1
「オダシマ ジュンさん、俺と付き合ってもらえない?」
目の前でそう言った男を、小田嶋藍(あい)は冷たいくらいの視線で見つめた。 付き合うにもいろいろあって、例えば「顔をかせ」、もしくは、単純に「どこそこに行くから一緒に行こう」ということもあるだろうが、こと、潤の名前が挙がった以上、そこに込められた意味は「交際しましょう」ということだ。
不安と期待と照れくささで少し赤らんだ顔を強張らせて自分を見つめる男に、藍はぶっきらぼうなくらいの口調で、「あんた、誰?」と訊いた。 返ってきたのはぎこちない笑顔と、「あ、ごめん。俺は神谷哲太郎っていって、双鷹高校の今度2年生なんだけど…」という台詞だ。 双鷹高校――――それはこの春から自分と潤が通うことになる高校だ。
「なんだ。じゃあ、あんた、先輩なんじゃん」 藍がそう言った途端、哲太郎は不思議そうに首を傾げた。 「え?俺の高校、男子校なんだけど……」 やっぱり、俺たちを女だと思っていやがったか――――それが藍の心の呟きで、はあ~っと大きくため息をついた藍を、哲太郎が不思議そうな顔のまま見つめている。
『可哀想に。かなりイケてる奴なのに、こいつもこれから、男に告ったという苦い思い出を引きずって生きていくわけかぁ~』 それもこれも、潤に出会ってしまった当人の運が悪いのだろう。 『ま、俺の知ったこっちゃねーけどな』
正直、うんざりとしながらも、藍は片手を腰に当てて、哲太郎を斜に見た。 「あんた、2重に勘違いをしている。まず、俺は小田島潤じゃねー。俺の名前は小田嶋藍。潤の双子の兄貴なの!」 「え?!!」
突然、目の前の相手が上げた頓狂な声に、ちょっと吹き出しそうになりながらも、藍は少しばかりの意地悪さを乗せて、さらに口を開いた。 「それから、あんたが告白しようと思った小田嶋潤は女じゃねーよ。俺やあんたと同じ男で、来月から同じ双鷹高校の1年生だ」 「うそ…」 今度こそ、目を丸くして放心したかのような哲太郎に、藍は憐れむような視線を向けた。
「潤を女の子と間違えて告った奴って結構いるけど、その上、俺と潤を間違えたって奴は、あんたが初めてだよ」 ちょっとばかり可笑しくなって、ククッと笑う藍を、哲太郎が唖然として見ている。 「いや…だって、犬の散歩させてたおばちゃんが、それは潤ちゃんだって言ってたし…」 「犬の散歩?ああ、潤の奴、犬仲間のおばちゃんたちにも女の子と思われてるかもな」
これは本当だ。 飼い犬のチョウは、ほとんど潤の犬みたいなものだから、散歩は毎朝潤が連れて行くけど、この前の朝も帰ってきた途端、「俺、今日は男と間違えられちゃった」と言って笑っていた。 どうやら新しく顔見知りになったおばさんに、「潤ちゃんってば、男の子みたいねぇ」と言われ、「俺、男の子だよ」と言った途端に、「あらあら、可愛い男の子もいたことだこと」と笑われたらしい。ということは、結局おばさんの誤解は解けなかったということだ。
目の前の神谷哲太郎はそんなことも知らずに、感心するように藍の顔を見つめ、「いや、でも、そっくりだよな…」と呟いている。 その遠慮のない目に、藍は居心地の悪さを感じて顔をしかめた。 いや、視線ばかりではなく、感嘆めいた台詞にも神経を逆なでされる。
「どこが似てるんだよ。似てないだろ、全然」 顔を伏せた藍の横で、哲太郎が 「似てるよ。そっくり」 繰り返す。 「似てねぇよ!」 藍は思わず怒鳴った。
「似てないだろ!あんたの目、可笑しいよ!!俺ら、親にもこんな似てない双子は珍しいって言われるくらい似てないんだぞ!二卵性双生児じゃないかって皆言うんだから!」 「二卵性双生児なのか?」 「え?」 唐突に訊かれて、藍が出鼻を挫かれたようになった。
「い…いや、一卵性だけど…」 「じゃあ、親には全く違って見えても、他の奴が見たら結構似てるってことかもしれないじゃん」 「そ…」 それはそうかもしれないが、今まで藍にそんなことを言った奴はいない。
