無断転載禁止 / reproduction prohibited.
 (激甘 尽くし責め/--)
バラ色の日々「会いたい」


「え・・・?今、なんて言ったの?」
「会いたい・・・と!そう申し上げました」
あまりにも切羽詰った声で切実に叫ばれて、僕は思わず耳を
疑ってしまった。
時刻は午後11時。仕事は昼間のうちにキリの良い所まで
片付けていた僕は、そろそろ寝る支度を始めようか。と、
ぼんやりと思っていたときだった。
そんな電話がかかってきたのは。
「ユウさんに会いたくて堪らないのです!このまま何もかも
捨てて飛んで帰りたいぐらいです!」
「え・・・と、帰ってこられるのかい?」
「それは・・・っ」
不可能なのですが。と、さっきまでの勢いはどこへやら。
京介は消え入りそうな声でそう言った。どこから電話をかけて
きているのか、助教授室ではないことは確かだ。
京介の背後からは、うわん・・・と声が響いている音がする。
簡単に予想するに、多分、病院の非常階段なのだろう。
助教授室に帰る暇もないぐらいの切羽詰った状況は、時も場所も
選んではいられない京介の切実な状況を伝えてきていた。
「このようなことを申し上げるのは大変に心苦しいのですが、
私にっ・・・会いに来てはいただけないでしょうか」
「いいよ」
「ご無理を申し上げていることは百も承知しております。
ユウさんの貴重なお時間を私の我侭で奪う権利などないことも
承知しております。ですがっ・・・っ」
「京介。行くよ、今から」
「ユウ・・・さん?」
「行けば少しは顔が見られるのかな。まさか僕は集中治療室に
会いに行くわけじゃないよね」
「そんなことは決して!」
勢い込んで言う京介の声には戸惑いが含まれていた。
確かに思い出してみても、京介が僕に会いに来ることは数多くても、
その逆は、きっと限りなくゼロに近いものだろう。
ましてや、「会いたいから今すぐに来て欲しい」なんてリクエストは
僕の記憶の中を探ってみても皆無に近いものだった。
「病院のほうがいい?それとも大学?」
「だっ・・・大学でお願いしてもよろしいでしょうか」
いいよ。と僕は笑って電話を切った。なにを遠慮されているんだろう。
なんてね。考えちゃったら、やっぱり笑っちゃったんだ。
だって、なんだかウキウキするみたいな気持ちが沸いてきちゃってさ。
京介はあんなに切羽詰っているのに、これって不謹慎かな。と思ったら
余計に、ね。

挨拶が遅れてごめん。
僕は秋葉優(あきば・すぐる)と読む。
まあ、自分の両親ですら、すでに「すぐる」なんて名前は忘れてしまっているのか、
みんながみんな「ユウ」って呼ぶから、そろそろ本名も改名した方がいいんじゃないかな。
ってぐらい「ユウ」に馴染んでいる。
職業は、最近ようやくコンスタントに仕事がくるようになったミステリ作家だ。
同居人、と言えばいいのか。大家なのか、同級生なのか、全部、ひっくるめた彼は伊集院京介。
僕は大学時代から彼に求愛され続け、足掛け5年!それに耐えてきたんだけど、
まあ、今は・・・そういうカンジだ。
どういうカンジなのかは、長い話になってしまうので別の機会にね。
物凄く古式ゆかしい名前を持っているが、彼、本籍はイギリス。
系譜を辿ると、物凄く面倒なので、今は祖母(だったかな)の持つ日本名で通している。
母校の大学の医学部(専攻は大脳生理学)の助教授だ。
容姿端麗・頭脳明晰・全知全能・完全無欠・眉目秀麗・明眸皓歯という、
とりあえず四字熟語でしか表現が出来ない、うん、なんて言うのだろう。
ああ、神様っているんだな。っていう、とにかくそんなヤツなんだ。
まあ、僕から言わせると実はそんなことは全然なくて、
僕に関しては完璧でありたいと思っている粗忽者なんだけどね。
それがあるからこんなに長く付き合っていられるんじゃないかなあ。
と思ったりしているわけだ。
そうじゃなかったら、そんな存在するだけで全人類に対して嫌味の見本みたいな
ヤツと一緒にいたりしないよ。
あまつさえ、ねえ?

