小さい頃から、俺は、病院と名の付く場所が、特別嫌いだった。
鼻につく、あの独特のエタノール臭
廊下の壁紙から、診察台となるベッドのシーツに到るまで、辺り一面に広がる白の世界
その世界の中心で、王様のように偉そうにふんぞり返っている、医者という人間が、俺は、また、大嫌いだった。
その医者がいる不本意な場所を、自ら訪ねようと思ったのは、愛する妻たっての頼みだったからだ。
話は、1週間ほど前に遡る。
その日、いつものように、リビングでくつろいでいた俺の元に、神妙な面持ちの妻がやってきた。
「ねえ、あなた、あなたにお願いがあるの」
「?」
「私、どうしても、今すぐ子供が欲しいのっ」
「!?」
俺の前で両手を擦り合わせ、床に頭をこすり付けるようにして、俺に頭を下げる妻の姿を、リビングのソファに腰かけた俺は、ただ呆然と見守っていた。
結婚5年、夜の生活だって、まあ、人並みにがんばってはいるものの、こればっかりは、神様にお願いするしかない。
子供は、天からの授かりモノ――そのうち、俺達のところにも、きっと、コウノトリが赤ちゃんを運んできてくれるさ――興奮する妻を宥めようとして、そんな子供だましの慰めを云った俺に、妻は、躍起となって反論してきた。
「ねえ、あなた、知っている?身体的に何の問題もない男女が、避妊もせず普通に性生活を行っていて、3年以上経っても、女が妊娠しない場合は、男女どちらかの体に異常があるらしいわ」
「異常って?」
「たとえば、女が不妊症だったり、男が無精子症だったり・・・」
恐ろしい事を云う。まさか、こいつ、俺が無精子症かもしれないと、疑っているんじゃ・・・
「そんな子供だなんて、まだいいじゃないか。もう少し、二人だけの生活を楽しんでいたって――」
「いやっ、私は絶対、子供が欲しいのっ」
聞けば、同時期に結婚した妻の友人達は、皆、子持ちになっているらしくて、仲間内から、そういう話を聞かされる度、妻はいつも肩身の狭い思いをしているという。
「あなたには、私の気持ちなんて、全然分かんないのよっ」
ああ、そうさっ――男である俺に、女である妻の気持ちが分かってたまるものかよっ
一瞬、喉まででかかったその言葉を、俺は必死になって、飲み込んだ。
学生時代から、付き合いのある俺達は、その昔、妻の生理が遅れる度、大騒ぎしていたクチだが、今となっては、それも懐かしく思える。
こんな事なら、あの時、もっとナマで楽しんでおくべきだったなあ・・・なんて
「あなたっ、私の話、ちゃんと聞いているっ」
「ああ、聞いているとも」
不妊症の治療は、とかく金がかかると聞いていたが、子供が欲しいと思うあまり、妻は、俺の承諾を得ずに、勝手に医師の診察を受けてきてしまったらしい。
その結果、妻に体の異常はなく、医師に、この俺の受診を薦められたという訳だ。
「ねえ、あなた、一生のお願いっ」
「ええ~っ」
そんな風にお願いされても、こればっかりは困る。大体、不妊検査なんて、普通、女がするものだろう?
