大きなビルの地上何十メートルという位置にある小さな庭園で、時より仲良く語らう男たちがいた。 「立派に育ってきましたね」 「ああ。今年は一回り大きくなったかな」 空からは太陽が降り注ぐ空中庭園。さほど面積はないが、彩りを愛でるには丁度良い。そこで草花の世話をする中年男性と、仕事で来ている若い男。 空と土と緑の話しをしているだけの仲だったが、それが二人にとっての楽しみであった。 芸能事務所のマネージャーをしている勢田省吾は、タレントの定期的な番組収録にこのテレビ放送局を訪れている。ここにくると移動の合間、自身の休憩に建物の中から前面のガラス越しに草花を見ていたが、時々手入れをしている中年男性がおいでと手を振ってくるので、ビル風に吹かれながら楽しむようになった。 「暖かな太陽の日差しは、人間にも気持ちいいものだよ」 スウェットに軍手の伏見栄枝は、勢田が褒めることに教えで返したりユーモアでしゃべる、達者な人物だった。 「伏見さんはここでずっと花の世話をされているんですか?」 「ああ。この建物が出来てからずっとしているなぁ」 お互い知るのは名前だけで、話しが楽で居心地が良いと感じていた。 親子ほども離れている年齢さえ自然の前では何の差も与えない。 お互いに何も知らないということは、至福であった。 特に勢田は、日々接する人間のほとんどに距離を置いて生活していた。理由は激しい劣等感で、湧き上がると止められない。そんな自分を感じる必要のない空間は、唯一彼が真の笑みを浮かべられる場だった。 その一時の表情は勢田の心根を映していて、見ていて気持ちが伝わってくる。伏見はそれを見られるただ一人とは知る由もないが、眺めていたいと思った。 花の成長と勢田の笑顔が、伏見の殺伐とした日々に色を添える。 長く成功の喜びから遠ざかっていると、愛でるものがあるだけでだいぶ満たされる。花はまだしも、妻がいて男に色気を感じるというのも不思議なものだと思いながら、伏見はそれをいとわなかった。 「勢田くん、夕飯食べに行かないか?」 そんな誘いもしばしばしたが、勢田も特に気にする様子はなく、仕事の都合で付き合ったり断ったりして気兼ねはしなかった。居酒屋やらチェーン店やらと一般庶民的な飲食店へ行っていたからなのだろう。 勢田は、伏見の本当の顔を何も知らなかったのである。 「本当はな、ここに竹を植えてさ、京都みたいにしたいんだよなぁ」 「京都、ですか・・・」 「なんだ、行ったことないのか?嵐山に」 「あっ、あの有名な竹林ですか」 「そうだ。あれだけ茂っても木漏れ日が綺麗だからさ。でも根が張るからな、他のが駄目になっちまう」 その日もほんの立ち話をして、勢田が立ち去ろうと歩き出した時、スーツを着た女性が目の前から小走りにやって来た。 勢田が軽く会釈をすると女性も頭を下げ、伏見に何の用だろうかと思っていると、追い抜き様にこう言った。 「ここにいらしたんですか、副社長」 「うん?どうした」 勢田の耳に飛び込んだのは畏怖そのものであった。 副社長?伏見さんが? 勢田は振り向きこそしなかったが、目を見開いて驚愕した。女性から紡ぎ出される言葉は、今いるこの場を指しているものばかりだった。そして勢田がほんの少し立ち止まったのは伏見も見ていたが、その時二人の関係が崩れ去ったことはしばらくしてから知ることとなる。 その後、確かに伏見がテレビ局の副社長だと調べた勢田は尋常でない汗をかき、時より血圧が下がったことが分かるほど調子を崩し、寝られないほど反省した。 あんな大きな会社の副社長だなんて、今までなんて失礼なことをしてきたんだ! 勘違いしてた。なれなれしくしたらいけなかった。