「エースケくん」
「……はぁい」
神戸レインボーチャーサーの独身寮・虹明寮から一番近いコンビニに、神戸RCの主力二人は出没していた。
「明日、オフですよね?」
「……オフだねぇ」
何故か敬語の低姿勢で話し掛けるのは、長身に深くキャップを被ったタカで、生返事を繰り返す英介は、ファッション誌に目を通している。
「そろそろ帰りません?」
ちょっとした買出しに出たつもりだったのに、かれこれ三十分が経過。
「うーん」
こうして英介が時間を潰そうとしている理由はなんとなくわかっている。 今日の練習から上がるときに口にした一言がいけなかったらしい。
『今日、お前の部屋に行くから』
勿論、英介の部屋に行くなどしょっちゅうだが、一々断りはしない。 断る時は、決まっている。 今夜、抱きに行くから。 それは二人の間の合言葉だった。 今日はちょっと早めに言い過ぎて、心の準備段階をあまりに早く与えすぎたらしい。
「英介、帰るぞ」
タカは英介の雑誌を戻すと、その手を引いて店を出る。 ありがとうございましたーと、初老の店長の声が見送った。 案外素直に手を引かれるままの英介は、少し心もとない表情を俯かせている。 神戸の賑やかな地域から少し離れた、道の脇には田畑もある道は薄暗く人通りもない。 ポツンポツンとある街灯に照らされる道を、英介とタカは並んで寮に向かう。
「なぁ、嫌なら嫌って言っていいんだからな」
ガサガサとコンビニ袋が鳴る。
「別に、嫌じゃない」
答える英介の声は、いつもに比べて素っ気無い。
「本当に?」
「本当に」
「無理しなくていいからな」
「だからっ」
少し後をついてきていた英介が、タカの腕を掴んだ。 見上げてくる英介の目はさっきまでの心もとなさは消え、強気な光が戻ってきていた。
「嫌じゃないし、無理もしてない。ただ……」
街灯の光を受けてなのか、英介の瞳が潤んだように煌めく。
「ちょっと、恥ずかしいだけだから」
タカの腕を掴む手が、縋るようなものにかわる。
「だから、その……、俺がちょっと腰引けてたらタカが引っ張ってよ」
英介はいつも真摯だ。 真っ直ぐだ。 そういうところもカワイイと、タカは思う。 タカは知らず微笑みを浮かべている。 英介の手が、タカに屈んでよというように腕を引く。 無意識だったかもしれない仕草に、タカは即応じた。 腰を屈め片手で英介の腰を抱き、口付ける。
「あー、やべ。止まらなくなる」
タカが笑った。 寮まではもう少し。
「早く、帰ろう」
英介も笑って、タカの手を引き先を歩き始めた。 幸せいっぱいの二人は気が付かなかった。 コンビニから後をつけられていたことも、彼らのキスシーンをのぞくファインダーが存在したことに。
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『神戸RCの凸凹コンビ、同性愛関係発覚!』
そんな見出しがスポーツ紙を飾ったのは翌日。 ホラ、と差し出したのは、寮にやって来た矢良ドクターだった。 一面は阪神タイガース連勝更新の記事だったが、それなりに大きなカラー写真が掲載されていた。 近くのコンビニまでの道の、街灯の下のキスシーンだ。
「よりにもよって、灯りの下だからな」
深刻な状況なわけではないらしく、矢良はカラカラと笑っている。 元々、タカと英介の仲はチームには知られていることだ。 サポーターだって、タカがゴールを決めた時のパフォーマンスとして英介とするキスで勘付いているだろう。 今までが暗黙の了解で済まされてしまっていたのが、ここにきて初めてゴシップ的な扱いを受けてしまった。
「微笑ましいじゃないの」
新聞を覗き込みながらベテランの富永が笑う。 赤外線だとかなんかで撮影されたのであろう写真は、画像は鮮明ではないがそこにいるのが英介とタカであることははっきりと見て取れる。 身長差の大きい二人のキスシーンは、初心な学生が交わしていそうな雰囲気があって富永が言う通りどこか微笑ましい。 ここぞとばかりに書き綴られた記事は、感じようと思えばいくらでも悪意を感じることができる。 しかも、相手は女優やモデルではなく、チームメイト。 つまりは男同士。 日本では少数の恋愛関係の形に、紙面は色めき立っている。