長い夏休みが終わってすぐに、京介が現在研究している・・・学名は
よくわからない。ただすごく珍しいと言っては失礼だけど、そうこの
病気にかかる人というのは世界中探しても、ほんの一握りという
患者さんが救急で運ばれてきた。学名とか病状のくわしいことは僕には
申し訳ないけれど、さっぱりわからない。
緊急手術をして、経過三日目。京介からの電話がさっきが始めてで、
家に帰ってこなくなってからは5日が経っていた。
「自分で電話もかけて来られないぐらいだからねえ」
僕は自転車をちょっと早めに漕ぎながら、思わず一人で呟いてしまった。
京介のそんな状況を伝えてくれたのは、京介の秘書さんだ。
京介が自分から電話もしてこないことも驚きだったけれど、今夜の電話も
まったく青天の霹靂みたいな出来事に等しくて。
まったく同じ毎日とか、まったく同じ気持ちでいられるなんて奇跡を
僕は信じていないけれど、そこに人の気持ちを、ましてや京介の
気持ちを斟酌出来ないような狭量の持ち主ではないつもりなんだ。
「あれが世界の至宝のやることかね」
ぷっ、と僕は風を切りなから笑ってしまった。
閉じられた大学の鉄の門にがっちりと両手を絡ませて、校門まで
一本道の並木道を首をいっぱいに伸ばして窺う京介の姿がちらりと見えた。
「ユ・・・っ、ユウさんっ!」
ガチャガチャと鉄の門を揺らす音が人気のない銀杏並木に響く。
「いっ、伊集院先生ッ」
校門脇に設置された警備員の詰め所から慌てて警備員が飛び出してきて
まるで酔っ払いみたいに校門を揺らす京介を背中から羽交い絞めしている。
「離せっ!私のユウさんがっいらっしゃるというのに!きみが止める
権利などどこにあるというのだっ」
「ありませんっ・・・ありませんが、壊れますからっ」
「直せばよろしいっ」
そういう問題か?
キュッと自転車のブレーキを踏みながら、僕は呆れていいやら、
笑ったほうがいいのか、まったく複雑な顔したまま、自転車を止めた。
「あ・・・ああっ・・・ユウ、さんっ、ユウさんですね!」
「京介っ!」
伊集院先生っ!と警備員さんの声が僕に重なった。京介は鉄の門を
掴みながらヘナヘナと地面に座り込んでしまったからだ。
僕は自転車をきちんと止めることなく、飛び降りると警備員さんが
内側から開けてくれた通用門から急いで飛び込んだ。
「ユウさん・・・ですか?」
「はい。秋葉優と言います」
まさか「ユウさん」が僕みたいなヤツだとは思ってもいなかったのだろう。
警備員は目を白黒とさせながら、僕の身元を確認した。もっとも本名でも
ないのだけど。
「あのー、伊集院先生ですが警備員室に運びましょうか。30分ぐらい
前からずっとあの調子でしたから。その・・・疲れていると思うので」
「あー・・・すいません」
呆れているのだろう。警備員さんは慎重に言葉を選びながら言っている
けれど、30分前と言ったら、僕と電話を切った直後からだということだ。
「今、人を呼んできますから」
「あ、大丈夫ですよ。そんなことしたら起きたら手に負えないことに
なっちゃいますよ」
「は!?」
警備員さんの目を丸くした様子に僕はクスクスと笑ってしまった。
それからへたり込んで失神した京介の両頬に手を当てた。
「京介。帰っちゃうよ?」
「ユウさんっ!後生ですからそんなことおっしゃらないでくださいっ」
「・・・と、いうことですから」
バチッと音をたてて目を開けた京介は、真っ先に僕にすがりつくかの
ように両手を伸ばしてきたところをパシッと音を立てて振り落とすと、
僕は警備員さんに向かってそう言った。
「さあ。行くよ」
「え・・・どちらに、ですか」
「まだ眠っているのかい?病院に帰るに決まっているだろ」
お騒がせしてすいませんでした。と、僕は丁寧に頭を下げてから、
すがりつくような目で僕を見ていた京介の腕を引き上げた。
「ユ、ユウさんっ、お待ちくださいっ」
「早くしないと後悔するぞー」
引き上げただけで、さっさと先に立って歩き始めてしまった僕を
京介の慌てた声が追いかけてきた。