明るくて朗らかで、性格も成績もよくて、ほっそりした姿が女の子みたいに可愛い潤に比べて、藍は進学校である双鷹高校に入れるくらいの成績は辛うじて取れるものの、懸命に勉強しても常に潤には及ばないし、意地悪でひねくれ者で、潤と同じ華奢な体付きながら、いつも猫背気味に背中を丸めて歩いていれば、見るからに根暗という感じ全開だ。 容姿は潤と似ていると言えなくもないが、纏う雰囲気が違うとこうも違って見えるのかというほど、パッと見の2人は天と地ほどにも違う。
「と、とにかく、俺は潤じゃないし、潤は女じゃないし、あんたはダブルで間違っていたの。でも、考えてみればラッキーじゃん。潤本人から即答で断られずに済んだんだからさ。心の傷も浅いだろ?」 話を切り上げるように言って、「じゃ」と哲太郎の脇を通り抜けようとした腕が、グイッと掴まれる。 「な…なんだよ…」
一歳違いとは思えないほどの力の差にギョッとして、思わず哲太郎を見上げた潤の目に、真剣な顔が飛び込んできた。 「マズイ……」 「は?」 「だから、マズイんだよ」 「何が?」
「俺、最初から断られる可能性も考えてたんだ。で、告白して断られたら“じゃあ、せめて犬の散歩友達に”って言うつもりで、犬飼っちゃったんだよ。しかもドーベルマンを3匹」 「ドーベルマンを3匹?」 飼っちゃったと軽く言えるような犬種と数ではないような気がするが、 「いや、俺ん家、金だけはあるんだよね。地主だし両親とも医者だから」 深く考えない様子で哲太郎が苦笑する。
「それに、親父もお袋も、ドーベルマンなら大きくなったら番犬になって良いって言うからさ」 「じゃあ、そのまま飼えばいいだろ。じゃあな」 掴まれていた手を振り解こうとする藍に、哲太郎の手にはますます力が籠る。 「困るんだよ」 「だから、何が」 「俺、犬より猫の人なんだよ」 「は?」
「だから、犬はイマイチ苦手なの。まあ、1匹くらいならいいけど、3匹はちょっと…」 「だったら何で飼ったんだよ!」 「いや、1匹より3匹の方が、潤ちゃんの気を引ける確率が上がるかと思って…」 馬鹿な理由を口にする哲太郎に、 「お前、脳みそに皺無ぇだろ!」 藍の嫌味が炸裂する。
「いや、まあ、それは半分冗談なんだけどさ…」 つまりは半分は本気だったことを告白して、哲太郎は藍の顔を見つめた。 「なあ、お前、バイトする気、無い?俺を手伝って、犬の散歩させるの。時給は500円程度で安いけどさ、おやつと家庭教師付き」 「家庭教師?」 「俺。ウチの高校、塾行ってたって部活やってたって、宿題は容赦なしだから、俺が手伝ってやる」
一見、身の程知らずな提案をしてきた男を、藍は胡散臭そうに見た。 外見だけは良いが、今までの会話で、頭の中身の出来については限りなく「?」の付くこの男が家庭教師……。 「いい。自分でやる」 にべなく言って振りほどこうとする藍に、 「待てって」 慌てた哲太郎がニヤッと笑いかける。
藍を見つめて、自信満々の顔で言い放った。 「俺、去年、校内模試で上位一ケタから落ちたことないから」 信じられない台詞に藍の目が丸くなる。 「な、だから、俺のとこでバイトしなよ。それだけじゃ足りないなら、もう一つおまけで、ドーベルマン1匹、お前にやる。―――って言っても、持って帰れっていうんじゃないぞ。飼うのは俺の家だけど、所有者はお前。お前が名前つけて、ご主人様になるの。な?そしたら、散歩させる楽しみが増えるだろ?俺と一緒にドーベルマンを散歩させようぜ、アイ」
結局、哲太郎の提案を受け入れたのは、最後の条件につられたからだ。 バイト代より家庭教師より、犬をくれるという一言につられた。 家で飼っているチョウは、両親が「二人で世話しなさいよ」と買ってくれたコーギーだけど、最初に犬を飼いたいと言い出したのが潤ということもあって、ペットショップでチョウを選んだのも潤だし、メインの世話は潤がするし、散歩もいつも潤で、藍が世話するのは潤の都合が悪い時だけ。――――つまり、藍はスペアのご主人だ。 自然、チョウも潤の方に懐く。