「……大丈夫、なんスか?」
矢良についてきたスタッフに、タカは尋ねる。 スタッフは曖昧に首を傾げた。
「うちのクラブとしては問題ないけどね。フロントもとっくの昔に知ってるし」
フロントに告知したのは矢良だ。 半ば説き伏せるようにして、問題はないと言わせた。 改めて考えてみると、二人の関係はたくさんの人に守られている。
「サポーターの中にも問題なしって言ってくれる人は多かったけど、やっぱり偏見をもってる人はいる。今回のことで、サッカーファン以外の目も向けられるし、他のチームもどう思うかわからない。ちょっと困るかなって言うのは、Jリーグにいる外国人選手の中には敬虔なクリスチャンがけっこういるってことだね」
神戸RCにいる助っ人外国人はアジア系の選手ばかりだ。 そう言えばキリスト教では同性愛は禁止だったっけ、と寮にいる面々は思い当たる。
「取材も厳しくなるかもね。これまで大っぴらには聞けなかったけど、この記事と写真で堂々と取材にこれるからな」
タカには事態がいったいどれほどまで深刻なものなのか、想像がつかない。 記事を読んでいた英介は、眉間に珍しく皺を刻んでいる。 富永はのんびりと、まぁ大丈夫だろうと言った。
「電話、きてるんじゃないんスか?」
そう尋ねたのは、以前モデルとスキャンダルを起こしたことのある寺井だった。 前科者には前科者の経験がある。 あの時はフロントやクラブ、関係者に多くの電話が掛かってきて大変だった。
「らしいな。一応、事実ですからって答えているらしい」
矢良も明るい。
「ま、いいや。ホントのことだし」
留めを刺したのは、さっきまで難しい顔をしていた英介自身の言葉。 黙っている英介を、実は心配していた周囲もほっと胸を撫で下ろす。
「別にふざけてチュ―してるわけじゃないもんね。好きだからしてんだから、誤解じゃないし」
パックの牛乳を限界まで吸い込んで、呆気羅漢と言ってのけた。 惚気にしか聞えない内容なのに、英介の口調だと全く色気がない。
「可愛いなぁ、英介」
よしよしと、背後から寺井が英介の頭を撫でまわす。 子供のように柔らかい髪が、鳥の羽のようにふわふわと乱れる。 今時バージンヘアの選手が少ない中、英介の髪の毛は未だ手を加えていない。 染めなくても、デイゲームでもナイトゲームでも茶色く見えるのだ。
「寺井さん」
その寺井の隣から、無表情が可愛くないタカの低い声。
「タカは可愛くない。もうちょっと愛想を振り撒けばいいのに」
鋭い目で一瞥されても気にせず、寺井はぎゅーと英介の頭を抱く。
「可愛くなくてけっこう。それ、俺のです」
奪うように英介の頭を鷲掴む。 タカと英介が恋人同士になってから、英介はやたらと可愛くなった。 高校時代も入団当初も、童顔で初心で明るく猪突猛進。 ピッチに立ったらがらりと変わる性格も気に入られていた。 人懐っこい性格も年上から好かれる。 それがタカとの関係ができあがってからは、幸せそうな笑顔は可愛いから綺麗に形容詞を変えたし、ちょっとぼうっとしている時の表情には色気が混じってきた。 色気があるのは本当にたまに、なのだが。
「みんなのえっちゃんだろー」
「オフん時は俺のなんです」
英介を奪取すると、俺のものと言わんばかりに抱き締める。
「タカも可愛くなったと思うけどなぁ」
そんなやり取りを眺めながら富永。 チームの長兄的立場の富永は選手一人一人をよく見ているから、彼がそう言うならそうなのだろう。
「タカ、苦しい」
ポンポンと一回りは違う腕を叩いて、英介が解放を要求する。 見ようによっては何でもない接触なのに、英介の頬は赤く染まっている。
「マスコミ来ても、知らなかったんですかぁとか言っちゃえよ」
