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 (養護教諭×卒業生 卒業式 切ない /--)
花束


三月一日。
俺がこの高校を旅立つ日。

―――もう、あの人に会う口実が…なくなる日。


卒業式は滞りなく終了し、華やかな衣装をまとった女子生徒たちが最後の別れを惜しんで―――というよりは、この特別な日の主人公としての自分に酔うように写真を撮ったり、あるいはプロフィール帳を手当たりしだいに書いてもらっているようだった。
そんな中、俺、高階弘夢は、おそらく誰もいないであろう保健室を訪れた。
さっきここの主が晴れ着を着た集団に取り囲まれているのを確認している。
だから、誰もいないはず。

予想通りそこはもぬけの殻で、閉め忘れたのか窓が半分だけ開いており、白いカーテンが風にふわりと膨らんだ。

一瞬、白衣姿のシルエットが窓際に浮かぶ。

瞬く間にその幻影は消え去り、ゆっくりと揺れるカーテンだけがそこにあった。
窓が開いてるせいか、喧騒が風にのってここまで聞こえてくる。
窓際へ近づいていき、窓を全開にしてサッシの部分に腰掛けた。
改めて室内を見渡せば、そこここに想い出の残像が浮かんでは消えていく。

三年前。
初めて彼、榎本諒司と出会ったのは、当然のことながらこの部屋だった。
確か体育の授業で派手に転び、膝を擦りむいて保健室を訪れたのだ。
その時治療してくれたのが、養護教諭である榎本だった。
俺の知る限り、『保健室の先生』というのは女性ばかりだったので、正直面食らった覚えがある。
その上、榎本という人間は甚だ『教師』という枠からはみ出している男でもあったので。
まず、その容姿からして『養護教諭』にしておくにはもったいない程の美丈夫だし、保健室は己の城だと言って憚らないし、だから平気でタバコを一日何本もふかしていたし、生徒は小突くし、口は悪いし……とにかく型破りな『養護教諭』だった。

そんな榎本を―――恋愛対象として見るようになったのはいつの頃だっただろう。

最初は『大人の男』である榎本に、単純に憧れていただけだった。
俺もあんな風になりたい、と。
何気なくする動作がいちいち格好よく決まる、そんな男になれるものならなってみたい。
それには彼の側にいて、彼を観察することが一番の近道に思えて。
俺は高二の時から保健委員というものを率先して引き受けた。
なってみてびっくり。
保健委員は女子の間ではものすごい競争率だったらしい。
その難関を掻い潜ってきた彼女たちは、とにかく榎本とお近づきになりたいらしく、やたら媚を売って擦り寄っていた。
けれど榎本の方が上手で、そんな女子生徒は軽くあしらい、仕事を頼むときには男子生徒を使っていた。
その筆頭が俺だったわけだ。
大概の男子は面倒くさがってやりたがらないので、俺は簡単に榎本の側へ行けた。

側にいて、感じたこと。
榎本という男はクールに見えて実は熱いし。
ズバズバ言いたいことを言っているようで、その実相手を見て言葉を選んでいるし。
どんなにキツイ言葉を吐いていたとしても、そこには相手を思いやる優しさが透けて見えた。
知れば知るほど、榎本への憧れは増していき。
はたと気付いたときには……憧れでなく恋へとその感情は移り変わっていた。


男ゆえに、側にいることを許され。
男ゆえに、この想いは知られてはいけないもので。


ジレンマに苛まれた一年数ヶ月。
それでも幸せだったと思う。
いろんな話を聞けた。
いろんな顔を見せてもらった。
例えそれが教師の範疇を超えてなかったとしても。


ちょっとだけ目を掛けられた生徒として卒業するつもりだったのに。


何故、あの時―――告白なんてしてしまったのだろう。


昨年末、すでに俺は推薦入試で合格が決まり、一足早く受験地獄から抜け出していた。
そうしたら後は卒業を待つばかりで。
―――不安になっていたのだと思う。
ここの生徒であるうちは、無条件に『教師』と『生徒』という繋がりがあるけれど、卒業してしまったらこうやって簡単に会いに行くこともできない。
俺なんて何百何千といる卒業生の一人にすぎなくて。
榎本はすぐに忘れてしまうだろう。
ちょっと自分に懐いていたぐらいの、どこにでもいそうな生徒のことなんて。


何だかそれはすごく悲しく、切なく、寂しかった。
受け入れられるとは思っていない。
でも。
榎本にだって…何か…そう、『棘』を刺してやりたくなった。
俺を少しでも覚えていてもらえるように。
『棘』を残しておけば、それが疼いた時、俺のことを思い出すだろうと。