食事なんてどうして出来たんだろう。 誰彼かまわず襲い掛かるこの劣等感。今回は特に酷いことが自分でも容易に分かる。 伏見さんはこういうの絶対嫌いだ。いや違う、伏見副社長だ。偉い人なんだからちゃんと敬称を付けないと。今までみたいに言ったらいけない。しゃべったらいけない。だけどあの人はこういうのが嫌いだ。これまでだってみんな気にしてないって言われたじゃないか。なのになんで?絶対嫌われる。俺を嫌いになる・・・嫌だ。 このようなループにさいなまれる時は特に治したいと思うのだが、勢田が最後に行き着くのは相手と距離を置くこと以外になかった。 伏見とは会いたい、話したい。 そう思いながら嫌われることが嫌だと思ったことは初めてだった。 しかし報いなのだとも思う。 伏見と居た時間、職務を忘れてさぼっていたのである。 ささやかな楽しみでも、違反は罪。 だがそれはお互い様というもので、伏見は理由も知らずにぱったりと勢田に会わなくなってしまった。 大きい建物の中で一角を避けて通行することなどた易い。 そうとは知らず、伏見は勢田の調子を気にしたり、彼の受け持つタレントの出入りを確認したりと不安になった。 以前と変わりなく勢田が定期的に来ていることが分かると庭の手入れの時間を変えた。年甲斐もなく何をしているのかと恥ずかしい反面、恋だと認め、伏見は浮き足立ちながら巡回の名目で勢田を探した。 「勢田くん」 ようやく見つけたのは、あまり使用されることのない階段の途中でだった。 「・・・っ」 勢田は声にならないほど驚いて、後ずさりさえした。 「俺がスーツでびっくりか?あはは、君の目には似合わないか」 「いえ・・・そうではなくて」 思い返せば食事をしていた時、伏見はスーツしか着ていなかった。勢田に服の良し悪しなど分からないのだから致し方ないが、今階段で見上げれば伏見は仕立ての良いものを着ているではないか。なぜ気付けなかったのか、悔いて仕様がない。 「ん?・・・なあ。どうしてあの廊下を通らなくなったんだ?しかもこんな階段、よく知ってるなぁ。エレベーターを使わないのか?メタボにはまだ早いだろう、俺じゃあるまいしな」 伏見の変わらない口調に、勢田の中の自分はそれに合わせようとする。 だが、口はまったく意に反していた。 「す、すみません!!」 謝罪が階段の中で響き渡ると同時に、勢田は伏見を追い越そうと駆け上がった。 「待ちなさい」 すかさず伏見が引き止める。このような出来事は仕事で何度か経験していて、勝手に手が動いているのだ。 だから嫌な予感がする。 「きちんと説明してほしい。探したんだよ、君を」 仕事とは違って、めいっぱいの優しさで伝えたつもりだった。 「す、すみません・・ほ、本当にし、知らなかったんです。ふく、副社長だなんて・・・いい気になって、は、話したりして・・申し訳ありませんでした」 勢田の身体が震えている。 「なんだ、そんなこと。気にしなくていい。社員じゃないんだから、関係ないじゃないか」 「だ、駄目なんです・・僕は、も、もうっ・・・」 勢田は腕を振り払おうとしたものの、伏見は微動だにしない。 「何を言ってるんだ。ここではなんだから、場所を変えよう」 だが、ほんの少し力を緩めた瞬間、勢田は階段を勢いよく上り始めた。 愛したものが消えようとしている。 伏見の本能が直感し、呼び覚ます性。 「どうなってもいいのか?あのこどもが」 響いた声に勢田が足を止める。 「シイナ・・あの子だけじゃないな。君のところの所属は全員起用しないように言ってやろうか。それくらいの権限はあるんだ」 伏見がたいして影響のない事務所を盾にとることなど簡単だった。そして勢田はその内容に立ち向かわざるを得ない。 