「あ・・・明日の日曜日暇か?」 俺、沢渡涼(さわたり・りょう)は心臓が口から出そうなほど緊張していたがなんとか平静を装って親友柏原薫(かしわばら・かおる)に声をかける。 薫は部活の後シャワーを浴びて髪を乾かしていた。 柔らかくウェーブを帯びた綺麗な髪がドライヤーの風に揺れている。 無造作に振り返った薫の顔は少し上気していて頬が薔薇色だ。 俺は思わずごくりとつばを飲み込む。 「特に用事はないけどな、なんかおもしろいこと?」薫はぐしゃぐしゃと髪を無造作にかきあげてドライヤーのスイッチを切る。 俺は喉に何かがつかえたような気がしていたがなんとか声に出す。 「え・・・映画に行かないか・・・?」 「映画?なんの?」 「あ・・・あい・・・」俺は汗が出てなかなかふたりで観に行きたい純愛物の映画のタイトルを言えない。そう・・・俺は薫とデートしたいんだ。 「俺寅さんのリバイバルなら観たい。今名画座でやってるだろ?でも寅さんだったらビデオ借りてきたほうがいいかな。」 薫はこの綺麗な顔に似合わずこういうベタな映画が好きだ。 しかし寅さんならデートの甘い雰囲気にならないじゃないか!俺はすかさず言う。 「と・・・寅さんならおまえいつも観てるじゃないか。た・・・たまには違うものを・・・。」 「じゃあホラーかな。」薫は無造作にユニフォームをスポーツバッグに詰めながら言う。 ホラーか・・・。もし薫が怖がって俺にしがみついてきたりしたら・・・。 あ・・・いかんちょっと想像して反応してしまった。 気づくと薫がこっちを見ている。 俺は思わずあせってどぎまぎと薫を見返す。ああ・・・なんて綺麗な瞳なんだろう。 薫の瞳は薄い茶色で少し碧色がかっている。じっとしていたらまるで欧米の映画に出てくる美少年のようなのにいつもわざとなのか乱暴な口調と態度をとっているのでなかなかそうと思わせない雰囲気を保っている。 「おい、おまえ顔が真っ赤だぞ。風邪でも引いたのか? 映画なんて行かないほうがいいぞ。明日はゆっくり家で寝てろよ。」 薫の言葉に俺は思い切り頭を振る。 「いや・・・ちょっと暑いだけだ。俺はまったくの健康体だ。明日はホラーを観にいこう!」 俺は力んで言う。 薫はちょっと胡散臭げな顔つきをしながらも同意した。
その晩俺はあまりの緊張になかなか寝付けなかった。 薫とデートする・・・。そう思うだけで胸がどきどきする。 ホラー映画を観ながら薫の手を握ったらどうするだろう。怖がって目を伏せている薫を抱き寄せてキスをしたら・・・。 そしてそのまま俺は薫を・・・・。
結局俺は夜中に2回も薫で抜いてしまった。 まったくの自己嫌悪で朝を迎える。 睡眠不足のため目の下に隈が出来ていて朝姉貴にからかわれた。
待ち切れなくて薫との待ち合わせ時間の30分前に映画館に着いてしまった。 窓口でロイヤルシートを買う。 この映画館にはカップルのための特別席がある。二人掛けの座席が独立していて他の観客からへだてるように配置されている。 こんな席を男同士で買うなんて薫に不審がられるだろうか? いや・・・満席でここしかなかったと言えば納得するだろう。 俺はごしごしと落ち着かなげに額をこする。
「あの・・・常盤学院の沢渡さんじゃありませんか?」 突然声をかけられて俺は驚いてそちらを見ると女子高生と思わしきちょっと可愛い女の子がふたり立っていた。 「ごめんなさい、突然声をかけたりして・・・。わたし東洋女学園の君塚真知子といいます。 以前から沢渡さんに憧れていました。 あの・・・おひとりですか?」 「あ・・・いや・・。友達を待っているんだけど。」こんなところに立ってるんだから人待ちだってわかるだろうが、まったく鈍い女だ。 真知子という女の子は顔を赤くしてちょっと俯いた。 「・・・そうですよね、ごめんなさい。沢渡さんのようなカッコいいかたには彼女がいて当然ですよね。」 隣の女の子が真知子を慰めるように腕をさすっている。 俺はうんざりして言う。まったく女ってのはいつもこうだ。面倒くさいったらない。 さっさと行けばいいのにまだ真知子と友達は俺の前から立ち去ろうとしない。 そうこうするうち真知子はきっと顔を上げて俺を見た。 「あの・・・沢渡さん。・・・わたし・・・沢渡さんのことがずっと好きでした。いえ、今でも好きです。 彼女がいても構いません。どうか私と付き合っていただけませんか?」 え・・・?? 俺は目が点になる。それって二股でも構いませんってことか? いったいこの女は何を考えてるんだ。 俺は何と答えていいかわからなくて目を泳がせた・・・と、視界に俺の想い人の姿が入った。 ああ・・・薫・・・。 薫はシンプルな白いコットンシャツにジーンズをはいていた。 紺色のセーターを腰に巻いている姿は目に鮮やかでそこだけ周囲から浮き上がって見える。 「薫・・・。」 思わずつぶやいた俺の言葉に真知子と友達も顔を上げて俺の視界の先を見る。 ふっと真知子の顔に安堵の表情が広がる。 「ああ・・・お友達って柏原さんだったんですね。」 「よかったわね、真知子。」友達も突然笑顔になる。 何が『よかったわね』なんだか・・・。俺はもう相手をする気もなくて薫のほうに歩みだす。 薫は女の子に囲まれている俺をにやにやして見た。 「相変わらずモテるな、涼。」 俺は振り返ると女の子たちに言う。「俺は・・・悪いけど今女の子と付き合う気はないから。じゃ・・・。」そのまま薫を引っ張って映画館に入る。
