『指先』
繋いだ指先が離れる刹那、時など止まってしまえと祈る。
身を焦がす想いと、計り知れない時間を費やして、 夢にまで見たこの指先を、やっと捕まえたというのに、
時は、あまりにあっけなく、 そして無情にも、 この指先を奪ってゆくのか? 自分のすべてと引き換えてでも、欲しかったこの指先を・・・
1.
時として人は、日常の些細な一瞬に心を囚われることがある。
至って通常なありきたりな毎日の中で、 いつもとホンのちょっとだけ違った角度から見ただけで、 数々の発見をしたりもする。
そういう俺もその一人で、 目を瞑ってでも歩いていける見慣れた街並を、 とりあえずは目を開けて歩いていた。
昨夜、欲しかった本が入ったと連絡を受け、 学校帰りに本屋へ向かう道すがら、 目の前の路上に光るものを見つけた。
(金か?)
スケベ根性で辺りを見回し、クツ紐でも直すフリをしてしゃがみ込む。
(チッ・・・ローファーじゃ紐なんてねーし!)
突っ込みを入れつつも、光るものに手を伸ばした。 ・・・と、その時、正面からもう一本の手が伸びる。
「あっ!」
同時に手を伸ばし、同時にその手を引っ込めた。 上目遣いに相手の顔をみると、もう一度、同じ声をあげる嵌めになる。
「あっ!」
同じように上目遣いで俺を見ていたその顔は、 親友の匠(タクミ)だった。
「バッカ!おんなじこと考えてんじゃねーよ!」
ククッと笑った俺に、なぜか頬を染めた匠の顔。 その顔を見て、俺の心臓がドクリと音を立てた。
(何? このドキッて?)
なんでもない風を装い、冷やかしで誤魔化す。
「おまえ、何、赤くなっての?」 「や・・・ちょっと恥ずかしいとこ見られたなって・・・ハハハ」 「俺だって同じ立場だから、別にいいじゃん」 「まぁ、そうだよね」
二人の間で光る¥500玉を拾い上げ、匠に差し出す。
「ほら」 「いいよ! 遼(リョウ)が拾ったんだから」 「じゃコーラでも付き合うか?」 「うん♪」
拾った¥500円玉を近くの販売機に放り込み、 コーラを2本買い、1本を匠に投げる。
「ねぇ、遼、何処行くの?」 「本屋。 あれ? そういえばおまえ、今日早くないか?」 「うん、午前中だけ学校に行って、今、検査の結果を聞きに病院に行って来たんだ」 「お袋さん元気か?」 「今は落ち着いてる」 「そっか・・・」 「行かなくていいの? 本屋?」 「別に急ぐこともないけど・・・、暇なら付き合えよ」 「いいよ」
肩を並べ本屋までの道を歩く。 会話などしなくても気にするような間柄ではないくらい長い付き合いだった。
小学校入学と同時に匠は、 両親の離婚を切欠に母親についてこの町に越してきた。 出会った頃からずっと泣き虫で、何かあるごとにいつも泣いていた。 正義感の強い俺は(自分で思ってるだけだけど)そんな匠を放っておけなくて、 いつも一緒に居るようになった。
中学になってもそれは変らずに居て、 そばに居るのが当たり前なのだと思っていた。 しかし、高校入試の時にその当たり前が、当たり前では無くなった。
成績の良い匠が選んだ高校は、 とてもじゃないが俺の入れるレベルではなくて、 一時は匠が俺のレベルに合わせると言い出す始末だったけれど、 どうにか説き伏せ、それぞれ自分のレベルにあった高校へ進んだ。
それまでとは多少顔を見る機会が減ったとしても、 他のヤツラよりも余程近くに居るし、特別、離れたという気もしなかった。
こんな当たり前の毎日の中で 1つだけ当たり前ではないことが起こった。
それは、自分の匠に対する感情が人とは少し違っていたということ。 自分でも気付かずに居たこの事実を、 この後、思い知ることになる。
目指す本を手に入れ、 何気なくこの後の予定を聞いた俺に、匠は意外な返事を寄越した。
「どうする? 久しぶりに俺んちでも来るか?」 「今日は止めとく。この後約束があるんだ」 「ふ~~ん! まさかデート? ククッ」 「へへ・・・ 実はそうなんだ」 「あ?」 「彼女が出来たんだよね! 俺!」 「・・・そっか。 良かったな。 じゃあ俺とこんなことしてる場合じゃねーだろ? 早く帰ってめかし込めよ!」 「ごめん。 また、明日ね」
ニッコリと微笑み手を振り、背を向けたその後ろ姿を見送った。
(マジかよっ! 冗談で言ったのに!)
