車で自宅に連れ帰られた譲は慎に強引にソファに座らされて、やっと真っ白になっていた頭が動きだした。自分が自宅にいるのにも気づいてホッとする。隣に慎が座り、譲の背中を撫で擦っていた。 「ユウさんは、やっぱり鷹臣先輩と引き離された事がショックだったんじゃないでしょうか。だから、飛び降りたんじゃないでしょうか……」 あの日の会話が蘇る。鷹臣と別れてくれと言うと、別に構わないとユウは言ったけれど『都築さんの事は好きだよ。正直別れるのもイヤ』とも言った。 「あの人は本当に先輩の事、好きだったんですね。先輩の事を思って、身を引いてくれたんです……」 「買い被り過ぎだと思うよ。確かにユウは悪い奴ではないし鷹臣の事も好きだったとは思うけど、恋愛感情ではないと思う。鷹臣だってセフレ以上の感情はなかったはずだ」 「でも……! でもあの人は、別れたくないって言ったんですよ!? あの人は絶望して……! 僕は、僕は嫉妬で人を死なせてしまったんだっ……!」 慎の言葉に譲が激昂した。自分が愚かだから人ひとり死なせてしまったのだ。慎が自分を慰めてくれるのは嬉しいが、自分が罪を犯した現実までも曲げて欲しくない。 「君の思い込みの激しさにはお手上げだ。大人しいくせに、こういう時は言っても聞かないよね……。困った子だ」 さすがの慎も耳を貸さない譲にどうしようもなくなったらしい。天井を仰ぎ見た。 「じゃあいいよ。ユウは無慈悲な君に愛する鷹臣から引き離されたとしよう。君のせいでショックを受けて死んだとしよう。それで? 自殺なんだから、『私が殺しました』って自首するわけにもいかないよね?」 「……っ」 「言いなよ。どうしたい? 自分のせいだって泣きたい?」 畳み掛けられて譲は言葉に詰まる。自分のしでかした事に怯え、どうしたいかまでは考えていなかった。 「先輩に……鷹臣先輩にまず話して……」 「先輩の恋人を死に追いやりましたって? 話してどうするの? ユウが本当に鷹臣の恋人だったとしたら、死に追いやった後輩を側に置いておけないよね。鷹臣に恋人と可愛い後輩と両方失わせるわけ?」 慎は怖いほどに鋭い瞳をしている。譲にはいつも優しい先輩だったのに。 ユウが亡くなる前は自分がした事を鷹臣に話して謝るつもりでいた。しかしユウが死んでしまった今、慎の言う通り鷹臣に話したら側にいられなくなるだろう。またしても目の前が真っ暗になるような気がした。 「誰か……僕を罰して……」 自分の声とは思えない、瀕死の人間が搾り出すような声だった。それでも言葉は迸る。罰して欲しいと。 「僕は鷹臣先輩の側にいたい……。側に置いてもらえなくなるのは嫌だ……。でも、僕は犯した罪を誰かに罰してもらわないと……」 罰してもらわないと、鷹臣が側にいていいと言っても罪悪感から側にいる事が出来ない。だから、罰を受けさせて欲しい。 「罰は君にとって辛いものでないといけないんだよ? 本当にいいのかい?」 強引に譲の顎を掴んで上を向かせた慎。その瞳はじっと譲を見つめている。譲の覚悟の程を測るかのように。
ユウの葬儀が終わって数日経った。今も警察はユウの転落死について捜査を続けているようだが、捜査の内容を譲が知る由もない。 譲は秘書室での業務をこなしていた。秘書室と社長秘書室とを行ったり来たりして、仕事を片付けていくのだ。 「じゃあ私は社長室の方に詰めますので、よろしくお願いします」 秘書室デスクでの仕事を片付け社長室へと向かう。 「社長、本日の分の郵便物です」 社長用のデスクでパソコンを睨んでいた鷹臣が顔を上げる。譲は側まで行ってデスクに郵便物を載せた。中味はチェック済みだ。 「――最近、慎とよくつるんでるな」 パソコンに視線を戻して出た言葉はプライベートな事。鷹臣が苛立たしそうにパソコンのキーを叩き出した。 「俺が飯に誘っても都合が悪いっていつも断る。慎と二人だけがいいわけか?」 「そういう訳じゃないです。