自分は間違って異世界に迷い込んだらしい。 そうでなければ、きっとこれは夢だ。
自分は整った顔をした部類らしい。 男らしくどっしりとした父親と、目鼻立ちのくっきりした母親(残念ながら写真でしか見たことがないが)。 そして、幼い頃から剣道を続けてきたおかげか、ほどほどに筋肉質でもある。
今時珍しくもない親の事情というやつで、この全寮制に男子校に転入してきたのがちょうど一週間前。 寮とはいえ、親と離れて暮らすことは新鮮で、柄にもなくワクワクしていた。
そこでの生活は俺、綾瀬 和也(あやせ かずや)の想像とは、はるかにかけ離れていたけれども・・・。
胸のあたりが重い。 息苦しく呼吸がままならない。 そこで俺は目を開けた。 最初に飛び込んできたのは大きな目とチロチロと桃色の唇から出し入れされる赤い舌。
「あ、起きちゃった?」
悪びれもなく俺の腹の上に乗ったまま問いかけるその姿に俺は声にならない悲鳴をあげた。
「だってさ、あんな色っぽい姿で寝てたら誘いたくなっちゃうでしょ?」 「夏は暑いからボタンを二つ外してただけだ。」 「それが俺を誘惑するんだってばぁ。」
可愛らしくむぅっと頬を膨らませたこの小さいのが俺のルームメイト、加藤 高良(かとう たから)。 今のところ俺のとって一番の要注意人物だ。
「だからって寝ている奴の胸を舐めるのか?加藤?」 「あ、『高良』って呼んでって言ってるでしょー?でもさ、和也・・・感じてたでしょ?あの後すごい勢いでトイレ駆け込むし。」 「・・・先に食堂に行くからな。」 「あん、待ってよぅ!」
加藤を置いて部屋を出ると、アッチコッチからから熱い視線を向けられているのが嫌でもわかる。 これがただの自惚れだったらどんなに良かったことか。 無意識にため息をついた。
「お、おはようございます!」 「ああ、お早う。」
どもりながら声をかけてきたのは同じ剣道部の工藤 良太(くどう りょうた)だった。ちなみに同い年のくせに俺に対して敬語を使う。
「綾瀬さん、今朝は・・・大丈夫でしたか?」 「何がだ?」 「その、あいつですよ!加藤 高良!」 「ああ、無事じゃなきゃ俺は今此処にいないだろうな。」
そう言って笑うと、良太も安心したように笑った。 けれど、その次の瞬間青ざめて俺の首を指さした。
「あ、綾瀬さん、そ、それは・・・!」 「どうした?何か付いてるのか?」 「・・・マーク」 「なんだ?」 「キスマーク!!」
良太の声はあろうことか廊下中に響き渡った。 そして一瞬静まりかえった後、一気にざわめきというかどよめきというか・・・中にはすすり泣く声まで聞こえてきた。 俺は軽い目眩がして頭を押さえた。
「加藤高良ですね?っ絶対許しません!あの男だけは・・・」 「良太、言っておくが俺と加藤は何もなかったからな?」 「わかってます。何かあったなら今頃血祭りにあげてますよ!そうじゃなくて、綾瀬さんにキ、キスマークなんて・・・あぁ!羨ましい!」
俺は羨ましいなどとほざいた良太を置いてさっさと食堂に入った。
最悪にも、さっきの騒ぎは食堂にも届いていたらしい。 俺が食堂に入ると同時にヒソヒソ話が始まった。 ある意味イジメだ、いや、これならイジメと何ら変わりない。
「ねぇ、」
今一番聞きたくない声が聞こえた。
「ねぇってば。耳遠いの?」
ゆっくりと振り返ると予想通りそこにいたのはこの学校で最強にして最恐。生徒会長だった。
「オハヨウゴザイマス。」 「カタコトになってるよ?何怯えてるの?俺に隠し事してるから?俺に言えないことなの?ふーん?」
たたみかけるように発せられるその声は高校3年とは思えないほど高く澄んでいた。そして同時に黒いモノも含んでいた。
「聞いたよ。加藤高良と君がデキてる説。嘘だよね?」 「はい。」 「そう、じゃ、生徒会に入る件は考えてくれた?」 「いえ。」 「なんで?悪い話じゃないと思うけど。」
キレイな顔で微笑んで俺の首筋をなぞる。
「あの、」 「・・・ああ、コレだね。例のキスマーク。」
自然と肩がビクリとなった俺を見て会長はクスクス笑った。 そしてフッと目を細めると、
辺りの音が消えた。 俺自身何が起こったのか上手く理解出来なかった。
「じゃあ、また後でね。」
会長が去っていった後、俺の首には二つに増えたキスマークが残った。
「あー!!今俺バッチリ見たからね!和也の浮気者ー!!」 「ちょ、何言ってんだよ、アンタ!綾瀬さんは迷惑してんだからな!」 「五月蠅いよ、剣道部の犬!お前なんか相手にされてないくせに!」 「なっ・・・!」 「ちょっと和也、会長にたぶらかされてない!?」
「加藤、良太・・・お前ら少し黙っててくれ。」
俺はそれだけ言うと気を失った。
夢ならどうか覚めてくれ。 今はそれだけを切実に願う。
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