そろそろだな。
俺はサンマの塩焼きを肴に、ちびちびと熱燗をなめた。 頑丈なだけが取り得の古いマンションの窓から見える月は、心が冴え冴えするほど青白く、墨を吐いたような夜空にポッカリと浮いている。 秋の夜長に風情を添えていた虫の声も聞こえなくなり、冬の到来をにおわせていた。
朋之が出て行ったのは、夏の終わりだった。 女子高の教師のこの男は年に何回か新しい男を見つけては、毎度共住みしている俺におかまいなしに、 当座の生活に困らない程度の荷物を持って、男のもとに転がり込む。 そして、性質の悪いことに飽きたら帰ってくるのだ。
出て行く時は、カバンに服や希望を詰め込んで、さっそうと出て行くのだが、帰って来る時は煮崩れたたまねぎみたいに、グズグズになって帰ってくる。
電子レンジが小気味良い音を鳴らした。 ほんとうにな、こんな薄ら寒い夜は、サンマの塩焼きと揚げだし豆腐で一杯やるのにかぎる。 ホカホカとうまそうな湯気をあげてる器を取り出した時、遠慮もクソもないドアを乱打する音が鳴り響いた。
「おーい、オレだぁ、開けろー。テツ、居るんだろ、開けろー」
33才サラリーマン・独身男・古澤 哲朗のささやかな幸せが、どっかに行った瞬間だった。 近所の手前を憚って、転がるように玄関先に走り出てあわててドアを開けた。
案の定、朋之はどこをどうしたら、こんな格好になれるんだと聞きたくなるようなくたびれ果てた格好だった。 よれよれのシャツのボタンは段違いに留められ、ブランド物のタイトなジャケットもシワクチャで、とどめはガキみたいに斜めがけしているカバンだ。 しかも、カバンが腹の前にきているときたもんだ。いつもは、高校教師がそんなにする必要があるのかと思うぐらいジェルできめてる頭も、 あっこっち好きな方向にハネ放題。 これが、バレンタインには紙袋一杯生徒から貰って帰る男の本当の姿だった。
「今、何時だと思ってんだ?帰ってくるなら、もう少し静かに帰ってこいよ。それに、おまえさ、鍵持ってんだろうが。勝手に開けて入って来れねえのかよ」 「テツ、おまえ…冷たいよ。オレ、男に捨てられて帰ってきてんのよ。そんなオレが自分で鍵開けて入れるワケねえじゃん。 ガチャって鍵の音がさ、キズついた胸に響くんだよね。また、帰ってきたんだなって、鍵に哂われてるみたいで、もう辛くて辛くて…。 だから、テツはドア開ける係な」 「はあ?おまえ、なに云ってんの?普通、開けるか?浮気されて、間男んちに行って飽きて帰って来た男に よく帰って来た、さあ中に入れ。よかった、よかったって、そんな出来た奴いねえよ」 「間男って、ほんとテツは古いや。だから、『じーちゃん』ってあだ名つけられてたんだよ。ホイ、これ」 「なんだよ、『じーちゃん』って?で、また洗濯物か。いーかげんにしろよな。なんでいつも洗濯物持って帰るんだ?間男にさせりゃいいじゃねえか」 「高校ん時、みんなテツのこと『じーちゃん』って呼んでたんだよ。フケ顔で、云う事が爺むせえからさ。ん? なんの臭いだ?」
いつものように、俺に洗濯物の入った紙袋を押し付けてそのまま、さっきまで俺が憩いのひと時に浸っていた居間にスタスタと入っていった。
そうだよ、俺はフケ顔だよ。カラだって立派なほうだよ。高校生の時にはすでに25・6のあんちゃんに見られてて、おかげでAVのレンタル係は大抵俺が担当してやっていた。 ツレの奴らは涙を流さんばかりに感謝し、ひれ伏してやがったのに『じーちゃん』とは、なんだ。 ああ、気分ワリイ。今度同窓会で会ったら確認して軽くシメやろう。
「また、サンマとトウフかよ。飽きねえな。ちょっと寒くなったらこれだもんな。他に、食うもんないの? オレ、こんなの嫌だよ。なんか、とってよ」 朋之は、俺が座っていた場所にどかりと腰をおろし、玄関先での疲れた様子は演技だったのかと疑いたくなるような厚かましさで憮然とローテーブルの上を眺めている。 「とらねえ。今日のアテはサンマとトウフなんだ。今頃来て、なに寝惚けたこと云ってんだ。ほら、そこどけ」 軽く押しのけたつもりが、朋之はその細っこい体を大げさに横倒しにし、恨めしそうに俺を見返した。
