だって、時田くんが「ちょっとだけ」って言ったから。 だから、「ちょっとだけなら」って許した。 のに、 ・・・・・・全部、するなんて、―――― ひどい。
すんごい一生懸命走ったのに、階段を下りてくる人波をよけながら駅の階段をあと三段ぐらいで昇り終わる! ってときに、電車の扉の閉まる音がして、昇りきったときには、もう、―――― 。 「電車、行っちゃいましたね」 声がするほうを向いたら、すぐ後ろに、同じ学校の制服を着た、でも知らない顔の男子生徒が立っていた。 肩ではあはあ息して、心臓は痛くって、脚もがくがくだった。 けど、 どんなときにも、同士がいるのはうれしいもので、たいして人見知りでもないオレは、照れわらいをしがら気軽に返事した。 「次の電車って、バス連絡やばいよね」 って言いながらよくよく見上げた顔は、―――― 。 あれ、 知らないけど、どっかで見た、かも? 相手も、目をまんまるに見開いてオレを見ている。 誰かと間違えて、話しかけた? 「ああ、俺、駅から自転車ですから」 さっきから敬語だから、ってことは1年か2年生? で、オレのが上級生だって知ってるってこと? うちの学校は上履きの色で学年をわけているから、制服だけじゃ何年生かわからない。でも、オレも、もう3年だし、同学年のヤツはなんとなく把握している。こんな、いかにも女の子にもてそうな面構えのやつは知らない。 でも、でっかい身体と、なんだかおちついた感じが、同い年か年上っぽいなあ。 「―――― そうか、だったら学校に間にあうな。オレ、駅からバスだからさ。次の電車だと、連絡悪くて、けっこう待ち時間があるから、アウトなんだよ」 オレが通っている高校はこの駅から急行電車で2つ目で、さらにバスに乗って12分ほどかかる。自転車なら駅から学校までの直進コースを裏道で行けるから、朝ラッシュに巻き込まれないだろうし、楽勝で登校時間に間にあうだろうな。 さっき行ってしまった電車は、オレがいつも乗っているやつで、それだと朝のS.H.R.前5分に教室に入れるという優れものなのに、・・・・・・、うらむぜ岡林。 と八つ当たり。 昨日、クラスの岡林が貸してくれたゲームソフトにうっかり夢中になってしまって、気がつけば新聞配達のバイクの音を聴いて、やばい、と思って、ベッドに入ったけれど、ケータイといつも使っている目覚まし時計のセットもむなしく、寝過ごしていた。 あわてて、起きてったら、 もうちろん、とうちゃんも妹ももう家を出ていて、 かあちゃんも今日は仕事が早出だったらしく、台所はシーンとしていた。 もう、このまま休んじゃおうかな、ぐらいの時間的ヤバさだったけれど、家から駅までの最速記録を更新できるかも、と思ってがんばったのだ。 でも、まにあわなかった。 全力疾走のおかげで、いまだに息があらい。 はあ、とまた一つ息をついたオレに、 「一緒しませんか、俺のチャリで」 とソイツが言った。 「え?」 「荷台があるから座れますよ」 それは、すごい、ありがたい申し出だけど ―――― 。 「でも、悪いし、初対面なのに、」 「俺は、知ってますよ。今井センパイ」
すごくすごくすごく、速かった。 「しっかりつかまって、センパイ」 家も道路もビルも電柱もかけぬけていった。 風がびゅーびゅー顔に身体にあたってきもちがいい。 でこぼこっとしたところを、バウンドする振動でさえ、なにかのアトラクションのように楽しかった。 すごく、 楽しかった。 今日、初めてあった後輩の自転車のうしろに乗っているのが。
