「迫田、今度こそはお前に何としても勝ってやるからな!!」 黒目がちの大きな眼でじっと睨みつけられて、毎度の事ながらうんざりして彼をまじまじと見つめてしまう。 やっかいないなのは、どうしてこうも敵視されなければならないかだ。 俺は目の前で憎憎しげな態度でそう言い放つ、万年馬鹿の白井を目にして肩をすくめた。 可愛らしく整った顔立ちの割には感情的な面が多すぎる、これが俺の彼に対する評価だ。良く言えば感情豊か、悪く言えば気性が激しい。そんなところである。だが、それだけならまだしも彼には最大の欠点がある。 ――――――――馬鹿なのだ。 理由は簡単。負けると分かっている勝負でも諦めず、いつも正々堂々と正面から俺に下らない賭けを申し込んでくるんだから、そうとしか考えられない。 「勝負は2日後の実力テストの英語・数学・国語の合計点だ。覚えとけよ、絶対に今度こそお前に勝ってやるからな!!」 ……その強気な自信はいったいどこから来るのか。 高校に入ってから既に5回勝負をして勝ったことなど一度たりとて無いくせに。いや、廊下に張り出される上位者10名の中に名を連ねたことすらないくせに。心の中で毒づいて、俺は彼を見下ろした。 「その代わり今度は俺にも条件がある」 「な、なんだよ?」 不可解な顔をした彼に、肩眉だけあげてみせる。 「勝負なら、何かを賭けるのが当然だよな。今度お前が負けたら、俺の言うことを絶対に聞いてもらうから」 白井の顔に戸惑いの色が広がった。 「やめるか?別にやめてもいいよ。確かにそのほうが無難な考えだと思う。今のところお前、全敗記録更新中だからな」 ぽろりと出た本音にしまったと思ったが、すでに言ってしまった言葉は取り返しがつかない。 「バカヤロウ!!俺がお前なんかに負けるわけないだろ!!いいぜ、その勝負受けて立ってやる!!その代わり俺が勝ったら、俺の言うことを聞くんだぞ!!」 負けず嫌いな彼だから、好戦的な台詞を言えばこうなることは予想していたはずなのに……。自分の浅はかさに情けなくなってくる。 「――じゃあ、そういうことだ」 仕方なく俺はそう告げた。負ける気はしない。というより勝って当然だと思っている。勝負としては、あまり俺にとっては面白く無いものだ。だからもし敗れたら彼にとって大きな痛手となるであろうことを持ち出した。 「もし俺が勝ったら、今付き合ってる桃園雪菜と別れろよ」 桃園とは、口は悪いが可愛らしい容姿と、その快活さで男たちのハートを掴む、校内きっての人気ものだ。振った男の数は100人にものぼるとかのぼらないとか。そういう中、こいつとの噂が巷に広まったのだ。 俺としては桃園が彼氏にこういう奴を選んだことに対して、疑問を覚えなくも無い。馬鹿で感情過多でちびでウルサイ。こんな最悪な奴にどうして彼女は目をつけたのだろう。 「わ…別れる?!俺、まだ雪菜とキスもしてないのに?!!」 でかい声で叫んだ彼に、俺は冷たい視線を向けた。 「それなら賭けをおりればいいだろ。俺は止めないし」 きっとこれで彼も馬鹿な賭けを取り下げるだろう。そう俺が安心したのも束の間で、バカヤロウ!という声が廊下にこだました。 「男に二言はねえよ!!勝負だ迫田!!その代わり俺が勝ったら、絶対に何でも俺の言うこと聞けよ!!」 本当に。馬鹿野郎はどっちだ。全く。自分に関わる重要なことを、一時の感情に任せて決めてしまうなんて、こいつは相当な馬鹿だ。 「分かった、分かった。聞くよ。でもそれは、俺がもし負けたらの時だけどな」 こうして白井と俺の賭けは始まった。