なぜか面白くないと思う自分の気持を理解出来なかった。
(先を越されたから? 自分の知らないところで女なんか作ったから? それとも、他の誰かに取られそうだから?)
一番最後の理由を考えたとき、チクリと胸が痛んだ。
2.
指先を包む暖かい感触を強く握り返す。 何処へ行くあてもなくて、その指先を握ったまま歩き続ける。
シクシクといつまでも続く、声にならない声を聞きながら、 振り返ってもかける言葉もなくて、 ただ前を見つめ、指先を握り締め歩き続けた。
何度も繰り返されるこの映像は、夢の中でみる幼い頃の匠と自分の姿。
そうだ・・・きっと俺は・・・ この匠の指先を握り返した時から ずっとこの指先に囚われていたのかもしれない。
あの日から匠の姿を見るたびに、 その後ろに見たことのない女の影が重なる。
意識するまいと考えている自分が、 すでに意識しているということに気付きもしないで・・・。
なるべく視線を合わせまいと喉元に目をやれば、 動く喉仏にツバを飲み、 ふとあげた視線の先に映る指先を見れば、 華奢な指に頬が火照る。
匠の一挙手一投足に、いちいち反応する自分が時々恐ろしくて、 逃げ出してしまいたくなる。
匠の前で平静を装う自分を、 いつまで演じることが出来るのだろう?
匠の体に欲望を感じる自分は、 いつまで堪えることが出来るのだろう?
もう、随分と長いこと我慢してきたのに、 まだ、この先も続くのか? いつまでも、ずっと、このままなのか?
「遼! 待って!!」
歩き出した遼の背中に声が掛かり、振り返る。
決まった時間に毎日ここで匠を待つ。 高校に入った頃からの約束事の1つ。
匠の通っている進学校は、部活にも力を入れていて、 遼の学校のいい加減な部活とは違い、 時間から時間まで、毎日ビッチリと練習がある。 だから、ここで待つことになるのは大体が遼の方だった。
いつものように今日も先に来て待っていたのだけれど、 いつにも増して帰りが遅くて、 痺れを切らせ帰ろうしたところだった。
「ごめん! 遅くなっちゃった!」 「マジ、遅すぎ! なんかあったのか?」 「ううん、何も無いよ。 帰りに彼女に会ったから途中まで一緒にきた」 「ふ~ん。 デートは良いのか?」 「彼女のうち遅くなると煩いんだよね」 「門限のあるお嬢様ってか?」 「そんなんじゃないよ! 行こう」
匠の指が、遼の指を掴んだ。 咄嗟にその指を払いのける。
「俺は女じゃねーよっ!」 「あ・・・ごめん。 でも昔はよく手を繋いで歩いたよね? ねぇ、覚えてる? 俺がなかなか泣き止まなくて、 遼は途方に暮れてずっと手を引いて歩き回ってたの?」 「・・・んなの、覚えてる訳ねーだろ!」 「なんだ、残念。 俺はハッキリ覚えてるのに」 「匠?」 「ん?」 「おまえ、彼女と何処まで行ったんだ?」 「えっ? 何、急に・・・」 「俺の手なんて握るから欲求不満かと思ってさっ! ククッ・・・」 「そんなことない。 でも、まだ何にもしてないよ」 「うそだろ? もぉ半年以上たつのにか? なんで?」 「何でって言われても困るけどさ・・・」 「もしかしてキスの仕方も知らないとか? 教えてやろうか?」 「もぉ、そうやってすぐからかうんだから!」 「からかってなんかいねーし・・・」
言葉と同時に、匠の指を捕え引き寄せている自分が居た。
「・・・ヤッ! やめろよっ!」 「フフッ・・・ 冗談だよ!」
突き放すようにして匠の体を解放する。
「あぁ、ビックリしたっ!」 「・・・そんなに嫌か?」 「さっき自分で言ったクセに!『俺は女じゃねーよっ!』って!!」 「・・・そーだな・・・ハハハ・・・」 「でもさ、遼なら良いかなって一瞬思ったけど・・・」
頬を染めて俯き加減に匠が言った言葉。 その言葉をもう一度聞いてみたくて聞こえないフリをする。
「なに?よく聞こえなかった」 「別に・・・ 何にも言ってない!」 「うそだっ! 言えよ! もう一度ハッキリ言ってよっ!」 「ごめん・・・気に触った?」
これ以上抑えることが出来なかった。 周りのことなど気にする余裕もなくて、 夢中で引き寄せた匠の体を力一杯抱き締め、耳元に囁く。
「匠、好きだ・・・」 「遼?」 「ずっと、好きだった」 「ねぇ?本気で言ってんの?」 「ごめん・・・ でも、もう抑えることが出来なかった」
匠の腕がゆっくりと背中に回り、抱き締められた。
「・・・ありがと。 今はこれしか答えてあげられないけど・・・」
3.