今思うと、随分思い詰めていたことがわかる。
冷静になって考えれば、そんなこと、やりはしなかったろうに。


放課後、いつものように保健室へ榎本を訪ねて行った時。
いつものようにコーヒーを淹れてもらって、たわいもない世間話をして。
何を話していたんだっけ。
ああ、そうだ。
卒業式の時に大きな花束をもらえたら嬉しいのに、と俺が言ったんだ。
部活に入っていたら後輩たちが花束を渡しに来てくれるのに、と。
義理だろうが何だろうが、やっぱりああいう風に見送ってもらえたら、恥ずかしさもあるけれど嬉しいと思う。
榎本には「あんなの荷物になるだけだ」って鼻で笑われたけど。
それから榎本の卒業式の想い出を聞き出して。
やっぱりと言うか、同級生・下級生問わず、プレゼント攻撃&「ボタン下さい」攻撃で散々な目に合ったらしい。

その話に触発されたのか。
自分でも定かではないのだけれど。
つい、ポロリと。
言葉が零れてしまっていた。

「俺……先生のこと、好きなんだ」

榎本はその時も何か仕事をしていて。
手に持っていたボールペンを書類の上に投げ出すと、深くため息を吐いた。

「高階、俺は生徒に手を出すほど飢えてないんだ」

それは…榎本なりに俺を気遣って、選んだ言葉だったんだと思う。
そんな風に気遣われることすら恥ずかしくて。
俺は何だか訳の分からないことを言って―――逃げ出した。


それから、三ヶ月余り。
保健室には二度と立ち寄らなかったし、徹底的に榎本を避けていたので、廊下ですれ違うこともなかった。


起きてしまったことを後になって悔やんだってどうしようもないけれど。
俺は本当に馬鹿だったな、と強く思った。
あのままで、どうしていられなかったのか。
告白なんてした所で、何のメリットもなかったのに。
黙って卒業するまで側にいた方が良かったじゃないか。
最後の三ヶ月、楽しく笑って過ごして―――卒業と同時にすっぱりこの感情ごと捨ててしまえば良かったのに。


榎本に刺したはずの『棘』は、どうやら俺の胸に突き刺さってしまったらしい。
こうなってしまうと、簡単には抜けないだろう。
俺はこのまま、卒業してからも、榎本の影を引きずっていくのかな。

まぁ…それも悪くはないか。
まだ当分は榎本のことを好きでいたいから。
『先生』を好きになるなんて、学生時代の青春そのものって感じで、いいじゃんね。


「さて、想い出巡りもこの辺にしとくか。あんまり長居をして、ばったり会っちゃったりしたら洒落になんないし」
窓枠から飛び降りて、着慣れないスーツの尻を軽く叩く。
この後は卒業生だけの謝恩会が予定されている。そろそろ行かなくては遅れてしまう。
保健室のドアをくぐり廊下に出てから、もう一度中を覗きこんで、

「バイバイ、榎本先生」

直接本人には言えない言葉を残して、俺は保健室の扉を閉めた。



校舎を出ると、もう大部分の卒業生が謝恩会場へと移動したようで、晴れ着を着た人間はたいしていなかった。
俺も急いで会場に向かおうと足を速めた時。

「高階!」

後ろから名前を呼ばれ振り返ると。
会いたくて、会いたくて、だけど会えなかった人がいた。

白衣姿ではない榎本は、眩しいくらいに格好よく。
今日は褐色のスーツに身を包み、胸ポケットには赤いスカーフが品良く収まっていた。
そして、大きな花束を左手に、こちらへ近づいてくる。

「卒業、おめでとう」

その花束は俺の目の前へと差し出された。
「え……?」
「欲しかったんだろ? 卒業式に花束」
「あ……うん…」
頷いて榎本から花束を受け取った。
誰かからこんなたくさんの花をもらうのは初めてだった。
色とりどりのスイートピーから、馨しい甘い香りがする。

「今日で高階も生徒じゃなくなったってわけだ」
「え…そうだけど…」
榎本が何を言いたいのか図りかねた俺は、首をかしげ次の言葉を待つ。

「今度、俺の部屋に泊まりに来いよ」
そう言って榎本は俺の胸ポケットへ銀色の鍵を滑り込ませた。

「やるよ、それ。うちの鍵だ」

俺は榎本からもらった花束に顔を埋め、思わず泣いてしまった。
そんな俺の頭を榎本は黙って撫で続けてくれた。


三月一日。
俺がこの高校を旅立つ日。

―――もう、あの人の生徒じゃなくなる日。


俺はずっと欲しかったものを手に入れた。

【END】
「これの続編『合鍵』をサイトの方でUPしました。短編シリーズ化の予定。」
...2003/2/10(月) [No.33]
紫堂威月
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