私が体調不良で仕事が出来なかった間の事を、副社長からお聞きしているだけです」 「だったら、就業時間中に聞けばいい事だろう」 「就業時間中は、通常業務がありますから」 最近鷹臣の機嫌が悪い。恋人が亡くなったのだから当然だろう。自分がその恋人の死に関係なければ飲みにでも誘って慰めていただろうけれど、それは出来ない。 ――僕を、罰して……。 愚かな自分は罰せられなければならない。鷹臣の側にいる為にも、罪を償う為の罰を受けなければならない。そうでなければこうして鷹臣の前に立てない。 ――慎先輩は、僕に罰をくれるから。 だから、仕事が終われば慎と会う。
ぴちゃり。濡れた音がする。 慎と会うのは譲の部屋が多い。 「……っ、はっ……」 全裸で、慎の愛撫を受ける。 『鷹臣を愛しながら、他の男に抱かれるのは罰にならないかな』 ユウが死んで、罰を欲した自分に慎がそう言った。罰になるのなら自分が抱くと――。 鷹臣や慎のように適当に遊んできた人間と違い、貞操観念が強い譲にとっては確かに罰になり得る。しかし自分の為に好きでもない人間、しかも男を抱けるのかと問い返すと、慎はひっそりと笑い、「抱ける」と答えた。 『俺は君を気に入っているからね。抱きたいとすら思っていたよ』 だから、譲は慎の提案を受け入れた。鷹臣の側にいる為に、罰を欲して。
◆◆◆
ユウの死から一ヶ月が過ぎた。警察の捜査がどうなったか、譲は知らない。ただただ仕事に没頭し、自宅との往復を繰り返すだけだ。 時々、プライベートで慎と会う。特に雨の日はひとりでいられないから、必ず慎と一緒に過ごす。雨を見ると、スカイブルーの傘が開く瞬間を思い出すのだ。だから雨の日は、ひどく罰して欲しいと慎にねだる。 罰してもらう事でなんとか精神を保っている状態の譲は、もともと細身だった体がますます細くなった。そして、譲に罰を与える役目を自ら望んだ慎も、最近は譲に苛立ちを見せるようになっている。
その日は鷹臣の誕生日に一番近い土曜日で、大学時代の友人達がいつもの洋食屋を借り切ってお祝いの会を開いた。ひとしきり騒いで会はお開きになったが、鷹臣は譲と慎とを自宅に誘った。洋食屋では酒があまり飲めず、鷹臣の自宅マンションでもっと飲もうという話になったのだ。 「ノノ、飲まないのか?」 譲は窓辺に立っていた。酒も飲まずに窓に張り付いている譲に鷹臣が声をかけたが、譲は「ええ」と答えただけだ。譲がそれほど酒を飲まない事も、ここに来たらいつも窓に張り付くのも知っている鷹臣は小さく笑って自分のグラスに酒を注いだ。 鷹臣の部屋からは美しい夜景が見える。何度もここへは来たが飽きる事がない。自分が飲まなくても、いつも他の二人は楽しく飲むから、遠慮せず夜景を眺めていられる。今夜は何故か自分の背後にあるソファセットに座っている二人は静かだけれど。 二人に背を向けている譲は気づいていない。いつも陽気に飲む慎が、今夜は酒を飲みつつ鷹臣の話に相槌を打つくらいで自分からは話題を提供していない事に。鷹臣はそんな慎に気づいているが、気が乗らない事もあるだろうとそっとしているだけだ。鷹臣自身、最近は慎と譲に仲間はずれにされていた感があるので、いつものように屈託なく接する事が出来ないだけかもしれない。 「あ」 譲はずっと夜景を見ていたが、ガラスの向こうに見えているベランダの床に雨の雫が落ちてきたのに気づいた。上の階のベランダが庇代わりになっている分、窓ガラスに水滴は飛んでこなかったけれど、ベランダの床の色がぽつりぽつりと変わっていく。 たちまち現れるスカイブルーの傘の幻。 譲は身を翻し、ソファに深く座って酒を飲んでいる慎の前に立った。普段の柔らかな印象の慎と違い、どこか荒れた様子を見せる慎。ちらりと譲を目だけで確認し、そして無視を決め込んだ。 「慎先輩……」 雨の日は罰してもらわないと、怖い。 しかし、人前ではいつも我慢する。自分がおかしな事をしているという自覚があるからだ。ましてや自分の為に手を貸してくれている慎に、変な噂を立てられてもいけない。 