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 (切ない 悲恋 大人/15禁)
海に沈む月1~3


1. 凪 (nagi)


目が覚めると、いつもの習慣でパソコンのスイッチを入れる。朝といっても、それはその男にとっての朝であって、
昼はとっくにまわってしまっていた。
寝起きのばさばさの髪を、ぼんやりと撫で付けながら、目覚ましのコーヒーを淹れつつ、パソコンが立ちあがるのを待つ。
コーヒーをすすりつつ、ブックマークしてあるサイトにアクセス。
画面には、澄み切った海の画像が映し出された。サイト名は「凪~nagi~」。ただ、それだけが書かれたTop画面。
サイト名をクリックして、次のページに移る…。
これが、この男の最近の朝の習慣であった。


男の名は、伊崎竜平。
歳は25歳になる。大学をでて、お決まりのコースで商社に勤めていたが、大学時代の先輩の誘いで編集の仕事を手伝った。
元々が文学部に席をおいていたせいもあって、モノを書く事に興味があった。手伝いが本格的なものになり、思い切って商社を辞め、
今はしがないルポライターをやっている。
ルポライターといっても、実際は頼まれればなんでもやる。エッセイやちょっとした品評記事まで…。
しかし、伊崎もモノ書きとしていっぱしの夢があった。
せっかくモノを書く仕事についたのだから、ノンフィクション作家になりたいと。
だが、日々の雑用に忙殺されて、それどころではないのが現実だったが…。


「凪」とであったのは、ある記事の取材がきっかけだった。
記事の内容は「精神障害とその日常」という、伊崎には縁のないものだった。
知り合いに精神を病んでいる者もいないし、自分もいたって正常だ。とっかかりがない。
仕方なく、取材をしようと病院や患者のHPをあちこち覗いていた。
「愛誠病院」という、心療内科のHPを閲覧している時だった。
リンクのページに青いバナーがあるのが目に付いた。澄んだ青に白一文字で「凪」とある。
興味本位でクリックしてみた。
現れたのは、画面いっぱいの海の写真だった。
左下に「凪」とある。なんの変哲もない、海の写真。だが、静かで澄んでいて、不思議と心に訴えるものがある。
エンターがないようなので、サイト名をクリックして、中にはいった。
右上に、これまた控えめにメニューが表示された。極端にメニューの少ないサイトのようだ。
プロフィールとギャラリーのみ。
こんなサイトは出会ったことがない。他のサイトが、見てくれといわんばかりの自己主張をしているのに比べ、
ここは「見て欲しくない」と言っているような…。
プロフィールには管理人 Kyo / 年齢 18歳 / 凪の海が好き
としか書かれていなかった。性別もわからない。
ギャラリーには、海の写真ばかりが載せられていた。日付からすると、ほぼ毎日撮られているようだ。
何故、こんなサイトが病院のHPにリンクされているのか…。
伊崎のジャーナリストとしての本能が、「凪」とその管理人についての興味をかりたてた。
早速、「愛誠病院」に取材のアポをとる。
普通嫌がられるものだが、オープンな病院なのか、意外とあっさり取材許可をもらう事ができた。


病院は平塚にあった。相模湾に面するように建っている。
伊崎は愛車を飛ばしてやってきたのだが、自宅のある大田区からはかなりの距離があった。
編集部から取材許可がおりたのは一週間。
短いが、まぁ、宿泊費などの関係上、ぎりぎりの日数なのだろう。
宿は事前に病院のそばをキープしておいたので、伊崎は病院に直行した。
出迎えてくれた看護師の態度も好印象だった。
最近の病院らしく、薄いピンク色の壁。そこに掛かった花の絵…。やさしい雰囲気の漂う空間であった。
看護師は医院長室まで伊崎を案内すると、軽く会釈して持ち場へと戻っていった。
医院長室のドアをノックする。
応えがあり、医院長自らドアを開けて伊崎を招きいれた。


