「室井くん」 大学の門の前で呼び止められる。 この寒いのに待ち伏せしていたのか。 鼻先が赤い。 小柄で髪の綺麗な女の子だった。 「何。」 女の子は耳まで赤くなった。 そして早口で言う。 「あの、私、宮内って言います。えと、少し、話しませんか」 冷たい風で女の子の髪が遊ぶ。 「いいよ」
女の子は可愛い。
「室井くんはどんな女の子が好き?」 「さあ。考えたことないから」 珈琲に砂糖を入れる仕種がかわいい。 僕を見る目も。 「じゃあ、甘いもの、好きでしょう?」 「何でわかるの」 「なんとなくよ」 からからと、笑う。 「じゃあ、宮内さんは、俺の事好きでしょ」 「・・・何でわかるの」 「なんとなく」 彼女は俯いて笑う。 「当ってるわ」 悪くない気分だ。
「壱、さっきの彼女?」 バイトの休憩時間、やたら雨宮と一緒になる。 落ち着かない。 「関係ない」 目を逸らして煙草をふかす。 そんな僕を見て雨宮は小さく笑い、僕の煙草で火を分けた。 「お前、それ止めろよ。」 「どうして」 「どうしても」 「口付みたいだから?」 かえす言葉が見つからない。 言い返せ。 早く。 早く。
「煩い。」 殆ど吸っていない煙草を捨てて、ドアへ向かう。 雨宮は出ていく僕を笑って見ていた。 僕は雨宮が嫌いだ。
「あ、室井くん。」 この前の女の子がまた門で待っている。 「一緒に、帰らない」 頬を赤くして笑う。 僕は彼女の手を握る。 「いいよ」 彼女の手は温かい。 「帰ろう」
僕らは頻繁に会うようになった。 つき合おうとは言わなかった。 面倒だったからだ。 彼女も何も言ってこない。 このままがよかった。 曖昧な関係が心地良い。
僕らは何度か寝た。 女の子は柔らかくて温かい。 このまま沈んで行きたいと、思う程。 だけど、決して「愛してる」という言葉に応えなかった。 その一言を言ってしまうと、戻って来れなくなるからだ。 僕は理性的な人間でいたい。
彼女と過ごした後、その足でバイトに行った。 眠くて仕方なかったのに、残業を頼まれた。 その上雨宮と一緒だなんて。 ついてない。 残業が終わって、23時をまわっていた。 帰る方向が同じだからと、雨宮はついてきた。 「なあ、壱。今日暇?」 いい加減、迷惑なのに気づけよと、いつも思う。 今日こそハッキリ言ってやる。 「悪いけど、そういうの迷惑。」 ちょっときつく言い過ぎたか、横目で雨宮をそうっと見た。 雨宮は気にする様子もなく、街灯の下、小さく笑った。 ふと、甘い匂いがした。 多分花の匂いだと思う。 「壱。」 この季節、どこにも花なんてないのに。 僕は甘い匂いに耐えれず咽せた。 「何なんだよ、この匂い。」 僕は雨宮を睨んだ。 雨宮は相変わらずで、やっぱり小さく笑っている。 「雨宮」 「壱。知ってる。昔の人は匂いで人を好きになったんだって。 本能で人を選ぶ。」 「だからなんだよ。」 「僕もそういうこと、あるから」 雨宮が何をいいたいのか分からなかった。 ああ、そう。 それしか言うことはないじゃないか。 ああ、まただ。 またあの甘い匂い。 自分が自分でいられなくなりそうだ。 「壱。」 ああ、雨宮の声がする。 「壱。」 熱い。 耳の裏側が熱い。 瞼も。 首の根も。 「壱は花の匂いだ。」
「雨宮。」 僕らは口付けた。 不思議と厭ではなかった。 雨宮は僕の事が好きなのだ。 僕は雨宮を嫌いだけど、拒まなかった。 雨宮の匂いは好きだ。
あの咽せるような甘い匂いの中で、僕らはしばらく口付けていた。 雨宮は、そうっと僕の唇を噛んだ。 「壱。」 目を瞑ると赤や緑が浮かんだ。 急に雨宮が欲しくなった。 自分のものにしたくなった。 だけど口が裂けてもそんなこと言ってやらない。 僕は理性的だ。 雨宮とは違う。 だけど。
「壱、僕が欲しい?」 口付を止めて雨宮は言う。 「何言ってんだよ。俺もお前も男だ。そんなわけない」 もう、今さら何を言っても遅かった。 僕は雨宮が欲しかった。 雨宮はそれを知ってるのか。 小さく笑う。 「壱が、欲しい」 甘い匂いの中。 僕の理性はぱちんと音をたてた。 もう、どうすることもできなくなっていた。