そして、翌日、 オレはちゃんと電車に間に合った。発車、10分前につくという優秀さ。やっぱ昨日の猛ダッシュで一日中、疲れきっていたから朝寝坊はもうしない、と誓ったのだ。・・・自分でも何日できるかは謎なのだけど ―――― 。 余裕で電車にまにあったのは、やったあ、って感じだったけど、 プラットフォームにつづく階段を昇りながら、あの昨日の、時田悟っていってた2年生に会えないのは残念だなあと、チラリと思った。 でも、 「おはようございます、今井センパイ」 居た。 「お、はよ」 目の前には昨日と同じ場所 ―――― 階段昇ってすぐのところに、時田くんが立っていた。 「今日はこの電車?」 なぜか少しかるい足どりで、時田くんに近づいていった。 てっきり、もう一本あとの電車が、いつも時田くんが乗っているのだと思っていた。 「そうですね。朝練がないときはだいたい」 じゃあ、昨日はたまたまだったのかな。 そうか、どっかで時田くんのこと見たことあるような気がしていたけど、この駅でたまに見かける同じ学校の制服のやつらの一人だったのかもしれない。 オレ、朝はたいがい、寝起きでぼーっとしてるから、顔までは見てなかったけど、同じ制服のやつがいるなあ、ぐらいは認識していた。 「へー、何部?」 「陸上です」 ああ、やっぱりって感じ。うらやましいくらいに、身体つきいいもんなあ。 昨日、電車に乗ってるわずかな時間は、オレの部活の話しかしなかったから、もっといろいろ聞いておけばよかった、とあとで後悔したんだった。名前ぐらいしか聞かなかったし。 だから、今朝も会えてうれしかった。 昨日、なんでオレのこと知ってんの、って聞いたら、オレが部活やってるときの姿を何回か見かけたから、って言ってた。 オレは放送部に入っている。 オレ、早口だし大勢の前でしゃべるのは苦手なんだけど、たまたま中学の時に放送委員になって、音声を調整するミキシングの機械をいじるのがおもしろかったから、うちの高校にあった放送部に入った。その時の部長に、機械担当だけでいいって言われたし。だから今も、おもに音声とマイクスタンドのセッティングやアンプの接続を担当している。 だから、月一回の全校集会なんかのときに、体育館のすみっこでマイクの調整をしていて、それで、時田くんがオレのことを見て知っていたらしい。 でも、なんで、名前まで知っていたんだろう? うちの学校は名札もないのに。 「そういえば、なんで時田くん、オレの名前知ってたの?」 ブレザーのポケットに突っ込んだままだったネクタイをとりだしながら、言った。 ネクタイをする時間も惜しんで、家を出てきたのだ。これが発車10分前到着の秘儀のひとつだ。 「陸上部の先輩に聞いたんです」 「へえー、わざわざ?」 それに答えなくて時田くんが、 「俺、しましょうか」 不器用に、モゾモゾやってると、言ってくれたので、まかせることにした。 いまだに、ネクタイ結ぶの苦手。 ってか、ふつう、高校の制服のネクタイなって、ワンタッチ式のやつじゃねーの? うちの学校はちゃんと結ぶやつだから、めんどくさい、っていうか、うまく結べない。 オレ、細かい手作業が苦手で、蝶々結びだって、いつも縦になっちゃうしさ。 ネクタイを結んでくれてる時田くんの顔を間近でみると、男くさい顔が無駄にかっこいいのがよくわかって、ちょっとムカ。いーよなー、女の子にモテるんだろーなー。 「あ、」 「なんですか?」 「剃り残し発見!」 目の前の時田くんのアゴの、したのほうをなでた。ちくっと指の腹が刺激された。けっこうこの感触、好き。 へへって笑うと、 時田くんがびっくりした目でオレを見た。おだやかな感じの空気に、なんかひきしまった緊張感がはしった。 「あ、ごめん」 そんな、たった2度目なのに、顔とかさわられたくないよなあ。 「え、いえ」 それだけ言って、時田くんはオレのネクタイをきゅっと締めてくれた。手早くしてくれたおかげで、電車の到着にまにあった。 ありがとう、って言ったけど、 見上げた時田くんの表情がちょっぴり硬くなってたから、気分わるくさせちゃったかな、と心配になった。 オレ、時田くんにすごく近づかれるのがいやじゃなかったから、オレもいいかなあ、と思ったから・・・。でも、接近しすぎだったよな。 