「ねえ。なんでそんなに離れて歩くの?」
僕はぴたりと歩みを止めて、三歩後ろを歩く京介を振り返った。
ユウさんがいらっしゃってくださるなんて僥倖だ、とか、嬉しさに
胸がはちきれんばかりです。とか、相も変わらず歯が浮くような
台詞を並べ立てているけれど、それも全て背中から聞こえるもので。
「申し訳ありません。本日はシャワーを浴びている時間もなかった
ものですから。ユウさんをご不快にさせてはならないと思いまして」
「会いに来い、なんて言ったこと後悔しているんだろ」
「それはもう!自分の愚かさに呆れるばかりです」
きっぱりと言い切るあたりが本当に京介らしい。僕は振り返り、
たった三歩で京介に並ぶと、少ししょぼくれている顔を見上げた。
「どうせ後悔するんだったら、せっかくここまで来た僕と一緒に
いないことをすべきなんじゃない?」
「ユウさんっ!」
京介は瞬間的に手を伸ばしかけ、それからそれをすぐに引っ込めた。
さっき僕に振り払われたことが、ちょっと響いているらしい。僕は
ほんの少し苦笑いをして、それからゆっくりと歩き始めた。
「何度も病院にも来ているし、きみの部屋にも行っているけどさ、
案外こうして医学部の敷地を歩いたことってないんだな。って
思ったよ」
「そう言われてみると確かに。私がユウさんのいらっしゃる文学部に
赴く機会のほうが多かったですからね。あのときも今も、ユウさんを
恋しく思う気持ちに遜色はまったくありませんが」
京介は少し躊躇った後、それでも僕に歩調を合わせて歩き始めた。
意識すれば、すぐにでも足が止まってしまうほどの遅さは、
くすぐったいほどに身近な思い出話にはびったりの速度だった。
「私は一度ならず文学部に移籍しようと画策したものですよ」
「ホントに?そんなこと初めて聞いたよ」
「ユウさんがいらっしゃるだけで、私にとっては十分な移籍理由
だったのですが。周囲の理解を得られず断念いたしました」
「あは、確かに理由にならないね」
そうでしょうか。と、京介は真顔で首を捻った。
「単位も随分と落して強硬な姿勢を取っていたんですが」
「きみが!?単位を落したことがあるの!?」
「ええ。額面上はありません。あー・・・試験は出ていましたし。
ですが授業はずいぶんと出ていなかったこともあるのです」
「なんで?」
「もちろん。ユウさんのスケジュールに合わせるために。そうしないと
一日顔も見られないという由々しき事態になり兼ねませんでしたから」
さらりと京介は言ったけれど、まったく僕には初耳のことばかりで
驚くことばかりだった。
テストも実技も満点だけど、授業には欠席しがち。なんて想像も
していなかったんだ。当時の僕は「またいるんだ」という、つまりは
それぐらいの気持ちしか持っていなかったから。京介がそんな
涙ぐましい努力・・・とは言わないか。そうして会える時間を捻出
していたなんて思ってもみないことで。
「大学に残ることにしたのも、ここならばユウさんの面影が沢山
残っているからです。ですが、医学部にはそれがないですからね。
夢想することも出来なく寂しいばかりです」
「夢想って?例えばどんなこと?」
僕はふと歩きながら京介を見上げた。
大学の構内でも、医学部は一番の奥地にある。そうはいっても歩いて
たった15分ほどの距離だけど。
夜の構内は節電なのだろうか。電灯が三つに一つしかついていないし、
それも消えかかっているものが多い。深夜まで研究に没頭している
部屋数もそんなに多くは見られないから、舗装されているけれど、
木立の中の小道は薄暗かった。
「そうですね・・・例えば、構内を手を繋いで歩きたいですとか」
「そんな非道なことを考えていたのかい!」
「ええ」
「それから?」
「周囲の景色が見えなくなるほど見つめあいたいですとか」
「悪辣だね!」
「ええ」
「それから?」
「木立の中で愛を語り合いたいですとか」
「想像を絶するね!」
「ええ」
「それから?」
「・・・口付けたい」
「いいね」
