「あとは松永さんが食べたい」
そう言って上から覗き込んでいるのは、一見すると女とも思われるほどに中性的な顔。 自分の部屋のベッドに押し倒された自分の状況を、松永陽平(まつながようへい)はよく呑み込めていなかった。
どうしてこういう状況になったんだ…… 目の前の茶色の髪を視界の端に入れたまま、陽平は自分の置かれている状況も忘れ、ぼんやりと回想に耽った。
* * *
時計の針は深夜0時を回って、大きくもないその駅に、終電を逃すまいと急ぎ足で歩く人々が群がっている。 そんな中、陽平は自らが副店長を勤めるイタリアンレストランのホールで、バイトの中神比智(なかがみひさと)と閉店後の片付けをしていた。
「松永さんってほんと料理上手いっすよねぇ。しみじみ思いますよ」 店内の戸締りの最終確認をしながら、中神が呑気に笑って言った。
ほんっと女みてぇな顔してるよなぁ…… 22の男がバカみたいに無邪気に笑うなよ……
背景に花でも飛びそうなほどに少女漫画的な笑顔を見て、陽平は危うくつきかけた溜め息を飲み込んだ。 「おまえそれ副店長に言う台詞じゃねぇだろ」
陽平は25歳にして、このそれなりに名の通ったレストランで副店長に抜擢された。専門学校に通っていた頃からバイトとしてここで働いていたから、自分でもその経験相応の腕は持っているつもりである。しかし中神はそんな陽平の言葉など気にせず、 「だってそれ以外になんて言えばいいんですか」 と言って、くるっと陽平のほうを向いた。
「あ、そうだ。これから松永さんの家に遊びに行ってもいいですか?」 「は?」 なんで今更? しかも突然。 中神とは一緒に働くようになってから三年経つが、そんなことを言われるのは初めてだった。
「何か食べさせてくださいよ。店で出るようなのじゃなくて、俺、もっと家庭的な料理が食べたいんです」 ああ、そういうことか。 確かにこいつ、今日は昼から何も食ってねえんだったな。
いつもなら空き時間や閉店後に賄いを出しているが、今日は人が足りない上に店が混んだせいで、まとまった時間を取ることが出来なかったのだ。 と言っても、外に食べにでも行けという陽平の言葉を、中神が「松永さんは休憩すらしてないのに自分だけ抜けるなんて出来ません」と言って無視したのだが。
「ダメですか?」 返事をしない陽平の顔を、犬のような表情で中神が見上げる。その中神の表情と熱心な仕事ぶりは、人とあまり交友関係を持とうとしない陽平の心すら動かそうとする。
「終電もギリギリだしな……おまえは明日休みってことは、泊まるのも狙ってるんだな。……まあいいか」 陽平の家はここから一駅。終電に間に合わなくなった社員を泊まらせたことなら何度かある。 「ほんとですかっ!」 「先に言っとくけど余り物しかないからな」 「松永さんの作ったものなら何でも美味しいに決まってますよ~っ」
余り物で作った料理と、辛うじて二部屋あるぐらいの狭い部屋を一夜提供するだけだというのに、中神はその中世的な顔に満面の笑みを広げた。尻尾がついていたらぶんぶんと振り回しているのではないかという勢いである。
「じゃあさっさと行くぞ。さすがに終電は混む」 「はい!」 華奢な犬のようについてくる中神を後ろ目に見ながら、陽平は店を後にして帰路についた。
* * *
そうだ…… 一時間ぐらい前まで店でこんなやり取りしてて…… うちで飯作ってやって一緒に食って…… それで……
「松永さん?」
上司がバイトに、しかも男が男に押し倒されているというのに全く反応のない陽平を見て、中神が不思議そうに首を傾げた。 そこでやっと、陽平は自分の状況が飲み込めていないというよりも、何となくこうなることを予測していた自分に気がついた。
「おまえ、いつもこうやって男誘ってんのか?」 陽平は、中神が気に入った男に声をかけて、あわよくばそのまま食べてしまうという話を噂で聞いたことがある。 噂だから信憑性に欠けると思っていたし…… 何より、まさか中神が上だとは思わなかったが。