「あっち行けよ」 縋りたいのと、我慢しろと言う内なる声との狭間で立ち尽くしていた譲に、慎が投げつけるように言った。 鷹臣が目を瞠る。大学時代からの可愛がりっぷりから、慎が譲にそんな態度をとるなど信じられなかったのだろう。 「先輩……でも、雨……」 雨が怖くても我慢するつもりだった。二人きりでないと罰は貰えないと。けれど冷たくあしらわれて心配になった。もう、罰を貰えないのではないかと。 「やめてくれ……」 グラスをテーブルに置いた慎が呟いた。端正な顔を歪め、譲を見ずに。 「おい、慎? 酔ったのか?」 鷹臣と慎は出身高校も同じだからつきあいは長い。そんな鷹臣でもこんな慎は見た事がなかったのかも知れない。 「酔った?」 らしくもなく唇を歪めるだけの笑みを見せ、慎はテーブルに置いたグラスに新しく酒を注ぐ。氷も水も入れずそれを一気にあおり、またグラスをテーブルに置いた。叩きつけるような動作にテーブルが大きな音を立てる。 「そうかもね。酔ってないとやってられない気分なんだ」 何がおかしいのか、ククク、と笑うのがわかった。酔っているのかもしれないが、本人が望む楽しい酩酊感を味わえてはいないようだった。 「自分が好きな子が傷ついていて、俺はそれを助けてやれる。それが嬉しかった。下心だってあった。助けてやればその子の気持ちがこっちを向くかもしれない。それにまず体だけでも手に入れられる。けど、その子の気持ちは別の男に向いたままだ。一時つらい事を忘れさせてやれても、解決にはならないって事を思い知らされた」 一気に言って、慎はまたグラスをあおった。鷹臣も、譲も慎の言葉に一瞬息を呑み、呆然とした。 「せ、先輩……?」 先に反応を示したのは譲だった。 ――慎先輩が僕を好きだった? 抱ける位には気に入ってくれている。それは知っていた。けれど、自分を好いてくれているとは思わなかった。いや、大学時代から他の後輩に比べたら可愛がってもらっていたし、そういう意味では好かれていると思っていたけれど。側で驚いている鷹臣も、きっと慎が譲を好きだとは知らなかったのだろうと思ったのだが――。 「どういう事だ? お前、ノノを抱いたのか!?」 鷹臣の第一声がそれだった。眉間に皺を寄せ、問い詰めるような口調だった。 「ノノには他に好きな人間がいるのに抱いたって話の内容だったな。いったいどういうつもりなんだ? ノノが好きな人間と一緒になれるように見守る約束じゃなかったのか! ノノが俺達に恋愛感情を持たない限り、お互いにノノを好きな事は黙っていようって約束だったろう!? お前は、自分の気持ちをノノに押し付けて、ノノを抱いたのか!?」 譲は鷹臣の言葉がとっさに理解できず、反芻して、それから心底驚いた。自分の頭がちゃんと働いていて鷹臣の言葉を正しく理解しているとしたら、鷹臣も慎も自分を好きだという事になる。つまり、鷹臣とは両想いだったという事だ。しかも、慎はそれを知っていて黙っていたのだ。 詰め寄られている慎が、笑い出した。今度は声を立てて。さも可笑しいといったように笑っているのに、なんだか辛そうに見えた。その姿に譲も胸が痛む。 鷹臣と両想いだったのを隠された事に対する怒りより、何も知らずに慎の気持ちを傷つけた事に対する罪悪感の方が大きかった。鷹臣と恋仲になれるとは思っていなかったし、辛い時に助けてくれたのは間違いなく慎なのだから。 「あーあ。ばれちゃったじゃないか。鷹臣がノノを好きだって事」 笑いをどうにかおさめた慎が呟く。そんな慎の前に譲は立ち尽くしたままだ。 「ノノ、座りなよ。きちんと話をしよう」 そこへ座れ、と指し示された所に譲は座る。三人がけのソファに座っていた鷹臣の隣だ。 「これ以上は俺が限界。馬鹿な真似をした鷹臣を出し抜いて君の気持ちを自分の方に向けようと思ったけど、思った以上に俺は友達想いで後輩想いだったらしい。自分がしている事に嫌気が差したし、イライラしてノノにも当たってしまった」 ごめん、と謝られても悪いのは自分だとしか思えない。