「間違いだらけの理想論の整理はついたか?」
硝煙が廃墟の周りから立ち込めて、砂煙と共に曇り空に舞った。 自分は肩にかけたライフルを掛け直しながら視線を足元の転がった男に尋ねる。 赤黒い服を纏って穴の開いた腹部に手を乗せて笑う男に。
「いいや。走馬灯が邪魔で頭の中がまるで写真に埋まる部屋みたいだな」
「・・・・その頭に穴を開けたら、随分その部屋もすっきりするだろうな」
革製のホルスターから外したリボルバーを転がる男の眉間に焦点を合わせる。 銀色に光るそれを見た男は苦い顔を作って腹に当てた手の逆の手で払う仕草を見せた。
「冗談。余計なことすんなよ」
「今更、数百秒の違いだろ?」
「んー?あぁ、まぁな。そりゃそうか。」
彼は喉で笑う。笑うたび、穴の開いた腹から鮮血が湯水のように溢れ出る。 けれど彼は笑った。汚れた灰色の空の下、力なく仰向けになってその四肢を投げ出し笑う。 敗者に似合わない、子供のような朗笑。
「おい」
「・・・・なんだ」
「どうした、お前は笑わなくて良いのか?勝者。」
「笑ってるだろう」
軽やかに笑い続ける男から視線を逸らし自分は言い放った。 分かりきった嘘。口元に笑みを浮かべず、ただ自分はここに来てしまった事を悔いた。 そして足元を浸す赤い水溜りが自分を通り過ぎるのを少し黙って見つめた。 けれど男は視界の端できょとんと目を丸くしてから、また口の端を上げて笑みをつくる。 その笑みは、どこか不敵。
「どうりで見えない訳だ。血の流しすぎで視界がぼやけてやがんだな」
「・・この距離で見えないとなると、相当だろうな」
「あぁ。だからちょっと・・かがめよ」
「・・・・・敗者が命令するな」
「敗者に優しくできないほど、慈悲が無いわけじゃないだろう?勝者」
なぁ、と不敵な笑みのまま男は腕をふらふらと伸ばしてきた。 その笑みこそは鮮烈に生きるものの力を感じるのに、身体はその意思にそぐわない。 自分は一瞬だけ躊躇し、おもむろに片膝を立て腰を下ろす。 瞳を合わせると男は歯を見せて笑った。
「見えねぇよ」
右腕で首の後ろを手繰り寄せられて唇を合わせる。 這う様な舌先に眩んだ目は、何故か閉じられず眉間にしわを寄せて開いたまま。 首を押さえつける腕は耳元でぱきぱきと枯れ木が折れるような音を鳴らす。
「ッ、・・ん 」
口内でやまず舌を動かす男は瞳を逸らさない。至近距離過ぎて逆に見にくい。 終焉を迎えた戦場に響く唾液の鳴る音。息苦しくて相手の地に流れるブラウンの髪を掴む。 理解はしてる。これは死ぬ間際だからこその人としての性なのだと。 数秒のそれは、どちらともなしに離れた。
「・・・これぐらいじゃねぇと、見えねぇな」
「・・・・さっさと何も見えなくなれ」
見下ろしながら自分は何か言おうとした言葉が形にならなかった。 ふと視線を下げると地面についていた方の片膝が流れ出る血で赤黒く変色していた。 そのおびただしい血の量を見て口を開くと言葉をつく前に男の右手が頬に添えられた。
「それでもやっぱ、笑ってねぇなぁ」
つまらなそうに呟く男に一瞬あっけに取られた自分は、その腕を払った。 力なく地に倒れた腕を一瞥して男はどうした。と自分に尋ねてくる。鮮血を流す男がだ。
「昔はお前、笑ってたろうが」
「・・・・」
「・・ま、分かってんだ。俺にもお前にも譲れないもんとか、立場とか名誉とかあるって」
だからこうなった事も、これが自分の結末だという事も分かってる。 自分に何が足りなかったのか、何が必要だったのか分からないけど、これだけは分かる。 自分は死んで、お前は生きて、世界は変わってただ廻る。
「・・・死ぬ事はそんなに、簡単に割り切れるものなのか?」
「まさか。もし少しでも俺が動けたら、ナイフ持ってお前を殺したいね」
「悪いが、俺も殺される優しさは持ち合わせていない」
「だろうな。けどそれで良い。もう、な。・・終ってみるとよく分かるだろ?」
自分たちがどれほど不毛で、下らなくて、寂しい事をしてたかって事が。 そして自分たちは薄々気付いてる。知らなければいい事を、気付かなければ幸せな事を。 この戦場はまた創られる。違う場所で、違う者達と。この戦火は終らない。
「・・・・・そうだろうな。」
「・・俺はここで終りだけど、お前はまだ生きられるんだ。だからとりあえず笑っとけって」
人を殺した上での生。人を殺した上での死。それを理解してるからこそ、男は笑った。 淡く微笑んだ。泡のように儚くて夕日のように優しい笑み。
「滑稽だなんて言ってくれるな。これが俺の一生だ」
言ってからけらけらと男は明るく笑った。 その笑い声に混じって咳が激しくなり、内臓から逆流した血液を吐く。 最後に一度大きく咳をして飛び散った血が自分の腕につく。
「・・・俺が見えるか?」
「は・・、っは・・は・・ん?あぁ、見えてるぜ」
「なら、お前の目の前に居る死にぞこないのお前を愛してる男はお前にとってなんだ?」
息遣いが荒くなってきた男は霞んできたのだろう視界で、目を凝らして自分を見る。 さっき、言いかけた言葉を自分はとうとう吐いてしまった。 そして告げた瞬間自分は悟った。この日の事を自分は一生後悔して生きるのだろうと。 そんな自分の考えとは裏腹に、目の前で死ぬ男は屈託なく笑う。
「俺を愛してくれた大馬鹿な敵の男だ」
「・・・・・そうか」
「・・笑えん、じゃん」
笑ったのだろうか、自分は。 男は穏やかに呼吸をして、弱弱しいその瞳で最後に微笑んだ。
「俺は、お前しか写ってない写真に埋もれて死んどくよ。」
|