「はじめまして。お電話で失礼しました、あけぼの出版の伊崎竜平と申します。」
ポケットから名刺をとりだして、手渡す。
「これは、ご丁寧に。私は医院長の長瀬です。いやぁ、以外にお若い方で驚きましたよ。」
「はぁ…」
「それに、勝手なイメージで申し訳ないが、もっと擦れた感じを想像していてね。
若いし、それにハンサムだ。頭もきれそうだねぇ。」
この医院長は、お喋り好きのようだ。ひとりで、楽しげに伊崎を褒めている。
伊崎は、確かに不恰好な方ではない。
黒く艶やかな髪は少し長めだが、綺麗に整髪されている。
身長もそこそこあり、痩せてはいるがみすぼらしいという程でもない。
すっと伸びた鼻梁と、鋭いが、黒曜石のような印象的な瞳。
格好がいいというより、印象的な顔立ちをしていた。
(俺は褒められにきたんじゃ、ないんだがな…)
放っておくと何時までも喋っていそうな医院長を制止するように、伊崎が口をはさんだ。
「この病院には、何名ほど入院なさっているんですか?」
「あ…あぁ、すまなかったね、取材だったんだ。そうだね、今は35人が入院中だよ。」
我にかえって、医院長が仕事の顔になる。
さほど老いては見えないが、50歳は越えているだろうか。柔和な笑みの似合う、やさしげな男だった。
「取材はどの辺りまで?」
「あぁ、インタビューは本人の了解があれば、構わないよ。だが、本名の掲載と写真に関しては、
本人及び家族の方の了解を得てください。病室への入室は控えてくださいね。中央ホールがあるから、そこに
来た患者さんだけとの接触になるが、それで構わないかな?」
「ええ、それで十分です。…一週間の滞在予定なんですが…」
「大丈夫だ。消灯までなら出入りは自由に。だが、入院病棟は鍵がかかっているから、その都度、看護師に言ってくださね。」
「はい。わかりました。ありがとうございます。」
意外に自由に取材ができそうだ。
制約がいくつかあるものの、了解さええられれば問題なさそうだと踏んで、伊崎は安堵した。
「ところで…」
伊崎はずっと気に掛かっていたことを聞いて見る事にした。先程から、その事がひっかかり、医院長の話どころではなかったのだ。
「ここのHPにリンクされている、凪ってサイトなんですが…」
「ああ、森園くんね」
「森園…君…?」
(あのサイトの管理人は男なのか)
あの、青く澄み切った海の画像が思い出された。
「いいだろ?あのサイト。実は、あれも治療の一環なんですよ。」
治療の一環だといって、医院長は窓辺に移動した。伊崎に手招きして、コチラに来るよう促す。
「ほら、あそこに…砂浜に人がひとりでいるでしょう。彼が森園 響君。」
確かに、浜辺に人が立っている。他にもちらほらと人影はあるものの、ひとりでいるのは彼だけだ。
背格好は、まあ、ひょろりと痩せているようだ。少し長い髪を海風にそよがせている。
しかし、判明できるのはそこまで…。
「彼の病気については、また改めて。彼は海と、海を写真に撮ることが好きでね。治療のひとつとして写真を撮っていた
んだが、良い写真を撮るのでね、もったいないからサイトを作らせたんですよ。」
(治療の一環ね…)
伊崎は、彼の遠い後姿を見つめていた。
不思議と目が離せない。
かなり離れているので、はっきりとは分からないが、今にも消え入りそうな印象の後姿。
かげろうのような、少年。
(あの背中は…泣いているみたいだ…)



2.  砂浜


「…さん、伊崎さん。」
伊崎は医院長の声で我に帰る。声をかけられても暫く気づかない程、窓の外を眺めていたのだ。
「気に、なりますか?…彼が」
「え…いや…」
言葉を濁しながら、再び窓の外…森園 響に視線を戻した。
「あんな素敵なサイト…写真が撮れる人物って、どんな人なのかと…」
相変わらず、響は海の方を向いたままだ。風に髪が弄られるにまかせて、静かにたたずんでいる。
「彼はね、”双極性感情障害”という病名なんだ。簡単に言えば、”躁鬱(そううつ)病”。
それから”不安障害”もある。その根底にあるものはAC…アダルトチルドレンだ」
伊崎も取材にあたって、ある程度の予備知識は得てきたつもりだった。しかし、文章を詰め込んだだけでは、本当の
病識など得られるものではない。
「そうだね、まずACなんだがーーーこれは、飲酒(かなり程度の酷い酒乱など)をする親に育てられ、なんらかの
被害をこうむり、それがトラウマになっている大人。彼も父親が酒乱で、辛い思いをしたらしい。母親は、去年、事故で
亡くなっている。…身寄りが、ないんだ」
あの寂しげな背中は、そんな家庭環境が関係しているのだろうか…ぼんやりと、背中を見つめる。
「それから、不安障害。コレは頻発する訳ではないが、ある一定の許容量を越えた不安が襲うと、発作がでる。
一番厄介なのが、躁鬱だな。欝は、知っているよね?最近、TVでも取り上げているからね。躁というのは、欝と真逆の状態。
テンションは高いが、自殺率も高い。躁の状態が酷くなると、自分で物事を判断することがむずかしくなったり…」
ここまで言うと、医院長は椅子に腰をおろした。
深い、ため息をひとつ。
「彼はね、本当は1人にしてはいけない病状なんだよ。今は落ち着いているがね。」
海まで行かせていることを言っているらしい。
「でも、今、ひとりで…」
「そう、海にいる時は、不思議と自殺願望がなくなるらしい。海に癒されているのだろう」