けしかける矢良の言葉に二人は素直に頷いた。 スタッフもフロントも、選手達もその時は深く考えていなかったのだ。 そこに江口英介の明るい笑顔があったから。
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マスコミの攻勢は想像の通りだった。
『本当なんですか?』
『いつからの付き合いなんですか?』
畳み掛けられる質問に、英介は掻い摘んで答え、タカもそれなりの答えを返していた。 こんな風に練習場から帰る道を遮られたことのない二人は困惑を見せたが、それを面白がる余裕はまだあった。
その余裕を握り潰す出来事はアウェイのスタジアムで起きた。 英介の肩を叩いたのは、山形ワイルドウィンドのケリーだった。 ブラジル生まれの大型フォワードで、現在の得点王だ。 以前はプレミアでプレーしていた。 そのケリーが英介の肩を掴み、たどたどしい英語でひそひそと囁く。 あまり接点のない二人ではあるが、対戦の時には懐っこく話し掛けてくれたケリーだった。 英介、お前の足はレーシングカーのエンジンみたいだなと笑ってくれた。 なのに今、囁かれる言葉はあまりにも悪意に満ちている。 勉強はからきしだった英介だが、英語だけはネイティブ並みに話すことができる。 ジュニアチームにハーフの子がいて、その子に教わった。 だから英介は、ケリーの口にした言葉のほとんどの悪意を汲み取ることができた。 例のタカと英介の関係を知っての言葉だった。 さっと英介の顔色が変わる。 ケリーの顔を見ることができずに、視線は人工芝の待機所の床を見つめた。 ケリーは敬虔なクリスチャンだ。 ピッチに入る前も後も必ず十字をきる。
「っしゃー、行くぞぉ!」
前で誰かが気合を入れる声を上げる。 動き出した選手の列。 手を繋いだ子供が行こうと促す。 ケリーはもう入場へと足を進めていた。 アップで温まったはずの体が冷たいのは気のせいだろうか。 できるだけゆっくりと息を吸い込んだ。 落ち着けと自分に言い聞かせる。 ピッチへと踏み出した足。 いつもなら火がついたように燃える気持ちが凍り付いている。 燃えない心が潜む、自分の体。 炎よ灯れ。 呪文のように呟いた。 タッチラインに並行に立つ。 そこで顔を上げる神戸RCのストライカーの目は、いつも見るものに期待を抱かせる強い光を帯びている。
「やべぇな。内田さん」
「何?」
ベンチに座っていた矢良ドクターは、隣の内田コーチに声をかけた。
「うちのストライカー、目が死んでる」
「……あー。何か、言われたかな?」
山形ワイルドウィンドは神戸RCのライバルチームだ。 南米や欧州から助っ人を呼んでいる。 自然とクリスチャンは多い。
「気にしてやって」
「そうだね」
苦しそうに呼吸を整える。 その肩にかかるタカの手。 一瞬の躊躇の後、同じように肩に回る手。 円陣は強く組まれ、あっと言う間に解き放たれる。 一六五センチの背中はピッチの上では大きくなる。 今日は小さいままだ。
頬を伝うものが汗だけではないことに気が付いて、昴はぎょっとした。 自分の周りを働き蜂の如く走り回る足が、いつもよりも重そうだとは思ったのだが。 トップ下のタカから供給される、裏をとるキラーパスに応じきれていないことにも気が付いていたのだが。 まさか。
「エースケ」
頭から水を被った英介を呼ぶと、大丈夫だと手をあげて応じた。 バレバレだっつーの。 自分を鼓舞する声を上げる英介。 けれど瞳は死んだまま。 とてもとても、苦しそうに走る。 とてもとても、悔しそうに戦う。 そんなのはお前のスタイルじゃない。 もっと軽やかに、もっと自由に。 まるで背中に翼があるんじゃないかと思わせるようなサッカーが、英介のサッカーだ。
タッチライン。 電光掲示板が選手の交代を示した。 下がるのはナンバー・イレブン。 途端にいくつかの野次が飛んだ。 英介を引き止めるものではなく、詰るものが。 駆け足でラインを超えた英介は、交代選手と軽く抱き合いピッチに向かって頭を下げた。 俯いた拍子に汗ではない雫がピッチに滴った。
