窓から差し込む金色の夕日を浴びて佇む凛先輩は、生まれたてのビーナスの様に、穢れなく美しい。 零れ落ちる日の光で輝く髪で覆われた顔に見惚れ、どきどきと早鐘を打つ心臓をなだめがら、教室に一歩踏み込みんだ。 「第25代目ファン倶楽部代表、岡本空也です。先輩、お話があります。少しお時間を頂けませんか」 凛先輩のサラサラの髪が揺れ、視線が俺をとらえる。そして、にこっと微笑んだ。 「ごめんね? 空也。今日は時間が無いんだ」 「……ですよね」 思わず肩を落とした俺に、先輩はゆっくり顔を近づけると耳元で優しく囁いた。 「でも、僕も空也に用がある。迷惑でなければ、僕の家に来ない?」 俺の心臓が飛び跳ねた。先輩の綺麗なチョコレート色の瞳に見入り、そのまま目が離せない。 うわー、うわー。自宅へ招待だよー。 顔が熱い。頭から湯気が出そう。 「喜んで!」 こ、これはもしかして、もしかするかもしれない。 「金曜日の午後六時。待ってるから」 クスリと先輩は笑い、カバンを掴むと、軽やかな足取りで教室から出て行った。 俺は慌ててその後を追う。悪い虫がつかないように、ご自宅までお送りせねば。
凛先輩は、男子校に舞い降りた天使だ。 シミ一つ無い透き通るように白い肌に、ほんのり薔薇色の頬。 潤んだ大きな瞳を長く黒い睫毛が飾り、小さな赤い唇はいつも優しい微笑みを浮かべている。 声変わりしたとは思えない透き通った美声は、天上の楽器を奏でているよう。 そして、時折、垣間見せる、心を鷲づかみにする妖艶な眼差し。 高校入学式の上級生代表で壇上に立ったその姿を、ひと目見た瞬間に恋に落ちた。 足が、先輩を探して三年の教室前に来ていた。でも、即、彼を守るファン倶楽部に撃退された。 その時、教えられたんだ。 「凛の隣に立てるのは、心技体の全ての揃った一流の男、ファン倶楽部の代表だけだ」と。 ファン倶楽部に入会し、陰日なたで、悪い虫から先輩り続ける日々が始まった。 凛先輩の卒業前に、告白をする。 その目標達成のため、嫌いな勉強も頑張った。汗臭くなると避けていた運動部にも入部した。 日々の努力が実を結び、並み居る二年・三年の強敵先輩ライバル達を蹴散らし、代表の座に上り詰めた。 凛先輩への告白権。 五週以上で連続当選し、代表の地位を守り抜いた者のみに与えられる権利を、やっと勝ち取ったんだ。
そして今俺は、先輩の家の前に立っている。今日の部活はもちろん自主休業。 自分の代目順と撃退してきたライバルの数と同じ、25本のバラの花を腕に抱えている。 「いくぞー!」 自分に気合を入れてチャイムに手を伸ばす。この玄関の向こうに愛しの凛先輩がいる。 ポツリ。 空から落ちてきた冷たい雨粒が頬に当たった。曇天で星は見えない。わずかな電灯の光のみで、辺りは闇に包まれている。そういえば今日は13日の金曜日。不吉だな……いや。 「俺はキリスト教徒じゃない」 悪い考えを振り切るように、ぶんぶんと首を左右に振った。
俺の右側の座席についているのは、麗しい凛先輩と、双子の妹、琴音さん。 ふんわりウェーブの髪が頭部を飾り、菫色のワンピースを身に纏った琴音さんは、花の妖精のように可憐だ。しかし腹部に、明らかに不自然な膨らみがある。メタボリック……の訳は無い。 俺の視線に気付いた琴音さんが、幸せそうに微笑み、愛おしげに腹部をなでた。 「お腹に、凛の赤ちゃんがいるの」 「う……。やっぱり?」 笑顔が引きつる俺。凛先輩は、琴音さんを守るように彼女の肩を抱いた。 「僕たちは、家庭の事情で幼少期から別々に育てられたんだ。一年前、運命の再会をした」 「会った瞬間、引かれずにはいられなかったの。その時から、凛が、あたしの世界の全てなの」 凛先輩は嬉しそうに目を細めると、琴音さんに口付けた。告白前に不戦敗決定。 この俺が、失恋するなんて……。 【専門家によると、双子の男女は血縁を知っていると拒絶反応を示すが、知らないとお互いに強くひかれる傾向があるという(引用)】 以前読んだ記事が頭をかすめる。俺の頭は現実逃避を始めた。 『凛先輩の遺伝子を継ぐ赤ちゃん。先輩に瓜二つで天使のように可愛いだろうな。誘拐して俺色に染めて育てようかな』 バン! (ガチャン) 左側から激しく机を叩く音と陶器のぶつかる音がして、俺は煩悩の世界から現実に引き戻された。 「だから別れたい、と?」 厳しい表情で詰め寄っているのは、髪を七・三にきっちり分け、メガネをかけた三十位の細身の男。 彼の右隣には、屈強そうな年齢不詳の黒人男性が居る。黒光りして盛り上がった筋肉は猛獣さえも一撃で倒せそうだ。 その反対には、頭が禿げ上がり、丸々と太った五十位の男性。 