マヒルは柔らかいベッドの中で薄目を開けた。 「気が付いた?」 「うわ。目が金色!」 「可愛い」 光が眩しくて視界がはっきりしない。賑やかな声と大勢の気配に顔をしかめた。 「コラ! 煩くするんじゃない」 甲高い声に混じって変声期を終えた落ち着いた響きが制する。 「大丈夫? 気分は?」 「ここ、どこ?」 ようやく慣れてきた目で周囲を見回した。 「ここは北の国ホエールの王宮だよ」 五人の少年がマヒルを覗き込んでいる。 「ぼくはハジメ。ホエール国の第一王子だよ」 「ぼく」 マヒルが返事をする前に他の四人が口を開いた。 「ぼくはフタバ」 「ミカだよ。三番目」 「四番目のシロ」 「ゴロ!」 一斉に自己紹介を始める。 「髪の毛も光ってるんだね」 「触ってもいい?」 四本の手がマヒルに伸ばされた。 「いや!」 驚いてマヒルは寝床の中に隠れる。 「騒いだら駄目だと言っただろ? マヒルはヒッカク国からの大事なお客様なんだよ。無礼を働くんじゃない!」 「だって綺麗なんだもん」 一番年下のゴロは今年で六才になったばかりだ。不満そうに兄の顔を眺める。 「もういいから。みんなで先生を呼んできて」 「兄上は?」 「ぼくは、ここに残るよ」 十一才のフタバがハジメを睨んだ。 「兄上。ズルイ!」 「問答無用! さあ。行くんだ」 年少の王子たちは名残惜しそうに振り返りながら部屋を出て行く。 「ちょっと年が上だからってさ」 「威張っちゃって!」 「やな感じ」 ハジメはため息を吐いた。 「ごめんね。だけど、悪い子たちじゃないんだ」 上掛けに包まったままのマヒルに声をかける。 「うん、あの。兄様や母様たちは?」 小さな声で返事が返ってきたのでハジメは安堵した。 「出立されたよ。君のことを心配して予定を延ばしてらしたんだけど。なかなか熱が下がらなくて」 ヒッカク国は近く同盟国のホエール国から妃を迎える。ハジメの姉のキャンキャン王女である。 「巡礼のご予定があるんでしょう? 占い博士が決めた日までに行かないといけないんだよね」 二国がより親交を深める目的でホエール国王は大公を大使として招待することにした。大公妃と二人の子息にも同行を求めることにする。 国王は子宝に恵まれ、五人の王子を儲けていた。子供の時分から両国の子供たちが親しく接すれば、滅多な行き違いで戦になるようなこともないだろうという配慮である。 「ぼくを一人にして。お願い」 涙で掠れたような声だ。 「わかった。これは、お母様からの手紙だよ。後で読むといい」 枕元に封蝋のされた手紙を置く。扉に手をかけて振り向くと小さな白い手が手紙を引き寄せるところだった。
「また、やっちゃった」 医師の診察の間も悲しくてぼんやりしていたマヒルは再び一人になった。 「兄様は呆れていたろうな」 マヒルは体が強い方ではない。父親に大使の任命があったときも留守居するように言われていた。しかし、兄や母親と別れるのが嫌で無理に付いてきたのである。 ため息を吐いて寝返りを打つ。 「ちょっといいかな?」 扉を叩く音ともにハジメの声がした。 「どうぞ」 開いた扉の隙間からいい香りが漂ってくる。 「お邪魔します。食欲がないって聞いたから。お茶だったら飲めるかと思って持ってきたんだ」 ティーカップの中にミルクのたっぷり入った紅茶が鎮座していた。 「ありがとう」 「どういたしまして」 ハジメはベッドの傍に椅子を持ってきて腰かける。 「少しは落ち着いた?」 「はい。さっきはごめんなさい」 「いいよ。ぼくたちも大騒ぎして驚かせたから。先生は、もう大丈夫だって言ってたけど、どう?」 自分のことで手一杯だったマヒルは改めてハジメを眺めた。 「平気です。ぼくは病気ってわけじゃなくて、体が鈍ってるだけなんです」 「そう、良かった。大公殿はなるべく早く迎えに来るって言ってらしたけど聖地まで行って帰ってじゃ一月はかかる。だから、この城を自分の家だと思って気楽に構えてくれていいよ」 ホエール国の第一王子は、兄のアキオと同年の十二才だと聞いている。しかし、ハジメは体格も良く、声も低いのでもっと年嵩に見えた。 「ありがとうございます。王子」 「それから、敬語を使わなくてもいい。ぼくたち年はそんなに変わらないし、仲良くしたいんだ。今回のお題目もそれなんだしね」 「うん」 「それと、ぼくや弟たちのことは呼び捨てにして。五人もいるのにみんな『王子』じゃ混乱する」 「わかった」 ハジメは席を立つ。 「じゃあ、また明日」 「おやすみなさい」 カップに口を付ける。とても美味しいお茶でマヒルはニッコリした。 「一月か」 心配事は尽きないものの、ミルクの効果だろうか。マヒルは朝までぐっすり眠ってしまった。
