卒業式の後。
携帯で茅野に呼び出された。
場所は通い慣れた茅野のマンション。
制服のまま、家にも帰らずその足で向かった。
「………茅野」
玄関のインターフォンで呼びかけると、少し間があった後、
『入って……ください』
そう、返ってきた。
低い、掠れた声。
泣いていた後のようだ。
ああ、まったく。
こんな面倒な事になるくらいなら、初めから付き合わなければ良かった。
俺は深い溜息をついて。
エレベーターに乗った。
茅野は一つ下の後輩で。
部活を通して知り合った。
付き合って欲しいと言われたのは半年ほど前で。
男と付き合った経験なんてなかったから、試しに付き合ってみた。
いい話のネタになるだろうと、思って。
それ以外に、理由なんてなかったし。
誰かにバレたり、鬱陶しくなったらすぐに切るつもりだった。
それにこの事は、付き合い始めた頃、茅野にも言ったのだ。
『面倒な付き合いはゴメンだから』
『飽きるまで、な』
『そういう簡単なので、いいだろ?』
『男同士の恋愛で本気なんて、気持ち悪いし』
茅野は曖昧な笑みで肯いた。
それでいいです。
先輩と付き合えるなら。
そう、言ったのに……。
部屋の前に来ると、待ち構えていたように扉が開いた。
茅野は背が高い。
体つきもがっしりしている。
俺みたいに肩幅の小さい、骨格から華奢な人間とは、根本が違う。
だからその体系は、同じ男として、羨ましさと嫉妬の対象物だった。
けれど、茅野の性格は、お世辞にもいいとは言えない。
というか、無口だし、あまり何を考えているのかよく分からない。
笑う時はぎこちないし。
面白いことなんて一つも言わない。
ぼんやりしているし。
この体型じゃなかったらきっと虐められていただろう。
そんな性格だ。
「なんて顔だよ」
出てきた茅野を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
目の周りが赤い。
普通にしてればそこそこ見れる顔なのに、泣き腫らしたその顔は酷く不細工だった。
「………入って、下さい」
インターフォンで聞いたのと同じ、掠れた声で茅野は言うと、ドアを広く開けた。
付き合い始めてから何度か来たことのある茅野の部屋。
今日で最後かと思うと、少し感慨深かった。
後ろでドアの閉まる音。
それから、鍵のかかる音。
「来て、もらえないかと、思ってました」
リビングに来て持っていたカバンをソファに置くと、茅野が後ろから言った。
「もう、会ってもらえないかと……」
振り返ると、鼻を啜りながら目をこすっている茅野がいた。
まったく。
なんて様だ。
とても俺より年下とは思えない男が、メソメソ泣いているのだ。
それも、俺に別れを告げられたからって。
「泣くなよ、鬱陶しい」
「すいま……せ」
「てめぇが呼び出したから、来てやったんだろ?」
卒業式が終わった後。
『最後にもう一度、来て下さい』
そう、茅野が言ったのだ。
俺は、その何日か前に。
最後に茅野と寝た後に、言っていたのに。
『もうすぐ俺卒業だし』
『お前とは別れるよ』
『だって……大学生だぜ、俺』
『それなのに男と付き合ってるなんて、ちょっと、な』
『お前だって分かるだろ?』
『そんなの、気持ち悪いもんな』
茅野は目を見開いて。
『待って』とか。
『考え直してください』とか。
言っていたけれど。
それを無視して俺は帰った。
その日から、今日まで茅野を見てはいなかった。
今日の卒業式にも、出ていなかったらしく。
その間何をしていたのかは、茅野の顔を見れば一目瞭然といえた。
「アレからずっと泣いてたのかよ」
うんざりして言うと、肯いて答えた。
「俺……何か、悪かった、ですか?」
「はぁ?」
俺より頭一つ分は高い男を見上げると、茅野は切羽詰ったような目でこっちを見た。
「俺、なんか先輩の気に触ること、しましたか?」
「何言ってんだよ」
「だって、急に、別れるなんて……分からない、から」
俺は思わず頭を抱えた。
「あのなぁ。言っただろう?」
茅野を睨みつけると、怯えたような目が返ってくる。
「卒業すんだよ。俺は。で、大学生になるの。なのにいつまでもテメェなんかと付き合ってられっかよ」
「なんで。大学生になっても、付き合えるよ」
まるで我が侭な子供のように茅野は言い募る。
「俺、先輩の時間に合わせるし。今みたいに、たまに会うだけでいいし」
「あのなぁ……」
「だって俺、先輩が言うみたいに、鬱陶しくないようにしたし。先輩の言うことはきいたし。Hだって、先輩のいいように……」
茅野がそこまで言ったところで、俺はソファに置いていた学生鞄を茅野の胸元に投げつけた。
茅野のしつこさに、限界を超えたからだ。
「いい加減にしろよ!」
俺の怒鳴り声に、茅野が顔をあげる。
「その辺にいるブスな女の方がよっぽど楽だ。お前みたいに後腐れないからな。お前が付き合ってくれって頭下げるから付き合ってやったんだ。切るのは俺のほうからに決まってるだろ。大人しく聞けよ」
我ながら自分勝手な言い分だと思った。
けれど、これが俺だし。
茅野もこんな俺の身勝手さを付き合っているときに重々思い知らされていたはずだ。
なのに今になってこんな面倒な事になるなんて。
俺は少し酷かとも思ったが。
別れる為だと割り切って、吐き捨てるように言った。
「お前と付き合ってたなんて、ウンザリするぜ」
言って、茅野を押し退けて玄関へ向かった。
ここまで言えば、茅野も嫌になるだろうと。
