「やっぱり、片目だけと言うのは寂しいものだね……。」 憂いを帯びた高めの声がオレの上に落ちてきた。 その声の主は、オレの青磁色の長い前髪を、細くて長い器用な指で掻き分けて、左目だけ瞳のある両眼を覗き込んでいた。 何を言いやがる。そうやったのは、お前だろう…? いらだつ心を言葉にはせず、睨み付ける事によって伝えようとするが、奴の顔色は変わりもしない。 「さあ、続きをしようね、僕の竜。」 そう言って、オレの首筋に奴は顔を埋め、皮膚を口で吸った。 その行為に体がピクリと震えることを、どうしても止めることが出来なかった。
どうも、風向きがおかしい。 オレは毎日見上げる空の色が、どことなく違和感があるような気がして、再度見上げた。 しゃら、と首もとの淡い青磁の色をした鱗が、オレだけにしか聞こえない小さく高い音で鳴った。 別段、どこかの山で火が燃え盛っているような臭い匂いもなく、かといって嵐の前触れのような、水の匂いも漂っては来ない。 まあ、そんなことになれば、逃げればいい話。 鳥のように翼はないが、魂が風であり、本質が自由であるオレにとっては、飛ぶことはたやすく、意にそぐわないような所は、さっさと逃げ出してしまえばよい。 誰一人として止めるものなどいやしないのだから……。 だが、このおかしさは、どこか違う。 心がかき乱されるような……。 「な!?」 そう思ったとたん、オレは自分の長い尾の先端が、空中に溶け出しているのが見えた。 「どういう……」 ことだと、言い終える前に、体の消去があっという間に頭のほうにまで迫ってくるのを見たのが、最後に自分の世界で見た光景だった。
「うわぁ!!?」 若い男の声が聞こえ、オレは眼を開けようとし、今まで眼を開いてなかったことに驚いた。 いつの間に寝てたんだ。 というよりは、人里離れた所に居たはずなのに、どうして人間の男の声が聞こえるのだろう。 疑問が頭の中に浮かぶが、それよりも現状確認をしたほうが良いと考え、声の主を見た。 おびえる表情でオレを見る男は、腰が抜けたのか床に座り込んでいる。 黒い髪に黒い瞳の男は、なぜだか奇妙な香りと、そして体中に生き物の色とは思えない色を服や肌に付けていた。 自分の下にもなにやら匂いの元のようなものが散らばっているようだが、何しろ今居る部屋は、自分の体に比べるとずいぶん小さなもので、ぐるりと首を回して確認することが出来なかった。 いや、それ以上に。 どうして右しか見えないのだろうか。 瞼が開いているのは分かるが、右の視界は暗闇に閉ざされたままだ。 「おい、おまえ……。」 十中八九、この人間のせいだろうと勝手に決めつけ、オレは頭を人間のほうに動かした。 動かそうとした。 「く、来るな!!」 人間がそう叫んだとたん、オレの首はぴたりと体の意に反して動かなくなってしまった。
「オレがこの絵から出てきた、だと?」 未だ慣れない人間の体で、オレはすっとんきょんな声を出してしまった。 「多分、そう。だって、ほらキミの右目、見えないでしょ?」 人間、いやハルトが右目の前で人差し指をかざしたのを、左目で見た。 確かに……。 そう思って、オレも頷きかけ、はっと気が付いた。 「それならば、早く目を描け!」 もしかしたら、目を元に戻せば、自分も元に戻れるかと頭に過ぎり、ハルトに命じた。 だが、無常にもハルトはにこやかに笑むと、こう言った。 「やだよ。多分、中国のことわざのように、目を入れてしまえばきっとキミは居なくなる。でも、キミは僕の描いた絵から出てきた竜でしょ?僕のものだよ……リュウサ。」 子供のようにそう宣言する男は、オレの長い髪をそっとひっぱった。 それを、オレは無常なる命令のように愕然とした心持で聞いた。 最初ハルトは、オレの体が自分の意のままに出来ることが分かると、すぐさまいろいろなことを試し、ついにはオレの口から人に変化する秘密まで差出すようにまで、とことんオレのことを玩具にした。 次に行ったのは、オレがどこから来たのかを聞きたがり、オレは別にいらないと思ったが、自分のこと…ビダイセイとかいう者であるとか、油絵とかいう物を描いていたとかで、最後に先ほどまで雲海を上る竜を描いていたのだと言った。そこから、前の会話に繋がったわけだ。 だが、どうしてこんな力の欠片もないような人間から、オレは呼び出されてしまったんだろうか。 その疑問が氷解する前に、異世界の日常にオレは否応がなく巻き込まれてしまった……。
