その日エリックは機嫌が悪かった。 連れ出されたゴドーはソワソワと辺りを見回す。 「・・・」 緑の灯りに包まれた店内、向かい合い席。 左手の人差し指で、机を規則的に小さく叩きながら、 窓の外を無表情にじっと見つめているエリックを前。 「機嫌悪いのか」 「・・・別に」 小さめの窓から取り入れられている外の光。 この空間は居心地が良いが、ゴドーを拒絶している。 「なぁ・・・」 「・・・」 声を掛けたが無視され、それはやはりエリックが、 機嫌の悪い印で。しかしそこはエリックだった。 目の力、返事をしたくない時、目だけで応じる。 「場違いじゃないか?」 「・・・」 壁に掛けられた皿には、色取り取りの細やかで美しい絵。 「そうでもないよ」 「いや、おまえにはよく似合ってんだ、問題は俺で、 その、あまり入らないんだ、こういう・・・」 「気どった店には?」 「そう気ど・・・いや」 「誰に似合うって?」 「あの、な、俺はそんな、おまえを気どった奴とか、 言いたいわけじゃなくて、その、あれだ、」 「・・・ゴドー」 「あ・・・」 気づけばウェイトレスが良い笑顔で、 コーヒーの三杯目を注いでくれようとしていた。 黒く渦巻いて満たされる飲料。 小さく礼をし、エリックに意識を戻す。 「今の子可愛いと思わない?」 「・・・」 質問内容を受け止める前、目の前にあった微笑みに固まる。 瞬時沸騰した胸、話題が女であるのが気に食わなかったが、 ゴドーの前では、素であるエリックが滅多に見せぬ笑み。 仮面であるだろう作り物らしい美だったが、 それでも、久しぶりに正面から見た笑みから、目が離せず、 「お・・・、ああ」 ウェイトレスを見もせず、空返事を向けた。 顔に熱が貼っている自覚はあり、 エリックの苦笑も聞こえた。 「そんな露骨な反応って・・・、まぁいいや、 ・・・上手く行きそうで良かった、俺も」 「・・・」 「あー、何かなー、 ・・・会いたいな」 ふいに、呟かれたエリックの言葉。 高鳴って温かくなっていた胸に矢。 「女・・・か・・・?」 「まぁね」 瞬時に気分が締まる。 嫉妬ぶかい言い方に嫌気がさすが、仕方がない。 「・・・そうか」 連絡が、なかなか付けられないのだろうか。 女に会えぬからずっと、機嫌が悪かったのか。 女の代わりに誘われたのかもしれない。 その疑惑は一度浮上して最後、 行き場の無い憤りが溢れ、声が出なくなる。 「・・・うー、 会いたい、 凄く今」 この残酷な仕打ちをそろそろ憎みたい。 「エリー」 「エリック」 「エリック」 「謝れ」 「は?」 幻で何度汚したか知らないし、申し訳なくも思う。 想いはすべてこちらの、 一方的なものばかりで、 諦めの悪い自分の落ち度も十分承知している。 承知している癖、被害者であることをやめない。 「俺に謝れ」 「何で」 「わからないか?」 「・・・」 誤魔化し笑う顔を睨む。 愚痴の一つも、聞いてやれない自分の、 友人としての限界を感じたが目を瞑る。 「わかってるはずだよな、俺の気持ちは」 「・・・あ」 「わかってて俺の前で、おまえはいつも」 「・・・う」 「胃が痛い・・・」 「・・・ごめん」 要求しておきながら、来た謝罪に苦々しい気分を作られる。 正直に言えば、謝罪されることは、あまり心地の良いものではなく、 しかしエリックに心内を知らせるために、主張する自分の必死の心。 「・・・」 沈黙が続き、エリックは今度は机を睨んでいる。 「あのね」 「何だ」 「打開しよう、この関係」 「・・・」 冷えて行く背と息の詰る感覚。逃げ出したいと、思う現実。 また眼前には笑み。エリックの仮面は何時見ても堅い。 エリックがふいに手を上げ、先程のウェイトレスを呼んだ。 「紹介するね」 「・・・?」 「俺が今お付き合いしてる子いるでしょ、 その子のお姉さん、おまえが俺といるとこ、 妹と一緒に見て、おまえに興味あるって」 にこにこと、溢れる笑顔が二つ。 心に、青の炎が燃えだし、暴れ出したい衝動。 的外れの、そして悪意のまったくない一太刀。 鬼のような顔をしていたのかもしれない、 エリックは一瞬、動揺したらしく仮面が揺らいだ。 腕を掴む、抵抗にあったが、強く握ると静まる。 「ごめん、ちょっと」 エリックが断りを入れたので遠慮はない。 手洗い場に向かう。 