渋谷と付き合い始めてから、休日は渋谷の家でのんびり過ごす事が多くなってきている。 大抵は俺がスポーツ雑誌を読んでる傍らで渋谷が宿題を片付けているのが殆どだけど、最近どうも痛いくらいの視線を感じてしまう。
「……何だよ…」 「…っ……」
雑誌に目を向けたまま小さく声を掛けても返事は返ってこない。 穴が開きそうなほど見つめてくるくせに、渋谷はまだ俺の事が怖いらしい。いつもこんな感じだ。 俺がちょっと動いただけで大袈裟な程ビクッと肩を竦ませる。いい加減ムカついてきた。 付き合って1ヵ月も経つってのに未だキスも軽くしかしてないし。どうにか怖がらせないように俺も気を使ってんだけどな。
「…渋谷。明日の買い出しの事だけど……」
雑誌を膝の上で閉じて渋谷に視線を向けると、いつも通りの反応が返ってくる。
「…ぁ……明日?」
自分の手元を見つめたままで肩を竦ませてか細い声を紡ぐ渋谷。
「そう、明日。俺行けなくなったからさ…仁科と行ってきてくれ」
明日は学園祭で必要な材料の買い出しに行く事になってたけど、こんな調子じゃ一緒に買い物なんて出来そうにない。 仁科とは幼なじみだし、こいつも気を許してるみたいだから、俺と行くのよりずっと楽だろ。 そう思って、俺は用事も無いのに仁科と行く事を勧めた。
「……え…?」 「仁科には俺から連絡しておくから」
漸く顔を上げた渋谷に極力穏やかな口調で言ったつもりだったけど、やっぱり怖がらせてしまったらしい。 捨てられた子犬みたいな、今にも泣きそうな顔になってる。
「俺といてビクビクしてるより、お前もその方が楽だろ?」 「………」
つい思っていた事が口を付いて出てしまった。 俺が気付いてないとでも思ってたのか、渋谷は大きな瞳をこれでもかってくらい見開いて見つめ返してくる。その瞳も心なしか揺れてるように見える。 やばい。このままじゃ酷い事言っちまいそうだ。
「……俺、もう帰るな」
片膝を立ててそこに重心を掛けるようにして立ち上がりながら、俺は渋谷に視線を向けずに部屋から出ようとした。
「……ま…、待って天草くん…っ」
ドアノブに手を掛けた所で俺は呼び止められる。思わず小さな溜め息が漏れた。
「何だよ…」
自分で持ってきた雑誌を強く握り締めながら返事を返す。振り返るのと同じタイミングで、胸元に衝撃を感じた。
「…っ……おい、渋谷?」
普段はこんな事してこねぇのに…。 渋谷は俺の胸に横顔を押し付けるかたちで強くしがみついてきた。
「…あの……僕っ…」 「ん?」 「僕…、天草くんといると緊張しちゃって……」 「緊張…?」
渋谷の口から出てきた言葉に俺は眉を寄せた。 俺のこと怖いからあんなにビクついてたんじゃないのか。
「だって…、今まで僕の片思いだったからっ…夢みたいで…」 「もう1ヵ月近くになるってのに、まだ実感ねえのか」
俺の言葉に一つ小さく頷く渋谷。 そうだ、こいつは元々こういうやつだ。まさか緊張で怯えてたなんて思わなかったけど。
「渋谷…。明日、俺と行きたい?」
腕の中にいる恋人の頭を優しく撫でてやりながら、自分でもびっくりするくらいの猫撫で声で問い掛けた。 それは渋谷も同じようで数回瞬きを繰り返してから漸く口を開く。
「……行き、たい…」
じっと俺を見つめてしっかり返ってきた返事に自然と笑みが零れる。 こうやってお互いの視線を絡めるのは久しぶりな気がして、俺は渋谷から目が離せなかった。時間にしたら数秒なんだろうけど、長い間見つめ合っているような錯覚に陥いる。
「……なぁ…、キス…していい?」
俺の口から出てきた言葉にあからさまに身体を強張らせる渋谷。 でも、それも一瞬ですぐに小さく頷いてくれた。
「……っ…ん…」
何度かしている行為なのに今だ緊張するのか、俺のシャツを掴んでいる手が微かに震えている。 その手に自分の手を重ねてきつく握ってやると渋谷の唇が薄く開いて反応を示す。俺はその隙を狙って咥内に舌を差し込んだ。
「…ン…っ…」
俺の舌から逃れるように舌を引っ込める渋谷に、強引に互いのそれを絡める。唇の隙間から僅かに響く濡れた音に比例して口付けは激しさを増していく。顔の角度を変えつつ俺は何度も渋谷の咥内を味わった。
「…ッ…ふ……んぅ…っ」
キスの合間に漏れる鼻に掛かった声に俺の性欲が煽られてしまう。ゆっくりと唇を離すと絡んだ唾液が糸を引いたのが視界の隅に映った。
「…俺、お前のコト怖がらせないように気をつけてるつもりだけど……まだ、怖いか?」
乱れた息を整えている渋谷の首筋に鼻先を擦り付けて甘えるような仕種を見せながら、俺はそこに軽く触れるだけの口付けを落とした。 さっきは緊張するとかって言ってたけど、やっぱり俺はこいつを怖がらせてんじゃないかって不安は拭い切れない。付き合う前は酷い事たくさん言ってたし。
「…怖くなんか…っ…、僕…天草くんの前だと緊張しちゃって…、上手く喋れなくなるんだ」
絡んでいた視線を伏せてしまった渋谷がどこか遠慮がちに小さく紡ぐ言葉に、俺はどうしようもなくこいつが可愛く思えてしまう。
「じゃあ、怖くてビクついてんじゃねぇんだ?」 「…怖くないよ。天草くんは優しいから…怖くない」
いつもの弱々しい口調じゃなくて、強い調子で返事を返してきた。こうやって自分の意思をはっきり口にされたのは始めてな気がする。
「なら、黙って見てないで声聞かせろよ。いつも俺から話し掛けないと喋らないだろ、お前」 「……だって、なに話していいか解らないから…」 「何でもいいんだよ。昨日食った夕飯の事でも、疲れたとか暑いとか寒いとか…何でもいい」
眉尻を下げて不安げな表情を浮かべている渋谷の頬を軽く撫でてやると、珍しく渋谷がその手に頬を擦り寄せてきた。
「……好き…。僕、天草くんのこと大好き」 「…いきなりソレかよ……」
予想もしていなかった言葉が耳に届いて、俺は思わず小さく笑ってしまった。そして、答える代わりに再び渋谷の唇を塞いだ。
終
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