ああ、しまった…と後悔した時にはすでに遅く、俺の髪を鷲掴んで引き寄せるや、桐谷さんは耳を噛み切らんばかりに顔を近付けて、毎度懲りない俺の失言に呆れ果てた嘆息を零した。 「一度ならずも、二度も三度も…。貴様は阿呆か? 犬でも一度で懲りるを知ってるわ」 桐谷さんは根っからの極道モンだけど、これ見よがしに啖呵を切って凄んだり、俺を脅すように声を荒げたり、恫喝したりはしない。むしろ、淡々と辛辣で冷酷な台詞を無感情に言い放つから、余計に恐ろしかったりする。 「すみませ…」 ギリギリと引き上げられる髪の痛みに顔を苦痛で歪めながら、俺は今さらながらの殊勝さを見せる。どんな地位の高い客にだって媚びを売ったことのないこの俺、ベテラン男娼の朝比奈智生に主義を違えさせたのだから、この時の桐谷さんがどれだけ凄まじい怒気を発していたかは言語に絶する。 横暴と理不尽が服を着ているような極道界にあって、桐谷さんは極めて紳士的な部類だ。なんたって、所轄のマル暴の間では『王子』の通称でまかり通っているくらい、貴公子然とした典型的なお坊っちゃまで、下々と接する機会の少なさに比例するように滅多には怒らないし、暴力も振るわない。けど、絶対に触れてはならないNGワードが幾つか存在するようで、付き合いの浅い俺は知らず、地雷原をタップダンスで踊り狂っては自爆をくり返していた。今も何が悪かったのかはわからないが、とにかく、桐谷さんの核ミサイル発射ボタンを押してしまったらしく、事態は取り返しのつかない進展を拡げていくだけだった。 「貴様の学習能力は犬以下か?」 愛人の分を弁えていない俺にも非はあるが、元より、犬以下の扱いしかされていないのだから、犬以下を怒られても納得はいかない。そんな不満で恨みがましい目をしてしまったのか、桐谷さんが鉄の無表情を歪め、不快げに眉を顰めた。 「何か言いたそうだな?」 「いえ…」 当然、誤魔化しは効かず、加減もせずに髪を引っ張られた。マジで抜けます、禿げます。痛いです。 「質問には素直に答えろ」 「…俺が、アイツらより上だったことって、ないじゃないですか」 涙目になってそう答えたら、桐谷さんは髪を掴む手をやっと離してくれた。アイツらっていうのは、桐谷さんの愛犬の賢いワンちゃんたちだ。桐谷さんは彼らを非常にというか、異常に可愛がっていて、専属の世話係まで雇っているのだから恐れ入る。ちなみに、四番目とはいえ愛人となった俺の世話役は一人もいないどころか、電話一本で呼び出される都合の良い男でしかない。いや、こういう場合は情夫と書いてイロと読ませる意味でのオンナになるのか? 「そこまでわかってるなら、余計な口は叩くな」 髪は無事だったが、今度は両側の耳たぶを掴まれた。桐谷さんが犬を叱る時と同じ、顔を固定して目を覗き込むやり方だ。 「いっ…!」 「犬並みに可愛がって欲しけりゃ、精々頑張って、尻でも振るか?」 この道に引きずり込まれた切っ掛けが、ヤクザ者に無駄に逆らった挙げ句の強姦だった所為もあり、犬以下の学習能力しかない俺だって、身を持って体に叩き込まれた痛みだけは忘れていない。極道モンとの付き合いの鉄則は、怒りには逆らうな。タダでやらせるのは癪だが、殺されるよりはマシだ。嵐が過ぎ行くのを待てば、海路の日和もある------はずなんだが…。 耳たぶをペロリ…と舐められたを始まりに、首や肩口を舐り噛んで行く桐谷さんがドンドンと下に降りて行き、気付けば俺は床に押し倒されていた。前をはだけられ、裾を捲られたむき出しの背中にチリチリと当たる絨毯の毛先がくすぐったかったが、下が硬いフローリングでなかっただけ幸いだ。愛撫する気など欠片もないのか、桐谷さんは服の上からも歯を立て、爪で掻き、痛みから逃れようと身を捩った俺を力で押さえ付けている。 「あっ、あっ…、イ、痛ッ…!」 痛いのが良いなんてMっ気はないのだが、こんな乱暴な扱いにも俺の浅ましい肉体は興奮していた。ジーンズの硬い布地に抑え込まれたままの昂りがもどかしく、早く脱がされたくて腰を振る。利き手を後ろに捩じ上げられているから自分ではどうにもならず、桐谷さんの手を借りるしかないのだ。せめてでもの助けにと腰を上げれば、一気に下着ごと引き抜かれた。 捻り上げた腕ごと抑え込まれた背中越しに、金属の擦れる音がする。桐谷さんが服を着たまま、ベルトだけ外しているのだろう。夜はどこかの料亭で会合があると言ってたから、脱いでまた着るのでは二度手間になる。…と言うなら、俺とこんな事をしている暇もないはずなんだが、さっさと済ませるつもりなのか、桐谷さんは強引に体を重ねて来た。 「いッ------!」 