「どうしてもと云うのなら、私、離婚を考えます」
「そんな~」
愛する妻に、そこまで云われてしまっては、俺も仕方がない。そこまで云うのなら、俺も、その検査とやらを受けてやろうじゃないかっ。
そうして、俺は、妻が世話になっているという不妊治療で有名な、ある医師の元を訪ねる事となった。
「・・・あなたが、木内真実(きうち まさみ)さん?」
「そうですが」
「ふうん・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ただでさえ、医者は嫌いなのに、その医者が、値踏みするような目で、俺の全身を見つめている。
地元でもその道で古くから有名なこの医院は、つい、先だって、先代の院長から、今の院長へ代替わりしたばかりらしい。
妻の主治医だというその医師は、更にその息子、この医院では若先生と呼ばれている30代の若者だ。
「そこに、かけて」
「はい」
明晰な顔を時代遅れの眼鏡で隠してはいるが、育ちからくる品の良さは、どこをどうしたって滲み出てしまう。造作の整った、禁欲的なその横顔は、男の俺をして、ドキリとさせられてしまう代物であった。
「先日は、あなたの奥さんの体を、隅々まで診察させてもらいました」
「!?」
年の頃も俺とそんなに変わりはしない、こんなにも美しい若者の前で、自分の妻が足を開いたのかと思ったら、男として、並々ならぬ怒りが込み上げてくる。
それが、この男の仕事であるとは云え、そんな生々しい事を、夫であるこの俺の前で云わないで欲しいと思った。
「で?」
「?」
「今日は、あなたの診察ですか?」
「ええ、まあ・・・」
俺の妻にそうしろと勧めたのは自分のくせして、今更、その云い草はないだろう。
「・・・あなたみたいな人が、この僕の診察を受けに来てくれるなんて、光栄だなあ」
「はい?」
「いえ、別に」
医師は、そこで、尤もらしい咳払いをすると
「それじゃあ、まず問診からさせて頂きます。最近、あなたの体で、特に変わった事は?」
「別にないです」
「朝も、異常ありませんか?」
「はい?」
一瞬、何の事を問われているのか、全く分からなかったが、少し考えて、すぐにその事に思い至った。
「まあ、一応」
「一応?一応って、云うのは、何なのです?」
「だから、一応――まあ、昔ほどって訳にはいきませんが」
「なるほど」
こう云う事を聞かれて、別に恥ずかしがる年でもないが、プライベートな質問はなるべく勘弁願いたい。
「込み入った事を伺いますが、奥さんとのセックスの頻度は、月にどれくらい?」
「ええ~っ!?」
直接的なこの質問には、さすがの俺も大仰に驚いてしまっていた。
「そ、そんな事まで、いちいちあなたに答えなくてはならないのですかっ」
「そんな事って云いますが、これは、大事な事なんですよ、木内さん」
ま、まあ、確かにそうかもしれないが・・・
「で?」
「はあ・・・月に一度だけ・・・」
それも、最近は、妻の排卵日に合わせて、子作りの為の義務的なセックスのみしているような気がする。そんな虚しさが、俺の表情に自然と滲み出てしまっていたのだろうか
「・・・お可愛そうに」
「はあ?」
「いえ」
今、こいつ、俺に可愛そうにって云わなかったか?俺の気のせい?
「質問を変えます」
「はあ・・・」
「今度は、あなたの女性経験について、お伺いしますが、ズバリ、今の奥さんは、あなたにとって、何人目の女性ですか?」
「え~っと、確か二人目かな・・・」
なんて、何釣られて、こんな恥ずかしい質問にまで、答えてしまっているんだか
「ちなみに、男性経験は?」
「へ?」
「もちろん、ある訳ありませんよね」
などと、自分が云った言葉に一人で突っ込んで、医師は納得していたが、それが、俺の妻の妊娠と、一体どんな関係がある・・・?
「それじゃ、下だけ脱いで、その診察台の上にかけてもらえますか?」
「えっ」
「えっ、じゃありませんよ。肝心の部分を見せてもらわなくちゃ、診察にはならないでしょう」
俺にそう云った医師の目は、机上のカルテの文字を追ってはいるが、その口元には、意味深な笑みを浮かべていた。
「あなただって、そのつもりで、わざわざここまで来たのでしょう?」
「ええ、まあ・・・」
「同じ男同士だ、何も恥ずかしがる事はない」
いや・・・どう考えたって、やっぱ、これは非常に恥ずかしい事であろう。
「ここに来る女性は、みんな、私の目の前に、余さず自分を曝け出してくれますよ。男のあなたが、そんなに恥ずかしがってどうしますか」
「でも・・・」
トイレだと思えば、何も恥ずかしがる事はない。俺は無理からに、そう思い込もうとした。
「さあ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
震える指先で、ズボンにかかるベルトをゆっくりと外していく。ジッパーを下ろし、ウエストを緩めたそのズボンごと、下着を下方にずらす。このまま、足首から抜き去って、大胆に全てを脱いでしまえばよかったのだろうが、俺に、そこまでの度胸はなかった。
「下の毛、結構薄いんですね」
「!?」
俺が密かに気にしていた体の欠点を、この男は、何でもない事のように口にする。医師がたった今、口にした通り、ホルモンの関係か、俺の体毛は、男性としては、いささか薄い。
性器の周りに生えている陰毛もさながら、足の脛毛に至っては、女性以下に少ないかもしれない。
別に剛毛に憧れはしないが、せめて、人並みには欲しい。陰毛が薄い分、その中身がはっきりと見えてしまって、バツが悪いのも、また事実である。
医師の眼鏡越しの視線は、俺のその下半身に向かって、じっと注がれていた。
「ちょっと触りますよ」
「!?」
一応そう予告されてから、それに触れられてしまったものの、体の緊張は隠せやしない。
「ひっ」
「大丈夫、すぐに済みますから、じっとして」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
すぐに済みますと云ったくせして、医師の手は、俺のその部分からなかなか離れようとしない。自分の掌にそれを載せて、重みを確かめるように、しっかりと握り締めた後、今度は、その部分の細部をじっくりと弄繰り回している。
一人でする時に自分の手で扱いて一番感じる裏筋の部分だとか、先端のくびれのところとか、そんな部分にまで、男は、当然の顔で触れてくる。
相手が男とはいえ、男として一番感じる部分をそんな風に弄られてしまって、平気でいられる男がこの世のどこに居ようか?
