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 (切ない 高校生 社会人 スーツ 眼鏡/--)
青の夢


  乃木さんの運転する車が、港街にあるその小さな遊園地にたどり着いたときには、時計の針はすでに夜の八時を回っていた。
 12月24日。クリスマスイヴ。僕たちは遊園地が今年から飾り付けを始めたという、大きなクリスマスツリーを見に来たのだった。
 
 青い電飾で彩られた、その大きなツリーは、夜の暗い海を背後に、おぼろげな青い光を放っていた。
 ツリーのてっぺんには、雪の結晶を模した白い星が瞬いている。

 「こんな綺麗なツリー、僕はじめて見たよ」
 「それはよかった」

  見上げると、乃木さんはにっこり笑っていた。
 
 「連れてきた甲斐があるってもんだ」
 
  その声音は低く繊細なメロディーを奏でるチェロのように、僕の心を打ち、そして包み込む。
  そんな彼のちょっとした表情や、彼の逞しい肉体がまとう独特の雰囲気が、僕をひどく安心させた。
  もう大丈夫だよ、と頭を撫でられているような気になる。
  実際、僕は乃木さんの大きな手で頭を撫でられるのが大好きだった。それだけで、切なくなって胸が苦しくなる。

 夜の潮風は冷えたけれど、首まわりはマフラーのおかげで温かかったし、右手は乃木さんのコートのポケットの中におさまっていたから平気だ。乃木さんはポケットの中、冷えた僕の手をさすって温めてくれていた。そういう小さなことから愛情が伝わってくるから嬉しい。
 
 だけど、彼の横に立って、青いツリーを見上げていたら、なんだか段々、胸がきしみはじめた。
 
 ――クリスマスって、どうしてこうも人を切ない気分にさせるんだろう? 



 乃木さんから電話が掛かってきたのは、お昼の十二時過ぎ。僕がちょうど、二人分のカップラーメンを作っているときだった。
 僕の家は母子家庭だ。母はほとんど毎日働きに出ている。昼食ぐらいは自分で作ることもあったけれど、長い休みが始まるとどうにも面倒で、カップラーメンやコンビニのお弁当で済ませることのほうが多かった。

 何気なく携帯を開いた僕は、液晶画面に表示された名前を確かめ、思わず顔をあげた。

 乃木さんだった。
 
 ――今ごろどうして?
 
 僕の胸に一瞬、ちらりと希望が浮かび、またすぐに沈んでいった。
 僕は自分に言い聞かす。期待なんかしたって、がっかりするだけだ。

 クリスマスは会えない。
 
 それはもう、一月も前に分かっていたことだった。僕だってそれで納得したはずだ。
 居間では僕がラーメンを作るかたわら弟がゲームをしていた。弟に話を聞かれたくない。
 気付けば僕は居間を飛び出し、階段を駆け上っていた。

 「どうしたの?」

 僕は自室にたどりつくと、ベッドの端に腰掛け、できるだけ、平静を装って電話に出た。
 それでも息が弾んでいたのだろう、

 「ずいぶんな慌てようだな」

 低い、大人の男性の声。電話越しにくつくつと笑う気配がする。
 僕は目を閉じた。瞼の裏に、はっきりと彼の笑顔が蘇る。
 鼻がツンとして、自分が泣きそうなことに気付いた。

 乃木さんは昼休みなのだと言った。
 クリスマスなのに仕事だなんて、大変だなあ、なんて僕は意図してのんきな感想をもらす。
 乃木さんがどんな仕事をしているのか僕は詳しくは知らない。
 義父の会社を手伝っているのだ、とだけ聞かされていた。乃木さんは奥さんのお父さんの会社を手伝っているのだ。

 乃木さんは結婚している。
 直接訊いたわけではなかったけれど、どうやら子供だっているようだった。

 十一月の終わり。二人で食事に出掛けた帰り、僕がうかつにも、
 
 『そういえばもうすぐクリスマスだね。どうしよっか?』
 と訊いてしまったことがある。

 乃木さんはしばらく押し黙った後、ハンドルを握ったまま、急に真面目な顔をして言ったのだった。

 『すまないが、クリスマスは家族と過ごさなくちゃならない』
 
 思い出して苛いらする。

 「そんなことより、何の用だよ急に」
 僕はツンケンと応えた。

 どうせ今日は会えないんでしょう?