「くれぐれも、会話は慎重に頼みますよ。ちょっとした事でもストレスになるし、暴走の引き金になりますから…」
そんな医院長の言葉を思い出しながら、伊崎は海岸へ降りる階段に立っていた。
思いの外、医院長との話が長かったから、今日はこれでホテルに戻るつもりだと医院長に告げた。
そして、彼に会ってみるつもりだとも…。
そこで、医院長に釘を刺された訳だが…、伊崎も正直、どう接して良いのか分からず、こうやって階段に立ちつくしてしまっているわけだが。
(当たって砕けろ、だ)
意を決して、響のそばへと近づいていく。なんと声をかけようか迷いながら…。
(まいったな…言葉が見つからない…)
間近で見る響の後姿。意外な程、小さく、ほっそりとしていた。色素の薄い、肩まで伸びたさらさらの髪が海風に揺れている。
夏が近いとはいえ、少し肌寒いのに、薄いシャツ1枚にストレートのジーンズ。
ふいに、響が振向いた。
「…っ」
気配に気づいた響は、振向きざま、真っ直ぐに伊崎を見上げる。見上げなければならない程の身長差があったわけだが。
伊崎は、声が出せなかった。
その瞬間に、恋に落ちてしまったのかもしれない。
周りの景色も、音も、何もかも伊崎には感じられなかった。
ただ…
響の顔をみつめて…
(なんて…なんて綺麗な子なんだ…)
決して女のような綺麗さではないが、儚く消え入りそうな印象…。
瞳も力なく揺らめいて…なめらかな白い頬に触れたいと思った。
「あなた…誰ですか?僕に何か?」
艶かしい口元が、想像通りの声音を紡ぎ出してゆく。
男を恋愛の対象などと、思ったこともなかったが、男でも女でもなく…1人の人間として恋してしまったらしい。
「あ…ごめん。驚かせてしまったかな?…俺はこういうモノです」
そう言うと、胸元から取り出した名刺を手渡した。
「あけぼの出版…伊崎…さん?」
「そう。君の病院に取材に来ていてね」
「はぁ…」
響は名刺と伊崎の顔を交互に眺め、不思議そうな顔だ。
「君のサイト、見たんだ。ちょっと、いいかな?」
伊崎は、響の返事も聞かず促すように歩き出した。響がついて来るのを確かめながら…。