慎は、ただただなんとかしようと助けてくれただけなのだ。 「ノノ。俺達は大学の時から君が好きだった。でも、男同士の恋愛を君がどう思うかわからないし、お互いに君には気持ちは伝えずに、君を見守ろうという事になった。もちろん、ノノが俺達のどちらかを好きになったらそれは受け入れるつもりだったよ? 取り敢えずは、ノノ狙いの変な奴は俺達で追い払って、ノノが本当に好きな相手と一緒になれるようにって見守ってた」 先程までいつもと違った慎は、話しているうちにいつもの穏やかさを取り戻していた。心に抱えていた想いを打ち明けて、自分を取り戻したのかもしれない。 「サントスプロジェクトに君を誘って、いつも三人でつるんで。けど俺は君が鷹臣を見ている事に気づいた。ユウの存在に君が苦しんでいる事も」 鷹臣への恋情に気づいた時、譲は鷹臣が女性のみを恋愛の対象にしていると思っていた。だから告白できずにいたのだが、それからすぐにユウが現れた。ユウの存在と自分に自信が持てない事で、譲は鷹臣への気持ちを隠し続けた。 「鷹臣。ノノはユウを鷹臣の恋人だと思っている。ちゃんと説明した方がいい」 鷹臣も話の展開についていけなかったらしいが、隣に座る譲に向き直り、説明をした。といっても、あっさりしたものだったけれど。 「俺も慎も、お前を守りたいと思っていた。だが自分達も手を出すわけにはいかないし、他で発散していた。もちろん、体だけだと割り切れる相手とだ。ユウもそうだ。あいつは借金を抱えていて、それを返す為に男娼の真似事をしていた。あいつも気の毒な奴ではあったし、俺も発散したいしで買っていた。金だけ貰って何もしないのは嫌だっていうユウの意地もあったしな」 「ユウさんは、恋人ではない……んです、か?」 セフレという言葉も、男が体を売る商売がある事も知っている。けれど、譲はユウが鷹臣の恋人ではないなどと、全く考えなかった。オフィスでまで行為に及ぶのは、恋人同士だから衝動を抑えられないからだとばかり思っていた。ユウがオフィスで抱かれた後、必ず鷹臣から金銭を受け取っていた事を知りながら。 ――しかし。 ユウは死んでしまった。鷹臣が恋人ではないと思っていても、ユウは鷹臣に本気だった可能性がある。 「恋人じゃあない」 「でも、ユウさんの方は先輩を好きだったんじゃないですか?」 「金払いの良い客としてはね。もともと飲み友達でもあったから、好かれてはいただろう。だがユウの方にも恋愛感情はなかったはずだ」 鷹臣の返事ははっきりしている。少なくても鷹臣はそう信じている様子だ。 譲は、ゴクリと口の中に溜まった唾液を飲み込んだ。 一旦は告げようとして、結局鷹臣の側にいられなくなる事が怖くて今まで黙っていた事。それを告げなければならないと、覚悟を決めた。 「先輩。僕はユウさんに言ったんです。先輩と別れて下さいって」 思い切って話し出した譲だったが、鷹臣はそれほど驚いた様子は見せなかった。ただ、話の先を促すように小さく頷いただけだ。 「僕は先輩とユウさんは恋人同士だと思っていました」 「違うって事は納得してくれたな?」 「はい……」 ユウが鷹臣に恋愛感情を持っていなかったかどうかは今となってはわからないが、鷹臣がユウに対して恋愛感情がなかった事はわかった。 「俺がお前を好きだって事は?」 いつもは鋭い瞳が和らいでいる。鷹臣が譲を見る時は大抵こんな瞳をしていた。今更ながらその事に気づく。 「実感は……正直好かれていたっていう実感はないです。そんな素振り、先輩達は見せなかったと僕は思うし……。でもお話からそうだったんだって事はわかりました」 「慎の話から、お前も俺を好いてくれていると理解したが、それは間違いないか?」 らしくもなく鷹臣の瞳が不安に揺れた。慎の話から譲の気持ちは知ったが、あくまでそれは慎の話であって、譲本人から聞いたわけではない。