「……松永さん、知ってたんですか? 俺が男を好きだってこと」 「ああ、噂でな」 男が好きだとはいえ仕事に何か影響が出るわけではなかったから、特に気にかけていなかっただけだ。むしろ中神目当ての男性客のおかげで、売り上げが伸びているほどである。
「で、これがおまえのいつもの手口?」 「まあそうですかね……」 「ふうん」
相変わらず状況からずれた呑気な声を出して、陽平は自分を押さえつけている中神の腕を見た。 女のように、とまではいかないが、やはり細い。 気がつくと、陽平は反対に中神の腕を捕らえ、ベッドにその華奢な体を押し付けていた。
「なにっ……」 いきなり形勢を逆転された中神は、茶色がかった瞳を白黒させて陽平を見ている。 「たまにはやられるほうも味わってみろよ」
……何言ってんだ俺。 行動を起こしてから、陽平は心の中で自問した。 いくら先に襲ってきたのが中神とはいえ、これはマズイだろ…… 上司がバイト襲って…… 大体、俺は男となんかやったこともねえのに……
自分の行動がおかしいとわかっているにも関わらず、驚いた表情の中神が何故か可愛く見え、ここで手を止める気にはならない自分が余計におかしい。 中神のほうは必死に足をじたばたしているが、陽平が足の間に体を割り込んでいるため、その努力は完全に無駄になってしまっている。
「俺が料理食べさせてやったんだから、今度は俺が食う番だろ」 自分で言っていて、意味がわからない。しかしその言葉に中神は何故か抵抗をやめて、 「松永さん、男もイケるんですか?」 と予想外に呑気な声で言って陽平を見つめた。
おまえ、この状況でその質問はおかしいだろ。 そう思いつつ、本気で抵抗されて殴られるよりはマシだと思い、それは口には出さずに問いに答える。 「知らねぇよ。なんかおまえならイケそうな気がしたから」 「俺ならって……」 「女みたいな顔してっからな。俺は特に可愛いとか思ったことないけど――」 「んっ……」 変に冷静な中神に何となく腹が立ってきて、陽平は中神にキスした。
「ふっ……んんっ……」 女とするのと同じように、舌を吸って歯列をなぞる。中神から積極的に舌を絡めてくることはないが、何故か相変わらず抵抗はしない。
こいつ嫌がってたんじゃないのか? キスだけなら上も下も関係ないからか…… それとも男に押し倒されるのも慣れてるのか……
「はぁっ……」 唇を離すと、中神が甘い息を漏らす。その声は間違いなく男のものだが、それが全く気にならない自分がいる。 いつも何か塗っているのではないかと思うほど綺麗に色づいた唇が、二人分の唾液で濡れていて、妙な色気をかもし出している。
「もう抵抗は諦めたのか?」 「痛い思いをするぐらいなら、抵抗しないほうが良いって気づきましたから」 そう言って、中神は顎で陽平の抑えている自分の腕を示した。それで陽平ははっとして、全力で押さえつけていた腕の力を緩める。しかし時既に遅く、中神の手首には陽平の手の形にはっきりと跡が残ってしまっていた。
「悪い……」 実感のこもった陽平の謝罪に、中神はちょっと目を丸くしてからくすりと笑う。 「その発言、なんだかズレてますよ」
それはおまえもだろ。 言おうとして、やめた。 恐るべきことに、陽平の身体は中神とのキスだけで反応してしまっていた。いや、中神の色気にやられたといったほうが正しいかもしれない。 どちらにしろ、ここでやめたくはないということに変わりはない。
「まあ……抵抗しないんなら、こっちは好きにやらせてもらうぞ」 悪役みたいな台詞だな、と思いつつ、陽平は中神のワイシャツに手をかける。中神は先程言った言葉の通り、手を解放しても陽平を殴ってくるようなことはしなかった。
「ぁっ……」 露になった白い肌を撫で、鎖骨の辺りを軽く吸うと、中神が小さな声を上げる。 「……おまえ感じやすいな」 女でもこんなにすぐに声が出ることは少ない。だが中神は、陽平が触れるたび、甘い声で反応を返してくる。