「やめてください、お願いします」 振り向き、伏見の目を見る。 しかし勢田の表情は困り果てているといったもので、庭で見せた柔らかさは微塵もない。弱い眼光は伏見の性を揺り動かすだけだった。 「なら、今日の夜、またここへおいで」 「・・・はい」 勢田が背を向けて階段をまた上り始めると、伏見は歯軋りした。 素直な奴だと思っていたのに、ただ従順なだけだったのか。 気に入ったと思ったらそれは自分が一番嫌悪する人種だったとは。 先ほどまで芽生えていた愛情が憎悪に変わる。 心をかき乱した償いは受けてもらわねば。 制裁を施すには迅速に対応する。それが伏見の行動力だった。
約束どおり勢田が夜のテレビ局に戻ってみると、伏見は自家用車に誘導した。 「折角だからコース料理だ。今までたいしたところに行ってなかったからな」 まるで脅しなどなかったように、車中は穏やかな雰囲気だった。もっとも、勢田が高級セダンに恐れをなして相づちしか打たなかったことを除けばである。 やっぱり違う。この人と俺は違う。 助手席に乗っているのに手に汗が滲む。どんなに伏見が変わらない素振りで話しをしようともきつく握られた拳が解かれることはなかった。 「ふー」 ホテルの駐車場に車を停めて外に出ると、伏見は一つため息をついた。 ためらってやってもいいと思っていたのに、無理だな。 手にした荷物を忘れないようにして、二人はホテル最上階の創作料理店へ赴いた。 「さあ、どうしてうちの社員でもない君が、俺を避ける必要があるのか、説明してもらおうか」 半個室のその店で店員が料理を並べる中、伏見は切り出した。 「したいわけじゃ、ないんです。・・・どうしても偉い人だと分かると緊張して」 話しを続けたいのだが、勢田は言葉が出ない。その代わりに汗が頬を伝う。 「俺が何だろうと、君には関係ないことだと思うが?」 伏見の抑揚のない放ちは、給仕の手すら震えさえるほど鋭さがあった。 「現に何の支障もなかった。メリットもなかったが」 勢田の頭は血が上って、冷静な判断など考えられなかった。 伏見に言われるまま乾杯し、料理を少し口にすると 「今までの無礼は謝ります」 そんなつじつまの合わない台詞が出ていた。当然、伏見はあざ笑う。 「君は権力に弱い人間か。権力に媚びる奴とは違っているが・・・同じだよ。俺が大嫌いな犬だ」 勢田はそこまで覚えていたのだが、気が付いた時には柔らかな布に顔を付け横たえていた。
ほんの少しの睡眠薬で簡単に予定を実行した伏見は、重い荷物を抱えて客室にチェック・インした。ほんの少し細工をしながら部屋を物色し、ホテルに備え付けられている靴べらを手にすると、勢田めがけて振り下ろした。 「った!」 「起きろ」 硬い当たり具合にしなりは少ない。 「これからだ、仕置きはな」 伏見は笑いながら更に三回、頬と肩と腕を叩いた。 「っい。つ・・・あっ」 勢田は寝ぼけたまま顔を歪める。同時に、裸で両手が後ろで縛られているのが分かる。 「楽かったのに。そんな話しが無礼か・・・まったく、情けない」 靴べらが勢田のあごをしゃくった。 「それじゃあこれが君にたいしての礼儀、になるかな」 伏見はそう言いながら何回も靴べらを勢田に叩き付ける。 「ぅあ、あっ、がっ、あ・・・あうっ」 だいぶ力が要ったが、広い背中の全体を叩くと綺麗な桜色になった。 「ああ、いい色だ。男でも悪くない」 靴べらを放り投げ、伏見が勢田の背に舌を這わせた。 赤い花びらが一枚散る。ほんの一時の、自分のものの証。 それから伏見は自分のベルトを腰から外し、空を切る音を立てて振り回した。 「新調したばかりだから良い硬さだろう」 ひゅん、とベルトを振り下ろして勢田に触れると、バシンとかなり大きな音がした。 