さすがの彼も本当に譲の気持ちが自分に向いているのか自信がないのだろう。 譲ははっきりと頷く。ユウの事で、自分がこの先鷹臣の側にいられるかどうかわからないが、自分の気持ちははっきりさせておこうと思った。鷹臣も、慎も、自分の気持ちを明らかにしてくれたのだから。 「ノノ……」 鷹臣の表情から不安が消え、笑みが浮かぶ。当人達が知らないところで両想いだったのが、お互いにはっきりと自覚するに至ったのである。 「でも僕がユウさんを死に追いやってしまったのかも知れません……。それも、嫉妬から。自分の勝手な気持ちから人ひとり死に追いやったんです。例え先輩と僕が想いあっていても、僕は……」 両想いであっても、自分が鷹臣の恋人の座に納まるのは許されないと思う。人を死なせておいて、自分だけ幸せになれない。 「どうしてユウが死んだのがお前のせいになるのか、それが俺にはわからない」 本当はわかっているのだろう。譲がユウに別れるように言った事でユウがショックを受けて自殺を選んだと譲が思っている事が。しかし鷹臣は問いかける。 「オフィスにまでユウさんはやって来ていた。その間社長としての先輩の仕事はストップします。それだけでも困るのに、ユウさんは先輩からお金を受け取っていたから……。だから、ユウさんが亡くなる数日前に、僕は別れてくれって言ったんです。秘書としての言葉だとユウさんは受け取りましたが、僕はきっとユウさんに嫉妬して別れを求めたんだと思います。鷹臣先輩も、慎先輩も、ユウさんはお金絡みの関係であって恋人じゃないって言いますが、ユウさんが本当に鷹臣先輩の事を好きだったら、傷ついたんじゃないでしょうか」 自分がユウの立場だったら。自分だったら悲しくてしばらくは立ち直れないだろう。そう考えると、やはりユウの死に責任を感じてしまう。 しかし鷹臣はユウ自殺説から離れられない譲に自殺説を否定する材料を示した。 「ユウの遺体が見つかった前日にメールを貰った」 警察にもどんなメールかと聞かれてメールを見せたんだが、と言いながら、鷹臣はメールのだいたいの内容を話した。 『都築さんが払ってくれたお金で助かった。いろいろありがとう。これから借金を返しに行く。これで借金はゼロになる。自由になれるよ。それはそうと、都築さんの秘書さん、いい人だね。俺にお金をせびられる都築さんを心配してたよ。借金もなくなるし、俺は秘書さんの胃が痛くならないうちに都築さんとバイバイするよ。男娼生活ともバイバイするつもりだから、男娼をしていた過去は切り離したいし、俺にとってもその方がいいしね。どこかですれ違っても、お互い知らない振りをしようね。実はさ、俺、今気になる人がいるんだよね。借金返して、まともな仕事について、そんでもってその人に告白しようと思うんだ。じゃあね。今までありがとう。あんたも元気でね』 自殺する直前の人間のメールとは思えなかった。 そう言えば、ユウが転落死した後、警察に行って帰って来た鷹臣は、自殺説を否定していた。このメールがあったからこその言葉だったのだろう。 「ユウは自殺をするような人間じゃない。家族に自分を認めてもらえなくてもひとりで頑張ってきた。借金だって親からの仕送りを絶たれて、すぐには自力で生活できなかった時に借りた金が膨れ上がったものが大半だ。体を売って金が入りだすと少し遊んだりもしたようだが、結局は借金を綺麗にするに至った。あいつは生きる為に努力してきたんだ」 鷹臣はユウをただの欲望の捌け口とだけ見ていたわけではないようだ。確かに男娼と客という間柄だったかもしれないが、鷹臣は苦労しているユウを助けたかったのだろう。 「あいつが来たら俺は拒まずに客になった。まあ助けてやりたいっていう気持ちだけじゃなくて、俺の下半身事情もあるけどな」 綺麗事だけじゃなかったと白状する鷹臣に、黙って聞いていた慎が突っ込む。 「そこだよ。お前がユウを援助する意味で客になっていたのは俺もわかっていたつもりだよ。でもどうしてオフィスでなんか抱いたの? 