県内有数の進学校だというのに、金色に頭を染めて、馬鹿そうなところが嫌いだ。 あまつさえピアスもつけてきて、いつも担任に怒られているところが嫌いだ。
「深水ー」
間延びした声で俺を呼ぶ声が嫌いだ。
その時に見せる子供のように無邪気で、軽薄な笑顔が、大嫌いだ。
「深水ー、深水ってばー、聞いてるのー?」
俺の隣から聞こえる声は完全に聞こえないものとして、俺は窓の外の景色を眺める。怖いくらいに青い空。今日は風が強いせいか、雲の動きがいつもより早い。同じ時を過ごしているとは思えないほどの速さで俺の視界から消えていく。
「深水ー、無視すんなよ、ちょっと、聞いてるー?」
教室の喧騒に埋没しないよく透る声は、俺の耳にも五月蝿いほど響いてくる。 不快で、耳障りでしかない声。 この声に応えてやるのは癪だが、無視し続けるのも面倒だ。 俺は小さく息を吐くと、口を開いた。
「聞いてない」 「聞いてるじゃん」
人の言葉の揚げ足を取ると、金髪の男は笑いを噛み締めた。 ・・・・・・不愉快だ。この男の何もかもが。 俺は自分の席の隣に座る男を、眼鏡のレンズ越しに剣呑な眼で睨みつける。 早乙女証。人工的な金色の頭髪がくすんだ輝きを放ち、口元にいつも浮かべる笑みが最高に俺を苛立たせる男。こんな不良みたいな格好をしているのだから、成績が悪ければ可愛げがあるものを、毎度のこと10位以内に入っていることが更に不条理な感情を沸き立たせる。
「俺は別にお前の友達でもなんでもない。聞いてほしいことがあるなら誰か別の奴に言ったらいいだろう」
「いやいや、俺達友達でしょ」
「・・・・・・は? いつからそうなった。俺とお前はクラスメイトという定義には当てはまっても友達なんていう定義には間違っても当てはまらないと思うが」
「ヒデー」
早乙女は困ったように眉を下げて笑った。 酷いなんて心外だ。事実を言ったまでだというのに。 そう、早乙女とは2年になってたまたまクラスが一緒になり、たまたま席が隣になっただけの希薄な関係だ。言葉を交わした回数も数えるほどしかない。そんな男を友達と呼べるかといえば、答えは否だ。クラスメイトの域を出ない。しかも、「嫌い」な。
「まあいいや。この際それは置いておいて、学年首席の深水君からの貴重なアドバイスを貰いたいんだよ、俺」
アドバイスという言葉に、俺は少しだけ面食らう。
「なんだ? まさか勉強でわからないところでも聞いてくるつもりか?」
「いんや、ただの恋愛相談」
男の口から出てきた言葉に、俺は間抜けにも聞き返しそうになった。 恋愛相談、だって?