「ひィッ」 音だけを聞いたらバレーボールを打つようなけたたましさが、何度も何度も鳴り響く。 「痛い゛っ痛っ、ぁうっ。い゛・・・っ!ああ゛!うあっ、ヒッ」 ベルトの触れた皮膚が腫れていく。あまりの痛みに身体をよじっても、腹でも胸でもその痛みは変わらない。そのうち金具が勢田を引っかいて、血を滲ませるのを見ると、伏見は喜んだ。 「馬鹿が。はじめから犬面していれば、こんな思いもしないで済んだのにな!」 だが打つ度に跳ねる脚が気になると急に振り回すのを止めた。 伏見は意識下で、自分で自分の愛情に傷を付けていることに嫌気が刺してきていた。新しく増したその情には何の悪気もないというのに、どうして血を流させるのか。 「ほら。犬らしく俺の足を舐めてごらん」 それでも冷酷なまま、伏見は握っていたベルトを勢田の首に掛け、靴下を脱ぐと自らの足をベッドの上に乗せた。目の前に差し出されたその犬は、躊躇もせずに顔を突き出して甲を舐め始める。 「指の間もな。・・そうだ、上手いじゃないか」 ここで指を噛んで反抗するくらいの期待をしていても、勢田は決してそんなことはしない。 「初めてじゃないな?」 伏見にそんな気がよぎっただけだったが、勢田はこくりと頷いた。 伏見はハッ!と、一喝して勢田に付けた首のベルトを引っ張り上げる。 「俺も最低なのに引っかかったもんだ。顔を上げるんだ・・・・・やらしい男だな」 伏見が憎しみを込めた眼で睨み付けたが、勢田は慟哭の眼差しで見つめ返した。 「今度はこれを咥える」 その瞳に揺さぶられそうになると、伏見はズボンを下げ、勢田のあごをつかんで股間に当てた。 「んぐ」 伏見は快楽を得たいわけではない。勢田に、少しでも気に入った人に、成功する糧を見出してもらいたいのだ。 それなのに、歯向かうそぶりはない。 伏見から見て同性の性器を口に含む勢田は滑稽だった。目から涙をぽろぽろ落としながら頭を前後ろと振り続ける。 「地に這いつくばって生きていたって、そこから這い上がるなんて出来ないんだぞ。こんなことをしたからといって、君が出世できるわけでもない」 自分から逃げてほしい。欠片でもいいから、向上心を見せてくれ。 そう願うのに、勢田は聞いているのかいないのか、口から伏見のものを出し入れしながら舌を動かして刺激する。伏見は望んでもいないのに屹立させられるだけで、こうなっては高みを目指すより他ない。 伏見は勢田の頭をつかんで自分の根元へ押し付けた。 勢田の喉から断末魔のような音がすると、彼は声を出して苦しそうにもがいたが、されるがままに口を開いていた。その根元まで咥えた口はだらだらとよだれを垂れ流しながら、喉の粘膜に伏見の亀頭が押し当てられ、そこから湧き出る体液が食道へ流れるのを感じる。 「ごぷっ。ぐ、ギュ・・・コッぅぐエッ」 口の奥を圧迫されることは背中を傷つけられるよりもつらかった。息が思うように出来ないところに激しく突かれて、次第に勢田の意識は飛んでいくようだった。 「ガッ・・・ぅグ。・・びょッ。ゥ、ォヴぇ」 醜い声。これがあの笑顔を見せた人だっただろうか。 「勢田ッ・・・」 伏見が頂点に昇りつめた時、見えたのは目の前に映る者ではなく、太陽の日に照らされ風に髪をなびかせて微笑む勢田の姿だった。
ほどなく放した顔から己の白い液が吐き出されると、伏見はシャワーを浴びて帰り支度をした。 「もう二度と、会うことがあっても関わらない」 そう言い残し、伏見はホテルを後にした。 男への想いを捨てて。
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