俺◇◇◇◇◇◇
中目黒でメトロから東横線に乗り換えて、自由が丘で降りる。
平日昼間の東横線は思ったよりも空いていて、夏のプール帰りみたいなけだるい雰囲気をかもし出していた。
自由が丘の駅前は相変わらず雑多だ。
名前の割りにかなり庶民的で、ごちゃごちゃしてる自由が丘デパートとかは、なんか昭和の時代を感じさせる。
時計は2時45分。
待ち合わせは3時だったから、駅前でぼんやりとアイツを待つ。
今日はどこに行こうかな?
このあいだ発見した和系のカフェとかで、いつもみたいに映画の話でもしようか。
それともABCに行ってぶらっと立ち読みしようか。
東京書房でユリイカの続きでも読むのもいいな。
アイツの住む町にもだいぶ詳しくなった。
上京したてのころは東京なんて何が何だか分からなかったけど。
アイツのおかげで詳しくなったというか、あれだけ連れまわされたら嫌でも覚えるってもんか。
俺がこんな風に待っているアイツは俺の事をどう思っているんだろう?
まぁ、あんまり期待しない方が無難だって分かってる。
いや、期待するのは悲劇の始まりだから、期待なんて微塵もしちゃいけない。
そこらへん考えるだけで胸がずきずきするし、不毛な結末が待っているだろうから。
俺はこうやってアイツの隣にいられるだけで十分幸せだし、仮にアイツに彼女が出来ても・・・。
やっぱ、その時は辛いだろうけど・・・。
諦めるしかない。
アイツは服の趣味もいいし、性格も優しいし、かっこ悪くは無いからな・・・。
その誘惑があることぐらい知ってるし、彼女がいないのは今だけだろう。
「お待たせ!」
唐突に後ろから博史が現れる。
隣には女の子。
かなり可愛いぞ、こりゃ・・・。
いきなり彼女キターってやつ・・・・か?
そういや思考は現実化するとかいう本があったな。
さっきの思考が具現化してしまったのかも。
心の整理が出来てないって、紹介するなら1週間ぐらい前に書面で伝えろ。書留でな。
「あ、この人、俺の姉ちゃん。」
次に来たその言葉を聞いた時には、とりあえず『神様ありがとう』叫ぶ俺がいる。
勿論心の中でだけど。
「今日はなんか由のこと見てみたいって言うんで連れてきた。
大丈夫?」
なんだ、そういうことか。
彼女じゃないならどうでもいいや。
俺はほっと胸を撫で下ろす。
全く心臓に悪い。
「大丈夫も何も、全然OK。
あ、はじめまして、中山です。」
「美紀です。弟がお世話になってます」
そういってお辞儀をすお姉さんは博史にそっくりだ。
生まれた順は逆だからそういった言い方はおかしいのかもしれないけど、本当に姉妹かってぐらい似てる。
いや、お前は男なんだけどね。
「どうしたの?なんかあった?」
なんて、博史は驚いてきょとんとしてる。
いかんいかん、こんなに顔をじっと眺めるのはまずい。
俺たちはとりあえず駅前を離れた。
「んじゃ~、どこ行く?ラ・ヴィータとか?」
まぁ、三人だったら三人で順当なところに行こうかというわけで。
お前と二人なら他にも考え付くんだけど。
「う~ん。今日は平日だけど、人多いかも。
由ってさ、古桑庵行った事ある?」
「こそうあん?あぁ、東京ウォーカーで読んだ気がする。
なんか古民家系のやつだろ?」
「そうそう。夏目漱石の・・・」
そんなわけで古桑庵に。
お姉さんはお前と同じで結構無口な方なのかな。
こっちから振っても、あんまり喋らないし。
必然的に俺はお前といつものように話すわけで。
カトレア通りを辿っていくと目的地に着いた。
古桑庵は随分落ち着いている雰囲気で、他のカフェとは一線を画していた。
とてもこんなものがラ・ヴィータの近くにあるとは思えない。
「んじゃ、俺、あんみつ。」
「俺は抹茶オーレ」
「私もあんみつ」
あんみつも美味しいけど、一番面白いのはここの造り。
やっぱり、お茶室は面白いな。
将来はこういうのも設計できる建築家になりたいな。
俺はあんみつの甘さを堪能しながら、そんなことを思った。
「中山さんは今二年生でしょ?将来はどうされるんですか?」
あんみつを食べ終わって一服してると、お姉さんにそう尋ねれた。
俺はとりあえず大学四年で一級建築士を取ったら、意匠系の事務所に勤めたいって事を伝えた。
将来は建築家になるためにアメリカに留学する夢も。
「そっか~、凄いんですね。
うちの博史にも、そこらへんちゃんと教えてあげてくださいね。
この人、夢とかないんですよ。」
俺に弟の就職指導をしろっていうお姉さん。
「大丈夫だよ、別に。
うちの大学は就職だけは困らないもん。
それに俺だってやりたいことあるし・・・。
俺もアメリカ行くし!」
お前はそんな風に言ってふてくされている。
それにしてもアメリカ行くって言うのは初耳だったな。
1時間も話すと、お姉さんは用事があるということで帰っていった。
最初の感じからすれば思ったよりも打ち解ける事ができたけど、お姉さんは俺に会った意味があったのだろうか?