「英介、大丈夫か?」
内田はスタジアムコートを背中から掛け、フードも深く被らせる。
「何か言われたか?」
なんでもないです。 力ない声が答えた。 ずっと鼻をすすり、英介はロッカーへと足早に去った。
「……こういうの、タカの方が弱いと思ったんだけどなぁ」
「タカは誤解されやすい性格してるから。慣れてるんじゃない?」
なるほど、と内田と矢良はピッチの司令塔を見た。 気にしない素振りでゲームを続けている。 無愛想もこういう時には役にたつ。
「誰がフォロー入れるかな」
「ドクターでしょ」
「ここはコーチでしょう」
そんなやり取りの間に、神戸は一失点。 監督のゲキが飛んだ。
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「……普段、凹まない奴が凹むと、どうしていいかわからんな」
「……わかんないっすねぇ……」
「っつーか、怖い」
山形戦以降、英介はコンディション最悪の状態だ。 ここ数節はベンチスタート。 ピッチに立たないこともあった。 メンタル面も最悪の状態。 英介らしくないことこの上ない。 試合後、タカは山形の数選手に声をかけられ茶々を受けたが、タカは英語がイマイチだし、まずわかっても気にしない。 口数が少なく、表情の変化も乏しいタカは子供の頃からいろいろな誤解を受けてきた。 プロになっても何度か体験してきたことだ。 気にしない。 なかなか頼もしい神経の持ち主だ 英介も人の意見に左右されない強さがあるはずだが、うまくいかなかったらしい。 親しくしていた人からの偏見は、愛され気質のある英介の胸に鋭いナイフとなって突き刺さった。 心配をかけまいと、プロとしての姿勢を保とうと空元気で振舞ってはいるのだが、周囲にはバレバレだ。
「……辛い?」
寮の英介の部屋をノックしたタカは、床に座って枕を抱えている英介を覗き込む。 コクンと頷く仕草は子供のようだ。 素直な返事に一瞬面食らった。 タカは英介の隣に座って、ベッドに背を預ける。 俯いた英介の項が綺麗に見える。
「俺……」
俯いたままの英介の声は嗚咽に震えていた。 夕食の時はまだ笑って冗談を口にしていたのに、部屋に戻って声を殺して泣いたのだろう。 そう思うとタカの胸も痛んだ。
「俺、考えたこともなかった。タカとチームメイト以上であることで、あんなコト言われるなんて」
ひっくと途中で苦しそうな息をつく。
「……何、言われた?」
優しく問いかけるが、ふるふると首を横に振られた。
「大丈夫」
「大丈夫じゃない」
同じ悩みを抱えているのに、受け止めた重みはあまりに差がある。 それを一人で抱え込もうとする英介がもどかしい。 サラサラと流れている髪の毛を梳いて、頭を抱えた。 自分の肩に引き寄せて、額にキスをする。 赤くなった目。 濡れた頬。 無理な呼吸のせいで、吐息は熱い。 泣き顔を見られたことで益々盛り上がる涙が、頬へと伝った。
「う~」
「あー、泣くなよー」
よしよしとタカは英介の背中を摩り、英介の体を正面から抱き締める。 一回りでかいタカの腕の中に、英介の体はすっぽりと納まった。
「お前のこと好きだって気持ちは、変わらないよ、俺は。どんな噂があったって。それに、お前はオンオフの切り替え激しいから俺達の関係、ピッチにまで持ち込んでないし。気になるんなら暫らくはゴールの後のキスもやめとく」
ぎゅっとタカにしがみ付きしゃくりあげる英介の背中を、ゆっくりと赤ん坊にするように摩りながら続ける。
「俺は頭よくないし、宗教とかわかんないし、バッシングとか気にならない。ただお前のことが好きで、サッカーしてるお前に憧れてて、必死で後をついて行こうって思ってる」
自分はなんともない。 どんなに叩かれたっていい。 間違ったことはしていない。 この存在を愛していると声高に訴えることと、こいつや多くのファンに嘘をつくのと、どちらが罪になるだろう。 タカには答えが出ている。