「うへっ・・・ラブラブシートじゃん。」 席につくなり薫が素っ頓狂な声を上げる。 俺は汗が背中を伝うのを感じながらも平静を装って言う。「ま・・・満席でここしか空いてなかったんだよ。立ち見なんて嫌じゃん?」 「う~ん、男二人でっていうのがなんかアレだけど、まあ贅沢気分ではあるな。」 薫は少し高級なシートの座り心地に満足げだ。 脚をゆったりとした前のスペースに投げ出して大きなカップに入ったポップコーンを食べている。 俺はちらちらとそんな薫の様子を盗み見る。可愛らしい唇が白いポップコーンをかみ締めて動いているのがなんだか艶かしい。 柔らかそうなその唇を舐めたら少ししょっぱい味がするだろうな・・・。
「あ、涼もポップコーン食う?」 いつしか顔を近づけていた俺に薫はカップを差し出した。 「あ・・・ああ・・・。」俺は焦りながらポップコーンを少しつまむ。 薫はビッグサイズのコーラを飲んでいる。 俺は手にしていたコーヒーをぐいっとあおる。 「あ・・・あちち・・・!」舌を焼いて慌てる俺を驚いた表情で薫が見る。 「これ飲むか?」薫がコーラを差し出した。 か・・・薫と間接キス・・・・! ますます汗が流れる。 「ほら、飲めよ。舌火傷したんじゃないか?」 震える手で薫のコーラを手に取るとストローを口に含んだ。 ああ・・・今俺は薫と間接キスをした・・・。 コーラがなんだかものすごく甘く感じた。 コーラを薫に返すと薫は無造作にストローを銜えて自分も飲んだ。 ああ・・・薫・・・。俺たちは今コーラを介してキスをしたんだよ・・・。
俺は胸がきゅんとした。こんなことがなんだかとても嬉しい。 そうこうするうち映画が始まった。 薫の選んだその映画は雰囲気がおどろおどろしくて見ているうちになんだかはらはらどきどき落ち着かなくなる。 しかし俺は画面よりスクリーンの明かりごしに見える薫の表情に釘付けだった。 薫は映画にすっかりのめりこんでいて時々眉をひそめたり目を見開いたりしている。 そんな薫が可愛くて、愛しくて俺は思わず薫の手を握ろうと自分の手を伸ばす。 指先が薫の手に触れたとき、薫はこちらを向いた。 「あ・・・ごめん。」そう言ってポップコーンのカップを差し出す。 お・・・おい、違うよ・・・。そうじゃないんだ・・・。 俺は仕方なく食べたくもないポップコーンを少しつまむ。 そして何気にスクリーンを見ると画面いっぱいに血みどろの惨殺体が映っていた。 「うわっ・・・!!」 気を抜いていたせいか結構ショックで俺は思わず声をあげて薫にしがみついた。 ポップコーンが散らばって床に落ちる。 はっと気がつくとしっかりと薫の首に顔を押し当てて抱き締めている自分に気づいてかあっと赤くなる。薫からはシャンプーなのかほのかに甘い香りがする。 俺は身体が放せなくなってそのまま薫を抱く腕に力をこめる。 「おい・・・涼・・・。」薫の困ったような声がする。 俺は無視してそのまま薫を抱いている。ああ・・薫・・・好きだよ・・大好きだ。 苦笑するような声。「参ったな・・・。おまえホラー駄目だったのか。」 俺は何も言わずにそのままずっと映画が終るまで薫を抱き締めたままだった。
「おい、涼、もう終ったよ。」 背中をとんとんと叩かれて俺はしぶしぶ薫から身体を離す。 薫が笑ってこちらを見ている。 「おまえ怖がりだったんだな。・・・安心しろよ、誰にも言わないからさ。 だけどさっきの女の子たち幻滅するだろうな。憧れの沢渡君がホラー映画で怖がって俺にしがみついたまま映画の半分くらい画面を見ることもできなかったなんてさ。」 俺は苦笑いをする。 でも本当は嬉しくて嬉しくて叫びたいくらいだ。ずっと薫を抱いてそのしなやかな身体を味わっていた。薫の鼓動、薫の息遣い、すべてがはっきりと伝わってきた。 時々怖がる振りをして薫の首筋に唇を押し当てたりそっと薫の背中から腰にかけて愛撫した。 もう駄目だ・・・。俺は柏原薫を本気で愛してしまった。 薫が欲しい。薫が好きだ・・・。薫・・薫・・・。
沢渡涼、初めての恋に戸惑う悩める思春期であった。
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