「俺、別に犬が特別好きってわけでもないから…」 そう言いながら、藍がわざと無関心を装ってチョウに冷たくしてみたのは、それが自分の“位置付け”というか、“スタイル”だと思ったからだ。 けれど、当然のようにチョウを抱きしめ、当たり前のようにチョウに懐かれる潤が羨ましかったのも事実で…… 『それに、どうせ春休みだし、時給安いけどバイトにもなるし……』 まるで言い訳のように呟いて、藍は哲太郎に頷いたのだった。
2
次の日から、藍の一日は劇的に変化した。 中学生でもなく高校生でもなく、やることもなく、潤と違って一緒に遊びに行く友達もなく、ただ漫然と過ぎていくはずだった日々が、哲太郎の出現で一気に慌ただしくなった。
朝ご飯を食べ終えると、まず神谷家に行く。 哲太郎の家は藍の家から自転車で5分ほどで、藍も知っているくらい大きくてモダンな3階建てだ。 チャイムを押すと、哲太郎が顔を出して中に入れてくれて、リビングに入った途端に、まだ成犬前のドーベルマンが3匹、駆け寄ってくる。
2匹は哲太郎がリキとキリと名付けた。 もう1匹は藍がカカオと名付けた。 家にはいつも哲太郎とリキとキリとカカオだけで、そこで藍はジュースを御馳走になって、哲太郎と無駄話をしたりゲームをやってから、やっと犬の散歩に出かける。
行く先は決まって河原。ちょっと時間がずれるのか、他に犬を散歩させている人とはあまり会わない。二人だけで歩いて、二人だけで話す時間は、思いのほか藍にとって楽しかった。 少なくとも、哲太郎が面白くて良い奴だということは、ほんの数日一緒にいただけで分かった。 一緒に散歩して、遊んで、カカオに餌をやって、洗ってやって―――一日一日がすごく早く過ぎていく。
「なあ、俺らって、愛犬家としては邪道?やっぱ散歩って早朝にするもん?」 2人で散歩を開始して9日目、改めて哲太郎に訊かれて、 「そう言えば、潤は朝ご飯前にチョウを散歩に連れて行ってる…」 藍が苦笑すると、哲太郎が思い出し笑いのように、ちょっと口元を緩めた。
「うん。俺が潤ちゃんを見たのも早朝だったな。卒業式の日でさ、俺は生徒会に入ってるから朝が早くて、ダリィ~とか思って歩いていたら、何か犬に話しかけながら歩いてる子がいて、最初は“お、可愛いな”程度にしか思わなかったんだけど、そのうち犬がじゃれついてきたのか、リードが足に絡んだみたいで、ケンケンしてる姿がすっげ可愛くて…」
「ふ~ん…」 相槌を打ちながら足元の小石を蹴る。 今の哲太郎の話には、あまり興味はなかった。 何となく、心が重くなっていく。
「俺らもさ、学校始まったら、散歩は早朝にしようぜ。お前、起きたら俺の家に来て、こいつら散歩させてから朝飯食っていけよ。一緒に登校しよう」 哲太郎の声を聞き流すようにして、藍の爪先が二度三度と石を蹴る。 コン…と蹴った石を、またコン…… 何かに耐えるように俯いて、無言で石を蹴る藍を哲太郎が見つめる。
「お前、やっぱ潤ちゃんに似てる」 唐突に言われて、 「バッカじゃねーの!」 思いもよらない強い声が、藍の口から飛び出した。 何の気なしに言う哲太郎の言葉が腹立たしい。いや、そんな言葉を何の気なしに言う哲太郎が腹立たしい。
「俺が潤と似てたら何なんだよ!お前、俺のことも好きになるのかよ!!」 怒鳴れば、哲太郎が困ったように藍を見ている。 「いや…それは……」 口ごもるのを聞いて、藍の顔にサッと赤味が差した。 馬鹿なことを言ったと思う。こんな台詞、言うつもりなんかなかった……
この気まずさを払拭するためには、逃げるか笑うか誤魔化すかしかない。 藍は逃げる方を選んだ。 カカオのリードをぐいぐい引っ張って、走ろうとする藍を哲太郎が呼びとめる。 「藍!」 「馴れ馴れしく呼び捨てにすんな!」