「松永さんが……上手いんですよっ……」 「そんなこと初めて言われたぞ」 陽平は特に経験が豊富だというわけでもない。何よりここ最近は仕事に力を入れているため、そっちのほうは随分とご無沙汰だったのだ。
そうだ…… だからだな…… 俺が男にこんなに反応してんのは…… 涼しい顔で中神の反応を楽しんでいるように見えて、実際のところ、陽平の身体は中神にかなり欲情していた。
いくら女みたいな顔をしてたって、男は男だ。それを確かめるように、陽平が中神のジーンズをずらすと、今まで陽平の愛撫に酔ったような表情を浮かべていた中神がいきなり身体を捩じらせた。
「やっ……」 「嫌じゃねぇだろ。完全に反応してんじゃねぇか」 言いながら、陽平は中神の身体と女との決定的な相違点を見てしまっても、全く昂ぶりの収まらない自分の身体に驚く。
「だっ……てっ……松永さん……気持ち悪くないんですかっ……。やめようとか……思ったりっ……」 「おまえから襲ってきてそれかよ。こんなに感じてるくせに、嫌とか言ってんな」 「あっ……」 中神のモノを取り出し、自分がされると気持ち良いようにそこを軽く手で扱く。最初は感じるよりも怯えに近かった中神の表情も、すぐに切羽詰ったものに変わる。
こいつ…… 男のくせになんて表情すんだ…… さすが店のアイドルだって言われてるだけあるな……
店で接客をする中神は、まずほとんどの客に、じろじろと顔を見られている。 女か、男か。 どちらかというと、女だと思う客のほうが多い。 中神が口を開いてからやっと、ああ男か、とわかるのだ。更に中神の凄いところは、男だと知られているにも関わらず、店でアイドル扱いをされ、男性客に声をかけられるということである。
一方、陽平はというと、中神が一般的に中世的に整った顔立ちであることはわかっていたが、容姿を特化して意識したことはなかった。陽平にとって従業員はどう働くかが最大の観点であるからだ。その観点から見て、接客が上手くよく働くバイトという認識でしかなかった中神が、今、自分の下で想像もしなかった色っぽい表情を見せている。
「あ、あぁっ……松永さっ……もうっ……」 「早いな」 そう言いつつ、陽平に止める気など全くない。中神は何を焦っているのか、必死に陽平の手を自分のモノからどけようとする。
「や……もう……離してくださいっ……」 「嫌だね」 「なっ……も……、ああっ――……」 それ以上抵抗の言葉を続けることも出来ず、中神は陽平の手の中で達した。 「ふ……あっ……」 頂上に達した中神は一気に弛緩し、ぐったりとベッドに身体を預ける。
「ん……」 焦点の合っていないぼうっとした表情の中神を引き戻そうと、その唇にキスする。当たり前だが、陽平の身体は全く満足していないわけで、かなり余裕がなかったが、陽平としても無理矢理突っ込むのは趣味ではない。そうでなくとも、男には女とは違った意味で気を遣わなければならないはずだ。
「これで……終わり……ですか?」 唇と離すと、まだ息の整っていない中神が陽平を見上げて言った。 この上下関係は合意ではなかったはずなのに、中神は随分とやる気のようだ。 まあ相手の同意が得られるに越したことはないか……
「終わらせるわけねぇだろ」 中神を達かせたのも、実は自分のためだった。陽平は先ほど中神が自分の手に放ったものを、今まで触れていなかった中神の蕾に塗りつける。陽平の部屋に、男とするための道具などあるはずがないのだ。
「ひぁっ……」 こんなに狭いところに入るのか? 少し不安になったが、中指を入れると、中神は痛そうな表情も見せず、また甘い声を上げた。
「こっちでもちゃんと感じるんじゃねぇか」 当たり前のように襲ってきたぐらいだから、こっちは初めてなのかと思っていた。 それからの陽平の行動は早かった。
「あっ……、んっ、やぁっ……」 指を増やし、出し入れすると、内壁が絡みつくように指を絡んでくる。
