、俺、大好きだったのに!お前と俺の車だったのに!」 そうだ。なんど言っても買い替えない汐留のことを、 烏森はどこかで「でもそれは当たり前だ」と思っていた。 だって、あの車には汐留と俺の思い出がつまってるんだ。二人っきりの楽しかったことが、 たくさん乗ってる。ぼろくても、女の子に嫌われても、だから俺はあの車が大好きで 「これでいいんだ」と言ってくれる汐留の言葉が聞きたくて、…今にして思えば 何度も買い替えを勧めていたのかもしれない。 ああ、そうだ。 なんで今まで気がつかなかったんだろう。 なんで今まで汐留が側にいなくても平気だなんて勘違いしていたんだろう。 数日間、たったそれだけの時間でこんなに気が狂いそうになっていたのに。 「俺は…!」 ひくっと喉の奥で言葉がつまる。それでもなんとかその声を絞りだそうとしたとき、 「烏森。」 その烏森をじっとみつめていた汐留の瞳が、小さく揺らいでそれを制す。 「…いいのか?」 それを認めて、こっちに来て。お前はそれで、本当に後悔しないのか、と。 汐留の問いかけの意味を理解したとき、 烏森は今まで自分が彼にどれだけ甘えきっていたかを思い知らされた。 そうだ。彼は、…彼はずいぶん昔から自分の本当の気持ちを知っていたのだ。 怖くて見ないふりをしてきた自分を、ずっとそれでもいいと見守って、 同じように見ないふりを続けてきてくれたのだ。 烏森の目の前に、そして尚も彼は手をさしのべて、こう言った。 「ここで俺の手を振り払えば、お前は戻れるんだぞ。」 今まで通りの生活。 毎日にくだをまいて、不平不満を笑い飛ばして、年をとっていく、生活。 「…でも、そこにお前はいないんだろう?」 細い細い声に、汐留はこくりと深く頷く。 「そんなの嫌だ!もう、お前がいないのは、嫌…!」 悲鳴のように切ない声をあげて、汐留の腕の中に飛び込んできた烏森を受け止めて、 汐留はぎゅっと眉をしかめる。 そしてそっとその身体を自分のベットに横たえながら、小さく呟いた。 「…ごめん。」 ごめん、烏森。 俺はお前に無理やり、この道を選ばせた。 だってわかってたんだ。 俺は、こうなることを知っていたんだ、烏森。 お前が傷つくとわかっていても、それでももう我慢できなかったんだ。 「汐留…!」 腕の中のいとおしい彼が、自分を求めてこの名を呼ぶ。 その幸福とそれを無理やり彼に強要した自分のずるさに、汐留は少しだけ涙を流して 烏森の身体をぎゅっと抱きしめる。 「…汐留。」 その時汐留の肩がぴくりとはねた。 「…烏森?」 烏森は汐留の頬を両手で包み込み、その顔を自分のほうへひきよせて 汐留の目元に口付けて、そうして静かに笑ってみせる。
…その後、青い車は数日間後に車検を終えて汐留家に戻ってきた。 (白いスポーツカーは遊びに来ていた従弟が乗ってきたものだった) 合コンを途中でぶっちぎってしまった烏森は、汐留に付き添われて高山に謝りに行った。 その時お知り合いになった女の子には、丁重にお断りを(自分でするからとあばれる烏森を 押さえ込んで汐留が)申し出た。 永田課長にはおもいっきりいやらしくニヤっと笑われて 「今度みせなさいよ?」と謎の約束をさせられた。 そしてもうすぐ来るGWには、「予約困難で予約受付開始日の開始時間10分後には 満室になってしまうという超話題の伊豆の老舗旅館」に二人で旅行に行くつもりだ。 あの青車に乗って、いつものようにぎゃあぎゃあとわめきながら、 こっそりギアの上で手を繋いで。
You say good-bye, I say hello. 「そう、『さよなら』を言ったのは君だけど …それでもその答えを選んだのは、僕だから。」
FIN.
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