診察用の薄い手袋もはめず、生で直に俺に触れてくるその手は、明らかに、診察とは違う意図を含んでいた。
「あんっ」
「気持ちいい?」
思わず甘い声を漏らしてしまった俺に、医師がそう問いかけてきたが、俺は、その医師の言葉に、頑固に首を横に振って応じる。
「気持ちよくない?おかしいなあ・・・ここは、こんなに悦んでくれているのに、まだまだ刺激が足りないのかな?」
「!?」
なんて事を云いながら、自分の手の中にあったそれを、男は、更にきつく扱いてきた。
「ああ・・・ちょっと、やだっ・・・それは、やめてっ――」
刺激に弱い先の部分を、男の指先で執拗に擦られて、俺は堪らず悲鳴をあげた。
診察室のドアは、しっかりと閉じられていて、幸い、この声は外に漏れてはいないだろうが、それでも、男として、これほど屈辱的な事はない。
「も・・・」
「もう、イキそう?」
その言葉に、コクコクと、素直に頷いたところで、男の手が、ようやく、俺から離れていく。
男の手によって、先程からひっきりなしに与えられていたその刺激によって、いつの間にか、俺の中心は、痛いほど硬く反り返っていた。
「大きさは、標準よりやや小ぶりのものの、標本にしたいほど、綺麗な形をしている。勃起時の角度も、全然問題ないですね」
あくまでも、これは、診察の一環でやっている事なのだと、その事を強調するように医師は、淡々とそんな事を云ったが、俺を見るその目は、既に欲望に濡れていた。
薄いガラスを通して、俺を見つめるその目に、俺は自分の全身を犯されているような錯覚さえ覚えた。
確か、ここ、不妊治療で有名な産婦人科の診察室だったよな・・・?
そんなところで、俺は、何故、自分の下半身を晒してしまっているんだか
診察と云われてしまえば、それまでだが、それにしたって、本当にここまでする必要があるのだろうか・・・?
「じゃ、今度は、ちょっと出してもらえますか?」
「!?」
だ、出すって、一体、何を・・・?
「このコップの中に、中身を入れてくれれば、すぐに検査に回しますので」
そ、それって、もしかしなくても、やっぱ・・・
「木内さん?」
とんでもない事をいきなり云われ、思わず涙目となってしまったものの、俺は、唇を噛んで、キッと医師の顔を睨み付けた。
その時の俺の表情が、この男の欲望にますます油を注いでしまったようだ。
「あの、このまま、トイレに行って抜いてくるという訳には・・・」
「駄目です」
「!?」
俺の苦し紛れの提案を、医師はにべもなく断る。更に
「一人で出来ないって云うのなら、私が手伝って差し上げますよ」
「は?」
「何、これも私の仕事のうちですから、あなたが、気になさる事はありません」
「!?」
・・・って、普通は、思いっきり気にするだろうっ、そんなの~!!