あ~…… 早く入れてぇ…… 正直、陽平の身体はもう限界だった。 相手が男だからとか、従業員だからとか、もうどうでもいい。 とにかくこの欲求を解放したい。
「やっ……あっ……まつながさっ……」 陽平の指が良い所を突いたのか、中神が一際大きな声を上げて陽平の背中に爪を立てる。
うわ…… おまえそれは反則だろっ…… 思わず自分のモノが不発しそうになって、陽平は焦って言う。 「……っ……入れるぞ……」 中神の答えはない。
否定の言葉がないのなら、入れても良いということだろう。 というか、そうでないと困る。 今更止まれと言われても、聞けない。 陽平は中神の収斂を繰り返す蕾に、自分のモノを一気に突き入れた。 「あ、あーーーっ……」 突然の衝撃に目を見開かせ、中神が声を上げる。
最初はゆっくりしようと思っていたが、無理だった。中神の中のきつい締め付けにあって、陽平のモノは今にも爆発しそうだ。しかしさすがに早すぎるし、中神にそんな身体の反応を悟られたくはない。 「動くからな」 「えっ、松永さ……ちょっ、待っ……あっ、やっ」 中神の返事を待つこともせず、陽平は性急に動き始める。
めっちゃ気持ちいい…… 中神の身体は、女と比べても全く遜色がなかった。反応も良いし、締め付けは女のそれ以上だ。 「ひっ、あっ、んんっ……やあっ」 激しすぎるほどの陽平の動きに、中神は苦しそうに眉を顰める。
ヤバ…… こいつさっきイッたばっかなのに…… このままだと俺だけイッちまう……っ…… その事実に気がついた陽平は、慌てて中神のモノに手を伸ばした。しかしそんな心配はどうやら杞憂だったようで、中神は先程達したばかりにも関わらず、既にちゃんと反応していた。
「おまえ……やっぱり初めてじゃねぇなっ……」 男と初めてやって、しかも相手が男に対して経験のない俺なんかで、ここまで感じられるはずがない。 陽平はそう思って言ったのだが、中神は複雑な表情を浮かべるだけで、その疑問には答えようとしない。
「ね……松永さ……比智って呼んで……っ……」 こいつ…… この状況で何のんきなこと言って……
「ダメ……ですかっ……?」 「……。ヒ……サト……」 達きたくて切羽詰っているだけなのかもしれないが、妙に切実に訴えてくる中神に、陽平は初めて中神の名前を呼んだ。そもそもバイトを名前で呼ぶことなど陽平にはない。 中神は「本当に呼んでくれるとは思わなかった」とでもいうように目を丸くしてから、中神は今までに見たことのないような満面の笑みを浮かべた。
「何、名前ぐらいでそんなに喜んでんだよっ……」 おまえよく客に名前で呼ばれてんじゃねえか。 「……あっ……俺……も……無理ですっ……」 中神はまたも陽平の言葉を無視して、中神の首にしがみ付いた。
陽平のほうも中神の虚を突いた笑みに悩殺され、狭すぎる中で自分のモノが弾けそうになっているのがわかった。 「俺も……イクっ……」 「……よ……へー……さんっ……」 「……っ――……」 聞き間違いか、と思う前に、身体は反応していた。 「あぁっ――……」 自分だけ達ってしまったかと一瞬慌てたが、一息遅れて、中神も背を仰け反らせて達した。陽平の精を取り込むように中が収斂している。 ゴムすら持ち合わせのなかった陽平は外で出すつもりだったのだが間に合わず、中で達してしまったのだ。
互いの欲求を満たした中神と陽平は、しばらく一つのベッドでぼうっとしていた。 疲れているというのもあったが、中神との思いがけない交渉の後、適当な会話が思いつかなかったのだ。
こういう時、煙草を吸う男だったら上手く間が持たせられるのかもしれないな…… ふとそう思ったが、煙草は料理を不味くするから、陽平は決して吸う気はない。 中神のほうは枕を抱えるようにうつ伏せになり、何かをじっと考え込んでいる。
「……俺、今日は漫喫にでも泊まるわ」 「えっ」 気まずい雰囲気に耐えられなくなった陽平がそう言うと、今まで黙り込んでいた中神が驚いた表情で顔を上げた。