下を向いて、イジっと反省してたら、 電車がプラットフォームに入ってくる音が近づいてきた。 「センパイ」 呼びかけられて、え、って時田くんの顔を見上げたら、 普通の表情に戻ってたから、なんか安心した。 そして、 「今日も、自転車の後ろに乗って行きますか?」 って聞かれた。 「え、でも、・・・・・・いいの?」 迷惑じゃないのかなあ。 そう思ったけど、 「はい。負荷があるほうが筋トレにもなりますし」 と、時田くんが言った。 ちょっとだけ時田くんが笑ったような気がしたから、オレもうれしくなって、 「あ、じゃあ、乗せて」 ってはずんだ声で答えた。 本当は、また乗っけてくれないかなあ、と思っていたから。
それから、時々、朝、電車がいっしょになって。 やっぱり、自転車のうしろに乗っけてくれる。 そしたら、 ある日の夕方、帰りの電車がいっしょになった。 なんでも、その日は、グラウンドの都合で部活が休みの日だってことだった。 いつも、自転車に乗せてもらうお礼をなにかしたいなあ、と思っていたからバーガー屋に誘った。オゴる、なんて前もっと言うとおしつけがましいかな、と思って、カウンターでいっしょに払えばいいや、とそこまでシュミレーションしたのに、 「今日、宅配便がくるから、家にいないといけないんですよ」 そう、言われて、いつも電車の中での時間が短くてちょっとしかいっしょにいられないから、 わー、なんかいろいろ話せる、って勝手にうれしがってたきもちがイッキにしぼんでいった。 なんでもないことでも時田くんとしゃべるとたのしくて、いっしょにいるだけで、なんか愉快なきもちになれるから、 できたら、時田くんともっといろいろ話せたらなあとか思ったのにな―――― 。 がっかりして、あーあ、と、こころの中で思ったら、 時田くんが、 「よかったら、テイクアウトしてうちにきませんか?」 って誘ってくれたから、足に羽が生えたぐらいのいきおいで、 「あー、行く行く!」 って、返事した。 駅から歩いて5分くらいのマンションの6階が時田くんちだった。 「いーなー、こんなに近かったら、電車、余裕だよね」 「近すぎるから、うっかり、なんてこともありますけどね」 ファミリータイプのマンションの時田くんの部屋で窓のそとをながめていた。駅舎が見える。 「ああ、わかる気がする。オレんちは小学校が近かったんだけど、やっぱしょっちゅう遅刻してたもんなあ」 「どうぞ」 時田くんが部屋のちっさなちゃぶ台っぽいレトロな感じのテーブルの前にクッションを置いた。 「あ、ありがと」 オレは窓からはなれて、テーブルの前にすわった。 「そう言えばあの日、」 「あの日?」 時田くんがオレのとなりに腰をおろした。ハンバーガーやポテトやジュースの入った袋から中身を取り出していた。 バーガーと揚げたてポテトのいいかおりがしてくる。 「うん、あのいちばん最初に時田くんがオレをチャリに乗っけてくれた日にさあ。やっぱ時田くんも電車に乗り遅れてた?」 ふと、思い出してきいてみた。 ギリギリアウトだったオレに話しかけてきた時田くんはもうすでにプラットフォームに居たわけで、乗ろうと思えば、電車に乗れてたんじゃないかあ。 「間にあわなくはなかったんですが」 「あ、やっぱり。でも、なんで?」 「いつも見かける今井センパイがいないから、どうしたんだろうと思っていたら、すごい勢いで駆け登ってくる姿が見えて、一生懸命に階段を昇ってる姿を見てたら、電車に乗るのをわすれちゃったんです」 なんだ、それぐらいで電車に乗るのわすれるなんてばかだよなーとか、 そんなにオレの必死の走りがウケたのかよーとか、 へーオレの顔おぼえるぐらいにいつも見かけてたんだとか、 言おうとしたのに、 少し開けてる窓の外からは建設中のマンションの工事の音だとか車が通る音だとかでうるさいのに、 しん、としていた。 時田くんとオレのあいだで。空気が。 