白衣姿の美人のナースに手伝ってもらうのなら、まだしも、何が悲しくて、自分のチンチンを男に扱いてもらわなくてはならないのやら
俺は、医師のその申し出を、きっぱりと固辞した。
「結構です、自分で出来ますっ」
「そうですか、では、なるべく早く頼みますよ」
そうは云うものの、男のあからさまな視線を感じる中、俺がいくら扱いても、それはなかなか頂点に達してくれようとはしない。自分の神経が、男の方に行ってしまっていて、なかなかそれに集中出来ない。
そうこうしているうちに、それは、少しずつ元の大きさに戻ってしまっていた。
「・・・木内さん」
「ごめんなさいっ」
医師に呆れられ、俺は、ついそう叫んでしまったのであるが
「・・・仕方ないなあ」
「!?」
溜息混じりにそう呟いた医師の手が、俺の思ってもみなかった場所に、いきなり触れてきた。
医師の目の前に無防備に晒されていた股間のその奥、だらりと力なく垂れ下がっていた性器のその下にある穴に、その指はやすやす侵入してきた。
「ひゃっ」
予めゼリーか何かで滑らしてあったのか、医師の指は、明確な意思を持って、俺の中を進んでくる。
普段は排泄の時にしか使わないその小さな入り口から中に入ってきた男の指は、内部から俺にすさまじい揺さぶりをかけてきた。
「・・・ああ・・・何、これっ」
最初はただ気持ち悪いだけだったその感覚に合わせて、俺は、いつしか、自分から淫らに腰を揺らしてしまっていた。
腸壁を犯す男の指が、ちょうど性器の裏側にあたるある一点に触れた時のみ、体に激しい震えが走る。
女とのセックスでは、これまで一度も感じた事のなかったその激しい快感は、一度は萎えかけた俺の性器を、再び勃ちあがらせていた。
その事に気を良くした男は、自身の指の動きをますます早めてくる。
「あっ・・・あ・・・やっ・・・」
医師の背後にあるデスクの鏡が、今の俺の姿をつぶさに映し出していた。
これ以上ないほどに硬く張り詰めた股間を男の目の前に晒して、みっともなく喘ぐ今の俺の姿は、さながら、裏社会で売られている三流ビデオのAV嬢のようであった。
だらしなく開ききった口からは、呑み込めなかった唾液が零れ落ちて、それが頬を伝って首筋の方まで流れていく。
男は、その軌跡を、自分の舌先でなぞって、唇を俺の肌に滑らせてきた。
「ああん、もっ」
「いいですよ、このまま、イッてください」
男にそう云われ、ブルブルと震えながら、俺は、欲望の証を吐き出す。それは、男が片手で握り締めていたコップの中に、しっかりと受けとめられてしまっていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「いっぱい出ましたね」
検査の為なら、それは少量でいいはずであるが、既に出してしまったものは、仕様がない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
重いカルチャーショックを受けて、放心状態となってしまっていた俺の下半身を、医師が優しく清めていく。穢れた部分を拭き取る医師のその手の動きにも、俺は、うっかり感じそうになってしまっていた。
全てが終った後、俺に向き合った医師は云う。
「これで、一応の診察は終わりです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「木内さん?」
自分の中に、こんな本性が隠されていようとは、俺はこれまで思いもよらなかった。
診察と称し、俺の体に触れてきた男の指は、妻とのいつものセックス以上の快感を俺にもたらしてくれた。これは、マジ、まずいんじゃなかろうか・・・
「検査の結果は、1週間後に出ます。検査の結果を見て、治療はそれからと云う事で・・・」
「・・・はい」
「では――」
よろよろとした足取りで診察室を出て行こうとした俺の背中に、医師は、人の好い笑顔でにっこりと笑いかけてくる。
「またね、木内さん」
「?」
はあ?また・・・?またっていうのは、一体、なんだ?
その医師の微笑みの意味を、後に妻から見せられた検査結果で、俺は知る事となる。
「ねえ、あなた、これ見て」
「?」
「これ、この前のあなたの診察結果なんだけど、ほら、ここ――要再検査って」
「!?」
嘘だろ~、おいっ
「先生がね、近いうちに、あなたにまた、病院に来るようにですって」
あのスケベ医師が・・・二度と行くかっ!!と思ったのは、その時だけで、あの快感が忘れられず、その数日後、俺は、自ら、その医師の元を訪ねてしまっていた。
Fin
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