欲するものは、いつも目前にあって、 想い、悩み、そして、恋焦がれる。
しかし、容易く手を伸ばすことが出来ずに、 身を捩り、堪えて、忍んで、 そして、こらえ切れずに手を伸ばす。
指に触れた夢見心地なその欲望は、 ホンの一時の快楽と、 そして・・・後悔を生む。
与えられないと、それを望み、 与えられて、それを悔やむ。
想いをぶちまけてしまったために、匠の姿は遠のいた。 「ありがとう」といった匠の言葉は、 態の良い拒絶の言葉として、俺を打ちのめし、 手の届かぬ存在へと変えた。 顔を見ることが辛くて、いつもの場所へ足を運ぶことも止めた。
そんな、身を削るような毎日を過ごしていた俺に、 予期せぬ出来事が起こった。
学校帰りに立ち寄る場所を失くした俺は、真直ぐに家に戻った。 家の門前で見慣れた姿を見つけ、 咄嗟に引き返そうとした俺に声が掛かる。
「遼」 「あ・・・」 「・・・ずっと待ってたんだ」 「どうして?」 「話したいことがある」 「何?」 「・・・おふくろが死んだんだ」 「えっ?」 「この前、風邪を拗らせて急にさ・・・」 「そうか・・・大丈夫か?」 「うん。もう落ち着いたから平気、でもさ・・・」 「なんだよ」 「ねぇ、遼の部屋に行っても良い?」 「・・・あぁ」
匠を伴って部屋へ入ると、ドサリとベッドに腰を下ろす。
「座れよ」
匠はドアを背に、立ったまま話始める。
「・・・俺、オヤジと暮らすことになったんだ」 「オヤジさん、何処に住んでるんだ?」 「ちょっと遠いところ」 「どれくらい?」 「カナダ・・・」
言葉を発するということを忘れた。
「だから・・・会いにきたんだ」 「・・・いつ?」 「あした」 「そんな・・・きゅうに・・・」 「ねぇ、遼。 俺のこと本当に好き?」 「・・・」 「答えてよ。お願い・・・」 「・・・好きだ・・・ だから、ココに居ろよ・・・」 「俺も・・・昔から遼が好きだった。 きっと、遼なんかよりずっと、ずっと昔から・・・ でも、いけないって思った。ドンドン遼に惹かれてく自分が怖くなって・・・ だから彼女を作ったんだけど、やっぱりだめで・・・」 「なんで、今頃になってそんなこと言うんだよっ!!」 「もう会えないかもしれないから・・・。 遼の気持ちだけ聞いて、黙って行くなんて出来なかった」 「そんなのないだろ? 明日ってなんだよ! 日本に居ろよ! 俺の家に来いよ! あと1年もしないうちに高校だって卒業だし・・・ な? 日本に残れよ! 匠っ!」 「出来ることなら俺だってそうしたい・・・ ねぇ、遼、抱いてくんない? 遼との最後の思い出が欲しいよ。 折角、両想いだって解ったのに・・・。 このままじゃ・・・」
大粒の涙をポロポロと落す匠を引き寄せる。
最初のキスを交わし、 そして、 最後の体を抱く。
与えられたからこその後悔というものは、 与えられないと焦がれる想いより、 ずっと辛いことなのだと知りもしないで。
夢に見たその指を掴んでしまったばっかりに・・・
繋いだ指先が離れる刹那、時など止まってしまえと祈る。
熱を帯びたその部分に、触れた指先に想いを残し、
いつまでも冷めやらぬ心に、また1つ大きな影を落す。
― 完 ―
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