そう思っていた。
その時。
「先輩」
茅野が俺を呼び止めた。
まだ何かあるのかと、振り返った瞬間。
茅野が抱きついてきた。
「なっ!!?」
がっしりとした体躯に抱きつかれて、思わずよろめいた瞬間、壁に押し付けられる体勢になる。
「てめっ……なんだよ」
押し退けようと思っても、背中に回された手は強く、頑固だ。
「先輩、スイマセン……」
「何ッ……」
謝られて、怪訝に思って顔を上げた瞬間。
ここ半年程度でようやく上手くなってきたキスで、口を封じられた。
「っ……んグっ」
最初は下手くそで、歯が当たったりしていて興醒めだったキスも。今はたどたどしくではあるが舌を絡ませてくるようになった。
熱い舌は少し塩っ辛くて、涙の味は誰でも一緒なのかと、妙な事を考えてしまった。
「んっ……っ、はぁっ……」
程よく酸欠になりかけたところで、茅野は離れた。
それから、やけに真面目な目で、俺の顔を覗き込んだ。
「別れるなんて、言わないで下さい」
「……………もう、決めたんだよ」
「だって、俺は、先輩に酷いこと、したくない」
そう言った茅野は、突然俺の足の間に膝を押し込んできた。
「なっ!?」
大きな体を押し付けるようにして、膝を割られると、壁と茅野との間に逃げ場がなくなる。
そうしたまま、茅野は片手で俺の両手を掴むと、それを握ったまま、また口付けてきた。
「んっ……やめ、ろっ」
「やめない。先輩が、考え直してくれるまで……やめません」
「何言ってる……っ」
キスの合間に茅野が身体を動かす度に、膝が丁度俺の股間を揺さぶった。
硬いそこで今にも潰されそうな……それでいてぎこちない動きに、思わず身体が反応する。
「っ……やめっ……」
「なんで。先輩これがイイって、言ってたじゃない」
そう。
それは俺が茅野に教えたことだった。
Hの下手な、臆病な茅野に。
俺が面白がって教えたのだ。
「それから、これも好きだって……」
言いながら、空いた片手がゆるゆると、学ランの上着を開いた。
その下に着たシャツをズボンの裾から引き出して、捲り。
大きな手で胸をまさぐる。
「いっ、やめ……ろ」
「じゃあ、先輩も。別れるなんて言わないで下さい」
駄々っ子のようにそう言う茅野は、思い出したかのようにまたキスを求める。
そうされる度に体が動いて。
膝が、そこを擦る。
拙い動きの指が、乳首を掴む。
全部、俺が教えた。
俺のイイ所を忠実に、茅野は攻めてきた。
「離せっ、馬鹿やろう。こんなっ…」
茅野は熱心にキスをする。
「こんな事して……ひぃっ」
それから、耳もそうだったと気付いたのか、耳たぶに歯を当てた。
「っ、くぅ……」
「先輩、ねぇ、いい、ですか?」
「ぁあ……やめっ…も、膝……動かすな」
まだベルトも外していないズボンの中で、煽られた俺自身がどんどん熱を溜めていた。
一度そうなったら加速度的に絶頂を目指してしまう。
何か我慢する術はないかとさ迷った手が、茅野のシャツを掴んだ。
「先輩、可愛い。ね、イイですか?」
「うっ……テメェ。こんな事して、俺が許すと思ってんのか?」
上がってきた息の所為で涙目になりつつ睨むと、茅野はすまなさそうな、困ったような。
つらそうな表情で、笑んだ。
「思って、ないです」
「だったら、早く、離せっ」
「思ってないから……先輩が考え直すまで、こうしててあげます」
その、言葉の意味が一瞬分からなかった。
そんな俺の思いを読んだのか、茅野は続ける。
「ここに。先輩を閉じ込めて。考え直すまで、ずっと、ずっと」
耳の側で囁きながら、茅野は恐ろしいことを告げる。
けれど、熱い息遣いや、時折耳の中に忍ばされる舌先の所為で、それにいまいち現実感が出なかった。
「ああ、そうだ。先輩がここに住めば、いいんだ」
「そう、先輩。別れるなんて言わないで下さい」
「ここに住んで、ここから大学に通えばいい」
「ううん。大学なんか、行かないで」
「ずっと、ずっとここにいてください。そうしたら」
悲しそうに笑んだ茅野の顔が。
絶頂間際の滲んだ視界に映った。
茅野の言葉は酷く現実味がなく聞こえたけれど。
俺の両手を握り締めた強い力は。
ここからの逃避が不可能だと、言っているように思えた。
「そうしたら、ずっと気持ちよくできる」
「だから、先輩」
「もう別れるなんて言わないで」
「だって俺は」
「もう、これ以上」
遊びのつもりだったのに。
こんなに本気になるなんて、信じられなかった。
こんなに本気になるほど、俺の事が好きなんだろうか。
俺は茅野のことなんて、何とも思っていないのに。
でも。
茅野は本気のようだ。
本気で俺を離さないと。
その言葉は深く、深く言っていた。
もし離れていったら何をするか分からない。
そういうある種の狂気を含んでいた。
「別れるなんて、もう、言わないで下さい」
「だって、俺はもう、これ以上」
「先輩を傷つけたくないから」
ああ、まったく。
こんな面倒な事になるなら、最初から付き合わなければ良かった。
この男に頼み倒されて。
告白されたときに。
断っておけばよかった。
あの時断っておいたら。
俺はこの部屋に、閉じ込められることはなかったのに……。
「だから、別れるなんて、言わないで……ね、先輩」
考えても、遅かった。
ただ、そのときは。
深い、深い絶頂が、近かった。
終焉
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