最初の数ヶ月は、ただただこの世界の「人間」の日常に慣れるために頑張るほかなかった。 左目だけでは、竜の体ではもちろん、慣れない人間の体では、自由に動くことがままならずに、体をぶつけてはハルトにばんそこうとやらを貼ってもらうことになった。 舐めておけば直るという言葉を無視し、命令で体が動かなくなったところを貼られてしまうのは、とても屈辱的なのだが、毎回笑顔でそれをやられてしまう。 オレが女であればまだしも、男同士でやったとしても何が楽しいのやら。 むろん、男同士で好き合うことは知ってはいたが、もともと竜という生き物には性欲が薄い。 それ以上に人間の姿のときでさえ、ハルトよりも大きいした体付きのオレに性欲を抱けるのか疑問ですらある。 まあ、オレがハルトを抱くというのであれば……。 思わず、考えもしなかった方向に思考が飛びそうになり、考えを振り切るかのように頭を振った。 考え事をしていると、鍋が焦げ付いてしまう。 いつの間にやらハルトに料理を教えられ、今では一週間という短い暦の繰り返しの日数ぐらいならば、一日三食違うものを出せるほどになった。 盛り付けもし、食卓に並べた後、二階にあるハルトの仕事場に足を運んだ。 一人で暮らしているのには、少し大きすぎる一軒家でハルトは暮らしており、オレが一人転がり込んだとしても、消費する食料の量が多くなるぐらいで、問題は無かった。 ただ、気になるのはこの家に染み付くハルト以外の人間たちの匂いだったが……。 「ハルト、飯が出来た。」 扉から頭を出し、無愛想に用件のみを伝えるオレにハルトは笑顔で手招きをして言った。 「リュウサ、小さくなってから来てよ。」 その言葉に、オレはしぶしぶ猫ほどの大きさの竜の姿になってハルトの膝の上に載った。 ハルトは膝の上に載ったオレを撫でながら、自分の目の前にある布を張った板を見て言った。 「ねえ、これを見て…?」 「……顔がないじゃないか…?」 オレは背筋を凍らせながら、呟いた。 そこにあったのは、四人の人間の絵。 真ん中に暗い表情のハルトが居たが、彼の周りに居る人間は、全て顔が無かった。 成人の男と思われる人間も、成人の女であると思われる人間も、ハルトの隣に居る、小さな女であると思われる人間も、顔が無かった。 「リュウサ、これはね、僕の家族。五年前には、僕らは幸せな家族だった。でも、ある日みんな消えてしまった。僕の記憶からも。みんなの顔覚えてないんだよ、僕は。父親も母親も妹も。」 オレの背中を撫でる手は、いつもと変わらず優しい。 「写真はね、あるんだよ。でもね、家族の顔を覚えていない僕が見る資格なんて無いだろう?」 慟哭もせず、ただ淡々と語るハルト。 不意に筆をとり、黒い絵の具を筆に含ませると、大きく絵に×印を描いた。 そしてオレを腕の中に抱いたまま、仕事場の隣にあるハルトの部屋に移動した。 「料理冷めちまう……。」 オレは抵抗の意思でそう言ったが、ハルトは、後でレンジで暖めるといって聞かなかった。 「だから、リュウサが来た時、僕は思ったんだよ。」 そう言いながら、オレをベッドの上に乗せる。 「家族の代わりに、リュウサを愛せばいいって。」 その言葉に、オレはゆっくりと瞬きをした。 「リュウサ、人間になって。」 オレは変化した視界から、ゆっくりとオレに覆いかぶさってくるハルトを、ただ見ていた。
