校門をくぐると風で桜が舞い、少年の視界を妨げた。お菓子のCMソングを口ずさんでいた彼は、突如現れた目の前の大きな背中にぶつかった。 「すみません」 そう言われて振り返った大男は少年に心を奪われた。 「…まるで桜の精だったんだ。今は眠り姫だけど…」 「あーはいはい。疲れてるんだよ俺は! なんか文句あるのか?」 「…どうして見た目と中身はこうも違うんだ?」 何処か遠くを見つめ、溜め息混じりにそう聞いてきた彼は目の前に座っている彼の心無い一言を受けた。 「五月蝿いぬりかべ」 「…どうしてなんだ」 毎朝入学式の思い出を語っては熊やらぬりかべ呼ばわりされるこの風景はすでに日常の出来事と化している。 涙ながらに少年に縋り付きそうなこのぬりかべはこれでも新入生代表で壇上に上った男である。頭の良さに加え背も高く、顔もいい彼の虜になった女子は大勢いるが、彼が一目惚れしたのは見目麗しいが、いかんせん口の悪い男であった。 「W北村!」 口の悪い彼ととぬりかべは同時に振り返った。 「高井、北村夫妻と呼んでくれ」 そのキリッとした表情は、見るものが見ればうっとりとした溜め息を漏らすところであろうが、言っている内容がおかしい。 内心、誰もが真面目な顔で言うことじゃないだろうと思っているのだが、言ったら言ったで頭の回転の速い男に口で勝てる訳もなく、かといって、腕っ節が強いこともすでに証明済みである熊男、北村輝久に誰も口出すことが出来なくなっているのだ。無関心を装わなければならないクラスメートにしてみればいい迷惑である。 「北村アホ夫妻…」 「なっ! アホなのはこいつだけだろ!」 反論する彼、北村和樹に高井はにやっと笑い、小声で何か呟いた。その途端和樹は真っ赤になる。 「ぬりかべ! おまえ…」 怒りの矛先は高井ではなかった。 「和樹、輝久って呼んでいいと言っているだろう」 和樹の怒りなどお構いなしの輝久の言葉には語尾にハートマークが見えそうだ。 「ばか!」 「和樹、そんなにボキャブラリーが貧困でよく受かったな」 バカにした言い方なら反論の余地のあるものを、感慨深く言われた和樹は言い返すのも馬鹿馬鹿しくなったようで席を立った。 「和樹?」 「腹痛い。保健室」 それだけ言うと、振り返りもせずにその場を後にする。 「てるちゃん、今日もふられたな」 何気なく高井は言ったつもりだったが、その一言が輝久の逆鱗に触れてしまったらしい。輝久が温厚そうな人間味を持つのは和樹が側にいる時と言っても過言ではない。 「高井、用がないなら席に戻れ」 その冷たい声にノートを借りに来たはずの高井は手ぶらで自分の席に戻るしかなかった。和樹がいなくなった時間が経経過すればするほど、それに比例すべく輝久の機嫌も急降下していた。それは教師の目から見ても明白だったようで、授業中、順番的に指されるはずが飛ばされ、こともなく時は過ぎていった。見るに見兼ねた高井は意を決して輝久の前に立つ。 「何か用か?」 背筋が凍りそうな睨みを受けてそのまま180度回ろうかとしたが、クラスメートたちの無言の応援に支えられ口を開いた。 「そんなに和樹が気になるなら保健室に行ってこい」 「…そうだな」 高井のその言葉を待っていたかのように輝久は席を立った。その背中を見送って安堵の溜め息を漏らしたのは高井だけではなかった。輝久が去った教室には高井よくやったという拍手が沸き起こっていたのだ。
