「お疲れさまでぇ~~す!!」
外出から戻った月斗は沢山の声に迎えられ、 狭い通路を器用に縫い、にこやかに近づいてくる。
「おぅ! 梓、終わったか?」 「・・・もう少しです」 「じゃ早く片付けろよ、待っててやるから」 「はい。 じゃあすぐに片付けますから」
「あ・・・別にいいや。 俺もちょっと明日の打ち合わせの資料揃えっから。 終わったら声掛けろよ」 「はい」
社内ではもちろん知らない者など1人もいない、超有名な高梨月斗。
仕事面でも、社交面でも、なんでもこなす器用さと人柄の良さ、 何よりその外見が、女ならずとも振り返るくらいの容姿端麗ときているのだから、誰もが頷くところ。
今でこそ総務課で地味な裏方仕事をこなしているけれど、 営業という花形部署に居た頃には、取引先まで名の知れ渡ったアイドル的存在だった。
その影響は、内に籠もる総務になっても尾を引いていて、 当社に顔を出す取引先の女の子が、わざわざ総務まで月斗の顔を見に来るほど。
その月斗が、なぜ3つも年下で何の取り得もない、ごくごく平凡な俺に声を掛けてくれるのか?
それは、たった一度だけ夜を供にしたことがあるからかもしれない。 夜を供にしたというからには、子供じゃなんだからそれなりのことをしたわけだけれど、 まぁ・・・ここではそれ以上は想像に任せるとして・・・。 その辺は、直接、月斗に確かめた訳ではないから本当の所は解らない。
「高梨先輩! 終わりましたけど!」 「うん。 じゃあ行こうか!」 「行くって、何処へです?」 「あれ? 忘れちゃったのか? 旨い地鶏喰わせてくれるとこ出来たから行こうって約束しただろ?」 「? そーでしたっけ? もしかして、それ、俺じゃなくて彼女じゃないんですか? ハハハ・・・」
「えっ? 梓じゃなかったっけ?」 「さぁ? 俺は聞いてませんよ。 多分・・・」
「ハハッ・・・ そっか? まぁ良いや。 行かないか? 地鶏?」 「・・・俺で良いならつきあいますけど・・・?」 「うん♪ 良いどころか、梓なら大歓迎! 行こう!!」
(・・・誰と間違えてんだよっ!! ったくっ! 今更そんな機嫌取ったって、もう遅いって・・・)
言いたくても言えない言葉をグッと飲み込む。
社内の誰よりも月斗の近くに居るのが、自分だということが嬉しかった。 2人で並んで歩くだけで、嫉妬と羨望の入り混じった眼差しで見られるのが、 妙に気持ちよくて、快感だった。 時には月斗が自分の物のような錯覚さえ起してしまうこともある。
けど、本当はそんなんじゃない。
月斗は一度寝た俺のことなど、きっと何とも思っていなくて、 その証拠に、俺の知らない香りを、良く身に纏っていることがある。
それは、明らかに女物のコロンだったり、高価な化粧品の香りだったりと、 1つではなく幾つもの違う香りを・・・。
自慢じゃないが、俺は5m以内なら月斗の匂いを嗅ぎ分けられる自信があるというのに。
そういうときに限って月斗は、魅せ付けるようにわざわざ体を摺り寄せてきたり、 冗談っぽく腕を組んでみたりして俺を挑発する。
「高梨先輩? 今日の外出ってなんだったんですか?」 「ん? 資金繰り。 そろそろ決算の時期だろ? 銀行とかイロイロ・・・。 どーして?」 「高梨先輩が直々に出かけるなんて珍しいなって思って・・・」
「なんだ。そんなこと? 新人には資金繰りまではまだ無理だろ? それに残高証明とかそんな決算の手配もあったりね」 「ふ~~~ん。 そう」
「何だよ? その疑り深い返事?」 「別に疑ってなんていませんけど・・・。 高梨先輩、今日、いつものコロンじゃないですよね?」 「えっ?」 「コロン・・・変えました?」 「イヤ・・・ つか、俺、最近コロンなんて使ってないけど?」 「そうですか? いつも高梨先輩、良い匂いがすんのに?」 「うそ?」