「落ち着けよ、話、 ちゃんと、俺はね、おまえのことを思って」 「思うなら区切りつけに付き合ってくれ」 「区切り?」 「すぐ済む」 「・・・?」 「タクシー代も払うしな」 「・・・ッ」 引かれるままだった腕が、ぐ、と重くなる。 エリックが緊張した面持ちで身を引いていた。 「俺と力で勝負する気か」 「店内、ここ、・・・話はわかったけど、 常識で考えようよ、わかったから、 今度、・・・その、区切り、意味はあの、 ・・・わかったから」 「・・・」 「とにかく今は冷静になれって、 大体イキナリ過ぎ、だってさっきまでおまえのほうも、 ちょっとその、普通に、興味ある感じだったみたいで、 もちろん向こうはおまえが好きだし、 だから話、上手くいくのかと思って、 俺は・・・、何かその・・・、 そろそろ潮時だって、思って少し、 寂しかったりもしたんですけど」 「何の話だ」 「だから・・・」 一瞬、眉を顰めて苛つきを示したエリックは、唇を噛む。 その様子が、ゴドーにすべてを悟らせ、ゴドーの胸を騒がす。 「そろそろあの子、上がる頃だから、店の裏におまえを連れてかなきゃ」 「・・・」 「そこまでが俺の仕事、あとはおまえの器量」 つまり機嫌が悪かったのはゴドーと女の中が、成立する恐怖で。 ならば仲介など引き受けるなよと言いたくなるが、 プライドが認めなかったのだろう、エリックの内に今ある感情を。 「おまえは妹のほうとイイ仲なんだろ」 「・・・?」 「姉にも興味あるのか」 「・・・何の話」 「不機嫌の原因は、姉か俺か」 「・・・ッ」 強張った瞳、言い当てられた心内に、 みるみる、エリックの顔色が変わる。 場を去ろうとするので、掴んでいた腕に力を込める。 「店の裏まで連れてくんだろ俺を、 ちゃんと引き合わせろ」 こちらを向かないエリックの、白い首筋を見つめる。 恋人に会いたがったのは気持ちを誤魔化すため・・・。 「話はどっちから出たんだ」 「向こう」 移動した場、店の裏。業務員用の、戸口の前。 ゴドーは口元に手を当てて、努めて平生を作る。 エリックが珍しく、そわそわと落ち着きが無い。 店の黒塗りの壁と、店の周りを囲うビルの茶の壁に挟まれて、 そこを通る風はスースーと肌に触る。 エリックの寄りかかっている黒の壁はつるつるに磨かれ、 鏡のようにこちらを映している。 そろそろ役目が終わるというエリック、 去ろうした時、引き止めればいいのか、 去った後追いかければいいのか。 自分を好く女がいるというのに、この思考。 いつもなら溜め息をつく所だったが、今日は目が泳ぐ。 コツ、と音がし、人の来た気配、そこで、 紹介するためだろうか、エリックが数歩前に出た。 そこで突然、振り返ったかと思うと、目が合った。 「っ」 「?!」 肩が引かれ、エリックの怒ったような顔が迫り、気がつけばラブシーンだった。 ゴドーはエリックより背があり、だからエリックはゴドーの首に、 腕を回して、下からのキス。横の黒壁にゴドーが目をやれば、 やたら様になるエリックの縋り付き型のキスを、受けている自分。 エリックの腰に、さりげなく腕を回す。 するとさらに縋り付いて来る。 解放されても、間近にある顔に眩暈。 「何が起こった?」 「・・・事故」 目を逸らし自嘲気味に呟くとエリックは下を向いた。 このまま、深くもう一度口付けたい気持ちを抑えて、 この機会を逃さぬよう、確認を取る。 「親友にキスすんのかおまえは」 「・・・」 勝ち誇った顔で、問うたのが悪かったのか、 沈黙が続き、ゴドーは苦笑する。 「何やってんだろうね、俺、ホント」 「エリー・・・」 「エリック」 「エリック」 「後ろ」 振り向いたエリックの頬を、女が元気良く叩いた。 「そういう関係ならそういう関係と、 先に言っておいて欲しかったわ、 妹にもよく伝えておきますから」 「・・・及ばないよ、これからすぐ、 謝りとお別れを俺から直接伝える」 「駄目よ、妹が貴方を振らないと、 私の腹の虫が収まらないわ」 「・・・はい」 大股で去っていく女の背を見つめ、 エリックは肩を落とす。 「おまえが関わるとろくな事無いよ」 「八つ当たりはよせ」 にやにやとしているこちらの顔を見たエリックは、 ひくりと眉根を寄せ、そっぽを向いた。
エリックの不機嫌は三日間治らなかった。
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