3.  月の横顔


ゆっくりと歩きながら、伊崎はぼやりと考えていた。
(恋…俺が?…まさかな)
別に女に不自由しているという訳ではなかった。半年まえまで、彼女もいた。
ただ、今は仕事にのめり込んでいることもあり、恋愛など煩わしいだけであったのだ。
(だいいち、胸のトキメキとか…そんなんじゃないな)
響が振向いた時、別にドキリとしたわけでもない。言葉で表すのならば”魅せられた”とでも言おうか。
自然の創造物…海や月や風、そんなモノに接するような感触。
「この辺…座ろうか」
砂浜に所々生えている下草に腰を下ろし、響にも座るように促した。
黙って、響は伊崎の隣に座った。
「君の病気については…さっき、医院長先生に伺ったんだ。失礼だったかな?」
「いえ…構いませんよ。本当の事だし…」
2人は海をぼんやりと眺めながら、ぽつぽつと会話を始めた。
「海をね、写真に撮らないといけないんです。…凪を待って」
手元のデジカメを何気に弄りながら、響は海をみつめる。
「そんなに、凪の海が好きなのか?今だって、いい感じに波がたってるのに…」
「凪じゃないと、駄目なんです。凪じゃないと…」
響は伊崎のほうに向き直り、熱い眼差しで訴えた。
なぜか、その眼差しに心うたれて…伊崎も胸が熱くなる。
(それほどに、何故こだわる?)
凪というのは、風もやみ、波のたっていない静かな状態のことだ。確かに綺麗な風景ではあるが、
面白味に欠けるともいえる。荒々しい海や、波の寄せる静かな海など、海はいろんな表情をみせるのに。
「君は何故、凪の海にこだわるんだ?…君のサイトを見たが、凪の海ばかりだったね」
「あのサイト、見てくれたの?」
驚いたように、響の瞳が見開かれた。
「あんなの、誰も見てないと思ってたのに…」
「俺がここに来たのは、君のサイトに惹かれたからなんだよ。
どんな人が撮った写真なのか。どんな人物なのかってね…」
さっきまで見開かれていた響の瞳が、寂しげにふせられた。長い睫毛が、微かに震えている。
「…がっかりしたでしょう?こんな…こんな病人。頭がおかしいヤツで」
「な…そんな事思ってない。」
伊崎は思わず響の両肩をつかんでいた。突然の激情に自分自身、戸惑いながらも。
「君は素敵だよ、本当だ。そんな、自分を卑下するもんじゃない。」
「伊崎…さん?」
「少なくとも俺は、君の写真は素晴らしいと思う。そうじゃなきゃ、ここにいやしない」
「…でも」
「取材の為、ここに来たんだが、君に会えて俺は…」
一瞬、言葉を捜す。
「いや…君に会えて、良かったと思ってる。君の事、もっと知りたいんだ…」
響の顔が苦痛に歪んでいるのに気づいた。知らず、肩を掴む手に力を入れすぎたようだ。
力を緩め…それでも、その手は離さず、響を見つめる。
「伊崎さん…僕はそんな崇高なモノを撮っているわけじゃない。自分との…闘いなんだ」
「それは…?」
「手を…お願いです…」
「あ…すまない」
手を離すと、不意に響が立ち上がり、海の方へ歩きだした。
「森園君…」
あわてて伊崎はあとを追う。
「…凪が…来た」
響のつぶやきが、風に乗って伊崎の耳に届いた。前方の海…風がやみ、波もない。
静かで、厳かな凪の海だ。
響は手にしたデジカメを構えると、何枚か風景を収めていく。
周りには人影もなく、静かな…ひたすら静かな海の風景。
その中に、響は心静かに存在していた。
(闘い?これが?)
だが、問いかけることもできず、伊崎は響の姿に魅せられていた。
(海と一体化して…この子自身が海のようだ)




しばらく写真を撮ると、響は病棟に戻るという。
「伊崎さんは、しばらくこちらに?」
「ああ、今週いっぱいね。近くに泊まって、取材させてもらうから」
「じゃぁ、明日も…僕とお話してくれますか?」
少し俯いて、恥ずかしそうに尋ねる。耳が、桜貝のように染まっている。
抱きしめたくなる衝動を抑え、伊崎はなんとか会話を続けた。
「君さえよければ…」
「僕は…僕の事なんて…面白くないと思いますけど…
でも、伊崎さんになら全て…話してしまいたい。聞いて欲しいと思うんです」
「それは光栄だな。俺も君の事を、もっとよく知りたい。理解したい。それに…」
「それに…?」
「ん…君にね、落とされたみたいだ」
「?」
「はははっ、いいんだ。わからなくて。」
少し遅れて、響の頬が桜色に染まる…。
(今時、奥ゆかしい子だな。最近じゃ、擦れたガキが多いってのに)
「伊崎さん、僕…」
「ごめん、気にしないでくれ。」
「ううん…僕、嬉しくて…」
響がますます真っ赤になる。愛の告白ではないが、響には十分すぎるほどの言葉だったようだ。
「じゃぁ、明日また来るから」
「うん。…待ってます」
消え入りそうな響の声が、耳に心地よい。
離れがたい気持ちだったが、なんとか振り切ると、響を残して病院に停めてある車に向かう。
後ろ髪を引かれる思い。
(やばいな…本当にはまっちまった)
やばいと思いつつも、それは嫌な気分ではなかった。
明日また会える…そう思うだけで、弾む心。
そんな甘い陶酔が、伊崎の心を占めていった。
「思いテーマですが、愛と生を考えてます。」
...2006/10/31(火) [No.331]
黒乃大和
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