「シャワーとか、着替えとか、適当に使っていいから。おまえ今日休みだろ。ゆっくりしてけよ」 「そんなっ、出てくなら俺がっ――」 慌てた様子で立ち上がろうとして、中神は「つっ」と呻いて再びベッドに倒れこんだ。身体が痛むのだろう。冷静さを取り戻した陽平は、そんな中神の姿を見て心にちくんと突き刺さるものを感じた。
「……悪かったな」 言って、陽平はきびすを返す。中神が痛みを押して再び立ち上がろうとしているのが見えたが、陽平はそれを無視してその狭い部屋を後にした。
* * *
その日は結局、漫画喫茶で仮眠を取り、身の入らない仕事をこなした。幸い、前日の混雑の影響で店は空いており、大きなミスはしなかったが、陽平本人としては納得のいかない出来の料理を出してしまうことが何度かあった。
基本的に、陽平は一度に色々なことを出来るタイプではなく、何か一つのことに集中すると、他のことに手がつかなくなる。今まではその一つというのが仕事であったから充実した生活を送れていたが、その対象がひとたび仕事以外のものになると、一気に仕事の効率が下がるのだ。
明日、中神が出勤したら…… もう一度ちゃんと謝ろう…… 俺の顔なんて見たくねえって、言うかもしんねえけど…… いや、その前に仕事に来ないかもしんねえけど――…… しかし、そんな心配は、翌日に出勤した中神の、いつもと全く変わらない笑顔によって払拭されることとなった。
「松永さん、おはようございまーす」 営業スマイルと同じ、整った顔を綺麗に緩めて、中神は笑顔で挨拶した。その笑い方と、『松永さん』という呼び方が、なんとなく気に食わないと思ったのは何かの気のせいだろう。
「ああ、ひ――……」 比智、と言いかけて、慌てて言い直す。 「おはよう、中神」 「今日もよろしくお願いしまーす」 中神の反応は、三日前のそれと全く変わりない。一瞬、昨日の出来事が夢だったのではないかと思ったほどだ。
いや、でも夢じゃねぇ。 言おうと思ったことはちゃんとしねぇと…… 「あ、中神」 「なんですか?」 「今日、ラストまでだよな。また片付け手伝ってくれよ。……話があるんだ」 言った途端、今までにこにこと笑顔を浮かべていた中神の表情が曇った。
「……話、ですか?」 「ああ。頼んだぞ」 出来るだけ普通に言ったつもりだったが、どこかおかしかったのだろうか。 そう思いつつも、陽平はいつも通り、開店準備を始めた。
突然変わった中神の表情が気になったが、話をする場をセッティング出来たことで、陽平の心情は昨日よりもはるかに落ち着いていて、一日の仕事は倍ほどのスピードで終わったように感じた。
「悪いな。休日明けなのに手伝わせちまって」 「いえ、そんなの全く気にしてませんよ。それより――……」 全ての片付けを終え、帰り支度をしている陽平を見て、中神がいつもより少し小さな声で言った。 「話って、なんですか?」 「ああ……それな……」 閉店して、二人になったらすぐ言うつもりだったのだが、二人になった途端に中神の態度が変わったため、なんとなく言い出せないまま片付けまで終えてしまったのだ。
こんなことなら朝のうちに言っておけば良かった。 いつもと変わらない中神にだったら、軽く謝れたのに。 今は、あの話をもう一度蒸し返したら、中神が二度と自分と話をしてくれないのではないかという恐怖に苛まれている。
「ええと……一昨日の夜は、悪かった」 「え?」 「だから、おまえの意に沿わないことしてごめん。俺、あの時はどうかしてたんだ」 客に謝るのと同じぐらいの気持ちで、いやもしかしたらそれよりも真剣に謝罪の言葉を口にして、陽平は頭を下げた。
確かに先に強姦まがいのことをしようとしたのは中神だが、結果的に自分の欲求に任せて中神を抱いてしまったのは自分だ。バイトと言えど、店にとって中神の存在は大きい。勝手かもしれないが、これで辞めてほしくはない。
「話ってそれですか?」 下げた頭の上から、中神の抑揚のない声が響いた。 「あ? ああ」 見ると珍しく無表情の中神に、陽平はやはり許してもらうのは無理か、と思った。 しかし、その一瞬後に、中神は胸に手を当てて大きな溜息をついた。
