はじめから分かっていた。
黒崎が、俺を見てなどいないことは。
ただ、傍にいたら、いつかは気を換えてこちらを振り向いて見てくれるんじゃないかって・・・自分に 都合のいい夢みたいな結果を思い描いて、始めた関係だった。
その時は、気のせいだと思った。
告白するつもりで呼び出したものの、何だかんだで少し時間に遅れた。慌てて階段を駆け上がり、 廊下を疾駆する。・・・と、待ち合わせの教室に影が見えた。
息を切らせて駆け込んだとき、傍にいた影がビクンと震えて離れた。
(――――え・・・?)
その人影は、夕焼けに染まる教室を慌てて出て行った・・・顔はよく見えなかったけれど、誰かに似 ていた。見間違いでなくば、矢沢に似ていた・・・ような?
いまのは・・・なんだったんだろう? 黒崎のひどく近くにいて、顔を近づけていた。 まさか、キス、してた・・・とか? いやいや、自分が男を好きだからって、そんなあっちにもこっちにも ホモ(しかも黒崎狙い)がいると思えない。
ちらりと見ると、黒崎はどこか憮然とした様子で俺を睥睨していた。
「本間、遅かったな。・・・で、何の用だ?」
もしかして、機嫌、悪いんだろか? いつもは、もっとモソっと喋る黒崎がやけにはっきりとモノを云 う。機嫌の悪い顔をした黒崎は、背の高さとイケメンゆえに、ちょっと・・・かなり怖い感じだった。
「・・・ふぅん、つまり、俺の『彼女』になりたいってことか?」
そうなるんだろうか? なんとなくニュアンスが違う気がしつつも肯くと、黒崎はあからさまな嘲笑を浮かべる唇を寄せてきた ――――と思ったら、キス、されていた。
「こういうこと、したいんだろ?」
味気ないキスのあと、そっけなく云われた。だけど、すぐ傍で好きな相手の綺麗な顔を見つめるうち に、そのとおりだと思ってしまった。
黒崎は俺にないモノを全部持っている。モデルみたいな綺麗な顔、180を余裕で超える身長、男っ ぽい仕草や耳触りのいい低い声、バレー部のエースで頭だって上位クラスだ。 腹が立つくらい完璧で―――だから、最初は反感しかなかった。それが憧れへと変わったのは、い つ頃からだったか。
黒崎は普段は周囲のことに関わらず、どちらかというとマイペースにしているのに、事が起こると物 凄く頼りになるんだ・・・って知ってからだろうか。 たまたま覘いていた体育館でバレー部の誰かが怪我をした時、黒崎は率先して動いた。その時の 光景は、なんて云ったらいいんだろう? 強いオスに率いられる集団って感じだった。
てきぱきと顧問にまで指示して車を出させて、周りは「さすがエース」だなんて茶化してたけど。
だから、やっぱり馬鹿みたいに肯いた。
「おまえは・・・仮にもクラスメイトだから、先に忠告してやる。俺がいま欲しいのは、『やらせてくれ る』相手だ。それでも良ければ・・・付き合ってやるよ」
酷いことを云われている―――――そう思ったけれど、この時も、楽観的に受け止めた。初めは身 体からでも、いいかな・・・っと。
だけどそれは、いま思うと黒崎の『最後の』思いやりだった。
父子家庭で、現在父親が出張中だという黒崎の家は、意外と綺麗だったけどがらんとした印象を与 える。
ベッドに顔を押し付けられ尻だけ出させられて――――たぶん最初にやった時に血塗れの惨状に なったからだと思うんだけど――――たっぷり濡らされ、解される。だけど、丁寧な扱いはそこまで だ。