「何にも、悪いことなんかしてないよ。俺達は」
だから泣くなとタカは言って、額に優しいキスをする。
「だから、俺のこと捨てないで」
そして冗談めいた懇願を。 英介は少しだけ口唇を笑みの形に変えて、タカの目を見た。
「……ありがと」
濡れた口唇がやっと笑みを模った。 触れた口唇から伝わる幸福感に、小さな棘が混じるのは今は仕方ない。 いつか全部取り払ってやるから。 そんな想いを静かに抱え、タカは英介の体を温めるように抱き締める。
「……好きだよ、タカ」
穏やかになっていく呼吸が、安らかな寝息に変わる。
「馬鹿の考え休むににたりっていうしな」
泣きすぎて腫れた目蓋を癒すように口唇で辿る。 泣き顔も可愛いなと、そんなことが呑気に思えた。
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何も、恐れるものはない。 愛する人の手をとることは、間違ってはいないはずだ。 自分達はサッカー選手としての自分達を何よりも優先してきた。 二人が愛し合うことで、サッカーに悪影響がないようにしてきた。 恥じることは何もない。 何もないはずだ。 タカを好きであることは、間違ってはいない。 間違いだなんて思わない。
久しぶりに苦しくなるほど泣いて、英介の頭はクリア。 じわじわと浮かんでくる答えに、力もわいてくる。 らしくもない蓄積したマイナス感情は、全て涙となって流れてしまったようだ。 自分でも驚くほど気持ちは明るい。
「何笑ってんの?」
耳元でタカの寝起きの声が問う。 ほんの少し笑いを含んだそれは、安心してなのだろう。
「なんか、綺麗にふっきれたから」
「そっか」
ぎゅっと一度強く抱き締めて、タカはくぐもった笑い声をあげる。
「叩かれるの、一人じゃないし。だったら、大丈夫」
「そっか」
「それに、どんなに言われたって、好きだし。タカんこと」
「うん」
「俺も愛されちゃってるし」
「うん」
自分で言って頬を染めながら、英介も力を込めてタカを抱き締める。
「嘘はつかない」
「うん」
たくさんの人に好かれたい。 そういうプレーヤーでいたい。 けど、もしもそれが叶わないのなら、タカだけでいい。 でもこのチームにもたくさん支えてくれる人はいて。
「俺は全然、幸せ」
「うん」
神様に嫌われてもいい。 自分の側にいる人に、好きになってもらえてればいい。
「よかった。心配した」
「うん。ごめん」
戻ってきた笑顔が眩しいと思った。 愛しいと思う。 思いにまかせて頬や額、鼻筋に口唇とキスを繰り返す。 へへっと照れ笑いを浮かべる英介に、昨日の泣きべその面影はない。
「でもさ」
「ん?」
キスの合間。 英介が言う。
「やっぱ、タカの腕ん中って安心する」
「……また、お前は可愛いことをさらっと言うし」
本当は体を重ねてしまいたい。 けれど午後には練習が控えている。 ホラ、こんなにも自分達は我慢を重ねている。 この努力を知らない連中に、とやかく言われたくはない。 英介を大事にしている自信はある。 サッカー選手としての互いを大事にしている自信もある。 子供のようなスキンシップで満たされている自分がいる。
こいつとなら、一緒にいるだけで幸せ。
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『ゴール!江口、今日三得点目!自身四度目のハットトリック達成です!』
『素晴らしいゴールでしたね』
『高山のディフェンダーの間を抜けるキラーパスをうまく合わせました。江口。一得点目は高山のコーナーキックをヘディングで、ニ得点目は同じく高山からのワンツー。全て高山のアシストから生まれたゴールです』
『江口のねぇ、ポジショニングがいいですね。高山のパスの精度もいいんですが、何よりもお互いがしたいことを理解してて、それもプレーの途中で生まれたイメージを共有しているから、相手はまったく読めないですね』