「やっぱ、怒ってんだ。あいつんちに行ったから。だって、しょうがねえじゃん。可哀相だったんだよ。あの出来の悪りィ妹の事で、本当に悩んでてさ、ほっとけなくって。 担任としてなんか責任感じてさ」 「担任として責任感じて、教え子の兄ちゃんとデキちゃうの?女子学生の夏休みのプチ家出ってよくある話だろうが。 ほっときゃ、そのうち帰ってくるんだよ。ほんと、おまえの責任ってなんなの?」 「だってさ、さみしそうな顔で相談に学校に来られたら相手しなきゃなんないだろ」 「あのな、だからといって、体の相談にも応じるこったねえだろうが。それに、その手の相談は親がしにくるもんだろうが。 どうして大学生の兄ちゃんが、しゃしゃり出てくんだ?シスコンなのか」 「うーん、なんかクラス写真見て、オレだったらいいかもって思ったらしいんだよね」 工藤 朋之クンは可愛く小首をかしがながら、おっしゃいました。 普通の恋人なら、ここで手をあげるか踵落としのひとつも入るだろうが、16年もの長いお付き合いの俺は そんな手荒いことはしない。というか、俺が簡単に手を上げるタイプの人間だったら、朋之のイマドキのイケメンヅラはとっくの昔に変わっている。
「で、愛想で聞いてやるがよ、どんな奴だったんだ?その可哀相なあんちゃんってえのはよ?」 「聞きたい?でも教えない。なあ、大根おろしは無いの?ホント、シケてんな」」 教師にあるまじきふざけた答えにあき足らず、あろうことかケチをつけた俺のサンマを原型を留めないくらい汚らしくつつき回した。
「テメー、何すんだ!?俺の大事なサンマをこんなにして…。許さん」 段違いのヨレヨレシャツの襟を締め上げた。 「ちょ…なに、なに怒ってんの?なんかヘンじゃねえ?サンマで怒るか?怒るとこ間違ってないか?なっ、落ち着けテツ。 話し合おう、なっ」 「何を話し合うんだ?俺には無い。それとも間男とサンマについての考察でも一席ぶってくれるのか?ああ?」 「やっぱ怒ってんじゃねえか。サンマにかこつけて相変わらずセコイヤローだ!」 「なにをっ!チクショー、もう怒った!こっち来い!!」 「バッカヤロー、離せ!バカテツ!」
暴れる朋之の首根っこを掴み、風呂場へ引きずっていった。 風呂場の床に叩きつけると、みっともない服を剥ぎ取り、シャワーを浴びせた。 「うわっ!冷てっ!止めろ、風邪ひくじゃんか!」 「おまえが風邪ひくわけねえだろ。風邪も人を選ぶんだよ。汚い格好で帰ってきやがって!」 「うっせえー、テツに関係ないだろう!」 「関係無い!?そんなこと、よく云うな。その腐った根性叩き直してやる」 「バカテツー!」
水から湯になるまでに、時間はかからない。 湯に気づき始めた朋之は暴れるのを止めて、気持ち良さそうにシャワーに身をゆだねた。 あったかい湯に晒されているこいつの体には、さっきまでやったましたとばかりにキスマークが点々とついていた。 それは鎖骨や乳首に始まり、体中隈なくついている。
「おまえ、可愛がられてたんだな」
朋之は降りかかる暖かいシャワーに酔いしれていたのか、トロンとした目で俺を見上げた。 俺はキスマークの痕を意地汚くひとつひとつ丁寧になぞった。 「ダメだ。テツ、オレ…やめろよ」 身を捩る朋之をそっと抱きとめ、乳首にわき腹にと、唇を這わした。 濡れたトランクスの上をなでると、言葉とは裏腹に起ちあがりかけている。 男の体は悲しいくらい正直で切ない。 「可哀相なあんちゃん、おまえのこと大事にしてくれたか?殴ったりしなかったか?」 俺に乳首や股間をいじられ顔をうつむけた朋之は、ためいきともつかない小さな返事をした。 「…してくれ、たぁ…」 半開きになった唇を吸い上げながら床に寝かしつけ、久しぶりに覆いかぶさった。 「テツ、ほんと、今日はヤダよ。テツ…テツ…」 「よそのあんちゃんは良くって、俺はダメなのかよ?」 朋之の中途半端な抵抗に煽られて、俺はこいつのを握って乳首を軽く捻った。 恥かしがり屋のこいつは返事の代わりに俺の背中にツメを立て腰を振る。 「ヒドイよ。オレ、イヤだって云ってんのに。そこ、ダメだ…テツ、テツゥ…」 「腰振って、イヤって云うな。女みてえだ」 「女じゃねえ…」 朋之のうるんだ目は、妖しく俺を誘う。 「ああ、女じゃねえな。ここも、ここも、みんな男だ」 石鹸で滑らせた指を尻の窪みに滑らせて、ゆっくりとならしていった。 「こんなことしてくれたか?ちゃんとならしてくれたか?いきなり突っ込まなかったか?」 「…聞くなよ。あっ…、バカテツ…」 朋之はヒクヒクと俺の指を呑みこんでゆく。 やさしく抜き差しする度に、男にしては白くなめらかな体が前後に揺れて、もっと別のものをねだった。 「オ…オレ、あぁ…ん、待ってたんだ。ううん、あっ…テツが、いつ飛び込んで…くっ…」 「うるせえ、おら、ここはどうだ?」 