「・・・っ、い、痛い、いた・・・」
太くて硬いモノが容赦なく肉を分け入ってくる。もう無理だと訴えたくなるくらい、深くまで。 前後運動が開始されると、俺は揺さぶられるだけのモノになる。
「く、黒崎、もっと、ゆっくり・・・・――――ん、むっ」
口元を煩いとばかりに大きな手で覆われて、呻くことしか出来ない。熱い吐息が耳に触れる。戯れ に伸ばされた手が前を弄り、機械的な愛撫に痛みが少しだけ弛む――――と。
「・・・くっ・・・はっ・・・!」
・・・黒崎は、自分が達するとすぐに体を離してしまう。余韻も何もない。
使用済みのゴムをゴミ箱に投げ捨て、「飲み物取ってくる」とおざなりに云っていなくなる。 取り残された俺は、尻を突き出した間抜けな格好のまま、半勃ちのモノをわびしい想いで自分の手 で扱いてティッシュに吐き出した。 泣きたかったけど、泣いたら余計惨めになりそうで・・・ぐっと堪えた。
あの日、告白した俺はあろうことか教室で黒崎に抱かれた。
躊躇うことなんて許されなかった。躊躇ったら、黒崎はすぐにでも居なくなりそうで・・・自分で制服を 脱いで、そして。
あの日から、週に二度は黒崎に抱かれ―――・・・いや、抱かれてはいない。 黒崎の性欲の処理の道具として、俺は使われている。
俺が黒崎の手でイったのは、最初の時だけだ。
意地に、なっているんだろうか? そう思わなくもない。 ここで逃げ出したら負けのような気がして、どんなに嫌でも、痛くても、黒崎に云われるまま、身体を 開いて――――痴態を曝け出している。
・・・ぼんやりと座り込んでいた俺の頬に、冷たいモノが触れた。見ると、黒崎が缶ジュースを手に傍 に立っていた。
「・・・・・飲むか?」
肯いて受け取ると、黒崎は何か云いたげにしながら目を逸らした。
――――意地に・・・なっているのかもしれない。そしてそれは、きっと俺だけじゃない。
見上げた瞬間に垣間見た表情――――眉宇をかすかに寄せ、気遣うような憂いを帯びた眼の色― ―――に、もしかしたら、黒崎はわざと冷たくしているんじゃないかって―――そんな風に思う事すら 都合のいい考えなのかもしれないけれど――――思ったんだ。俺が「もういやだ」って自分から離れ ていくように仕向けているんじゃないか・・・って。
じゃあなんで、黒崎は俺を受け入れたりしたんだろう?
最初から突き放して振ってしまえばよかったのに。俺がそのくらいのことで諦めたりしないとでも思っ たんだろうか? それとも、本当に『やらせてくれる相手』が欲しかった?
解からない。だけど、ただひとつ云えることは。
俺はいまでも、黒崎に惹かれている。戯れに触れられるだけでもいい、そう思ってしまうくらいには。
黒崎と俺の関係は、いつの間にか噂になっていた。 それは、そうかもしれない。クラスでも特につるむわけじゃないのに、校門の前や本屋、下駄箱で待 ち合わせて帰ってたら―――まして黒崎は男女問わず人気がある―――誰だって、少しは気にな るだろう。 それに気づいてからは待ち合わせはやめて、直接黒崎の家に行くようになった。
俺が黒崎を好きだと知っていて、告白したことも知っている同じクラスの矢沢も時折もの云いたげな 視線を投げてきたけど、答えてやる気はなかった。 だって、なんて云えばいい? 嘘でも「サイコー幸せ」・・・って云えって?