「面白いな。それじゃあ白井は迫田に負けたら私と別れるということか」 興味深げに頷いた彼女を、俺は訝しげに見やる。 「面白いって・・・白井は仮にもお前の彼氏なんだろ?もっと心配しろよ」 すると彼女はいきなりハハハと笑い出した。 「何を言い出すかと思えば、そんなことか。馬鹿馬鹿しい。お前、私が今まで何で白井と付き合っていたか知らないだろ」 勿論だ。付き合っていると知ったときはとんだ物好きだと思ったし、今でもそう思っている。 「面白いからだよ」 「・・・は?」 「あいつは見てて飽きねえからだよ」 それ以外に理由などあるかよ――そう言って彼女はまた大口を開けて笑った。 「じゃあ、桃園はこの勝負で白井が俺に負けて交際破棄という事態になっても、何とも思わないわけ?」 「基本的にはそうだな。まあ友だちとして付き合っていこうとは思うが」 お前が相手じゃあ、白井が勝つ見込みは無いしな。そう言い切って彼女はにやりと笑った。 「けど見込みの無い勝負にさえ突っ込むところが、白井の良いところだろ」 ……いや、ただの馬鹿だろう。 話すネタも大分切れてきたときに、俺は先日彼と話していて気になったことを思い出した。 「ところでお前らキスしたことが無いって本当なのか?」 「本当だ」 なんでだよ?と訊ねた俺に、彼女は言い諭すように答えた。 「キスなんてな、したい奴がすればいいんだよ。私は別にしたいと思わなかったからな」 成る程。全くもって納得のいく説明だ。ただし、それは桃園の言い分だけ。白井の気持ちはどうなるのだろう。 「というより白井は、私より気になってる奴がいるみたいなんだよな」 彼女はそう言って頭の後ろで腕を組んだ。 「付き合ってても、どうもしっくりこなかったからな」 そうだろうか。俺が彼に賭けを持ち出したときの慌てようからは、そんなことは微塵も感じられなかった。 「そんなことないだろ。あいつはお前にべた惚れだよ」 「いいや、違うな。私には分かる。女の第六感というやつでな」 確信をもった顔で頷く彼女を横目で伺い、俺は首を傾げた。果たしてこいつが女といえるのかどうか……。 女の六感という言葉を自分で言うなら、その乱暴な言葉づかいを慎めよ。無論それを口に出したりはしない。出せば彼女の拳か足が俺の腹に突き出されることは目に見えているからだ。空手の黒帯保持者である彼女から技を受けると、ともすれば完治するのに一ヶ月はかかる。こういう時は余計なことを言わないに限る。 「そうか。じゃあ俺はそろそろ帰るわ。何しろ明日は実力テストだから早く帰って勉強しないといけない」 がたりと席を立ち、自動ドアに向かうと背後から声が追いかけてきた。 「嘘付け。そんなことを言う奴が、前日にハンバーガーを食いながら無駄話に励むかよ。そういえば、家に帰ってまともに勉強しているところなんて見たことない、って清美が言ってたぞ。どうせ帰って漫画でも読んで笑ってるんだろ」 くそ、なんで知ってやがる。清美の奴余計なこと喋りやがって・・・。俺は整った顔の姉貴を思い出して思わず舌打ちした。
テスト結果が発表される日がきた。 予想通りというか当然というか、俺の名は然るべきところにあった。つまりは一位だ。苦手としている国語では残念ながら三位という結果に終わったが、総合点では、自分でも言うのもなんだが、ダントツのトップである。廊下で二年を受け持つ先生に会う度に、「頑張ったな」だの「良くやった」だのと誉められた。いつもなら「授業中に寝るな」、「サボルな」などと耳にたこができるほど言われるのに。 「おい、迫田・・・」 教室に入ろうとしたとき、背後から声がかかった。聞き覚えのある声が今は少し拗ねているようにも聞こえる。 「約束どおり桃園とは別れるよ」 けれど、決意を秘めた声だった。 「いいのか?」 呆れた俺が訊ねると、彼は首を何度も縦に振った。 「賭けは賭けだからな」 泣きそうな顔をしながら。全く、本当に馬鹿な奴だ。 それでも泣き言も言わず悔しげに唇を噛んでいるので、俺は溜息を付いてこう告げた。 