シーツに沈み込んだ自分の身体をようやく動かす気になったとき、いつの間にか隣にいるはずの存在が消えていることに気がついた。 視線を彷徨わせても、ベッドに寝転がった状態で見える範囲にはその存在は見つからない。
――さらりとシーツの上を滑る指に、人肌の温かさがまだ残っている。 だからその温もりを確かめるように何度もそこを撫でる。でもそんなものでは足りない。 それを誤魔化すために毛布を身体に巻き付けて一時凌ぎの温かさを得る。
何度寝ても――足りないし、満たされることはきっとない。満たされる気がないと言った方が正確かもしれない。
ようやくメガネのないせいでぼやける視界に、見知った長身のシルエットが映る。 その後ろの窓を流れる水滴に、雨が降っていることに気付かされる。 ――かなり激しい雨だった。
「――おい、気絶してるふりなんてするなよ」
手にはミネラルウォーターの入ったペットボトル。彼のお気に入りのメーカーのものだ。 彼は妙に細かいところにだけこだわりがある。 コーヒーとミネラルウォーターがいい例だ。 これらだけはどんなに欲しくても、そのメーカーのものが手に入らなければ我慢する。
「ふりじゃないよ――貴方のせいじゃない?」
枕に顔を埋めて、視線だけ相手に向けて僕はクスクス笑う。 相手の顔が一瞬で呆れたようなものに変っていく。
「お前があんな程度で気絶するならこっちは苦労しないんだけどね…そう思わないか?」
好き勝手抱いておいたくせに、ひどく辛辣な言葉。それがぼやけそうになる意識を覚醒していく。
「…同感」
あっさりと相手の言葉を肯定して、気だるさの残る身体を起す。 相手の持っていたペットボトルを手を伸ばして奪い、その中身を半分ほど飲み干すと、相手に押し付ける。 我侭じみた行動に、彼の口から文句が零れる事はない。
「まだ、足りない」
ふふっと微笑みながら、散らばった自分の服を拾い集めると、バスルームに向う。 その背中に相手の視線が絡むのがわかったけれども、あっさり無視する。 この相手とはどこまでいっても駆引きの連続。でもその緊張感がたまらなく好きだ。 甘ったるい空気より、切れそうな空気の方が性に合う。
バスルームに向いかけた足がふと止まる。 どうせ汗に濡れた身体だ――これ以上濡れてもさほど変らない。
バスルームに向うはずの足が、自然とベランダに向う。
窓の傍に持っていた服を落す。そして窓を開けると躊躇うことなく、ベランダに踏み出す。 周りの建物はこのマンションより低く、裸でも覗かれるようなことはないだろうけど一応、申し訳程度に羽織ったカッターシャツ。それでも降る雨は容赦なく僕の体温を奪っていく。 奪われる体温に冷えていく身体。でも――まだそれは十分に温かくて。 いっそうのこと、この身体が冷たくなったら面白いのにと思うけど――それは生きている限り無理なこと。
「冷たくないのか?」
後ろから呆れたような声で問われて、僕は背中を向けたまま答える。 それでも好きなようにさせておくのがこの人の度量の大きさだ。 風邪を引くから止めなさいと告げられたらもっと濡れようとする僕を知っている。
「貴方の腕の中よりは」
その平静さを奪いたいと思って、つれないことばを漏らしたところでたいした意味もない。 平静さを奪えたからといって何があるわけでもないから。
「へえ、言ってくれるな――相変わらず」
穏やかな声。でも少し、むっとしているのが感じられる。それで僕の心はとりあえず満足を覚える。 でもこの人の本質は優しい。だから冷えかけた身体を温めるように後ろから抱き締められる。 最終的にはいつも守られている。わかっているから、僕もほんの少しの無茶をしてしまうのだろう。
「雨に濡れて流したいものでもあるわけ――まあそう言っても答えは期待してないけどね」
耳元に落とされる囁きは柔らかで、気を抜けばうっとりしてしまう響き。 でもそんなものに溺れれるならとっくに溺れている。溺れたらもうこの人なしでは生きられないような気さえする。 ――今のところそんな心配はないのだけれども。溺れられたらと思うこともある。
「なら聞かなければいいんじゃない?」
冷たい台詞を言いながらも回された手に自分の手を重ねる。 どんなひどい人間でも、体温はある。その温かさ以上に必要なものは、今の僕にはない。
「相変わらずつれないな、お前は」
肌をなぞる手のひらの温かさに息を吐く。でもそれはこの人だからじゃなくて、誰でもできること。 特別――ある意味特別かもしれないけど、でもやっぱりこの人でなくてはならないと思えるほどのものじゃなくて。
「つれる僕でも見てみたいわけ、貴方は」
口から零れる台詞は、どこまでも相手を突き放すようになる。 そんな僕の言葉を予想済みの相手はそれでも耳元に優しい囁きを落す。
「見てみたいね――お前の全て」
「貴方がそれを引き出せるなら――見せてあげる」
するりと相手の手の中で身体の向きを変え、向き合ったその顔を引き寄せて、唇同士が触れそうな位置で、口元にだけ微笑みを浮かべる。
「もっとも――それが貴方にできるとは思えないけど」
目を閉じながらゆっくりと重ね合わせる唇。 そこから相手の体温を奪うかのように、激しく貪り、舌を絡め。 零れ落ちそうになる唾液を飲み干して。それが相手の口端から零れ落ちれば、舌で拭い。
――でも心はここにはやっぱりない。身体だけ空回り。 でも――それしか救えない僕の心。
「なら…別のお前だけでも、披露してもらうことにするよ」
引きずられるまま戻っていくのは、先ほどまで絡み合っていたベッドの上。 シャツはあっという間に取り払われ、服の代わりに相手の手が肌に触れる。
「……っ……」
もれそうになる声を抑える事に意味はない。 ただその耐え忍ぶ姿にこの人がそそられる事を知っているから、必要以上に声を殺す。
「別にお前なら喘ごうが……叫ぼうが構わないけど…………色っぽいからまあいい」
慣れ親しんだ指が、確実に僕を快楽へ導いていく。 酷く飢えた顔をした男が、生理的に溢れ出す涙に霞んでいく。
「……泣いとけ、意地っ張り」
指先で拭われた涙の理由が、決して生理的なものだけでないと悟ったような相手の声が、時折切なく僕の胸を焼く。 僕への報われない想いを隠そうともせず、ただ傍に居ることを選べる強さに憧れる。
甘えすぎだとわかっていても、結局この人を手放す事はできない。
I NEED YOU BUT I DON'T WANT YOU......
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