ま、わかんないけど、楽しく過ごせたからいいかな。
最後に博史の事よろしくとか言ってたけど、むしろこちらこそよろしくお願いします。
お姉さんに俺の真意が見透かされそうなので、言うのは止めたけど。
俺たちはその後、HOTCH POTCHに行って雑貨を物色。
お客は女の子かカップルばっかり。
でもまぁ、博史みたいな感じの男だと案外すんなり入っていけるのな。
俺はお目当てのメモ帳を購入。
それからビレッジバンガードに移動する。
お前の読みたいって言ってた本が置いてあるかな?
「・・・あのさ、俺の姉ちゃんどうだった?」
入り口の階段を降りようとすると、唐突にお前が聞いてくる。
「いや、どうって言われても・・・。
う~ん。
まぁ、美人だし、優しそうだし、羨ましいけど?」
俺の返事を聞いたお前は「そうかぁ」なんて呟いて、そのまま言葉がとまる。
今日はなんか様子がおかしい。
何かあったのかな?
「あのさ、由って彼女作らないの?」
Jazz 'round midnightが大音量でかかっている店内で、お前が俺に尋ねてきた。
彼女作らないの?なんて皆に言われるけど、そう簡単に作れるもんじゃないだろ?
それに、今は女の子に興味なんか無いよ。
お前とこうやっているだけで精一杯幸せだから・・・。
でも、そんなことは口に出せるはずが無い。
「今はそんな浮いた話もないし・・・。
ま、俺は博史とこうやって本屋巡ってるほうが好きだな。」
俺のギリギリトークはここまでで限界。
これでもかなり危ない線だろう。
勘のいい奴ならここで見透かされて終わりかもしれない。
冷や汗をかきながらの言葉だった。
CDが変わって、今度は和田アキ子のダイナマイトソウルがかかる。
「だね。
俺達ってまるでそんな関係みたいだな。
学校でも休みの日でも、殆ど毎日会ってるから・・・。
まぁ、学科が同じだと授業かぶるし、仕方ないよな」
お前は本をてきぱきと探しながらそんなことを言う。
『そんな関係』ってどんな関係だよ!?
博史の不用意な言葉に勿論、俺の表情は凍りつく。
和田アキ子のソウルフルな歌声をバックに、博史の発言は俺の思考を掻き乱す。
これはひょっとしてブラフなのか?
『な~んちゃって』とか、そういう原始時代のギャグで締めるんじゃないよな?
俺は頭がパンク寸前。
このまま考え続けたら、頭が爆発してしまう。
エクスプロイテッドのワッティーみたいなモヒカンになってしまうかもしれない。
返事に困るって、そういうの。
え~と、どう対処すればいいんだ、こんなときは?
「あはは、ごめん。
今のひいた?」
なんて、お前は笑ってる。
やっぱり冗談か。
そういった類の冗談でどれだけ俺が一喜一憂するのか知ってるのか?
「いや、引くとか引かないとかそんなんじゃなく・・・。
ええと、そうだね、そんな感じやね」
などとしどろもどろになる。
勿論、別の意味で引いてるよ。
そりゃあ、俺も嬉しいし、そうでありたいと願うけど、お前だって分かってるだろ?
俺たちは男同士なんだぜ迂闊にそんな話題できないだろ?
っていうか、それわざと言って俺のことからかってんだろ?
俺はお前に期待しないんだ。
恋人みたいな友人関係だねってことだろうし。
曲が『古い日記』に変わった。
この曲は好きだし、歌のストーリーがなんか自分達とかぶる。
でも、本当はその上を目指したいと思ってるんだけど。
気づくと、お前は何だか焦ってるみたいに本を探している。
上のほうにある本を取るために梯子で登って、そして降りてくる。
梯子に登ると、お前のトリッカーズがコツコツ鳴る。
身長はあんまり変わらないのに、そのちょこちょこしてる姿が可愛いんだよな。
俺がその姿に見惚れていると、お前は着地の瞬間に俺の耳元近くでこう囁いた。
「・・・あのさ、俺じゃ駄目かな?