俺はノノがお前を好きだって事に気づいた。もう俺にチャンスはないのかと思ってたんだ。だけどお前がユウをオフィスで抱いた事でノノは秘書として動かざるを得なくなって、結果俺に付け入られる隙を作る事になったんだ」 譲の行動は嫉妬だからではなく秘書として真っ当な理由があっての行動だと、慎は強調する。 「お前がユウをオフィスでなんか抱かなかったら、ノノは自分の恋を諦めて何も言わなかっただろう。俺としては歓迎すべき事だったけれど、ノノはお前の行動に傷ついてたんだ。挙句に秘書としてユウに苦言を呈したらユウが死んでしまった。ノノがどれほど苦しんだかわかるだろう?」 傷ついた譲を慎は慰めた。罪の意識に慄く譲に「罰」も与えて精神の均衡を保てるようにもした。 「ああ……。お前はノノを慰める為に抱いたんだな」 「大いに下心があったけどね。けどノノはお前しか見ていない。その上ユウを死なせたと思い込んでボロボロになっていく……。側にいて、俺の方が辛くなってしまったんだ……」 それが慎の苛立ちの原因だった。この部屋に来て、雨に怯える譲に冷たくしてしまったのもそのせいだ。 「このまま黙って両想いの二人を引き離していいのかっていう良心の呵責もあったさ」 フッと慎は自嘲気味に笑う。一時は譲を奪ってしまおうと考えていたはずなのに、親友と恋した相手の両方を苦しめている自分にどうにも我慢が出来なくなってきたのだろう。彼はどうしたって優しい人間なのだ。 「なぜオフィスでユウを抱いたか、だが……」 少し躊躇したが、鷹臣は話す事にしたようだ。まず慎を見て、それから譲に視線を移す。 「オフィスだとノノの気配を感じられる。最初はユウに誘われて、まずいと思いつつ相手をした。だがノノの気配を感じながらユウを抱くと、ノノを抱いているような気になるのに気づいて、やめられなくなった」 白状した鷹臣に譲は目を丸くし、慎は呆れたように鼻を鳴らした。 「ばっからしい……。ノノを想って、ノノを苦しめたわけだ」 「……面目ない」 「俺も損な役回りをしちゃったな。下心なんて持っていたからかな」 小さく笑って、慎はグラスにまた酒を注ぐ。けれどその笑いは先程までの暗さを感じるものではない。 「両想いだとお互いわかったし、ユウが自殺をした可能性が低い事もわかった。二人の間の障害はなくなったわけだ。めでたしめでたし、だね」 グラスの酒を飲み干し、慎は立ち上がった。帰るつもりなのかジャケットを手に取る。 「ノノが俺に抱かれたのは、ユウを死なせたと思い込んで、罰を受けるためだ。罰を受けないとお前の側にいられないと思ってね。それから――」 意味ありげに慎は鷹臣に笑いかける。今度は少しばかり悪戯っぽく。 「ノノはバックバージンだよ。ちょっと慣らしたりはしたけどね。感謝して受け取れ」 それだけ言って、慎は颯爽と帰って行った。 「あいつ……」 譲も鷹臣も、慎の優しさは充分わかっていた。『棚からぼた餅』で譲を掌中に納める事も出来たのに、結局は親友と後輩の恋を邪魔する事が出来なかったのだ。その上不安定になった譲をできうる限り助けて。結果自分までもが不安定にはなったけれど。 「ノノ。俺はお前が好きだ。この先俺と一緒に生きてくれないか」 余計な言葉の一切を省いて、鷹臣は正直な気持ちをストレートに譲にぶつけた。 譲も鷹臣を好きだという気持ちはもう隠せない。 ユウは譲の言葉に傷ついて死んだのではなく、たくましく生きようとしていた事がわかったし、自分まで傷つきながら鷹臣と譲の為に引いてくれた慎の存在もある。自分が臆病なせいで前に進めず、自分ばかりか周りを傷つけるのはもうたくさんだ。 「鷹臣先輩。僕も先輩が好きです。僕を先輩の側に置いてください――」