自分の背広の袖の部分や裾を捲り上げ、クンクンと匂いを嗅ぐ月斗を見て、もう一言突っ込んでおく。
「今日はちょっと甘い香り・・・。 女物のコロンみたいな・・・」
「・・・なぁ、梓? それってもしかしてヤキモチ?」 「なんで俺が高梨先輩にヤキモチ妬かなきゃいけないんです? 別に俺たち付き合ってるわけでもないし、ただの上司と部下の関係でしょ?」
「・・・フフッ・・・。 ずっと前から思ってたんだけど、梓ってさ、俺のこと好きだろ?」
「・・・幾ら良い男だって、そこまで自信過剰だと嫌われますよ?」 「自信過剰? 俺が? 俺は梓を見てて思った事を素直に言ってるだけ!」 「高梨先輩こそ、俺に惚れてる? いっつも俺のそばに居てさ?」
「ハハハ・・・。 もし、そうだって言ったらどーすんの?」 「冗談!」 「なんで?」 「俺、男だし。 高梨先輩って女、好きでしょ? 基本?」 「基本って・・・ ハハハ。 そーだな! 女の子の方が柔らかいし、触ってて気持ち良いからな」
「・・・」 「だけど、梓なら男でもOKだよ? フフッ」
「高梨先輩って、女と普通にSEXするくせに、男とやるときなんでネコなの?」 「ククッ。 どーしてかなぁ? 折角男相手ならそっちの方が面白いだろ? タチならわざわざ男相手じゃなくても良いわけだし・・・?」 「あ~~、そっか。 って! なんで俺たちこんな会話してんですかっ!!」
「梓だろ? 切欠作ったの?」 「そうでしたっけ?」 「ホラ・・・ 匂いが違うとかなんとか・・・」
「あっ!! そうそう!! それそれ!! あっぶねぇ~~!! このまま逃げられるところだった!」 「あ・・・はぐらかしておけば良かったんだな・・・ このまま。 ハハハ、失敗したなぁ。 でもさ、本当に今日は資金繰りだよ。 そりゃ銀行へ行けば沢山若い女の子居るけどね。 そんな子たちにまでいちいちヤキモチ妬いてたら、梓の身がもたないだろ?」
「だからヤキモチじゃないって言ってるでしょうがっ!」 「普通、ただの同僚の匂いなんて気にしないでしょ? よっぽど汗臭いとか不快なら別だけど・・・」
「・・・」
「ねぇ、梓ぁ? そろそろ認めちゃえば? 俺のこと好きだって?」
「イヤですっ! 先に高梨先輩が俺のこと好きだって言ってくれれば、良いですけど?」
月斗がグラスをカウンターに乗せ、体ごと梓に向き直る。 そして、下から覗き込むように梓を見て、ニッと笑った。
「・・・梓・・・ おまえの負け!」 「なっ!!」 「今の言葉、完全に俺を好きだって言ってるよ! ん? どっちが先に告るかってとこまで、話、飛んでるしっ!! フフッ♪ おまえの負けだよ」
「!!」
人目を気にする風でもなく、耳元に唇を寄せ月斗が言う。
「さぁ、ちゃんと言ってよ。 俺だって随分我慢して今まで待ってたんだ・・・」
正面に向き直り、何事もなかった顔をして言葉を続けた。
「違う匂いか・・・。 やっぱ、気付いてたんだなっ! イロイロ言い訳とかしながら女の子たちにコロン借りんの大変だったんだぜ?」
横目で俺を見て、ぺロッと舌を出す月斗の二の腕を掴み、 脇腹に思いきり拳をお見舞いする。
『うぇ』と前屈みになった月斗の頭上で、俺は一言だけ返した。
「高梨先輩の匂いは忘れませんから。 俺」
しばらく頭を上げられないように、月斗の頭を押さえ込む。
だって・・・ きっと今、俺は真っ赤な顔をしてると思うから・・・。
― 終わり ―
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