ふっ。と僕は笑んでから両腕をいっばいに伸ばして、くしゃくしゃな
京介の頭を引き寄せた。
笑んだままの唇が、かさかさに乾いた京介の唇に触れた。本当に一瞬。
離れ際に、ペロリと乾いた唇を舐めて潤してから身体を離した。
「・・・ユウさん!?」
「夢が叶って良かったね」
「よ、よろしいのですか・・・こ、こんな」
京介は濡れた唇に自分の手を当てた。まるでそこから感触が今にも
逃げて行ってしのうかのように。
「僕はこれでも案外とケチだからね。昼間にして誰かに見せ付ける
ようなことはしないんだ」
もったいないだろ。と、僕が笑いながら言うと、京介は目じりをいっぱいに
下げながら頷いた。
「・・・抱きしめてもよろしいですか」
「それは駄目」
「な、なぜですか?いま少しユウさんを感じたいと思うことは罪に値
することでしょうか」
「あのね。きみ、本当に僕のことを想っているわけ?!」
「もちろんですとも!私がユウさん以外のどなたのことを想うと
おっしゃるのです」
「だったら。里心を残すなって言いたいの、僕は」
僕は京介が自分の口を覆っている手のひらを無理やりひっぺがすと、
もう一度、その唇に触れるだけのキスをした。
手を繋いだり、見詰め合ったり、ましてや抱きしめたり、きっと触れる
時間が長くなればなるほど、離れがたくなるのは必定なことで。
僕が少し腹が立つのは、そう思ってしまうのは京介が自分一人の特権
だと思い込んでいることだ。
「・・・もう夏休みも終わりだね」
「ええ。ご一緒にいられる愛しい時間は瞬きよりも早く、これだけの
時間を一人で耐え切ることが私には出来なくなっていました」
「そうだね」
同じ気持ちでいるよ。そう言うのはひどく簡単なことだけど、簡単
すぎて、安易に流されちゃいけないことでもあって。決別でも別離でも
別居でもなんでもない。ただ日常生活に戻るということが実はこんなに
難しいことだなんて想像もしていなかったんだ。
「心臓をユウさんの元に置いてきてしまったような心地です。とても
空虚で、とても恋しい」
京介の言葉がダイレクトに届いて、僕は返す言葉を失ってしまった。
ゆっくりゆっくり歩いているはずなのに、煌々と灯りのついた病院は
気がつけば目の前で。
「・・・電話鳴っているよ」
「ええ、そうですね」
白衣の中の携帯電話がけたたましく鳴り始めた。京介は素早く電話を
出ると、たった一言「すぐに帰ります」そう言って相手の返事も聞かずに
切ってしまった。
「ユウさん」
京介はまだ戦闘モードになりきれない顔を、ひどく切なそうに歪めながら、
僕の目の前に立った。
「愛してます、なんて言うなよ。聞きたくないからな」
「あ・・・」
図星に違いない。と僕が言った言葉は核心だったのだろう。京介は言葉に
詰まり、困ったように眉根を寄せた。
「僕が言うよ」
「え?」
京介の目が驚きに見開かれた。僕は、京介が置きっぱなしにしてしまった
という彼の心臓を白衣の上から人差し指でとん・・・と押さえた。
「また明日ね」
とくん。と京介の心臓が踊るように跳ね上がった。
「はい。ユウさん。お待ち申し上げております」
きゅっと京介の口角が持ち上がり、華が綻ぶように微笑んだ。それから
くるりと踵を返し、灯りの灯る病院の玄関に向かって走り出した。
一度も振り向くことなく。
だけどそれでいいんだと思った。

京介と出会ってから、きっと初めてだろう長い夏休みは、僕にも、そして
京介にも深い後遺症を残した。
しばらくはまた大学に通うことになると思う。
そんな時間も苦にならないほど、ね。

作者のホームページへ「「バラ色の日々」はHPにて100本以上続いている全て「読みきり」です。」
...2008/9/21(日) [No.445]
未来淳良
No. Pass
>>back

無断転載禁止 / Korea
The ban on unapproved reproduction.
著作権はそれぞれの作者に帰属します

* Rainbow's xxx v1.1201 *