先走りで僅かに濡らされたとはいえ、何の慣らしもなく押し開かれる痛みと圧迫感には、何度経験しても慣れるものではない。息を詰め、ジッと身動きもせずに堪えていれば、桐谷さんに髪を掴まれ、顔を引き上げられた。 「ほら。腰振って、啼いてみろよ」 「…や、イタッ------痛、い…」 「好いの間違いだろ? …こんなにして、何言ってる?」 「んぁっ、嫌だ…っ。っあ…、ああ…ぅ、は…」 貫かれた下半身を執拗に揺すられ、俺は切れ切れの嬌声を上げさせられた。犬のように舌を出し、はっ、はっと荒い息を断続的に吐き出す。容赦のない抽挿の度に啼き声が漏れ、さらなる快楽を求めるように自然と腰は揺れた。 「あ、あ…、いい。あ------」 他に何も考えられないほど荒々しい結合は、ただ、相手を欲しいとだけ求める衝動と感情とで、身も心も激しく揺さぶられる。無理矢理に刻み込まれた痛みや快楽は、決して不快なだけのものではない。むしろ、閨の中での桐谷さんの悪辣非道な振るまいに、理性や良識では判断出来ない酩酊を感じているのも確かなのだ。 「あ、もう…だ、------」 激しい抽挿の果てに迎えた絶頂は瞬く間に訪れ、俺は声もなく身体を震わせ続けた。 背後から強く抱き締められていた温もりが消えると、桐谷さんは俺のシャツの裾で拭ったソレをさっさとしまい込み、何事もなかったかのように立ち上がった。 「お前でなけりゃ、その生意気な口に鉛を流し込んでいるところだ」 さりげなく凄い脅しを掛けられ、足蹴にされた身体をゴロリ…と仰向せる。真上を見上げれば、桐谷さんが仁王立ちして覗き込んでいた。 「おい、何とか言え」 「…ワン」 「従順な犬なら、アイツらで間に合ってる」 言い捨てるなり、桐谷さんは俺の視界から消え、クローゼットの扉の鏡の前で、乱れた髪を手で後ろに撫で付けている。服には僅かの乱れしかなく、あっという間に身支度が整えられたようだ。こっちは未だ、肩で息をしていると言うのに、その余裕な涼しい面には毎度ながら、唾吐き捨てたいほどむかつかさせられる。 そんな不穏さを感じ取ったのか、 「一週間、好きにして良い」 と、寝転んだままの顔の横に、帯封をされたままの札束が投げ置かれた。もしかしなくても、当座のこずかいってヤツですか? 「旅行に行きたいならトモキにでも言え。こちらで全部手配する」 「一人で行ったってつまんねーでしょ?夜だけでもおネエちゃんを侍らかすんなら別ですけど…」 「それも、こちらで手配する」 嫌味で言った一言をあっさりと許され、俺は二の句に詰まった。そんな様子を横目で見て、桐谷さんはさらに驚くことを告げる。 「…なんなら、赤坂のでも連れて行くか?随分と気に入ってたようだ、が…、あーゆーのがタイプか?」 赤坂のというのは、桐谷さんの愛人の一人で、赤坂の芸者さんだ。タイプか…と聞かれれば、ズバリで、桐谷さんに対して男としての羨望を感じたほどの好い女だ。悪趣味な冗談か、桐谷さんなりの好意かと俺が返答に迷っていたところで、外から扉が叩かれた。そろそろ外出の時間らしく、側近の舎弟さんが迎えに来たようだ。俺は床に寝転がったまま、桐谷さんが留守中の指示をしている声が聞いていた。 「コイツはしばらくはココにいさせてやれ。夜になったら、トモキにでも送らせろ」 まるで、動けないのを見越したような言い種に、これは意地でも立ち上がって見送らねば、俺の男が廃るってモンだろ…と、気力を振り絞る。 「…桐谷さん」 呼び止めて、振り向いた桐谷さんの顔は予想通り、不機嫌そうに歪んだ。せっかくのご恩情ですが、俺はピンピンしてまっせー!って、俺、何でこの人相手に見栄はってんだ? 「ネクタイ、少し曲がってます」 動くたびに軋む身体にテコ入れて、俺はにこやかに微笑みながら首元に手を伸ばした。このまま締め上げることも出来る取って置きの切り札の存在が、俺を奮い立たせている。今、この無防備な喉元に噛み付いてやったら、それでも涼しげに澄ましている余裕はあるのか…と、想像するだけでムスコがムズムズとして来そうだった。 「俺だったら、鉛で塞ぐより、テメーの一物切り取って咥えさせますがね…」 抱擁するように頬寄せて耳もとに滑り込ませると、顔を離す直前、クッ…と、桐谷さんが咽喉の奥で笑った。俺なんかモノの数でもないって扱いする癖に、桐谷さんが俺に示す執着は非常にわかりやすい。 「…次はそうしよう」 そう言って、俺の頬を撫でた桐谷さんの手は、犬の頭に添えた温かさと一緒だった。
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