それに・・・俺は少しだけ、矢沢に嫉妬していた。
黒崎と同じバレー部で、以前は名セッターだなんて云われてた。 怪我をして補欠になったけど、それでもたまに出ると巧い。細身だけど背も高いし、柔和な顔をして て人当たりもいいから、友達も多い。黒崎とだって結構仲がいい。
・・・そこまで考えて、反省する。自分の気持ちを相談するくらいには気に入っていた相手まで、嫉妬 の対象にしてしまったこと。
結局のところ、俺は黒崎と親しい、彼に笑顔を見せて貰える人間すべてが気に入らないんだ。黒崎 を好きになるまで、自分のこんな醜さを知らずにいた。
黒崎の家へ行くときは、メールで互いの予定を確認していた。だけど、ある日、俺は唐突に予定をす っぽかされた。
家の前で一時間待っても彼は帰って来ず、その日は諦めて家に帰った。
翌日教室に現れた黒崎の姿に、俺を含めクラス全員がざわめいた。
殴り合いでもしたのだろうか? 左目の下は腫れ、唇が切れている。首や腕には引っ掻き傷のよう な痕。 見るからに痛々しい格闘の痕とおぼしき傷を、誰に問われても黒崎は「猫を追いかけたら転んだ」と 何故だか晴れやかな笑顔で答えていた。
そして・・・夕方、黒崎に屋上に呼び出された俺は、一方的な別れを云い渡された。
予感はしていた。
すっぽかされた約束、清々しい笑顔の黒崎。そして、黒崎の方からの初めての呼び出し――――だ から意外と平然としていられた。
その時までは。
理由を問うと、一瞬、らしくもなく口籠った。
「・・・前から好きだった奴が、やっと手に入った」
照れたようなぶっきらぼうな言葉が、俺の心臓を打ち砕いた。
自分が、どんな表情をしていたのか、分からない。だけど、俺の顔を覗き込んだ黒崎が顔を歪めるく らいには、酷かったんだろう。 奴は「悪かった」とか「ごめん」とか繰り返してたけど・・・黒崎の優しい言葉は、反って傷口に塩をす り込まれているみたいだった。
黒崎が俺を、同じ想いで見ることはないんだって分かっていた。応えてくれる日は来ないんじゃない かって、薄々、気付き始めてはいた。だけど、それは好きな相手がいないからだ・・・って、懲りもせ ず都合よく、考えていた。
実際はただ一人をだけ、見つめ続けていたのに。
そんな風に真剣に想う相手がいながら俺を抱いた黒崎が、憎かった。 男か女かも分からない黒崎の相手も、憎いと思った。
「相手、誰? 俺、知ってる?」 「――――――・・・今日、休んでた奴」
俺の斜め後ろの、ぽつんと空いていた席。その持ち主の名前をつぶやく。
「・・・矢沢?」
黒崎が肯いた。 俺の脳裏に夕暮れの教室が思い出された。
「いつから、好きだった?」
そう云えば、バレー部で怪我をして黒崎に担がれていたのは・・・確か。あの頃にはもう、好きだった んだろうか?
俺の問いに、黒崎は小さく笑った。
「中学の時から――――俺、あいつがバレー部に入ったから、入部届け出したんだ」
俺の中で根を張っていた『意地』がその瞬間、パキンと折れた。 なんか・・・負けた、って感じた。だけど悔し紛れに、俺は問う。
「矢沢、俺とのこと、知ってるの?」 「知ってる。だから最初、すげぇ抵抗された」
抵抗――――もしかして、顔の傷は矢沢が? 強姦・・・なんて言葉が浮かんだけど、そんなことし たら反って嫌われるだろう。
認めるのは悔しいし、憎いと思う気持ちはまだ強くある。それに、正直・・・まだ好きだった。
「俺、愛人でもいいんだけどな」
結構本気でつぶやいたのに、黒崎は眉を顰めた。
「馬鹿なこと云うな」 「矢沢にバレたら、振られる?」
答えない。イエス、ということだ。
しかめっ面が面白くて、俺は笑った。腹が痛くなるくらい笑っていると後ろ頭を小突かれた。怒りと罪 悪感と恥ずかしさと後悔と・・・そんなモノで綯い交ぜになった複雑な表情をしていた。
馬鹿だな、と思う。 振る相手に対して、そんな風につけ入るところを見せるなんて。矢沢には悪いけど、俺はもうしばらく は黒崎に付き纏ってやろうと思った。
――――あともう少しだけ。
この自分でも制御できない想いの熱量が、向く先を変えてくれるまでの間は。
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