「・・すっごい顔。どうした?誰かにいじめられたか?」
そいつは穏やかな、それでいて悪戯な笑みを顔に貼り付けて自分を見下ろした。
深夜1時の仕事終りにこんな街を走るはめになった。 ネクタイを緩めてワイシャツの袖で汗を拭う。30代も終える身体にはきつい運動だ。 それでも足を休めずにあいつが行きそうな場所に足を運んだ。深夜の1時にだ。 見つけたのは公園の街灯上。
文句を言いたくても身体が頭についていかない。肩で息をして睨みつける。 声も出ない自分を見てそいつは苦笑しつつ少しだけ降下した。
「無理すんな。人間の38はもう体力が落ちる頃だろ?全力疾走っつーのはきつい」
「・・ッ、お前。ちゃんと降りて来い一発殴ってやるから」
「・・・・。今日は遠慮しとくわ。お前の本気は俺には痛い」
見下ろしたまま鼻で息を吐いて寂しげに笑った。 宙に浮いてポケットに手を入れながらおもむろにそいつは深夜1時の空を仰ぐ。 滑り台とブランコ、ありきたりな遊具しかない公園。案外、似合うなとぼんやり思った。 魅入っているとふいに視線を絡ませてきた男はに。と口元だけで笑みを作る。
「で、ちょっとは嫌いになってくれたか?」
「は。全然」
本音だ。直球で答えるとははっ、と声を上げて笑われる。 これが、構って欲しいだけの逃避行だったら可愛いと頭の隅で望む。 けどこいつは可愛い少女のような事はしないし、何より自分に執着していない。
「何が嫌いになったかだ、馬鹿。お前、本当に気まぐれな神さまだな」
「・・・それは俗称だ、ばぁか。」
お前ら、俺のコトそうやって呼ぶの好きだよな。そう付け足してそいつは笑った。 はじめに会った時はそんな顔をして笑う奴じゃなかったと思い、自惚れかと気付く。 気まぐれで自分のアパートに住み着いて、四ヶ月。
(子供じみた姿。そのくせ世界全てを手玉に取る。世界全てを愛そうとする奴)
10代後半の姿に公園は似合っていた。けれど纏う空気が何者とも違う。 宙をくるりと回旋した男は何か言いにくげに頭を掻く。
「ぁー・・。俺、お前が前つけた方が好きだぜ?割と」
「・・チャイルド」
夜の暗がりでも分かるほど、そいつは心底嬉しそうに笑った。 そう。こんな風にしか笑わなかったのに。こいつはいつの間にこんな人じみたのか。 そしてまたチャイルドと呼ばれる事を好んだ男は少し低い位置で浮いた。
「にしてもっ、見つけるとは驚いたな。もうちょい雲が晴れたら行くつもりだったのに」
「・・・・どこにだ」
「もちろん世界のどっか。」
大の大人の、しかも男が低い声で問うてもチャイルドは動じない。 自分はその答えを理解していたのに激昂がカッと頭の中で弾けてしまうというのに。 ざり、と公園の地を靴が強く踏む音がした。
「ッ!てめ」
ふわ、髪を撫でられたと思うより早く唇が髪に押し当てられた。 親が子にする様な優しい口付け。目を瞠ってしまい何かを言うタイミングを完全に失う。
「な・・っ」
「裏切りだって罵ってもいいぞ。」
この歳で照れてしまっている自分にふわりと宙を浮く男は微笑みかけてきた。 それは、自分の望む笑みじゃなく、もっと深く根強いもの。 慈しまれていると己自身が確認できてしまうような、そんな愛情に満ちた笑み。 両腕を軽く広げて男は瞼を少しだけ閉じる。
「俺はお前達が愛しくてしょうがない。優しさも喜びも悲しみも狂気も愚考も」
「・・・・・」
「俺が創った子供達の中で一番感情豊かだ。・・だから愛してるんだ」
愛してる。そう囁かれたのに、自分は違うと呟いていた。 ずっと俺が言おうと思っていた言葉だ。言われる事はないだろうと思っていた言葉だ。 一線が引かれ、それを越えるとな無言で訴えていたから言わなかった言葉。 それを、こんな形で耳にするとは思わなかった。裏切られたのは今だ。 すぐ傍に届く距離の腕を強く引いてより低空飛行させる。
「子供に向ける愛情で、俺と寝たのか」
至近距離でこいつは驚いたようで目を瞠った。けれどそれは一瞬で。 引かれた腕をそのままに、苦笑をひとつ零した。
「このブラコン」
「俺は、お前だから惚れた。だから抱いた。それもお前は、違うのか?」
強い力で腕を掴む。目が逸らせないほどに、瞳に自分を映させるように。 じっと自分の瞳を覗いていた男はふわりと空気を纏いながら位置を僅かに変えた。 そしてそっと瞼にキスを落とす。一瞬の闇。
「・・・お前は、俺に世界を裏切れって言ってんのか」
瞼を開く。そこに苦笑でもなく心の底からの笑みでもなくただ苦悶に歪む表情があった。 堪らなくなる。そこに理性はすでになかった。ぐんっ、と腕を引く。 唇に自分のそれを押し当てる。くぐもった声を上げたが抵抗はほぼ無かった。 互いが互い、瞳をほんの少し開いたままの深いキス。一瞬を分かち合うのに充分だった。 唇を離す。余韻に浸りたい。
「・・お前のいう世界を、俺にも分けろと言ってるんだ」
きょとん。チャイルドは名に似合うほどあどけない表情で目を丸くした。 そして意味を理解したのかはぁあ。と長いため息を吐いてコツ、と額をぶつけてきた。
「…どーしてこう、お前達だけ欲深に育ったんかなぁ。他の兄弟は生存欲ぐらいなのに」
「あのな・・、もういい。とりあえず子供扱いはよせ」
「あぁ悪い。けど・・なんか親の知らないとこで子供は大人になってんだな」
悪びれない様子ですとん、と目の前に降り立つ。 世界は本当にこいつに甘い。こいつが望めば重力は消える、星が降る。
「だから、子供じゃないって言ってるだろ」
世界全てを手玉に取り、世界全てを愛そうとする。分かってる。そんな奴だ。 そっと指先が襟に触れたと思ったら急に胸倉を掴まれ唇を奪われる。 間髪いれずに舌を入れられた。驚いて身体を引こうとしたら強く逆方向に引かれる。 ぞっとするほどのキス。そして余韻も何もなしに離される。
「俺に比べりゃ子供だな。・・・ぁ、あとお前。キス巧くねぇよ」
「・・・・・・はぁあ!?おま、えな」
「どっかで練習相手でも探してこい。お前に似合ういー女でも」
言いたい事だけ言って動揺してる自分を放って踵を返す。 腰が抜けそうでうまく歩けなかったがそれでも肩を掴もうとする自分に急に振り向く。 目があった。何故か上機嫌なそいつと。
「それまでは待ってやるよ。俺は俺を愛する奴に寛厚だからな」
「・・・ただの気まぐれだろう」
溜息を吐きながら「帰るぞ。」とくしゃりと頭を撫でた。 抗わずそいつは頷く。
これが、構って欲しいだけの逃避行だったら可愛いと頭の隅で望む。 けどこいつは可愛い少女のような事はしないし、何より自分に執着していない。
そうだとずっと思っていた
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