 きっと、せめて電話で僕のご機嫌を取っておこうという魂胆だ。
 ふん、そんな簡単に思い通りになってやるものか。

 「なんだかご機嫌ナナメだな」

 電話口、乃木さんの眉が八の字を描くのが目に浮かんだ。
 
 当たり前でしょう? 

 僕は少々呆れて溜息を零し、

 「別に、」
 とそっけなく返した。
 
 乃木さんったら鈍すぎるよ。全く、僕の気持なんてこれっぽっちも分かっちゃいないんだから。

 でも、と頭の隅で僕は思う。
 分からず屋は僕のほうかもしれない。
 高校生らしい小さなワガママぐらいなら、きっと乃木さんもカワイイと言って受け入れてくれる。
 だけど、それも度をこせばただ煩わしいだけだ。
 僕だって別に、乃木さんを困らせたいわけじゃない。乃木さんに嫌われたいわけじゃない。

 仕方ない。

 乃木さんには家族がいる。それを承知で僕は彼と付き合っているのだから。
 乃木さんの家族に対して、罪悪感が湧かないわけじゃなかった。
 それでも、僕は乃木さんを好きになってしまったのだから。そして乃木さんも僕のことを――。
 
 乃木さんに好きだと告げられたときは、本当に信じられなかった。奇跡みたいだった。
 
 乃木さんはホモセクシャルなんだそうだ。
 僕は、たぶんそうじゃない。女の子だって好きになったことがある。男の人を好きになったのは乃木さんが初めてだった。
 乃木さんは女の人を愛せない――はずだった。
 だけど彼は結婚した。親がうるさいから、仕方なく結婚したのだと本人は言う。

 『結婚だけはこちらが決めたきちんとした相手としろ。結婚さえしてしまえば、後はお前の好きにしていい。そもそも恋なんてものはな、結婚してからするものなんだ。私もそうだった』
 
 そう父親に説得され、しぶしぶ乃木さんは結婚したんだそうだ。相手は、幼いころから乃木さんの許婚だった女性、らしい。

 「ところで、今夜の予定は空いてる?」
 
 「え?」
 
 一瞬何を言われたのか理解できなかった。

 「それとも寂しさに耐えかねて、もう新しい恋人でもできた?」

 「乃木さん!」

 からかうような口調。
 酷い。僕が乃木さん一筋なこと知っているくせに。言ってもいい冗談と言ってはいけない冗談が――。

 そんなことより、だ。
 乃木さん、さっき何て言った?

 もしもそれが嘘やまやかしだったとき、あまり落胆せずにすむように、
 僕は用心して恐るおそる口を開いた。

 「……今夜なら、空いてますけど?」
 
 「――そうか。安心したよ」ホッと息をつくような気配。「じゃあ六時に君の家まで迎えに行くから」
 
 「へ?」

 慌てる僕を無視し、乃木さんはじゃあと言って一方的に電話を切った。


 
 六時十分。乃木さんは本当に、彼の愛車で僕の家までやって来た。
 時間ぎりぎりまで仕事をしていたらしく、スーツのままだった。
 普段、僕らは乃木さんの奥さんには内緒でデートしているのだから、当然会う時間は限られてくる。
 クリスマスもお正月も、乃木さんは乃木さんの家族のものだ。そう思っていたから僕は本当に嬉しかった。
  
 道路はひどく混んでいて、目的地に着くまで予想していたよりうんと時間がかかってしまった。
 乃木さんはそのことで僕に謝った。だけどそんなこと、僕にしてみれば全然苦じゃなかった。
 渋滞に巻き込まれたのは乃木さんの責任ではないし、それに僕は、運転をしているときの乃木さんの横顔をながめるのが大好きだった。
 彼は運転するときだけ、細い銀縁の眼鏡をかける。
 元もと学生時代にスポーツで鍛えたという肉体と、日頃から培ってきた知性をバランスよく合わせ持つ乃木さんのことだ。
 眼鏡をかけると、その眼差しにさらに理知的な光が宿る。すごくかっこいい。