叫べば今度は、 「藍ちゃん、アーイちゃん」 余計恥ずかしい呼び方が追ってくる。 「なあ、藍ちゃん、待てよ」 「うるせー!ちなみに俺は藍って名前が大っ嫌いなんだよ!男に嫌いな名前、ちゃん付けで呼ばれて、ニッコリ笑って返事できるか!!」 叫んで河原の土手をかけ下りた藍を哲太郎は追って来ない。 その日はそのまま神谷家に逃げ帰って、門の中にカカオを送りこんで、藍は何も言わずに家に戻った。 もう、哲太郎の顔を見られない――――なぜだか、そう思ったからだ。 哲太郎が好きなのは潤で――――いや、女の子だと思った潤で…… だから、潤でも女の子でもない自分に、哲太郎が惹かれるわけがない。分かっていて馬鹿なことを言った……。
「自己嫌悪以外の何物でもないよな……」 ベッドに飛び込んで、布団を被って呟けば、なぜだか涙が盛り上がってくる。 「……っう……」
母親が昼食を告げにきても「いらない」と断って、ひたすら嗚咽を堪えて泣く藍の周りで、春の一日がどんどんと過ぎていく。 気付けばいつの間にか泣き寝入りをしていたのだろうか、肩を揺さぶられる感覚に起こされた。
「藍、藍」 「……ん~?」 寝ぼけ眼で、泣いて腫れあがった瞼をこすれば、潤が心配そうに覗き込んでいる。 「何?潤……」 ぼんやりと訊いた藍に、潤が窓の下を気にするような仕草で、「お客さん…」と言った。
窓から覗いて見れば、下に立っているのはドーベルマンの仔犬3匹を連れた哲太郎だ。 「あいつ……」 顔を強張らせる藍に、潤も眉をひそめる。 「誰?警察呼ぶ?何か、藍に責任とらせるとか何とか言っているんだけど」
「いい」と藍は首を振った。 「俺の知り合い。俺が追い払うよ……」 「でも、念のため、俺も一緒にいた方が良くない?」 潤の台詞を聞いて、胸が塞いだ。 潤に告白しようとした哲太郎のことだ。潤を見れば、今度は潤に仔犬の飼い主になりませんかと言うかもしれないことに胸を痛めつつ、藍が玄関を出る。
「藍!」 名前を呼んで睨みつける哲太郎を見て、藍がほんの少し顔をしかめた。 それは不機嫌というよりは、胸の痛みを押さえる表情だったが…… 藍と潤と……一緒に小さな門の向こうに立つ哲太郎に歩み寄った。 哲太郎が藍と潤を見比べる。
「藍!」 まず呼んだのは藍の名前だ。 「散歩行くぞ。朝は30分しか歩かせなかっただろ。散歩は1時間って決めているんだ。生活のリズムを崩すのは、犬にとっても良くないんだからな、ちゃんと一日分の散歩やれ。アルバイトのくせに無責任だぞ」 偉そうな命令口調に反発したのは、藍じゃなくて潤だ。
「そういう言い方ないだろ。藍は無責任な奴じゃない!」 言い返す潤に哲太郎がキツイ目を向ける。その口から出たのは、藍にとっては信じられない台詞だった。
「誰だよ、お前。これは俺と藍の問題なんだから、関係ない奴は口出すな!」 「は?」 藍の口からちょっと間の抜けた声があがる。 それは、今までの沈む気持ちを一気に浮上させる台詞で……
「ちょ…ちょっと、哲太郎、こいつ潤なんだけど」 藍の台詞に哲太郎がますます目をキツクする。 「嘘つくな。こいつが潤ちゃんのはずないだろ。俺が知ってる潤ちゃんは、もっと藍に似てた」 「は?何言ってんの?俺の弟の潤はこいつだけなんだけど」
「「…………」」 見つめ合う2人の間に沈黙が落ちる。 ただ一人、訳が分からないのは潤で、ポカンと2人を見比べている。
「なあ、本当にこの子が潤ちゃん?」 哲太郎が潤を指さす。 「そうだよ」 藍が頷く。
「もう一人、この家に潤ちゃんがいるんじゃねーの」 「いねぇよ。この家に住んでいるのは俺と、潤と、滋と涼子だ」 ちなみに、滋と涼子は両親の名だ。
「俺の潤ちゃんがいねぇんだけど…」 「知るか!」 減らず口叩きながらも、見つめ合う…いや、にらみ合う2人の脳裏に閃いたのは同じ答えだ。
「……もしかして、お前が潤ちゃん?」 「俺は藍だ」 「そうじゃなくて、お前、3月19日の朝、犬の散歩してた?」 「…………」 考えてみる。 そういえば、その頃、潤が風邪気味で、一日だけ藍が朝の散歩を代わったことがあった。