「あれ? 北村夫、また妻の迎えなの?」 くすくすと笑いながら保健医はカーテン越しにうっすらと見えるベッドを指差した。それに無言で答え、カーテンを開けてベッドに寝ている人物をうかがう。かすかに寝息をたてているのを見て、輝久の顔は自然と弛んでいた。そっと髪をかき上げてやるとあの日一目惚れした桜の精の顔がそこにはあった。 「和樹?」 返事がないのを確認して眠りの妨げにならないようその額に口付ける。 「んっ…んー…」 「和樹?」 「ん……ん?」 ゆっくりと目を開けて目の前にある顔を認識するまで10秒はかかっただろうか、覚醒した途端その綺麗な顔は歪められ「何やってんだ」と似つかわしくない言葉を発する。 「眠り姫は王子様のキスで目覚めました。めでたしめでたし。でも出来ればその可憐な唇に口付けたかったな」 自称王子様は不服そうな様子などない。それどころかどこか満足気である。 「何を言ってんだ?」 お姫様の方は全く理解していないらしい。 「ごちそうさまでした」 「…何した?」 「だから言ったじゃないか、眠り姫は王子様のキスで目覚めました。だからごちそうさまでした」 「…ぬりかべ、お腹空いた」 起きたばかりでそんなことを言うお姫様はいないと思った自分を意外とロマンチストだと輝久は思う。 「姫のためにお弁当を持ってまいりました」 そう言って差し出されたのは重箱だ。その細い身体のどこに入っていくのかというほどの大食漢である和樹のための輝久自作のお弁当。 「そっちの机で食べよ」 和樹は輝久がやきもちを焼きそうになるほど大事そうに重箱を抱えて、保健医の左隣に位置する長机に座る。 「何で毎度毎度隣に座るんだよ!」 「そんな小さなことにこだわってはこの先生きて行けないぞ」 机には向かい合わせに席が6つあるが二人は並んで座る。お腹が空いている和樹は小さく舌打ちして重箱を広げだした。 「こらこら君たち、ここは保健室」 「許して、先生」 和樹の要領のいい笑顔に保健医は笑顔を返す。 「今日は特別だからね。午後から研修で留守にするから戸締りお願いね。じゃ、ごゆっくり」 最後の一言は余計だと思いつつも保健医はその場を後にした。 重箱の中身はいつも和樹の好物だった。唐揚げに甘い玉子焼き、煮物やタコさんウィンナーを腹に詰め込むと和樹はまた夢の世界へと誘われる。 「和樹?」 「んー?」 「教室に戻らないのか?」 「んー」 何を聞いても生返事しか返ってこない。 「和樹、立って」 「やだ。運んで…」 子供のように両手を上げた和樹を輝久は仕方なくお姫様抱っこしてベッドにそっと横たえてやる。保健室の鍵は内側から閉めた。もちろんドアには『保健医外出中』のプレートを下げることも忘れていない。 悪戯心で和樹のシャツのボタンを外す。ちょうど左の鎖骨部分にこの間残した痕を見つけて思わず顔が綻んだ。その部分をキツク吸うとその痕は鮮やかな紅になった。それに気を良くした輝久は、ランニングシャツをたくし上げて小さな突起を弄ってみる。これには夢の世界にいた和樹も気付く。 「な、何やってんだ!」 「実験」 答えながらも輝久の手は動きを止めていない。 「ちょ…実験って、な…に?」 輝久の手を阻止しようとしながら思わず出てしまいそうになる声を抑える。 「お姫様がキス以上のことしたらどうやって起きるのか」 「ば…かや…ろ」 「やめる?」 「…責任取れ。ばか」 「その表情そそられる」 耳元で囁いて輝久は口付ける。耳に、頬、額、首筋にそして心臓には所有印を付ける。 「輝久…」 和樹は輝久の顔を両手で包みキスをした。最初は軽く、次は舌唇を軽く噛んで、そして開かれたところに舌を入れて絡める。自身のモノを弄ばれて、かすかに声を漏らしながら。長いキスを終えると輝久は和樹がしてくれたようにさほど大きくはない自己主張して濡れて光っている彼自身に口付ける。最初は軽く、次は軽く歯を当てないように噛んで、そしてそれを含む。 「あ……あぁっ、はぁ…」 溜め息のような声は止め処なく溢れ、呆気なく終焉を迎えた。 「気持ち良かった?」 眠りから目覚めたお姫様は朦朧としてはいるものの、その身体を羞恥の色に染めた。 「帰り、家に寄るよね?」 見逃してしまいそうな小さな頷きに輝久は満足して和樹の髪にキスをして言った。 「眠り姫は王子さまのキスで目覚めました。めでたしめでたし」
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