お前を見てるといらいらするんだよ! ぐずでのろまで、いつまでたっても何も変わらない。 そんなことでいいのかよ?! 馬鹿にされていいのかよ?! 俺はぼろぼろで泥のついたジーンズをはいた男を怒鳴りつけた。
やわらかい髪。 明るい目。 柔和な面立ち。 そんなやさしい雰囲気を持つ男は、何をするにもどんくさくて皆から笑われる存在。 何をされても、ただにこにこと笑って返す男。 周りにはそれはどう映るだろう。 きっと、玩具代わりとしてしか映らないはずだ。 幸いなことに、仲間外れにされたり、嫌われているわけではなかったが、俺にはそれが許せなかった。 付き合いが長いということもあるだろう。 笑われる彼を見るといらいらした。
どうして言い返さない…。 言い返せばいい。 痛いなら痛いといえば言い。 なぜ彼らの言いなりになるのか。 馬鹿にされてもへらへら笑っているだけで、本当にこいつは痛みを感じているのか疑問に思えてくる。 足蹴りにしてやろうかと思ったが、そんなことをすれば俺はあいつらと一緒だ。 こいつを笑うことは簡単なはずだが、あいつらと一緒にはなりたくなかった。 そんなことは死んでもしたくなかった。 唇を噛んで俺はやつを睨んだ。 彼はそんな俺の視線に気づいて顔を上げる。
「真崎、そんな顔しないで」 泥で少し汚れた顔。 傷ついた自分のことなど少しも気にせず、いつも俺のことを気にする。 俺のことが心配だということをその瞳に覗かせて。 いつだってそうだ。
ばかやろう。 誰のせいだと思ってるんだ。 …なんで、俺のことなんて気にするんだ。
それより、なぜ俺はこいつが放っておけないんだ。 ぐずでのろまで、ただ笑うだけが取り柄のやつなのに。 でもそれでも放っておけないのだ。
「行くぞ」 俺は振り向かずに声をかけた。 その言葉を聞いて、彼が背後でそっと笑みを浮かべているのが分かる。
「そうだね」 声の遠さから、俺の少し後ろを歩いているのが分かる。 手など貸してやるかと、思った。
「ごめんね」 背後からかかる声を、俺は聞こえないふりをする。 「真崎にはいつも心配かけてるね」
いらいらする。 胸の中を何かが駆け巡って、それが何か分からないから。 その感情は分からないまま苛立ちに変わる。
待ってなどやるものかと思った。 足を引きずっている彼は、早足になった俺に追いつくことはできない。 すぐ角を右に曲がって、左に曲がって…。 ずっと歩くと公園に出た。
目にとまったブランコに腰掛ける。
いらいらする。 胸のどこかが締め付けられるように痛い。
あいつ、どんくさいから自転車に轢かれてるかもしれない。 向かってくる車をよけたせいで、電信柱に激突してるかもしれない。 …ぶつかればいい。
胸のどこかが痛い。 締め付けられるようにいたい。 いたい。
もしかしたらあいつらに見つかってまた、蹴られてるかもしれない。 馬鹿にされて笑われているかもしれない。 いらいらがさらに募った。 なんで俺がこんな想いをしなきゃいけない。 ぐしゃぐしゃと頭をかきむしっても、足を地面に打ちつけてもそのいらいらは消えない。
俺がこんな気持ちになるのは、あいつのせい。 あいつが関わってるときだけなんだ。 それだけが今の俺に分かることだ。
俺は立ち上がった。 今来た道をたどって歩く。 きっと、彼のあの足ではまだ遠くへは行っていないはずだ。 はじめはゆっくりだった足取りが、だんだん早くなる。 すぐに追いつけるだろうと思った。
どれくらい歩いたのだろう。 太陽がもうあかい。 夕暮れが近いせいだ。 背後に長く伸びた影。 少し風が冷たくなってきた。
もしかして、あいつはもう家に戻ったのか。 そうかもしれない。 それとも誰かに捕まったのか。 それもあるかもしれない…。
帰ろうか、まだ探そうか。 俺はその場から動けなくなってたたずんだ。 彼の行き先は見当も付かない。 元の場所まで戻ったのに、彼に会うことはなかった。
少しだけ心配の色を含む彼の瞳。 それはいつだって俺に向けられている。 俺はそれに気づいている。 気づいていながら、気づかないふりをしている。 俺の胸の中を駆け巡る分からない感情。 俺は、その名前に気づき始めている。 それでいて知らないふりをしている。
俺が、悪いのか? 髪をぐしゃぐしゃとかき乱して、俺はぶんぶんと首を振った。 いや、俺は悪くない。 俺は全然悪くない。 悪いのはあいつだ。 あの男だ。
ゆっくりと俺は歩き始めた。 もう一度さっきの道をたどってみよう。 そうすれば、見つかるかもしれない。 俺には、彼がまだ家に戻っていないという確信があった。 なぜかは分からないが。 だから、もう一度同じ道を探そうと思った。
そんなときだ。 ふわっと何かが背後から覆いかぶさった。 耳筋にかかる温かい吐息。 肩にまわる手は少しだけ冷たい。 そして、耳元にふる声。 「ごめんね、本当は一番、真崎に心配かけたくないんだ」 どきりとするくらいやさしい。 心のうちをそっと伝える声。 そんなことをされると俺は何もできなくなる。 優しさにつつまれて。 「ばかやろう」 それだけしか言えなくなる。
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