「んっ……くぅ……っ…!!」 「リュウサ、声を我慢しないで。」 手の甲で否応が無く漏れ出る声を抑えようとしていたオレを、ハルトはその手をとり、命じた。 体が勝手に口の上から手を排除し、そして聞くだけでも羞恥する喘ぎ声が漏れてしまった。 「ああっ……んああ……は……ハル、ト…っ!!」 睨み付けても、ハルトはにこりと笑むだけで、真っ赤になった胸の飾りを弄る手も、双丘の狭間にある後孔を弄る長くて器用で、そして意地悪な手を止めることは無かった。 一度、ハルトの口の中に欲を吐き出したオレの男根は、すでに勢いを得てはいたが、なかなか善い所を弄ってはくれない手によって、透明な液を糸のように腹の上に滴り落としているだけだった。 「リュウサ……かわいいよ。」 そう言って、見えないほうの右目の瞼に口付けるのを、皮膚の感触で知る。 それすらも、熾き火のようにくすぶる快楽に新たな熱を加えられるのは、一日として愛されなかった日は無かった結果のせいだった。 不意に胸を弄っていた手が、オレの首の下に差し込まれる。 「は、ハルトっ!!」 次に来る快感を知っているオレは、ついに両の眼からぽろぽろと涙を零しながら、身体の支配者であるハルトに訴える。 「もっと、かわいくなって、綺麗になってリュウサ。」 耳に言葉を吹き込んだハルトは、同時に項にあるオレの逆鱗をやわやわと撫でた。 「あ、あああああっ!!」 背筋を快楽の火が焼き尽くす。 竜の逆鱗は、その名のとおり、触るだけで竜の逆鱗に触れる部分だったが、どうしてか、身体の支配者であるハルトが触ると、とたんに身を焼き尽くすような性感部分になっているのに気が付いたのは、最初に身体を合わせた時からだった。 それからというもの、ハルトはオレを快楽に落とすために必ず逆鱗に触れる。 そして、その後のオレは、コトが終わってから思い出したくなくなるほど、淫らに乱れてしまうのだ……。 「ん、や……そこ…ああっ!」 左だけの視界は、すでに潤み、ハルト以外は見えなくなってしまう。 排泄機関であるはずの後孔は、いまやハルトの指を三本も頬張り、そしてハルトの命令によって内部から出てきた体液とオレの精液によってぐちゃぐちゃにとけきっていた。 「綺麗で、淫らでかわいいよ、僕のリュウサ……。」 「おかしく、なるぅ……。」 涙をぽろぽろと零しながらも、舌足らずな声で甘く言うオレの声に、ハルトは興奮なのか、白い肌をほんのりと赤く染めながら、オレの唇を吸う。 舌であやされながら、オレは覆いかぶさるハルトの背中に手を伸ばして腕を回そうとするが、それをやんわりと後ろを弄っていない手でシーツに縫いとめる。 上あごを撫ぜられた後、唇と唇の間に銀の糸を引くのを熱の回った頭でぼおっと見上げながらハルトの顔を見ると、彼も赤い唇をしながらいつもこう言うのだ。 「大丈夫、もう僕もおかしいから。だから、リュウサも。」 おちてきて。 声にならない言葉が、心に突き刺さる。 そして、程よく筋肉が付いたオレの両足を持ち上げ、腰に枕をあてがうと、ハルトはゆっくりと自分の怒張したものを、オレの融け切った所に埋め込む。 「あ、ああ、あっああああ。」 ゆっくりと埋め込まれるハルトのものに導かれるように、オレの嬌声が部屋の中で静かに響く。 熱い塊が、最初の太いところを越えると、ぬるりとまるで誘われるようにオレの内部に埋没する。 そして、オレの双丘とハルトの腰がぶつかると、ハルトは水分を求めるようにオレに口付ける。 「気持ちいいよ、リュウサ。熱くて狭くてやわらかくて。」 毎回毎回、ハルトはオレの中の感想を熱のこもった視線と共に述べ、毎回毎回オレはその言葉に快楽を得てしまう。 そして、ハルトはぎゅっとオレを抱きしめ、じっと動かない。 何を思っているのか、不安になる。 オレは、ハルトの家族の代わり……だから。 たとえ、家族は性行為をしないものだと思っていても、それでも最初に言われた言葉は、ずっと心のとげとして残っている。 それに、本当は人間ではなく、そして支配できる体は、使い勝手が良いのだろうと、自嘲気味に思うのが常だった。 「動くよ。」 その言葉に、思考が停止し、そしてゆっくりとしかし激しくなるハルトの律動で、とたんに体が燃え上がる。 「あ、ああ、あ、あああっ、んあっ!」 ぐちゅちゅぶと、いやらしい水音も、オレを駆り立てる要因でしかなく。 「は、ハル、ト!!」 達する前にハルトの首に自分の腕を回すことが、オレの一番の幸せだなんて、口が裂けても言えやしなかった。 「リュウサ!!」 オレから遅れてハルトが達し、中にどくどくと流れる熱に溶かされるように、オレは意識を失った。 ハルト……オレ自身は要らないのか…? その疑問は氷解しないままに。