時田くんがまるでオレの目の中に何か文字でも写ってるみたいに、じいっとのぞきこんでくる。何かを読み解こうとしているみたいに。こんなふうに他人に目を見つめられるのなんて、ふつうだったらきまり悪いのに、 全然、そうじゃない。 オレの目を見つめてくる時田くんの顔が、記憶のどこかにあるようなないような不思議ななつかしい感じがして、オレも時田くんの顔をじっと見ていた。 ふっ、と時田くんの息がオレの顔をなでていった。 そんなに近くにまで、いつの間にか引き寄せられるように時田くんのそばに近づいていた。 「―――― ちょっとだけキスしていいですか」 だって、そんな低い声で言われるから。 男同士だけど、ちょっとだけならいいかなあ、時田くんだし、と思って、 「―――― チョットだけなら」 って答えたら、ほんとに、 ちょん、ってだけ、くちとくちがあたった。 かすかにくすぐったい感じがしただけで、 「・・・レモンの味、しないね」 こころの中で、言ったつもりが口に出していたらしい。 「え?」 って時田くんが言った。 知らないのかな。 「ファーストキスはレモンの味っていうだろ」 えっと、ハツコイ、だったかな・・・。まあ、いいや。 「れもん味がいいんですか?」 「うーん、でも、オレ、すっぱいのはきらい」 「じゃあ、オレンジ味で、」 時田くんが、さっきバーガー屋で買ったオレンジジュースのフタを取ってをグイって飲んだ。 それから、 「甘いキスを、ちょっとだけしましょう」 って言うから、 甘いんならいいかな、と思って。 うっかり、目を閉じてしまった。
それから、時々、放課後、時田くんちに遊びに行くようになった。 時田くんちのお父さんは仕事で帰りがいつも遅くて、お母さんは看護士をしているから、時間が不規則らしいし、お兄さんは大学生で一人暮らしをしているってことで、たいがい時田くんちにいっても誰もいない日が多い。 サッカー部や野球部とのかねあいで、陸上部がグラウンドがつかえない日は、室内練習場で体力トレーニングだけになるから、部活が早くおわるのらしい。それが、放送部が終る時間と同じくらいだった。 そんな日は、朝の電車で、放課後に待ちあわせの約束をした。
別に共通の趣味の音楽も映画もテレビも本もないのに、 時田くんちは居心地がいい。 時田くんちというか、時田くんのとなりが。 ごく、たまに、駅から歩いて15分のオレんちに時田くんがくることもあったけど。時田くんもいっしょに、かあちゃんの質より量の晩ごはんを食べながら、父ちゃんの熱血野球解説を聞いたり、甘ったれな妹の彼氏自慢にわーわーつっこんだりするのも楽しかったけど、 ふたりっきりで、時田くんの部屋の小さいテレビでビデオ見たり番組みたり、しゃべったり、 たまに勉強したりするのは、 友だちとも家族ともちがう、なんだか、ほんわかする居心地のよさだった。 でも、これって年下の「ともだち」だからかなあ?
その、ともだち、なはずな時田くんは、ちっちゃなキスをしてきたあとにも、 オレが、時田くんちにいくたびに、 「ちょっとだけ」と言って、オレにいろんなお願いをしてきた。
時田くんの「ちょっとだけ」はいつも気持ちがいい。 「センパイ、ちょっとだけ」って言われて、 ちょっとだけ手を握られるのも、 ちょっとだけ抱きしめられるのも、 ちょっとだけキスされるのも、 ちょっとだけ舌と舌をくっつけあうのも、 ちょっとだけ口の中を舐められるのも、 恥ずかしいけど、―――― 全部、心地よくて、 気がつけば、 いつのまにか、部屋に遊びにいくと、ぺったりと時田くんとくっついて座るようになっていた。
でも。
「ちょっとだけ入れてみてもいいですか?」 うん・・・。 ・・・・ん? なにを? 「いったい、イタイ、イタイ、イタイって」 「もう、ちょっと」 「やだやだやだやだやだ」 「センパイ、泣かないで」 お前だお前っ! お前だよーーー!! お前がオレを泣かせてるんだ、よっっっ!!