由の彼女になるの・・・」
午後4時30分、俺に奇跡が起きた。
目の前には俺のことをまっすぐに見据える美しい瞳。
ビレッジバンガードの高い本棚が俺たちを見下ろしていた。
和田アキ子の歌が段々聞こえなくなってくるぐらい、俺の頭は真っ白になっている。
お前に告白されるのは嬉しい。
確かに嬉しいけど、これって夢じゃないよな?
薄暗い店内で、俺だけに白昼夢が起こったのだろうか?
俺の返事は決まってる、もうずっと温めていた言葉。
「俺も、博史の事好きだよ・・・」
去年の春、満開の桜の中でお前に出会った瞬間から俺の返事は決まっていたけど、案外口に出して言うには勇気がいる。
しかも、相手は男だから尚更。
それにもかかわらず、お前の振り絞った勇敢さに俺は心を打たれた。
しかし、そのつかの間お前の姿が忽然と消える。
俺は訳もわからず呆然と本棚の間で立ち尽くす。
何だ今の?
ひょっとして冗談とかじゃないよな?それともやっぱり夢とか妄想とか?
俺は血の気が引く。
あいつ、本棚の向こうで爆笑していたりして。
だってこれは俺がカミングアウトしたようなもんだろう?
手塚治虫の本のあるところで、お前は肩を震わせていた。
やっぱり、これは罠だったんだろうか・・・。
俺は殆ど絶望的な心境になってしまうと同時に、怒りすらこみ上げる。
だって罠に嵌められたようなもんだろ?
でも、何だかお前の様子がおかしい。
下を向いたままだ。
「博史?」
俺はお前の真意を確かめるべく、顔を上げさせる。
博史は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「はぁ?何で泣くんだよ?
俺、振って無いじゃん!?」
俺は何か悪いこと言っただろうか?
「だって、俺、怖かったから・・・。
ごめん。
嬉しいけど、なんか泣けてきた」
そう言ってお前は俺の胸に顔をうずめる。
まだお客はいないからいいとして、結構緊張するな、こういうのは。
「怖かった」って言われて、自分の涙腺も刺激されるのがわかる。
・・・俺も怖かった。
俺も博史に嫌われるのが怖かった。
そういう意味では、今までずっと一人だったし、やっと見つけた安息の場所を失うのが怖かった。
「ごめん、俺から言えばよかったな。
俺もずっと怖かった。
弱くて・・・」
俺はそういって、お前の頭をよしよしってなでる。
やべぇ、年甲斐もなく涙が出そう、てか、その前に鼻水出そう。
こんな近距離に来たのは初めてで、新鮮で、今更鼓動が早くなってくる。
博史の体温を初めて感じた。
お前が泣き止んだら、次はどこに行こうか?
奥沢のほうにもいいカフェがあるし、中目黒まで遠征してもいい。
それとも久しぶりに六文銭に行くか?
俺たちには時間がたっぷりある。
まるで春の日の鳥のように、俺たちは自由な時間を楽しむ権利がある。
後日談だが、博史のお姉さんがあの日にやってきたのは、俺を『品定め』するためだったらしい。
もっと正確に言えば、俺が博史を傷つける人間かどうかを確かめるため。
お姉さんは博史がヘテロセクシャルじゃないってことを知ってるんだな。
博史は理解があるお姉さんを持ったもんだ。
そうやって他人に話せるほど勇気がない俺は、お前があの時、あの言葉を言ってくれなかったら、本当の自分を出す事ができないままだったんだろう。
今では親友の何人かにはその事を話した。
勿論緊張したけど、案外すんなり行った。
ひょっとしたら俺自身が俺の心の中に社会ってものを勝手に作り上げていて、それに囚われていただけなのかもしれない。
そんなふうに俺の心の牢獄から出るきっかけをくれたお前は、俺の魂の救世主だ。
好きな人とこの光に溢れた世界を共有出来るってこと。
これ以上の喜びがあるだろうか。
大井町線の電車が大きな音を鳴らした。
待ち合わせ時間まであと10分。
俺はお前を待っている時間と遊ぶ。
このじれったくて、寂しくて、切ない、この待ち時間の感覚、それすらも今日は愛しく思える。
Fin
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