ハルトは、ゆっくりと眼を開けた。 白いシーツに横たわるのは、青磁の色をした長い髪を持つ綺麗な青年だった。 綺麗といっても、童顔のハルトとは違い、立派に雄の体つきだが、中身の何もかもが綺麗で無垢な青年であることを、ハルトは彼との生活から良く知っていた。 「リュウサ……。」 青年、リュウサの中に自身の一部を埋め込んだまま、先ほどまで淫らに喘いでいた顔から一変、無垢な表情で眠る彼の顔が愛おしく、ハルトは両手でその頬を包み込んだ。 涙や涎や精液で塗れていても、その表情は無垢で、時折ぴくぴくと長いまつげが揺れるのを見るのが好きだった。 「リュウサ……ごめんね、家族の代わりにして。」 彼がその事に悩んでいるだろうということは、容易に想像が付いた。 時折彼に絵のモデルを頼むときがあり、その時モデルであるリュウサはハルトのほうを見ることは無いが、ハルトは絵を描く傍ら、リュウサの憂いに満ちた表情をじっくりと観察することが可能だったからだ。 「あの時は、僕に欠けているのは、家族だと思っていた。…そう思い込もうとしてた。」 ハルトの独白が、静かな部屋にそっと吸い込まれる。 「でも、違った。ただ、僕は無くしたものを欲しがっていただけなんだ。……自分から、家族を作ろうともせずに。だけど、やっとリュウサと身体を繋げてから良く分かった。」 目元にかかる髪をそっと払いのける。 「家族って、僕だけが求めても、作れない。相手が求めなければ、家族になりえない。……だけど、僕は優位であることで、むりやりリュウサを奪ってしまった。リュウサの元の生活を、リュウサの生き方を……。」 ぽたりと、熱いものがリュウサの頬に落ちる。 「これじゃ、リュウサが僕の家族になってくれるワケないよね……。画龍点睛だったのは、僕だったのに……。」 その時、不意にベッドにおいていた手首がつかまれ、ハルトは驚いてリュウサの顔を見た。 「……早く……早く言えよ……馬鹿野郎……。」 耳が真っ赤に染まりながらも、リュウサは左しかない瞳でじっとハルトを睨み付ける。 その表情に、ハルトはすっと顔を曇らせ、心から搾り取るように言った。 「ごめん…リュウサっ……。」 「……今の嘘じゃないな……。」 その言葉に、ハルトは頷いて、言った。 「……うん、だから、もうリュウサを返すよ。貰った右目を描いてね……。」 「違う……お前は、ハルトはオレを家族にしたいと思っているのか……?」 その言葉に、ハルトははっとして、リュウサを見た。 「本当か?」 リュウサは、赤く頬を染めながらも、真剣な声音で言った。 「……本当だ。」 ハルトは、真実を答えなければ、リュウサが自分を喰らってしまうかのように思えて、本音を口から零した。 真実、そうであったし、また、もうリュウサに喰われても良いと思ったからだった。 「……なら、眼はまだ描くな。お前が、死ぬ前まで。……オレは死人を看取る気は無いからな。」 そうして、顔をそらすと、ぶっきらぼうに言った。 「それに、いつまでオレの中に居るんだ……。」 その言葉に、返ってきた言葉にリュウサは目を見開いた。 「そうだね……、もう一度、僕の家族になったリュウサと繋がりたいから。もっと深くまで……。」 そういうと、ハルトはリュウサを泣かせにかかった。 今度は悲しみの涙ではなく、幸せの涙を。
家族が神隠しにあった子供と、彼に呼ばれた竜が一つ屋根の下に住んでいることなど、彼ら以外には知る者は誰一人としていなかった……。
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