「何、もしかして緊張してる」 雨宮の部屋には植物がところ狭しと置かれている。 見かけによらず園芸マニアらしい。 だから花の匂いがしたのか。 「何に緊張するんだよ」 甘い花の匂いは部屋中に充満していた。 正気でいられるはずがない。 今にも壊れてしまいそうなのをどうにか押さえているのだ。 こんなの僕じゃない。
「壱。」 雨宮の唇が耳の裏側に触れる。 「厭だ。」 忽ち熱くなる。 「何が。」 今度は瞼。 「俺は、お前なんか、欲しく、ない。」 「壱。」 最後は首の根。 僕に花が咲く。 熱い。 もう遅い。 「簡単だよ。」 そう、簡単なこと。 甘い匂いが強くなる。 雨宮は信じられない程柔らかく触れる。 「お前なんか、嫌いだ。」 だけど止まらなかった。 雨宮は僕の熱に触れる。 そして僕も雨宮に触れる。 熱が重なりあう度びりびりと感じた。 「これは厭じゃない?」 「うん。」
雨宮は僕を口にする。 「雨宮。」 さすがに抵抗した。 男と、ていうのはどんなものか知らない。 だけどもう、僕にはそんなこと考える余裕なんてなかった。 只、溺れていくだけだった。 「あ。」 「壱。いいんだよ。」 「厭だ。止めろ。厭だ。」 雨宮の髪を掴む。 「壱。出して。」 雨宮は続けた。 「ふ。」 「あ。」 僕は雨宮の口腔で弾けた。 雨宮の喉が鳴る。 「雨宮、呑んだのか。」 雨宮は小さく笑う。 「壱は今、ここら辺だ。」 そう言って雨宮は喉元から胸、そして腹を指差した。 熱はまだ冷めない。
「こうゆうのは?」 厭じゃなかった。 味わったことのない熱だ。 「厭。じゃ。ない。けど。」 「けど?」 「こんなことするなんて。変だ。俺もお前も男だ。こんなこと。だって。」 うまく舌がまわらない。 植物の緑がちかちかする。 あんなに緑は鮮やかに発色するものなのか。 「いいんだよ。感じるだけで。あとのことは考えなくて、いいんだ。」 答えになってない、そう思ったけど僕の身体は納得していた。
「室井くん」 僕の心臓がひとつ、大きく音をたてる。 また門で彼女が待っていた。 彼女はじっと僕を見ている。 「何」 なんだか顔が見れない。 「今日、暇?」 彼女の甘い香水に思わず顔を顰める。 厭だ。 「悪いけど、今日はこれからバイトがあるから」 嘘を吐いた。 だけど今直ぐこの場から逃げ出したかった。 この匂いに耐えられない。 「そう。じゃあ、また今度」 彼女は残念そうに去っていく。 彼女は気づいただろうか。 僕の態度に。 僕の身体はおかしくなってしまった。 全部あいつのせいだ。
「壱、もう慣れた?」 甘い匂いの中、僕らは熱を放つ。 「お前のせいだ。俺は、」 雨宮は僕を見た。 「壱、あの女の子の事、好きじゃなくなった?」 違う、そうじゃなくて。 「わからない。」 「僕はいいよ、壱が誰を好きで、誰と寝ても。」
瞬間、頭の中が真っ白になった。 気がついたら僕は雨宮を殴っていた。 雨宮の口の端から少し血が出ている。 「ちっとも効かない。慣れてるんだ。」 小さく笑う。
「どうして、」 「壱、泣いてる。」
「どうして俺なんだ、」
体中が締め付けられる。 何なんだ。 どうして。 こんな。
「壱、それは僕にもわからないよ。」 雨宮は僕を抱き締める。 甘い匂い。 「聞こえる?心臓のおと。こいつがさ、壱のこと好きだって。」 雨宮から伝わる振動は、次第に早くなっていく。 「僕には止められないんだ。」 僕の心臓も、同じように早くなっていく。
「壱、」 「なに。」 雨宮は僕を抱きしめたまま云う。 「僕らはもう、繋がってるんだよ。」
僕らは繋がっている。 甘い匂いは、僕らの体に溶けていく。
そして 僕らは花になる。
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