一週間ほど経ったある日、ハジメはヒッカク国の賓客を探していた。 「どこに行ったんだろう?」 三時のお茶の時間だというのにマヒルの姿はどこにもない。普段であればマヒルは必ず喫茶室に現れる。甘いものや紅茶が好きなのだ。 しかし、今日は幾ら待っても音沙汰がない。 「隠れるのが得意だからな」 マヒルと王子たちは少しづつ親交を深めていた。だが、マヒルの性質は大人しくて孤独を好む傾向がある。 思ったことを何でも口にする弟たちとは勝手の違う相手だった。 「これは?」 ハジメは床に落ちていた髪の毛を拾い上げる。 髪の毛は真直ぐで日の光を受けて輝いていた。ホエール国の人間の髪の色は黒から茶色で目の色もこれに準ずる。金や銀に煌めくのは南のヒッカク国の人々と決まっていた。 城にいるヒッカク国の人間はマヒルだけである。近くの扉の標識には『読書室』と銘打たれていた。
読書室の灯りは落とされていた。だが、夕刻の光が差し込んで明るく室内を照らしている。 「マヒル」 窓辺に人影を見つけて声をかけた。近寄るとマヒルは自分の身体を抱くようにして丸くなって眠っている。 「寒くないのかな?」 マヒルの故郷と違ってホエール国は北国だ。今も窓から望める庭には雪が残っている。地下の熱源機器を使った水蒸気による暖房は完璧だが、薄いシャツだけで上着を着ていないマヒルの格好に心配になる。 傍に腰かけて、顔に隠している髪を梳いてやった。薄い茶色から金色に至るグラデーションを持つ髪は指をすり抜けて、再び顔へと落ちて行く。白い耳が現れてハジメの気を惹いた。 形に添って耳朶を撫でる。マヒルの背筋が震えて薄く目を開いた。初めて見た時と同じ金色にハジメの心臓は跳ねる。 マヒルは完全に起きたわけではないようだ。ぼんやりとハジメの顔を見返す。 ハジメの指は耳から頬骨の上に移っていた。柔らかくて湿り気のある肌に遠慮なく指を滑らせる。マヒルが咎めないので、指は顎を辿って唇に触れた。 「……んう」 漏れた声は快楽を拾っているようにしか聞こえない。煽られてハジメはマヒルの上に屈みこんだ。 マヒルの目の色は正確には金色ではない。黄に近い茶色で瞳の縁は緑がかっていた。光の射すタイミングによって金色の色彩を帯びるのである。 「ハジメ?」 潤んだ目でハジメを見詰めてマヒルは眉を寄せた。ハジメは慌てて身を引く。 「ごめん」 「どうして謝るの?」 覚束ない仕草で身を起こすマヒルに手を貸した。 「うん。みんなでお茶を飲んでて君が来ないから呼びに来たんだ」 「え? 本当」 マヒルは窓から外を眺める。 「もう夕方?」 「そうだよ。でも、安心して。マヒルの分のお菓子は取り分けておいたから無事」 「ありがとう!」 ニッコリしてハジメの腕に抱きついてきた。清らかな笑顔である。 先刻、マヒルから感じた蠱惑はハジメの思い込みだったのだ。自分のリビドーに従った都合の良い誤読である。 当たり前だ。僅か十才の子供が同性を誘惑してくるなどと有り得ない話である。 しかし、一度、火の付いた欲望はなかなか消えなかった。 「さっき窓から見てたら少し雪が降ってたんだよ。明日は外で遊びたいな」 「じゃあ、先生に訊いてみようか。許可が下りたら、みんなと一緒に遊ぼう」 「うん!」 ハジメは自分の気持ちを持て余す。こんな厄介事を知りたくはなかったと思うが、もう遅い。 平気な顔でマヒルに微笑み返しながら、ホエール国の第一王子は欺瞞とはなにかを学ぶことになった。
翌日、マヒルとホエール国の王子たちは雪合戦をした。 手袋やマフラー、コートといった防寒具を同年のミカがマヒルに貸し出す。マヒルも寒さに備えた衣類を所持していたが、それはあくまで南国の人間の考えによるものだった。旅装用だったこともあり、体格の似通ったミカの申し出をマヒルは有難く享受している。 「寒くない?」 ハジメが心配して声をかけた。 「大丈夫。雪ってすごく綺麗だね。いつもこんなに綺麗なものに囲まれて暮らしているなんて、この国の人が羨ましい」 「ありがとう。雪は確かに綺麗だけど、そればっかりじゃないんだよ」 雪害という言葉がある。雪は美しいが、過ぎると雪崩や嵐による遭難が起こすこともあった。 「怖いところもあるんだ」 「うん。でも、畑の害虫を殺してくれるし、大地を温めているものでもあるから良いところの方が多いかな」 ホエール国は農業国である。天候の具合は大切な要素であった。 「危ない!」 飛んで来た雪玉がマヒルに当たりそうになる。ハジメは慌ててマヒルを抱き寄せた。 「やーい!」 第四王子のシロがはやし立てる。 「のんびりお喋りしてるからだよ!」 「待て!」 足元の雪を掻き取って丸めながら、マヒルはシロを追いかけた。 小さな柔らかい体が腕から抜け出していく。泣きたいような気持でハジメはマヒルを眺めた。 読書室の一件以来、ハジメの中でマヒルの存在は友達という枠から外れたものになりつつある。元に戻したいと思うが自分では、どうにもできない。 昨夜はマヒルのことを思い浮かべて快楽に上りつめた。申し訳なくて本来なら、とても顔を合わせられないところである。 「ハジメ!」 笑顔で振り返るマヒルの清らかさに胸が痛んだ。マヒルの滞在が早く終わればいいと思う。だが、そうなれば遠国の重臣の子息であるマヒルとは次にいつ会えるとも知れないのだった。 「今、行く!」 兄のような顔で接する自分に吐き気がする。ハジメは自分のことを『嘘吐き』だと罵らずにはいられなかった。
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