近所にある古い家の、変な人。お母さんに聞けば、まだ大学生だって言ってた。近所でも有名ないい人で、そして近所でも有名な大の猫好き。僕から言わせると、まあ見た目は若いし優しそうだけど、やっていることや雰囲気が年寄り臭いと思う。 毎日神社に通い、そこにいるたくさんの猫と一人会話を楽しんでいる。えさなんかをあげながら、嬉しそうに笑ってる、変な人。
「真人」
今日もまたいつものように神社で猫とおしゃべりをしていた彼の名を呼ぶと、彼は笑顔で手を振って見せた。
「今日は天気がいいから、猫さんたちが全員集まってきてるんだ」
機嫌良さそうにそう言う真人の隣に腰を下ろして、僕は擦り寄ってきた猫のあごの下を撫でた。真人が教えてくれた、猫が撫でられて喜ぶところを優しく撫でる。そうすれば猫は嬉しそうに喉を鳴らして、ごろりと寝転がるのだ。
「いつも思うんだけど……真人ってさ、猫とおしゃべりできるの?」 「うーん、多分。ちゃんとした会話は出来ないんだけど、なんとなく分かる感じなんだ」
変なの。 そう言って、ランドセルの中に入っていた給食の残りのパンを猫にあげる僕に、真人は怒ることもなく、えへへと笑って頭をかいた。
「ねえ、何で猫好きなの?」
問いかけた僕を見て、すこし考えた後。
「なんとなく、かな」
彼は自分でも分かっていない、と言って、僕の持っていたパンの半分を口へと運んだ。そんな真人に、僕はいつものように呟く。
「僕も好きだよ、真人のこと。なんとなく」
そうすれば彼は、嬉しそうに笑ってくれる。「ありがとう」と言ってくれる。 けれど僕は、どんなに笑顔でお礼を言われても、すこししか嬉しくなれない。どうしてなのかは分からないけど、なにかが足りないような、そんな感じ。
□
雨の日は、神社には誰もいない。学校の帰りにいつも見かける真人の姿も、たくさんの猫の姿もありはしない。ただ、神社本来の静かな雰囲気をかもし出している。
「萩?どうしたんだよ、ぼぅっとして」
黄色い傘を差して、隣を歩いていた同級生の呼びかけにハッとする。気がつけば神社のほうをじっと見つめたまま立ち止まっていた。 怪訝そうに問いかけてくる同級生に、なんでもないと答えて足を進めようとする。
「……先に、帰ってて」 「え?帰ってろ、て言われても……お前、今日ウチでゲーム……」 「ごめん、また明日っ」
僕はその場から走り去る。神社の階段を駆け上がって、小さな鳥居をくぐった。友達との約束を破ってまで、どうしてこの場所へ来たのか自分でも分からない。……もしかしたら、ここにくれば彼がいると思ったからなのかもしれない。 神様を祀っている建物の屋根の下で一息ついて、僕はどこかで傘を落としてしまったことに気がついた。いつの間にか、自分自身もびしょぬれである。ランドセルに入れておいたはずのタオルも、使い物にならないくらいに水がしみていた。 ……なんでこんなところに来たんだろう。誰もいないのに、何をするわけでもないのに、変なの。 自分に疑問を浮かべながら、今後の行動を頭の中で設計する。このまま待っていても雨が上がるコトはないと思う。びしょぬれで帰るしかないのだろうか。
にゃーん。
足元に、白いもふもふがすり寄ってくる。瞳の黄色い、白い猫。なんどか見かけたことのある、真人のお気に入りの猫だ。首もとの鈴をリンと鳴らせながら、はやく撫でてよ、と言いたげに寝転がってお腹を見せてくる。 僕は濡れた手の水を振り払ってから、猫を撫でた。すごく温かくて、このままギュッと抱き締めたらもっとあったかいかなーなんて考えた。
「……ねえ、僕のこと好き?」 にゃーん。
そう呟けば、すぐに答えてくれる。でも、なんとなく足りない感じ。
「どれくらい?」
そう問いかければ、まるで僕の言っていることが分かっているかのように、座り込んでいた僕の膝の上に飛び乗って。それから僕の唇をぺろりと舐めた。
「僕も好きだよ。なんとなく」 にゃん。
僕はランドセルを枕にして、濡れないところに寝転がる。猫も僕に寄り添うように、喉を鳴らしながら引っ付いてきた。
「……このまま雨がやむまで昼寝しようかな……」
猫にそう言うと、返事が返ってくる。
「でも明日にならないと雨、やまないよ」 「……うん……?」
うっすら目を開けると、僕の傘を差した真人が立っていた。いつも見せるにっこり笑顔じゃなくて、すこしだけ怒ったような、悲しそうな顔を見せていた。 ……嫌だな、その顔。見たくないよ。
「どうしてこんなところで寝てたの」
すこし怖かった。だから、聞かれた質問にちゃんと答えることも出来ずに。
「……ごめんなさい」
その一言しかいえなかった。怒ってほしくない、嫌われたくない。真人には、真人が猫のことを好きなように、僕のことも好きでいてほしい。猫より好きになってほしいって我儘は言わない。だから、何度もごめんなさいと呟いた。 あふれた涙は、髪の毛から滴る水滴と一緒に地面へと流れ落ちた。
「……僕はね、怒ってるわけじゃない。ただ、すこし驚いたんだよ。猫に餌をあげにきたら、キミの名前が書いた傘が落ちていて……。慌ててここまであがってくれば、キミは地面に倒れこんでるし。……一瞬、死んでたらどうしようって考えた」 「…心配、してくれたの……?」 「すごく」
真人は自分の着ていた上着を貸してくれた。大きなその上着には、たくさんの猫の毛と、ふんわり太陽の匂いが染み付いていた。
□
僕は今日も神社へ通う。猫好きな彼に、好きになってもらうために。
「真人のこと、好きだよ。なんとなく」
彼がなんとなく猫を好きなように、僕もなんとなく彼が好き。ううん、本当はなんとなくなんかじゃなくて、すごく好き。 今日こそは「ありがとう」じゃない返事を聞こうと、毎日のように彼に呟く好きの言葉。すると彼は、いつものようににっこり笑顔で。
「僕も好きだよ。」
ここにいるみんなよりも。と、真人は言葉を続ける。 みんなは、不服そうな声でにゃーんと鳴いて声を響かせた。
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