「リード足に絡ませて、ケンケンした後見事に転んで、恥ずかしそうに赤面してたのは誰だ」 哲太郎に確認されて、珍しくチョウを散歩させた朝のことを、藍は思い出した。 確かに、哲太郎が今言ったとおりの出来事が、藍の身に降りかかった。藍を舐めきったチョウが、言うことも聞かずにジャレついてきて……
「しかも、飼い犬を叱ろうとして、唸られてビビってたよな。俺、そのドジっこぶりにやられたんだけど……」 「……俺だ…」 思い起こせば、確かにそんな流れだった。
「しかも、その後、何事もなかったように歩きだす犬を見ながら、前髪掻きあげて、しょうがないなって感じで笑っただろ。俺、その笑顔にも、わ~っと思ったんだけど……」 「…………」 それは覚えていないが、たぶん、哲太郎が言ったとおりの仕草をしたんだろう。
「なんで、俺が告白した時、自分じゃないみたいなこと言ったんだよ!」 声を張り上げる哲太郎に、藍もムッとする。 「そりゃ、お前が小田島嶋潤さん、なんて前振りするからだろう!」 「―――って、犬散歩させてたおばちゃんに訊いたら、いっつもこの時間にコーギー散歩させてる可愛い子って言ったら、小田嶋潤ちゃんねって言うからだよ!」
つまりは最初から、ダブルどころかトリプルに勘違い――――そんな事実に、哲太郎と藍が同時に脱力する。 「くそっ、おばちゃんに騙された」 毒づく哲太郎の前で、 「え?何、何?どういうこと??」 事態を把握しきれていない潤だけが、怪訝そうに2人を見比べている。
「あ~と、潤ちゃん」 哲太郎が改めて潤に声をかけたのを聞いて、藍の胸がキクンと疼く。 だが、哲太郎はニッコリ笑うと、 「家に入っててちょーだい」 そっけないくらいに言いきった。
「お…おい、哲太郎…」 心配そうに藍を振り返りつつ家の中に戻る潤に手を振って、戸惑う藍に向きなおる。 「俺は勘違いなんかしてなかったじゃねーか。やっぱ俺が好きになったのは、お前だったっつーの」 「…で、でも、俺、男……」
「あ~、それさ…」 哲太郎がちょっと顔を赤らめて項に手をやる。 照れたようなその仕草に、藍の目が引きつけられた。真っ赤になった顔にも……
「俺、今日一日考えたんだよね。潤ちゃんに似てたらお前のことも好きになるのかどうか」 それは、今朝、藍が言い放った捨てゼリフだ。 哲太郎が笑う。 「答えは分からない、だ」 口にしたのは藍に肩すかしをくらわせるような台詞で…… だが、哲太郎の言葉には続きがあった。
「潤ちゃんに似てたらお前のこと好きになるのかは分からないけど、俺がお前を好きになってたっていうのは、自分でも分かったんだよね。っつーか、今となっては最初から俺が好きだったのは、お前だったわけだけど……」 哲太郎の顔がますます照れくさげになる。
「……ということで、10日前をやり直したいんだけど…」 10日前のやり直し、それは藍に告白し直すということか。 照れたような真剣な目で哲太郎が藍を見る。 「小田嶋藍さん、俺と付き合ってもらえないかな?」 藍の目が、目の前の男をじっと見つめる。
「……俺、男なんだけど…」 「ん、知っている…っていうか、今度は男だと分かってて告白してるから」 哲太郎の台詞に藍の目の前がぼやける。 「……………」 俯いて泣き出した藍を見て、哲太郎が慌てた。
「わっ、藍、駄目だったら、とりあえず犬の散歩仲間からでいいから…」 「…そんなん、もう、なってる……」 確かに、二人の関係はそこから始まった。 「え~と……」
哲太郎の手が、藍の頭に伸びた。 ちょっと撫で撫でをして、抱きよせる。 藍の頭を抱え込んだ腕に、ほんの少し力を込めて、 「……犬、3匹飼って正解だったよな…」 呟いた哲太郎の足元で、3匹の仔犬が「ゥワン!」と元気な声を張り上げた。
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