「良かったぁ~……」 「は?」 「俺……あんなことして陽平さんに嫌われちゃったのかと思った……」 いや、それは俺の台詞だろ。 言う前に、中神が言葉を続けた。 「だって陽平さん、怒ったみたいな顔して帰っちゃったじゃないですか。だから」 「あー……あれは……。なんか気まずくてな」
まさか中神がそんなことを気にしているとは思わなかった。 普通なら、あんなことした男に傍にいてほしいとは思わないだろう。 中神はもう話すら聞いてくれないかもしれないと思っていたほどだ。
「おまえさ、いくら用意周到に男襲っても、そんな細い腕じゃ勝てねえだろ。もう少し相手考えろよ」 「それは大丈夫ですよ」 落ち込んだ様子の中神の雰囲気を変えたくて、特に考えずに言った台詞だったが、中神はそれに打って変わって楽しそうな声で答えた。
「大丈夫?」 「俺、合気道四段なんです」 「……はぁ!?」 「陽平さんは隙だらけでしたから、あの時もその気になればいつでも逆転できましたよ」 ふふっと笑って、中神は陽平を見上げる。どうやら嘘をついているわけではないらしい。
「じゃあ……なんで……」 俺を抱きたかったんじゃないのか? それともあれはフェイクで、実は他の男とヤるときも抱かれる側なのか? だからあんなに慣れてたのか? 次々と湧いてくる疑問に、中神は会話の内容とはちぐはぐの無邪気な笑顔で答える。
「陽平さんと出来るならそれで良いと思ってたので。まあ、出来れば逆が良かったですけど、こっちでも思ったより良かったですし」 「それってどういう……」 「俺、陽平さんのこと好きですから」 躊躇なく繰り出された中神の言葉に、陽平はぽかんと口を開けた。
中神が…… 俺を…… 好き? そんなこと、初めて聞いたぞ。 いや、問題はそこじゃない。 好きだから抱きたいと思ったのか? 普通すぎる答えだ。 普通なんだが……
「……俺、男だぞ」 「今更、俺にそれを言うんですか?」 ……確かに。 しかし、陽平の頭の中では、男を好きになって、襲おうという心理が未だに理解出来ていない。仕事以外では決して頭の回転の速くない陽平の頭は、ここ数年で最大のオーバーヒートを起こしている。
「良いんです。陽平さんが男を好きじゃないってことぐらい、俺、わかってますから。だからああいう強硬手段に出たんですけど……」 ちらっと陽平の反応をうかがって、中神は言葉を続けた。 「良かった。男に……というより俺に、嫌悪感はないってわかっただけで、十分です。俺こそごめんなさい。あんなことして」 顔を引き締めて、中神がぺこりと頭を下げた。中神はふざけているようで、仕事でもプライベートでもきちんとした男なのだ。
「体だけでもいいと思ったのかよ」 「もちろん良くないですけど……。陽平さんが、俺ならイケる気がするって言ってくれたから、このまま最後までやっちゃっても良いかなって」 そういえばそんなことを言った。 何でそんなことを思ったのかはわからないが。
「軽蔑、しますか?」 怯えた小動物のような表情になった中神を見て、陽平はなんとなく頭を撫でてやりたいような気分になった。 可愛い…… 気がする…… って! 俺はまた男に対してバカなことを!
「するわけねえだろ」 頭を撫でる代わりに、中神の薄い茶色に染めた髪をぐしゃぐしゃとかき回す。 「わわっ、何するんですかっ」 「なんとなくムカついてな……。話も終わったし、出るぞ」 「もう~俺の髪、猫っ毛だからすぐハネるんですよ~」 頬を膨らませてはいるものの、顔は全く怒っていない。
ガキ…… でもかわ――…… って違う!
ふざけたフリをしている中神が、実は陽平の百面相に気がついているとも知らず、陽平は中神を可愛いと思ってしまった自分が明日には消えていなくなっているようにと願った。
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