俺が訪れたのは、本命同士の二人と、浮気相手三人の話し合いの現場だった。 いや、鍵を壊して先輩宅に侵入し、現行犯ストーカー容疑で逮捕された男を含めると、四人か。 全員、自称・凛先輩の恋人たち。許容範囲が広すぎです、先輩。 校外とはいえ、ファン倶楽部代表の俺は、何をやっていたんだ。害虫付きまくり。しくしくしくしく。 浮気相手も複数居れば角が取れて丸に近付き、争いも起き難いとテレビタレントが話してたけど、絶対嘘だ。 「君の身体には私の熱が刻み込まれている。二人で過ごした甘い夜を、忘れられるのかい?」 ぶほっ。 メガネのセリフに思いっきりむせ返る。 気持ちを落ち着けるために飲んでいたコーヒーが、辺りに飛び散った。 「空也、大丈夫?」 「だ、大丈夫です。汚して申し訳ありません」 俺は慌ててコーヒーを拭く。 「僕は、琴音もお腹の中の子も守りたい」 凛先輩の手が、そっと琴音さんの腹部に添えられる。 「傷つけたくないんだ」 自称恋人たちは口をつぐむ。目の前に居るのは天使なんかじゃなくて、大切な人を守ろうとする一人の男だった。かっこいいな。俺も先輩から卒業する時がきたんだな。ちょっぴり、哀愁に浸る俺。 「でも、男同士で相手を見つける大変さは、僕も知っている。だから皆を集め、顔合わせの場を設けたんだ」 相変わらず先輩のニッコリ笑顔は天使のよう。 「ここにいる『四人』で、次の相手を見つけられないかな、って」 先輩は爆弾発言をかました。 四人? 元恋人達『三人』をチラリと見て冷や汗が流れた。 一人足りない。 まさか。 人数に、俺も入っている?! 俺はあわてて立ち上がり、猛然と抗議した。 「冗談じゃない、俺が好きなのは凛先輩だけだ! 男が好きな訳じゃない」 先輩は困った顔で微笑んだ。 「知り合いで、僕の代わりを勤められるほど魅力的な人物は空也くらいだし? しかも君を外すと、奇数で一人余ってしまうんだ」 俺は『当て馬』で呼ばれたのか? がぁああああん。 先輩の背中に悪魔の羽と尾が見えるっ。 でも。 元恋人の男性達は、俺と同じく断固として反対するはずだ! ……と思いきや。 「ワシの手の上で君を転がしてみたいね。初々しくて初めて会った時の凛の様だ」 左からぬっと伸びた太い手が物凄い力で俺の腕をつかむ。例のハゲ親父だ。 いや。あんたの場合は、坂の上から自分自身が転がり落ちた方がはやいから! 「振られた者同士、温め合おう。男は初めてかい? 素敵な一夜をプレゼントするよ」 耳にフッと息を吹きかけながら話すのは、反射した蛍光灯の光でレンズの奥の表情が読めないメガネ。 ゾゾゾゾ~ッと鳥肌が立つ。そんなプレゼント、欲しいわけないだろ! 「愛シテイマス。ボクノ子供ヲ産ンデ下サイ」 俺の腰を引き寄せながら黒人が言う。産めるかー! 簡単に愛を囁くなよ! うぎゃー、尻を撫で回すなぁあああああ! 「隣の客間が空いているから、自由に使ってね? 布団を敷いておいたから。両親は別居だから安心していいよ」 先輩が素敵な笑顔で、死刑宣告をする。 「「「good job! 凛」」」 「嫌だ、先輩! 助けて、先輩!」 三人に引きずられながら、必死に叫んだ。が、既に二人の世界に突入している先輩の瞳には、隣の琴音さんしか写らない。 「先輩!!」 ……パタン……。 俺の前で、無常にも扉は閉められた。
……本当に忘れられない一夜だった。結局俺は、三人の内の一人と付き合い始めたんだ。 白い歯を煌かせて笑う愛しい人に、僕は抱きつく。 「ねえ、キスして」 「空也ハ、甘エン坊ダナ」 優しい彼の唇が、俺の唇の上に落ちる。何度も重ねられる口付けは、次第に情熱的になっていく。胸の鼓動が速まり、瞳が潤む。 彼の名はジェイソン・デビット。俺の大切な恋人。 在日米軍の軍人なんだ。 「んっ……」 「空也、可愛イイ! 我慢デキナイ」 パパパッと手早く服を脱ぎ捨てたジェイソンは、俺の服も素早く剥ぎ取った。お互い生まれたままの姿で、重なりあう。愛しい人の黒く逞しい首に、うっとりと腕を絡めた。温かい。 トクン、トクン。彼の胸の鼓動が聞こえる。 「空也、My sweet lover」 降り注ぐ口付けと共に、掠れた低い声で告げられる愛の言葉。胸が幸せで一杯になる。 「俺も。ジェイソン、世界で一番愛している」 だから、俺も心を込めてジェイソンに愛の言葉を贈る。零れんばかりの最高の笑顔と共に。
俺は、凛先輩のファン倶楽部代表の座を退いた。 英語の勉強が忙しくなったから。もちろん、大好きなジェイソンの個人レッスン。 『卒業したら、アメリカのマサチューセッツ州に渡って結婚しよう』 二人だけの約束。 これが俺の新たな人生の目標さ♪ (END)
|