 「俺の顔に何かついてるか?」

 からかうように言われ、僕は初めて彼に見蕩れていたことに気付いた。僕は真っ赤になって俯く。
 僕はあたふたして、訊かなくてもいいことを訊いてしまった。

 「奥さんは、どうしたんですか?」
 
 訊いてしまってから、後悔した。
 
 僕のバカ。
 
 「ハワイだよ、ハワイ」

 「ハワイ?」

 思わぬ地名に顔を上げる。

 乃木さんは肩をすくめた。

 「子供たちを連れてしばらく行ってくるってさ。突然だったから俺もさすがに驚いたんだけどな……。俺は仕事があるから一緒にいけないぞって言ったら、なら私たちだけで行ってくるんでご心配なさらずに、だと」

 それを聞いて、何だか僕は思わず笑ってしまった。
 拍子抜けしたというか、乃木さんのすねたような口調がおかしくて。

 「まあ、そのおかげで君と過ごせるわけだから……よかった」
 乃木さんはハンドルを握ったまま、僕のほうを向いて、眼鏡の奥の双眸を細めた。


 
 その、港街の小さな遊園地に着いたときには、時計の針はとうに八時を回っていた。
 遊園地と言っても、そう叫ぶ機会もなさそうなコースターと、あとは子供向けのこまごまとした遊具がいくつかあるだけだった。
 それでも、夜になると、電飾に彩られたメリーゴーランドやコーヒーカップが回る様子は目に愉しい。
 
 それからもちろん、青く、淡く光る大きなクリスマスツリー。
 
 辺りにはクリスマスソングが流れる。
 僕たちはすっかり遊園地の幻想的な空気に包まれていた。
 ツリーの周りには数組の家族連れやカップルが集まり、それぞれ寄り添って、ツリーを見上げていた。

 僕にはどの顔も幸せそうに見えた。
 彼らの目には、僕らもまた、幸せなクリスマスの風景のひとつとして映っているのだろうか?
 そもそも僕たちは、彼らの目にどのように映っているのだろう?
 仲のよい兄弟? 叔父さんと甥っ子? それともちゃんと、恋人同士に見えているのかな。

 「イルミネーションも、明日までなのかな」

 ぐるぐる首に巻いたマフラーに顔をうずめ、僕は白い息を吐いた。

 「……さぁな、しばらくはそのまま飾っておくところもあるみたいだけどな。ここはどうだろう」
 
 クリスマスが終われば、雇われた作業員がやって来て、遊園地のあらゆるところを飾る電飾をひとつひとつ引っぺがし、その代わりにお正月の飾り付けを始めるのかもしれなかった。
 クリスマスソングを流すのも、きっと今日と明日で最後だ。

 回る木馬。
 愉快なクリスマスソング。
 はしゃぐ子供たち。
 青く光る大きなクリスマスツリー。
  
 夢みたいだ、と僕は思った。一夜限りの幸福な夢。

 今日乃木さんとこうやって一緒にいられること自体、僕にとっては夢みたいなものだった。
 クリスマスが終われば、乃木さんは乃木さんの家に帰ってしまうのだ。

 「乃木さん。クリスマスってなんだか切なくない?」
 
 僕は彼の顔を見上げて言った。

 「そうかい?」

 クリスマスが終われば、乃木さんとは当分会えないだろう。
 乃木さんの家族は帰ってくるはずだったし、今年中に片付けなくてはならない仕事もまだたんまり残っているのだと、さっき話していたから。

 それを分かっていて、乃木さんはしらばっくれるのだ。
 
 眼前に広がる、暗い、不気味な夜の海。

 「クリスマスって綺麗だし、幸せなんだけど、どこか切ないんだよね」

 僕は急に不安にかられ、乃木さんの腕につかまった。
 
 と、唐突に乃木さんの力強い腕に抱きよせられる。
 すっぽりと大きなコートの中におさまってしまったところで、頭のてっぺんにキスをされた。
 彼の匂いに包まれて、僕はそう、と目を閉じる。

 
 このままずっと、幸福な夢が覚めませんように。

「ここまで読んでくださったかたありがとうございます!」
...2007/12/24(月) [No.400]
みんとん
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