「一つ聞くが、その相談に答えるのは学年首席でなければならないのか?」
「当たり前」
「お前は本気で俺から恋愛という話題で有益なアドバイスが得られると考えているのか?」
「じゃなきゃ聞かないって」
あっけらかんと笑って言う早乙女は、どうやら本気で俺に恋愛相談とやらをしてくる気らしい。 自慢ではないが、俺はこの16年間恋愛経験というものがほとんどない。しかも高校はこの全寮制男子校を選んでしまったから、そういう話とは全く無縁だった。恋愛相談などされたところで答えられるわけがないということは眼に見えている。 それともこの男の目には、俺が恋愛経験豊富なプレイボーイにでも見えているのだろうか。
「俺はお前の恋愛事情なんか全く興味ないし、有益なアドバイスを与えられる自信もない。誰か別の奴に相談しろ」 「あ、違う違う。俺の恋愛事情じゃなくて、俺のダチの恋愛事情なんだ」 「・・・・・・友人だと? 尚更興味がわかないんだが」
何故コイツの友人の恋愛事情などというくだらないものを聞かなければならないのか。 不快感も露に顔顰める俺のことなどお構いなしに、早乙女は口を開いて話出した。
「俺の友達っていうのが同じクラスの子に片想いしてるんだ。んで、そいつはその子のことがすごく好きなだけど、なんかその子からは嫌われてるみたいなだよね。まずはお友達からーって思っても話すら聞いてくれないみたいでさ。しかも、その子学年首席だから勉強教えて貰おうって口実で話かけてもすげなく断られてるらしい」
そこで話を終わらせると、早乙女は俺の顔を窺うように視線をよこした。 コイツの友人というのだから、その男もコイツ同様相当軽薄な男だろうということが想像がつく。 しかもコイツの口から出てきた説明はそのまま俺と早乙女の関係に当てはまるではないか。 嫌いな奴から好かれるなんて、どこの誰かは知れないがその学年首席には同情を禁じえない。
「なあ、深水はこの状況どう思う。どうしたらいいと思う?」 「そうだな。私的見解を述べさせてもらうなら、その友人と彼女の状況は絶望的だな。友人は諦めるしかない」 「諦められない場合は?」
キッパリと私見を述べた俺に、早乙女はやけに真剣な顔をして尋ねてきた。先ほどまでの軽薄な笑みが消え、その瞳にはどこか悲しげな色を宿しているようにもみえる。 いきなりの表情の変化に戸惑った俺は、内心の動揺を悟られないように鞄の中から教科書を取り出そうと早乙女から視線を逸らした。 1限は確か数学B。教科書を探す手が、どうしようもなく緊張した。 早乙女は俺が口を開くのを黙したまま待っている。 どうしてこんなに真剣なのか。よほど大事な友人なのか。 動揺を抑えるように小さく息を吐きだすと、俺は口を開いた。
「・・・・・・諦められない場合は・・・ずっと片想いをしていればいい。気の済むまでな」 「それって、すごく辛いと思うけど?」
頼りなさげに揺らいだ早乙女の声に、俺は怒鳴りつけたくなった。「そんなこと知るか!」と怒鳴って、手に持った教科書を投げつけてやりたい。 その衝動を理性で堪え、俺は真剣な顔をした早乙女に、真剣な顔をして向き直る。
「じゃあ努力しろ。その子に好かれるように、好いてもらえるように精一杯努力しろ」 「深水曰く‘絶望的な状況’なのに?」 「そうだ。俺はそんな風にみっともなくあがくのは好きじゃないが、その子を諦められないならあがくしかないだろ。絶望的状況で、たとえそれが奇跡に近い希望でも、努力するしかないだろ」
キッパリとそう言い切ると、早乙女は苦笑を浮かべた。
「じゃあ参考までに聞くけどさ、俺が深水に好かれるにはどうしたらいい」 「俺がお前を好きになることなんてありえないな。何をしても無駄だ」 「深水さっきと言ってることちがう! 努力がどーたらって話は?」 「それはお前の友人と彼女の場合だ。俺とお前の場合は違う」
自分との関係を引き合いに出され、俺はあからさまな溜息を吐いて早乙女から目を逸らして数学の教科書に目を落とした。始業のベルが学校中に響き渡る。数学の担当の教師はプリントでも印刷しているのだろうか、まだ姿を現さない。
「・・・・・・深水・・・好き」
早乙女の口からぼそりと呟かれた言葉に、どんな意味が含まれているのかは分からない。そんなことはどうでもいい。
「そうか。俺は嫌いだ」
数式を目で追いながら、その呟きに正直に答えてやる。 不貞腐れたような舌打ちと、「どーすりゃいいんだよ」という情けない声が聞こえてきた。
「そんなに俺に好かれたいなら、まずはその頭とピアスをどうにかするんだな。そうしたら、見直してやらないこともないかもしれない」 「いやあ、それは難しいかもなー・・・・・・。これ、俺のアイデンティティだし」
コイツと俺の関係は、絶望的だな。なんて、絶望の奥に隠されたパンドラの希望が小さく笑った。
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