ピッチでは片手を天に突き出して、見たかと言わんばかりの英介がいる。 アシストしたタカが英介と額を合わせて、互いの胸に拳をぶつけ合う。
『ここ暫らくの不調が嘘のような活躍です』
『江口も高山も、プライベートで少し叩かれてましたから。江口はだいぶ落ち込んでたようなんですが、吹っ切ったようですね』
解説席に座ったのは神戸RC出身の市井だった。 矢良にそれとなく探りを入れてみたら、深刻な顔でヤバイと言われたのだが嘘っぱちだった。 なんだ、この調子の良さは。 叩かれて凹んで、復活試合でハットトリックだなんて。
『体の切れがいいですね。それにしても早い』
『ボールをもっても早い選手ですが、今日はディフェンスが江口に接触すらできていません』
まるで鳥だ。 生き生きとピッチを飛び回る。 今も足下にボールを受けると、ハーフラインからドリブルで這い上がってくる。 緩急をつけたリズムを刻んで、相手ディフェンダーを三人抜いた。 昴が中央に上がってくる。 英介はシュート体勢に入った。 今の距離からだとミドルシュートになる。 思い切り振り切った。 まだまだゴールを狙う姿勢を見せつける。 しかし、ミドルは苦手な英介らしく、ボールはポストに弾かれた。 その零れたボールに食らいついたのが昴だった。 頭で決めて神戸の四得点目。 神戸側スタンドが大きくわき、昴は英介と喜びをわかちあう。
『神戸、四得点目!江口、片岡の新旧攻撃陣が爆発しました。あー、そしてここで試合終了のホイッスル!江口の完全復活を告げるハットトリックで、神戸RCが勝利しました!』
整列後のサンクスラン。 神戸の横断幕に英介とタカの連名のものがあって、選手達は指さして笑う。
「……なんなんだろうね、ドクター」
「なんだろうねぇ。あれは」
「一晩泣いたら復活だってさ」
「涙で全部流しちまったって?」
「らしいよ」
「……単純すぎるだろ、人として」
「……いや、まぁ、いいよ。勝ったから」
「ウッチ―、それも単純すぎる」
ベンチで彼らの帰りを待つコーチとドクターは、呆れ半分で会話をかわす。 実は二人は、今回の件の解決策を真剣に話し合っていたのだ。 このまま調子が上がらないようならば、英介は一度実家に帰して頭を冷やさせるだとか。 球団側に公式会見をしてもらうだとか。 その苦労が一晩の涙で水の泡だそうで。 まったくうちの連中は、と安心と呆れ半分で内田と矢良は肩を落す。
サポーターの前で頭を下げ、手を振って応えたタカの背中に英介が乗っかってじゃれている。 ハットトリックをかましたストライカーに文句があるわけがない。 試合前のミーティングで、英介は矢良と内田に言った。
「俺、別に神様に好かれようとか思わないし。嘘つくのと、好きな人と手を取り合うのと、どっちが正しいかって聞かれたら俺は後の方とるし。だから俺、このまんまタカと一緒にいるけど、いいっすか?」
二人は、好き放題やってやれと答えたのだ。 まさに、好き放題のハットトリック。
「まだまだ順位は下だ。アベックコンビで乗り切ろうか」
戻ってきた二人を迎えた矢良と内田は、からかい半分でタオルを渡す。
「へへ―、乗り切りますよ」
英介は彼らしい笑顔で答える。 嫌味も通じない。
「あぁあぁ、本当にいいコンビだよ、お前らは」
「ストライカーが最高ですからね」
タカが口をはさんだかと思ったら、ベンチ裏で英介の顎を思い切り仰向かせて上から素早いキス。 ベンチブースは透明な強化プラスチック製だから、勿論視線を向けていた人には見えたわけで。
「……もうタカのフォローはしねぇ」
内田と矢良にそんなことを呟かせた。
神様に背中を向ける分、頑張ります。
誇ります。
君を愛した僕を、愛します。
僕の神様は君だけで充分なんです。
僕の神様が愛してくれてれば、それで充分なんです。
それだけで、幸せなんです。
頑張れるんです。
だけど、もっとたくさんの人に好きでいてもらえたら、もっと幸せ。
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