「ああ…ん、ダメだぁ…やめろぉ」 俺は突っ込んだ指先を曲げ、朋之の中をかき混ぜた。 なあ、俺だけだぜ。なんの準備もしてないおまえの中に、そのまんま指入れて慣らしてやるの。 このまま、ケツの中に舌入れることだって出来るんだよ。 「ほら、もっとケツ上げねえか。よく見えねえだろうが。ったく、このバカが。こんなとこにも、キスマークつけやがって。 帰った時のこと考えて、ちょっとは控えろよ。それが礼儀ってもんだろうが」 空いた手で、小ぶりの可愛いケツをパンパン叩いた。 「だって…あいつ、わんわん泣くから、イテ…そこ、…そこ…あぁ」 「泣かしたのは、おまえだろ。責任とってやれよ。センセだろうが」 「だ…から、とって…やった…さぁ…ん」 「チクショウー!やっぱ、やって帰ってきやがったんだな!年に何回よその男に走ったら気がすむんだ!? おまけに毎度毎度ご丁寧に帰ってきやがって!サンマでも食わなきゃ間がもたねえだろがっ!」 「テツゥ…テツゥ…もっとぉ」 朋之の反り繰り返った白い背中にしがみつき、指の代わりに俺をぶち込んだ。
男二人にセミダブルのベットは狭い。 風呂場で散々啼かされた朋之は俺の隣で猫のような寝息を立てて眠っている。 そっと髪を梳いてやると、軽くうなって寝返りをうった。 脇腹の薄くなった傷跡がめくれた上がったジャージの隙間から覗いている。 これは、昔俺が付き合っていた女に刺された痕だった。 高校の時からクラスメイトの朋之と付き合っていた俺は、大学に入ってすぐに興味本意で女と付き合った。 それでバチが当たったんだ。その女は朋之の存在に気がついてその時住んでいたアパートに怒鳴り込んできた。 悪いことは重なるもので、居合わせた朋之を見て逆上した女は流しにほったらかにしてた包丁を握って、 俺に突進してきた。 「ちくしょぉっ!こいつか!?このホモッ!だましやがって!」 いつもにこやかだった顔が目も口も引きつって、俺は女の変わりように足がすくんで動けなかった。 誰かに突き飛ばされたのまでは覚えていた。 恐る恐る上げた視界に入ったのは、へたり込んだ空手の女と脇腹に包丁をつきさされた朋之だった。 「あれ?、トモ?トモ…トモォーッ!!」 「へ、へへ。おん…女の子に包丁向けられる…なんて、甲斐性あるじゃん。やっぱ…テツだよ」 朋之はそう云って笑った。
退院して三ヶ月が過ぎた頃、朋之はバイト先の男のアパートに二週間転がり込んだ。 それが、始まりだった。 その時々で転がり込む相手と日数は違ったけれど、必ずしれっとして帰ってくる。 大学を卒業して俺は自動車部品の会社に就職し、朋之は女子高の国語の教師になった。 少しでも、男が少ない環境をと、俺がすすめたのだ。 案外素直に従ってくれたが、まさか生徒の家族までは考えが及ばなかった。
あのな、俺がさ、ずっとおまえと暮らしてるのは身代わりになってくれたからじゃないんだ。 一分でも一秒でも長く、愛しいおまえといたいから、こうして一緒にいるんだよ。 かけがえの無い大事なおまえが、よその男に抱かれてよがっている時も、殴られてやしないか粗末な扱いを 受けてやしないか心配で酒をあおっても寝れやしないんだぜ。 やさしいおまえのことだから、別れ際に頼まれたら気のすむまでヤラせてやるんだろ。 「これで終わりだからな」って、クタクタになるまでケツ差し出して相手に付き合って、這うように帰って来てビクビクしながら 俺に鍵開けさせて、洗濯物渡して口を開けば「捨てられたー捨てられたー」って、見栄張ってよ。 年取ったらダメだ。鼻がつまってきやがった。
で、次はいつだ? 俺は受けて立つよ。おまえが体張って、愛の確認するんだからな。 いつの日か、勝手に鍵開けて家に入ってこれるようになるまで何度でもおまえの挑戦受けてやろうじゃないか。 俺が「行かないで、捨てないで」って足にすがる日がくるまで、一生懸命新しい男を発掘するんだろ。 わかってんだよ。でも、俺も男だ。そう簡単には日和らねえぞ。 連絡もしないし、男んちに迎えにだって行かねえよ。鍵だって換えてやる。 うろたえて、廊下でしゃがみこむおまえの頭を景気良くはたいてやらあ。 よっしゃっ!朋之、かかってこい!!
冷えた指先で、傷跡をなぞった。 朋之はひとつ唸って、こっちに寝返った。 俺の脛に見事な踵落としが決まった。
『ファイテイング・ラバーズ』
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