見事な夜景は鷹臣の寝室からもよく見える。だが、寝室にいる二人には、今はその煌きが目に入らない。 ひとり暮らしにしては大きなベッド。鷹臣の部屋に遊びに来ても、寝室には入った事がない譲はそれを初めて目にする。 側にいただけに、譲は鷹臣がいろんな人間とつきあっていた事を知っている。こんなベッドを目の前にすると、そのうちのどれだけの人間がこのベッドに寝たのかが気になって、その場に固まってしまったのだけれど。このマンションに引っ越した時には既に譲に惹かれていた鷹臣は、このベッドに自分以外で寝るのは譲だけだと決めていたのだと教えられて、薄い色素の瞳を潤ませた。 「ノノ、おいで」 「先輩……」 ベッドに腰を下ろした鷹臣の隣に座るように言われたけれど、気恥ずかしくて鷹臣の前まで行って立ち尽くす。 慎とは最後までする事はなかったけれど、それでも裸で抱き合っている。しかし風に切ない想いは感じなかった。今、鷹臣が自分をまっすぐ見ている事が譲を歓喜に震わせる。他の人ばかり見ていると思っていた鷹臣が、自分を思ってくれていた事を知った喜びが全身を包んでいる。 手を惹かれて隣に座らされ、軽く唇を啄ばまれた。それから唇を舐められて。背中にぞくりとしたものが走る。呼吸が荒くなり苦しくなって唇を開くと口腔内を舐められる。 緊張が解れて鷹臣が与えてくれるキスに夢中になる。きつく抱きしめられ唇を貪られた。それに必死に応え、気がつけば着ていた物を全部脱がされてベッドに横たわらされていた。 「先輩……」 「愛している、譲……」 初めて名前を呼ばれて、泣きそうになった。それから先は、鷹臣に翻弄されて、あまり鮮明な記憶は残っていない。
譲が鷹臣と結ばれて数週間が経った。週末は鷹臣のマンションに入り浸りである。 「譲!」 キッチンでコーヒーを淹れていたら鷹臣に大きな声で呼ばれた。何かあったのかと彼の元に急ぐ。鷹臣はリビングで新聞を広げていた。 「ユウの事が載っている」 「えっ?」 慌てて譲は紙面を覗き込む。小さな記事だったが、確かにユウの記事だ。 「殺人……?」 譲には衝撃的な内容だった。 ユウは、借金をしていた男にビルの屋上から突き落とされたのだ。 借金を返しに来たユウに、男は利息が不足しているからもっと金を持って来るように言ったらしい。鷹臣から金を得て、順調に借金を返すユウを金蔓と判断したのだろう。と事ん絞る取るつもりだったのだ。しかしユウは拒んだ。言い争いになり、ユウは屋上から突き落とされた。 雨の日の夜。スカイブルーの傘だけが屋上に取り残され、ユウは死んだ。 男は事件の後、姿をくらましていた。警察はユウが鷹臣に宛てたメールから、ユウが死の直前に会っていたと思われる男を重要参考人として追っていたらしい。 「これからっていう時に……」 鷹臣も悄然としている。 譲の脳裏に綺麗なスカイブルーの傘の花が咲く。 ユウは懸命に自分で自分の始末をつけようとしていた。そして花開こうとしていたのだ。 強い人だったのだと思う。それがこんな形で命を奪われたのが悲しい。 「先輩、今日はユウさんのお墓参りに行きましょうよ」 ユウの田舎までは遠いが、日帰りは可能だ。 「――そうだな。そうしよう」 鷹臣も賛成して、二人は急いで用意をしてユウの郷里に向かう事にした。 ――ユウさん……。 譲にとってユウは忘れられない存在だった。誤解して、彼の存在に苦しみ傷ついたけれど。幸いにして彼は別に好きな人がいて、譲の行為が彼を傷つける事にはならなかったけれど、彼が鷹臣を愛していたとしたら、自分も彼を傷つけていた事だろう。 自分は辛い日々を乗り越えて、好きだった人と一緒になれた。 だが、ユウは。これからと言う時に死んでしまった。命を奪われてしまった。 「ユウの分も幸せにならないとな」 鷹臣が譲の肩を抱く。 「お前をあきらめてくれた慎の為にも」 慎は、あれからも変わらずに鷹臣の親友で、譲の良き先輩だ。心中は複雑かもしれないが、表に出さずに接してくれる。いろいろあったが、譲はやはり先輩としての彼が大好きだ。 「幸せになりましょうね」 譲は肩に乗せられた鷹臣の手にそっと自分の手を重ねた。 こうして寄り添えて、既にとても幸せな事なんだけれど、と思いながら。
|