そんなこと、聞きたくなかったよ。
でも、分かっている。
あなたは、とても優しいから。
優しすぎるくらいに、優しいから。
だから、俺も嘘をつくことを許してください。
あなたが、これ以上傷つかないように、ずっと。
ずっと、心だけで祈ってるから。
***
「おっちくぼー!! ちょっと待ってよ!」 小柄な影が突進してきて、危なく学校の廊下で転倒するというとんでもなく恥ずかしいことに なりかけた。 やはり普段から運動は大事だな。バランスは命だ。
「木見城(きみしろ)、いい加減ちゃんと前見て歩けよ・・・・・・」 そして、いい加減俺にアタックかますのはヤメロ。 つむじの見える頭に向かって説教すると、木見城は懲りていない笑顔を見せた。
「ねぇねぇ、落窪さ、何かあったの?」 小柄で顔が少々あどけないとはいえ、木見城も立派な男子だ。 愛用している眼鏡が弾き飛ばされなかったことに安堵しながら外した瞬間に、 突然の鉄槌が下された。
「・・・・・・何、って?」 昼休みの廊下。 男子校のこの高校で、男子生徒がこんな風にふざけあってくっついたりするのは 日常茶飯事だ。 だから、誰も俺たちには目を留めない。 そして、大勢の中で、俺たちはまるで二人だけで取り残されたようになっていた。
「・・・・・・なんかさ、元気ないなと思って。昨日と、なんか違うもん」 思わず、片手で持っていた眼鏡を落としそうになった。 そんなに、分かりやすかっただろうか。 必死に、押し殺したはずだったのに。
「こっち、こいよ」 ずるずると引きずられて、非常階段まで来ると、無理やり座らせられた。
「別になんでもないさ。木見城の気のせいなんじゃないか?」 わざとおどけたように言ってみせるが、木見城は疑いの眼差しをやめない。 これはもう、気づかれてしまっただろうか。 俺の目が、充血して少しまぶたが腫れていることに。
今、大学生の彼との出会いは、本当に何気ないことだった。 別に運命の出会いでもなんでもない。綺麗な顔をした部活のOB。 たまたま、練習試合に遊びに来ていて、お互いに話があって、意気投合した。 それだけで、終わることさえできていれば。 とても、優しい人だった。 だから、自分の気持ちが俺から遠ざかったのを自覚してすぐに、正直に 打ち明けてくれたのだ。
だから、俺も嘘をついた。
最初から、遊びだったんだよ、と。
遠くで、彼が今愛しているという男に、迎えられる彼を見て、 どうしようもなく涙がこみ上げてきたが、笑いながら手を振って見送った。
パチン、と軽く両頬に手の感触がする。
目の前で、木見城が泣いているような顔をしていた。
「な、どうしたんだよ木見城?!」 俺の頬に手をあてたまま、そのまま木見城の目から涙が出てくる。 まだ、俺は何も言ってないだろう。 ここで泣くのは、反則じゃないか?
「・・・・・・ぅッ、だって、さ、おちく、ぼ、お前すっごい辛そうな・・・・・・か、おしている・・・ッから!」
こいつは。 「・・・・・・れ?」 なんで。 昨日は、我慢できたはずだったのに。 涙を、止めることができずに俺の頬にあてたままの木見城の手へ向かって流れていく。
それから、ゆっくりと木見城の腕に包まれるが、いかんせん俺の方が図体がでかいので、 しがみついている格好になってしまい、思わず笑ってしまった。
「なッ、わ、笑うなよ!!」 良かった。
大丈夫、俺はまだ笑うことができる。 あなたのことが大好きだったから、すぐ忘れるなんてこと、できないけれど。
でも、俺は自分にも嘘をつくよ。 早く、俺を捨てて大切な人を見つけたあなたなんか忘れてしまえ、と。
俺の、大切な人に気持ちを早く伝えられるように。
*** 「尚(ひさし)!」 今日の練習試合も快勝だった。 思いっきりフィールドを木見城と走り回って、相手に3点差をつけての勝利だった。
そうして、泥だらけの体を備え付けのシャワーで洗い流してしまい、 まだシャワーを使っている木見城を待っていたところで、不意に声をかけられた。
それは、ずっと聞きたいと思っていた声だった。 それは、ずっと愛しいと思っていた、男の声で。
「・・・・・・久木センパイ? 久しぶりっすね」 見上げた先にいるのは、ひどくまじめな顔をした男。 1年たっても、その男が持ち前の美しさを失うことはなく、むしろ自分と一緒にいた時よりも 光り輝いているように見えた。
「尚・・・・・・今日もすごい活躍だったね。あの、ちょっと小柄な子。尚とツートップ張れるなんて すごいじゃない」 少し遠慮がちに話しかけられて、それに何とも思わない自分に、きっちりこの人との 関係が終わっていたことを知った。
「当たり前っすよ。利也(としや)は俺の相棒ですからね」 そう言って、笑う。 もうじき、彼がやってくる。 今日は、二人だけの快勝祝いをするのだ。 一人暮らしをしている利也の家で。
「そっか・・・・・・。君の活躍を最後に見れて良かったよ」 最後? と尋ねると、久木は後ろを振り向いて、手招きをする振りをした。
ゆっくりと近づいてきたのは、いやみなく高級ブランドのスーツを着こなす背の高い男。 その男は、あの日、久木を迎えに来ていた男だった。 男は、無遠慮かつ感情を感じさせない視線で射抜いてくる。 それには肩を竦めるしかなかった。
「明日、礼(らい)さんと一緒にしばらく大阪に行くことになったんだ。 きっと、尚の最後の試合も見れなくなっちゃうけど。 活躍を、祈っているから」 隣の男を簡単に紹介してから、久木は少し哀しそうに笑って言った。
「そっかぁ。それはちょっと寂しいかもしれないけど、俺、木見城とだったら 多分負けないから。安心してよ、センパイ。礼さんとお幸せに?」 ニヤ、と笑って言うと、久木は耳まで顔を赤くして、ただただ俯いた。 3人で立っていた間に木見城が戻ってきて、異様な光景にきょとんとする。
そうして礼が久木を促し、やがて木見城と二人だけになった。
「今の人って・・・・・・尚の昔のコイビト?」 遠慮のない問いかけに、思わず苦笑いする。
「そ。可愛い俺を捨てたヒドイ奴」 ふぅん、と相槌を返したきり、いつもはうるさいくらいに元気な木見城が黙った。 まだ頭一つ分小さい木見城の頭をポン、と叩いて、肩に腕をまわす。
「でも、俺がお前のこと好きになったのは、アイツに振られてヤケクソになってって 理由じゃないからな。ヤキモチ焼くなよ?」 そう言いながら軽くてっぺんに見えているつむじにキスをすると、 木見城が暴れだした。
「だ、誰が嫉妬なんかするかよッ!! どうせッ! 俺はうるせーし! サルみたいだし!!」 怒り心頭の姿さえ、愛しいと思ってしまう自分はもう重症かもしれない。
「嘘つくなよ。そんなに可愛い嫉妬していると、帰ってソッコーだぞ?」 笑いながら言ったら、思いっきり木見城の強烈な蹴りをくらう。
そのあまりの強烈さにしゃがみこむと、自分で蹴っておいて心配になったらしい 木見城が様子を見ようと自分もかがみこんできたところを掴まえて、思いっきり抱きしめてやった。
俺と木見城の笑い声が、もう他の部員たちがいなくなった校庭に、響き渡った。
FIN.
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