朝、玄関をでると、家をぐるりと囲んでいる生垣のところに、時田くんが立っていたからびっくりした。 でも、無視した。 「きのう、ケータイつながらなかったから、家に電話したんですよ」 話しかけられたけど、シカト。 あれから、 時田くんがシャワーを浴びに行ったスキに、タクシーで帰ってきた。自宅についてそのまま、晩ごはんも食べずに爆睡していた。ケータイは電源を切ってたし。 「もう、家族の方に寝てるって言われたました」 そういえば、朝、誰かからか電話があったとかなんとか、かあちゃんが言ってたっけ。 「怒ってるんですか?」 ぷいってしたまんま。がんがん歩いた。駅まで15分の道のり。時田くんと電車をずらしたいから、思いっきり早く出てきたせいか、住宅街はまだ静かだ。 「今井センパイ?」 シカト。絶対、シカト。何があってもふりむくもんか!! 「オレに背中みせてると、うなじにキスしちゃいますよ」 うっわ! あわててふりかえった。 にこってした顔。 キライだ。 「怒ってるんですか?」 も一回、聞いてきた。 「おこってるに決まってるだろ!」 あ、オレ、絶対一生もう2度と口きかないって、あんなに決めてたのに。 しゃべっちゃった・・・・・・。 「ごめんなさい、今井センパイ」 「あやまってもダメだから」 だから、オレ、時田くんとはもう話さないんだってば! でも、口が勝手にしゃべっちゃうよお。 「そうですね。―――― あやまっても、センパイのヴァージンが戻るわけでもないし」 すました顔で時田くんが言った。 「お、オトコにヴァージンとかあるわけないだろ! 何言ってんだよっ」 オレはあせって叫んだ。 「あれ、知りませんでした? 英語で童貞のこともヴァージン、って言うんですよ」 むむ、むかっ。 どうせ、オレ、英検2級、落ちたよーだ。 気がつけば、肩に時田くんの腕がまわってきてて、横道の細い路地に連れ込まれていた。 目の前に時田くんの顔があった。 ばんって、時田くんの腕を振り払った。 「ウソつき! ちょっとだけって、言ったくせに」 目に力入れて精一杯睨んで言ったのに、時田くんは表情もかえずに言った。 「俺もちょっとだけのつもりだったんですけどね、」 あんなヘンな格好をさせてへんな声をあげさせて、恥ずかしいこといっぱいしてきたくせに涼しい顔してるのがきらい。 「―――― センパイがあんまりかわいいから、全部しちゃいました」 「なんだよそれなんだよそれ!!」 下手な言い訳なのに、 瞬間的に甘い顔になった時田くんに心臓がどきどきいいだした。 よけられもなくなかったのに、 時田くんの腕が背中にまわってくるのを、許してしまった。 「俺と、オツキアイしましょ?」 するか、ばーか、って言おうとしたのに、 近づいてくる時田くんの、 降りてくるくちびるの行き先がわかって、うごけなくなった。 「ね、せんぱい。ちょっとだけ、」 そう言って、くちびるがかさなってきた。 それでも、 勝手なことしてくる時田くんにも勝手なことさせてしまう自分にも、悔しくて、 はなせ、ばか、って、 グーに握った手でばんばんって時田くんの胸をたたいてたのに、 いつのまにか、 グーがパーになって、 時田くんの舌がオレの口の中をいっぱい舐めまわしているあいだに、時田くんのブレザーの襟んところをしっかりにぎりしめてしまっていた。 たくさん吸いこまれたくちびるやら舌やらが、なんか腫れぼったい。ぴりぴりしてじんじんしてて、ほわわわんてなってしまう。 くちびるをはなした時田くんが、 額をあわせてきて、息でオレの顔をくすぐって、 また、オレをたらしこんでくるみたいな甘い顔をするから、 心臓がどきどきしっぱなしだ。 昨日だってこんな顔した時田くんに、抱きしめられてキスされてシャツのボタンをはずされて胸のあたりとかなでられて、なんだかうっかりとうっとりしてしまったし。 「だってだって、男同士なんだし、・・・・・・」 「俺に抱きしめられても、キスされても、気にならなかったでしょ」 ―――― たしかに、そうだったけど・・・、それ以上もされちゃったけど! 「・・・だってオレ、かわいいカノジョとかほしかったのに、」 「俺はかわいいカノジョにはなれませんけど、センパイが俺の可愛い彼氏になってください」 どういう裏ワザだよ、それ。 「でも、でも、オレ ―――― 」 「だったら、センパイ。ちょっとだけ俺とつきあってみましょう」 時田くんは、ちょっとだけ、なんて言うけど。 「・・・・・・時田くんの『ちょっとだけ』って、ホントには『ちょっとだけ』じゃないじゃないか ―― 」 ちょっとだけ、のキスはテレビ番組のあいまのCMよりも長かったし。 ちょっとだけ、の深いキスは、それよりももっと長かった。 ちょっとだけ、の抱擁は2時間映画のあいだずっとだったし。 「なんだ、バレてました?」 でも、地球の歴史からしたら、このキスだってほんのちょっとの時間でしょ。 そう言った時田くんからの口づけはオレを遅刻させるには充分な長さだった。
( おわり )
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