「なあ、これを言うのは非常に不本意ではあるんだけど、前の賭けチャラにしてもいいぜ」 別に俺は迫田が桃園と別れてほしくて賭けを申し込んだわけじゃない。 黒目がちの眼を大きく見開いて、彼はどうして?と訊ねる。俺が口を開きかけたとき、「それは駄目だな」と声が響いた。 「一回口に出したことは絶対だ。負けたら負けたで潔くそれに従うのが男じゃないのか。迫田は甘いよ。私は白井が迫田に負けたら最初から別れるつもりだったんだ」 きっぱりとした言い草に、彼の目じりが急激に下がったのが分かった。 「雪菜・・・」 しかし彼女はそんなことなど気にもとめずに言葉を続ける。 「だから白井、私たちは今日から友達として付き合おう」 それだけを言い残すと、スカートの裾を翻すようにして彼女は去って行った。 「・・・雪菜」 じわりと彼の目に涙が浮かんだのを見て、俺は慌てて彼を連れて場所を移動した。級友たちが頻繁に通る廊下で、こんな状態をさらせばどうなることか。あっという間に、明日には学校中に噂が広まっていることだろう。 やっとのことで彼を狭い非常階段まで連れ出し、教室へと続くドアを閉めた。これで彼が泣き声をあげても中に声は聞こえないし、人が通ることもまず無い。 「泣くなよ」 取りあえず白井を慰めようと、俺は少し寝癖の残った髪をぐしゃぐしゃと撫でてやった。すると我慢ができなくなったのか、白井は嗚咽を漏らし始めた。もしかすると、さっきまでずっと耐えていたのかもしれない。 「だって、桃園が・・・別れるって・・・俺も・・・そのつもりだったのに・・・」 言いたいことは分かる。きっと白井は桃園に言われなくとも、自分は最初から別れるつもりでいたのだ。けれど、それを桃園自身から直接言われたことがショックだったのだろう。 けれど、桃園というのはそういう奴だ。少し可哀相な気がして、俺は奴の背中を軽くさすってやった。そんな俺の胸にすがり付くようにして彼は泣いている。俺の胸にすっぽり収まってしまう彼は、いつもよりずっと小さく見えた。 「仕方ないだろ、桃園はああいう奴だから」 「迫田には分からないよ、俺の気持ちなんて。お前は俺と違ってもてるんだもんな。本当のところ、桃園は俺のこと好きじゃなかったんだ、そんなこと最初から分かってた」 「でも、お前はそれでもいいから桃園と付き合いたかったんじゃないのか?」 真っ赤に泣き腫らした目で、彼は驚いたように俺を見上げた。 「もしかしたら付き合っていくうちに桃園も、お前のことを好きになるかもしれない」 「無理だよ……」 振り絞るような声で白井はつぶやいた。 「俺は迫田みたいになんでもできる奴じゃねえもん。桃園は、もしかしたらお前のことが好きかも知れねえ。ずるいよ。迫田はずるい。俺にないものを全部持ってて。俺はお前に追いつきたくて、頑張ってんのに。でも追いつけなくて。そうやってる間にも口笛吹きながら、お前はどんどん先に行っちゃうんだ。それじゃ、俺はどうすればいいんだよ?俺は――」 俺は不覚にもいつもなら絶対に思わないようなことを感じてしまった。 彼の言葉は最後まで続かなかった。俺が彼の言葉を飲み込んだのだ。 ―――唇で。 なんとなく俺は分かってしまった。桃園が言った白井の気になる相手、それは俺だと。 数秒唇を合わせた後、俺はいきなりどんと突き飛ばされた。 「い、い、いきなり何しやがる!!」 真っ赤な顔をした彼が、俺を睨みつけてきた。けれどその眼は少し潤んでいて、色白の顔が上気していて、今一迫力に欠ける。そんな彼に向かって俺はこう告げた。 「俺は待っててやらねえよ。追いついて来い白井。いつだって勝負は受けてやるからさ」 勝つ自信はある。というより負ける気はしない。 大きな眼を少し驚いたように見開いた後、彼は袖で涙を拭い少し笑った。 「負けるもんか!!覚悟しとけよ迫田!!次こそ絶対お前に勝ってやるからな!!!」
|